第七話 用意
アルパザは未曽有の危機に瀕していた。第三勢力である”古代種”が住まうこの地に、魔族が責めてきた歴史は一度たりとも存在しない。晴天であれば空が陰るほどの大群。ある地点で停止し動かないが、攻められれば一溜りもない。
いち早くミーシャが察知した。ラルフに教えていなければ用意すら出来なかった事だろう。ラルフは路地裏に入る。そこに守衛のリーダーが佇んでいた。
「なんだよ……あれ……」
リーダーもその影に気づき、絶望の淵に立たされていた。物影から見張っていた彼は飛んでいくミーシャを目で追った際、その異常さに気づいたようだ。ラルフは思った通りの場所にいた事に安堵しつつリーダーのもとに走る。
「おい!何突っ立ってんだ!!攻めてきたんだぞ!?とっとと守りに入りやがれ!!」
ラルフはリーダーに掴みかかってせっつく。リーダーはラルフの顔を見て怒りに我を忘れる。
「お前のせいだろうが!!」
胸ぐらを掴み返しラルフを持ち上げる。力で勝てないラルフは首が閉まるせいで上手く声が出せずその逞しい腕にタップする。
「……ぐぇ……待……て……落ちつ……け……」
リーダーはラルフのあまりの弱さに我に返りラルフを離す。簡単に力で上回った事実に困惑した為だ。魔族や吸血鬼を従えたと言っても所詮は盗賊である。ラルフは尻もちをついて地面に落ち、首を摩りながらリーダーを見上げる。
「ゴホッ……あんたに説明しなきゃいけなかった……こうなる前に……本当にすまない……」
「はぁ?な……何のことだ?」
ラルフは意味深につぶやく。リーダーはラルフのしおらしい態度に不信を抱きつつ聞き入ってしまう。
「その……なんというか……」
ラルフは吃る。言っても良いものかどうか逡巡していた。ハッとした顔をすると、ぽつぽつ話し始めた。
「……イルレアン国が魔族と結託している。黒曜騎士団がこの地に来た時点で、魔族の襲撃は予定されていたんだ」
「そんな馬鹿な!!」
イルレアンの兵士達はしばらく滞在するだけと聞いていた。「アルパザの底」は貴族御用達の場所だし、何らかの調度品が来たとかそんな理由から一時的に遥々やって来たとばかりに思ったのだ。そんな折、吸血鬼の噂が出て、丁度、騎士団という戦力がいた事にラッキーだったと錯覚していた。魔王が出てきて希望は吹き飛んだが……。
その後ラルフがアルパザの崩壊を食い止めるため、団長に嘘の報告をさせたというところで話は止まっていたが、まさかそんな事が裏であったとは……。
「本当だ。彼の公爵、マクマイン公爵から裏が取れた……残念に思う……」
その名を聞いて頭がおかしくなりそうだった。イルレアン国の第一将軍ではないか。
「クソが!早く出て行けば良かった!!」
地面に握りこぶしを叩きつける。ゴンッという鈍い音と共に地面が拳大に抉れる。彼の団長が戦場になる事を言っていたのはこの事だった。魔王が居ようが吸血鬼が居ようが関係ない。奴らは平和を乱す厄災の一つだったのだ。
「悲嘆にくれる場合じゃねぇ。考えるまでもないだろ?今はここを凌ぐんだ。そうすれば次がある」
ラルフはとにかく落ち着き払った態度で言い聞かす。リーダーはラルフを見て敵か味方か判別しようとしている。何せ今の今まで情報を出さなかった奴だ。人類側に反旗を翻したのが本当なら何故ここで自分を鼓舞するような真似をするのか。
「俺は黒曜騎士団にアルパザの守護を要請する」
「……信用出来るのか?あいつらはこうなる為に来たんだろ?山に避難するのがいいんじゃねぇか?」
疑心暗鬼に陥り、ほとんど投げやりに会話をしている。
「逃げるのは悪くない選択だけど、まず女子供は森の魔獣から逃げ切れるのか?それにこれから来る魔族は上空からやって来る。どの道逃げ場なんてない」
リーダーは惚れた女を思い出す。今は服屋で一生懸命働いているだろう彼女を。今日はディナーの約束もあった事を。そして昔の自分を思い出す。タンクである自分が我が身可愛さに逃げだしたあの戦いを……。
「……逃げられねぇな……」
彼女を置いては逃げられない。虫のいい話だが、命を懸けて守るものがある。逃げ出した戦場に置いてきた矜持を拾い上げる。
「……ラルフ。この際、誰が敵だろうが味方だろうが関係ない。アルパザの平和の為、手を貸してくれ」
「任せろ!」
言うが早いかラルフはあの店に走り出す。リーダーのやる気スイッチを押せた。正解を引いた事にラルフは内心ほっとしていた。
本当の所はラルフがほとんど悪い。ミーシャを偶然とはいえ助けたのはラルフだし、吸血鬼騒動も、魔族の襲来も元を正せば全てがラルフのせいだと言って差し支えない。黒曜騎士団に罪をおっ被ってもらったのは自分の罪を逸らす為と、何とか力を貸してもらう為だ。万が一にも全部自分のせいにしたら、「お前の責任だ、お前がやれ」といって責任追求からの生け贄にされる恐れがある。
町を守る為にも皆が一丸とならなければ、勝ち目も生き残る術もない。幸いにもこちらには戦力がある。人類側には壁役の守衛と攻撃の騎士団、こちらは今さっき飛んでいったミーシャと不死身のベルフィアがいる。ラルフ自身が役に立たなくても何とかなる。
多少入り組んだ路地裏を駆けていき、目的の店に到着する。「アルパザの底」”迷い物が最後に行き着く先”を考えて名付けられたこの店はラルフも愛用する店で、現在、黒曜騎士団を監禁する牢屋の役割を担っていた。店に飛び込むと、店主が驚いた顔でこちらを見ている。
「なんだなんだ?突然どうした?」
店主は普段通り店を開け、普通に営業していた。見た目から地下に騎士団が監禁されているとは思えない。
「魔族が攻めてきた」
「……ありえねぇだろ、魔族が攻められるはず……」
といった所で竜陥落の事を思い出す。第三勢力が事実上無力になれば、ここも安全とは言えない。しかしおかしい。通信にしたって、ラルフが勝手にマクマイン公爵に喧嘩を売っただけだ。魔王復活も、発見も、そして騎士団の任務失敗の件も公爵には当然として、魔族に知られているはずがない。
「……元からこの地を狙ってたのか!」
店主は一つの過程が頭に浮かび、それが最も理に適う事だと決めつけた。人間の平和を無くす、人間の安息の地の破壊。同時に辺境であるこの地を補給所として、または魔族の基地として戦争の位置取りをしているのだ。頭を抱えたくなるが、そうする前にラルフが気になった。
「で、お前は何しに来たんだ?」
「騎士団を開放する。一緒に戦ってアルパザを守るんだ」
なるほど。黒曜騎士団を開放して少しでも多くの戦力をかき集めるつもりらしい。
「それでどうなる?この地に救いなんてない。すでに壁は瓦解して、守る物なんてないのに……」
「つべこべ言ってないでとっとと開放しろ!あいつらがいないと、どう仕様もないだろ!!この地に留まるのも捨てるのも後で考えりゃいい!」
店主はそれを聞いて少しの間を置いた後、右ポケットから鍵を取り出し受付台に置いた。ラルフはもぎ取るように鍵を取った後、店の奥に入って地下の扉前まで行く。そこに店主も剣を携えてやって来た。ラルフはカギを差し込む前に店主に振り向く。
「こいつがねぇと勝ちの目はない。俺は避難する。後は任せた」
剣をラルフに預けて店主はとぼとぼと店から出て行く。その後ろ姿を目で追った後、ラルフは地下室のカギを開けた。
ガチャリッ
思ったより大きく音が鳴り、地下の扉が開く。下に続く階段の先に、今か今かと待ちわびたゼアル団長の仁王立ちを発見した。団長は瞑想中だったようで、目を見開き、ギョロリとラルフを睨みつける。
「待たせたな」
ラルフは魔剣を掲げ、団長に見せる。店主の有無や意外に早かった開放を聞く前に、剣を携えたラルフが気になった。
「……私に……何をさせたいのだ?」
「……やっぱ、あんたは話が早い」