第十二話 采配
「ヒヒィィィン!」
曇天に馬の嘶きが響き渡る。麒麟が連れてきた雲は澄み渡っていた空を覆い隠し、雲の合間にゴロゴロと稲光が走る。今にも雷雨が襲ってきそうだ。その身にも雷光を宿し、触れるもの全てを感電させる。最期に見るのが麒麟の姿なのは不幸か否か。
「グルル……ゴォンッゴォンッ!!」
ケルベロスも今に始まる戦闘の空気を感じているのか、まとう業火を一層紅く燃やし、喉を鳴らして威嚇する。この大きさになると、もう「ワンッ」とは聞こえない。見上げるほど大きな体が炎に焼かれる姿はまるで山火事。
「ピュイィィィィ!」
笛の音のような美しい声は鳳凰からのものだった。雅な羽を大きく開き、羽根の模様を曝け出す。まるで孔雀のように美しいが、一本一本が金属の光沢を持っている。見ているだけでも切れてしまいそうなほど鋭利な羽根に恐怖を抱かずにはいられない。
対するは人族と魔族。最強の魔王たちと白の騎士団、そして八大地獄が戦いに参じる。
「いや、勝てるかぁっ!!」
叫んだのは正孝。彼も白の騎士団に負けず劣らずの腕前だが、既に負けを確信していた。
まず見たのはその巨大さ。相手は10mを優に超える巨躯。こちらは180cmから精々20cm上下する程度の大きさしか持ち合わせていない。大きさは力だ。蟻と象を力量の物差しに使うのは単なる比喩表現でないことくらい、年端もいかない子供も知っている。
第二にその身に内包する強大な力。立ち上る炎、駆け巡る稲妻、刃の輝き。ただ一凪すれば全てが終わる。見てくれ以上に物語る威厳と威圧感は、物を知らない幼児ですら本能で悟る。
誰もが弱気になって然るべきところ、ミーシャは振り返り際に正孝を指をさした。
「勝てる勝てないじゃない。やるか死ぬか、よ」
その言葉にハッとする。チラッとガノンを見るとガノンも正孝を見ていた。
「……偶然だ」
ガノンの口癖に似たものがあったが、よく考えてみればそう珍しい文言でもないことに気づいた。
「ふん、勇ましいな。ところでどれをやるつもりだ?」
ロングマンは腰に下げた刀の位置を微調整しながらミーシャに尋ねる。
「……犬か、馬か、それとも鳥か?」
正直どれに行っても地獄だ。
「行くのであれば早くしてください。私の国が攻撃される前に」
蒼玉は珍しく真剣な表情で侍女に指示を出していた。主に有事の際の結界を起動すること、兵器の起動と充填を行うこと。非戦闘員の避難も合わせて最優先で行うことは既に伝え、蒼玉の家臣はあまりの忙しさにてんてこ舞いだ。
「そうだな……じゃあ、お前らには犬をやろう」
「……ふむ、そうか。まぁ理に適っている」
ミーシャの提案に即座に乗るロングマン。さっき合流したティファルが反論する。
「なんであんな熱そうなのを引き受けるのよ?見るからに面倒臭そうな奴だからこっちに回したって分かんないわけ?」
「いや、それは違う。馬も鳥も制空権を持っている。地上で唸っているのは犬だけ。そう思えばこの采配も光ると言うものだ」
ロングマンはミーシャの意図を読み、それに気づかなかったものたちは理解の色を示す。
「何を言ってる?熱そうだからに決まっているだろう?」
ミーシャは燃え盛るケルベロスと戦えば余計な汗をかきそうだと思って押し付けたのだ。それを聞いたみんなの目が点になる。偶然が生んだ采配。でも理に適っている。
「まずは馬だ」
ボッ
ミーシャはそれを言い残すと麒麟に向かって飛んだ。音速を超える速度。誰も追いつけないはずの速度に、唯一追いつける者がいる。ベルフィアは杖を振るって転移の魔法を使用した。物理速度を超えるテレポーテーション。麒麟との間合いをミーシャと同時に詰め、戦いを挑む。
「ならばこちらは鳥をやろう」
鉄は体内から発生させた液体金属を剣に変形させ、城から飛び出した。
「古代種には勝てないって結論が出てたはずなのに……」
ティアマトはため息をついたが、すぐに鋭い眼光で鳳凰を見た。そう、以前なら全力で逃げることも視野に入れていただろう。海上でリヴァイアサンと戦い、そして勝つ前なら……。
ティアマトは鉄を追おうと一歩足を踏み出した。
「待って待ってぇ。私も行くからぁ」
待機組の中のエレノアが駆けつけた。エレノアは捕虜に麻痺を与える係でもあったので、デュラハン姉妹の三人と捕虜の世話に当たっていたが、話を聞いて即座に駆けつけた。尤も、制空権を持つ鳳凰にデュラハン姉妹の援護では心許ない。エレノアが急いで来たのも、その辺りに理由があった。
エレノアはティアマトの横に並んで「私はいつでも行ける」と目で訴えると、ティアマトはこくりと頷く。先先行ってしまった鉄を追いかけて鳳凰の元に三柱の魔王が戦いを挑む。
「……我らも行くとしよう」
ロングマンはミーシャに言われた間抜けな理由がまだ抜けきれず、困惑しながらも何とか体裁を取り繕った。
「私たちも行こう」
それに便乗する形でゼアルもケルベロスの戦いに参加する。
白の騎士団と八大地獄。ほんの数日前に生き死にをかける戦いを繰り広げたばかりだ。この二組とも敵同士だった過去が拭いきれず、睨んだり蔑んだりの視線が飛び交う。そんな時にあってラルフは楽観的だった。
「みんな怪我しないようにな。つっても怪我したところで魔法か傷薬で事足りるか?」
「おい黙ってろラルフ。ついて来る気もない奴が偉そうにするな」
ゼアルからピシャッと叱責を食らう。
「へへ、主役は最後に登場ってな。それよかゼアルも出る気か?あぶねーのにわざわざ行くのは認めるけど、無謀すぎやしないか?」
「どんなのが相手でも関係ない。必要とあらば倒すのみ」
純粋な闘争本能がゼアルを駆り立てる。ゼアルもまた、城から飛び出す。それに同調した奴らは、白の騎士団も八大地獄も関係なくケルベロスの前に到着した。
それぞれが戦える位置に移動し、戦闘の始まりを見定めようとしている。
先手必勝。
真っ先に攻撃を仕掛けたのはやはりミーシャだった。




