第三十三話 無間の彼方
(俺はこの空間を知っている)
目の前は真っ暗だった。何も見えず何も無い。足場はあるが、温もりもなく冷たさもない。ただ広い空間がそこにあることだけは確かだ。
ここは生死の境。間とサトリは言ってた。
パルスと呼ばれる女の子が放った黒渦に飲まれた後の記憶がない。パッタリ途切れたような、ただそのまま影に包まれたような変な気分だ。
あれは結局何だったのか全く分からない。けどこれだけは分かる。
(またか……)
死にかけた時に現れるこの空間は今年に入って三度目。ミーシャと出会ってからというもの、自ら死地へと向かってひた走っているような気がして気が気でない。
「おーい!居るんだろサトリ!出てこい!今すぐに状況を説明してくれ!!」
しーんと静まり返っている。暗がりという恐怖。しかしラルフの体は自らが発光しているかのように明るい。このお陰か、二回も来たことによる慣れかは計りかねるが、不思議と恐怖はない。
どうせ勿体振っているだけだと座ろうとする。
「ワンっ!」
ビクッとして振り返る。小型化したケルベロスの内二匹がラルフを囲んだ。足元に体を擦り付けてくる。目立つ黄色と赤の首輪からノズルとマウスだと分かった。
「あれ?お前らどうしてここに……まさか一緒に死にかけてるのか?」
「生きてるよ?」
そこには緑の首輪のアイを抱いたミーシャが立っていた。そのことに愕然とする。
「馬鹿な……あの攻撃はミーシャでも防ぎきれなかったっていうのか?」
触れただけで一撃死とかいう冗談みたいな攻撃だったのかもしれない。ラルフはヘナヘナとへたり込んだ。
もう助からない。助かるわけがない。
「もう駄目だ……お終いだぁ……」
ミーシャは命のものさしとしてはデカ過ぎる。
「落ち着いてラルフ。私たちは取り込まれただけだよ」
「……は?」
マウスとノズルに顔をペロペロ舐められながらミーシャを見る。そしてそのまま辺りを見渡した。
「……そんなはずはないだろう?ここはだって……」
サトリと出会った”間”で間違いない。そうじゃないならここは何だと言うのか。
「どこでも良いでしょ?とにかくここを出ないとね」
ミーシャは光の玉を出す。暗いところを明るく照らそうと必ず三つ出現させる。しかしどれほどの光量で照らしても足元すら照らせない。
「出口になり得そうなものとかないかな?」
ラルフは内心無駄だと思いながらも立ち上がる。
「んー、そうだな……ケルベロスにでも頼んで出口を見つけてもらおうか。帰巣本能って奴が元の世界への出口を見つけてくれるかも?」
「帰巣本能か……」
あまり賢そうに見えない犬三匹の顔を見ながらも、特に良い案も思いつかないミーシャは抱きかかえたアイを下ろして「おすわり」と三匹並べて座らせた。
「何か役立ちそうなものを探してきて」
ケルベロスは賢い。三匹に分裂しようが、ただの犬並みに小さくなろうがその賢さに微塵も変わりはない。揃って一声「ワンっ」と鳴いて走り去った。
「役立ちそうなものねぇ……あ、俺のポケットに何かないかな?とりあえず食いもんとかあったら良いけど……」
ラルフが胸ポケットから順に探っていると、遠くから「ワンワンっ!」とこちらを呼ぶような鳴き声が聞こえてきた。何か見つけたらしい。
「え?早くね?」
「優秀な奴らだ。何を見つけたか見に行こう」
こんなところで何か見つかると思っても見なかったラルフは小走り気味に声のした方に向かった。そこにあったのは物ではなく人。ジャラジャラと鎖を鳴らしながらケルベロスを可愛がっていた。
「お〜よしよしよし。なぁんでこんなとこにいるんだお前はぁ?」
小柄で小汚いその男を二人は知っている。
「トウドウさん?あんたなんでここに?」
「ほ?はぁ〜。ラルフさんにミーシャさん。こんなところで会えるなんて思っても見なかったなぁ」
藤堂は「よっこいしょ」とゆっくり立ち上がる。
「もしかして二人もあの子にやられた口かい?」
「ああそうだ。ここがどこか分かるか?トウドウ」
ミーシャは腕を組んで威張るように質問する。支配者ムーブを久々に表に出した。
「それが知らねぇんだよなぁ……あの子の特異能力なんかじゃねぇ、多分あの大剣の力だろうと思うんだが……何せ初めてのことだったんでなぁ」
「その言い草。あんたと八大地獄の連中は知り合いってことか」
「ああ。そんな仰々しい名前をつけちゃいなかったがね」
藤堂は肩を竦めて当時を振り返っているようだ。あまり良い思い出はないのか、疲れたような雰囲気を感じた。
「長話は後だ。先ずはここから出たい。前の炭鉱の時みたいに何とかならないのか?」
「無理だな。あっちは長年住んできて良いところも悪いところも知り尽くした仲だったが、こっちは初めてだし、広いだけの空間だしで面白みもない。出口があれば真っ先に出ただろうよ」
「となるとただ先客がいただけか。古代種を潰したとはいえ、まだイミーナと蒼玉が残っている。急がないと面倒だ」
ミーシャは逸る気持ちを隠すことなく口に出す。
「あれはどうだい?前の炭鉱みたいに魔力でバァーっと」
「それも考えなかったわけじゃないが、古代種との戦いで魔力量が心許ない。ここを出ることに魔力を枯渇させたら、それこそイミーナに裏切られた時の再来だ。あの時は一人だったから今と状況は違うけど、不安が残る」
「つまり今はどうあっても正規の出口を所望してるってわけだな?ミーシャの魔力が不足気味なのは知らなかったけど、これだけはよく分かる。仲間に危機が迫ってるっていうね」
ラルフは別のアプローチのために藤堂から離れようとする。挨拶だけはしとこうと帽子の鍔をちょんっと指で摘んだ。
「あ……ちょっと待ってくれ」
藤堂はその行動が亡きコンラッドと被った。ドゴールに作ってもらった指輪をチェーンで潜らせたネックレスを服越しに握る。踵を返して歩き去ろうとするラルフを呼び止める。
「何だ?あ、すまない。こんな暗がりで一人でいたんじゃ心細いよな?トウドウさんも一緒に来るかい?」
藤堂は首から下げていたネックレスを外す。指輪を握りしめてラルフの元に無言で手を突き出した。
ラルフはこの行動に訝しんだが、握りしめたそれを渡そうとしているのだけは理解出来たので、手を出して受け取る。その指輪を見た瞬間、ラルフの目は大きく開かれた。
「何それ。シンプルな指輪だね」
そう、飾りっ気なしの指輪。宝石が一つもついていないので、その表現以外でこの指輪を示すと、安物だの何だのと悪口が飛びそうだ。
「……親父がいつも持ってた母さんとの結婚指輪さ。母さんが誰にも分かんないようにここにって印をつけて、盗られないように用心してた。親父はいつもこの印を見つめてたんだ」
懐かしむラルフにバツの悪そうな藤堂。これから伝えないといけないことに珍しく緊張が走る。
「へぇ〜、でも何でそんな大事なものをトウドウが持ってるの?」
良いパスだ。言い難いことだが、会話の流れで伝えられるのは願ったり叶ったり。
「死んだんだ。親父は……ここにこれがあるってことはそう言うことだろ?」
藤堂は口を噤んだ。しかし、しっかりと頭を下げて申し訳なさそうに奥歯を噛み締めた。ミーシャも藤堂の行動に俯く。言葉は何も発していないが、行動が示していた。
「さしずめ親父と知り合って託されたんだろ?全く親父もバカだよな。キャラバンなんて早死にするからやめろって言ってきてたのによ……」
言えない。自分が離れたばかりに野盗に襲われ、壮絶な最期を遂げたなど。この空気では重すぎる。
ミーシャはラルフの顔をじっと見て口を開く。
「……我慢しないでラルフ。ここには私たちしかいない。いっぱい泣いて良いんだよ?」
ラルフの口元はニヤリと笑みを湛えた。
「我慢なんてしてねぇよ、親父はやりきって死んだんだ。そんな親父に送るのは涙じゃねぇ。だから言ったのにって皮肉さ」
何と薄情な言い方か。
しかしミーシャも藤堂も気づいた。ラルフの頬に流れ落ちる一筋の涙に。
争うことも側にいてあげることも出来なかった一人息子の悲哀。
そんなラルフをミーシャはそっと抱きしめる。
「泣くのは恥ずかしいことじゃないよ。ね?ラルフ。お父さんのために泣いてあげて」
もう抑えられなかった。




