第三十七話 人間万事塞翁が馬
小高い丘の上。新緑に彩られた緑の大地にそよそよと気持ちの良い風が吹く。
腰掛けられるほどの大きさの岩の上に刀を持つ偉丈夫が胡座をかいて座る。視線の先には西の大陸で人類唯一の居住区と言われた”ジュード”が広がる。帆船が停泊しているのを見ると、その船に揺られて何処へでも行きたいという衝動に駆られた。
「ロングマン」
自分の名前が呼ばれたことに気づいて振り返る。そこにはトドットが立っていた。
「ここにおったか」
「うむ。少し前にここの景色の良さに気づいてな。ちょっと座ってみたのだ」
ポンポンッと硬い岩を叩く。誰かによって成形されたような座るのに適した岩は、自然のベンチと呼ぶべきものだった。
「見よ、ここの足跡を。オークがここによく来ていたのか、ここだけ草が生えていない。ここはその者の特等席だったのだろうな……或いはここで街を攻め落とすための戦略を練っていたのか。いずれにせよこの景色を見ていたのは間違いない」
美しい景色に黄昏るロングマン。トドットはその後ろ姿に小さくため息をついた。
「……儂らは目的を果たした。もう自由に行動しても良いんじゃないか?」
藤堂 源之助の討伐。実際には呪いの鎖をかけられていたために殺すことは叶わなかったが、最後の地獄”阿鼻”の特殊空間に閉じ込めたので、もう二度と陽の目を見ることがない。実質殺したようなものなので、任務達成と言って過言ではなかった。
「目標が藤堂一人の時ならばそれで良かったのだが、魔王の討伐も命ぜられた以上、目的は未だ果たされてはいない。残念だが、またすぐにも移動を開始する」
「ミーシャとかいう魔族かい……」
「後、ラルフというヒューマンもな」
トドットは苦々しそうに俯く。ロングマンは肩越しにその顔を確認し、フンッと鼻で笑う。
「どうした?この程度のことはよくあることじゃないか。オークを潰す程度に考えれば良いのだ」
「そうは言うがな?それ以上に懸念すべきことがあるではないか……」
モゴモゴと言いずらそうにするトドットが何を言いたいのかはよく分かっている。
「ジニオンの件か……」
恐怖というものに縁のない八大地獄の面々だが、ジニオンの死を目の当たりにし、言い知れぬ不安感を持つに至った。
「当然であろう?あんなことがあっては儂らも躊躇せざるを得ん。これは死活問題じゃて」
ジニオンは先の戦闘で命を落とした。八大地獄が人類最強であると自負していた自分たちの自信を著しく低下させたのは痛手だ。しかしそれ以上に不味い事態が彼らに降りかかる。
「……ジニオンは生き返った。その事実を考慮するべきではないか?」
第一目的達成の成功報酬として、今後の活動の妨げにならぬ様、仲間の蘇生を神に願った。功績を称えられて生き返ったまでは良かったが、その蘇生にこそ問題があった。トドットは押し黙って目で訴える。ロングマンは肩を竦めた。
「奴は今どうしている?」
その問いに答えようと口を開きかけた時、ブワッと熱気が押し寄せた。先ほどまでのそよ風はどこに言ってしまったのか、熱風が雑草を揺らしている。汗を掻きそうなほどの熱波だったが、二人は何とも無さそうな涼しい顔で振り返る。
「荒れとるわい」
小高い丘を下り、少し言った先に広い草原があった。今は焼け野原と化し、空気をチリチリと焼いている。斧を振り上げ叩き付ける。振り下ろした先にクレーターが出来、大地にマグマが発生した。ゴポゴポと煮えたぎる音が少し離れた先までハッキリと聞こえる。
「ねー、もう十分暴れたでしょ?そろそろ街に行ってご飯にでもしようよ」
ティファルは退屈そうに欠伸をしながら癇癪を見ている。テノスは少し離れた木に背を預けて困った顔でそれを見ていた。ここにいないのはノーンとパルス、ジョーカーの三人だ。ティファルとテノスは姉弟の関係なので良く二人で行動している。
「……だぁっ!!クッソオォォッ!!!」
ゴッ
全身から怒りのオーラが立ち込め、周囲に衝撃波を飛ばす。それのせいで離れた場所にも熱波が吹き荒んでいるのが見て取れた。
そこに立っているのは筋骨隆々の大男ではない。どちらかというとその正反対とも呼べる華奢な女性。だがその手には無骨な大斧が握られている。
「ジニオン。そこまでにしろ」
名前を呼ばれた女性はバッと振り返った。巌の様な強面とは似ても似つかぬ可愛らしい顔、豊かな双丘を揺らし、安産型のお尻で安定感も抜群。大木ほどのある太い手足とは真逆の、細い腕とカモシカの様な脚。唯一似通っているのは燃える様なオレンジの髪だけ。復活させられたジニオンの姿はまさにナイスバディのお姉さんだった。
「ロングマン!テメーのせいでこんな事になったんだぞ!!どうしてくれんだコラァ!!」
甲高く、可愛らしい声でキャンキャン喚いている。あの時の低く、重厚な声は戦場に置いてきた様だ。
復活当初はティファルに死ぬほど笑われたが、延々怒り狂うジニオンに呆れて宥めに入っている。飽きたのもある。
ジニオンが復活出来ることを知り、一度はテノスたちも余裕の表情だったが、この形での復活は寝耳に水だった。数日間はテノスから「俺が死んでも生き返らせるな」と口癖の様に呟かれるほど。トドットもテノスの意見に賛成で、死にたくなくても体を女性に変えられてまで生き返されるのを良しとはしない。
「落ち着け、これは奴らの策略だ。体を元に戻して欲しくば命令を実行しろという奴らの意図がある。我らが仲間割れをすることも奴らの戯れの一つだ。目標を達成し、体と自由を手にするのだジニオン」
ガルルッと威嚇するジニオンを言葉で制す。よくも口が回ると呆れ顔でロングマンを見る。
「……俺は生き返すなよ?」
テノスの言葉に「やめろ」とロングマンは叱責した。
*
「さて、我々が次に目指すは魔王ミーシャとその部下ラルフ。これに渡りに船と呼ぶべき状態が転がり込んできた。次の戦場はペルタルク丘陵。案内はここジュードから出してくれるとのことだ」
ジュードの公民館の一部を借りて八大地獄の面々は話し合いをしていた。何とか落ち着いたジニオンだったが、その顔から険は取れていない。
「その前に質問。その話はマクマインから来てんだろ?ジニオンが殺されたってのに信用出来んのかよ……」
テノスは吐き捨てる様に問う。
「当然だ。何故なら我らは藤堂と出会えた。これ以上に信用に足る根拠は存在せぬ」
「……もう一つ質問だ。俺は何故か性転換されちまったわけだが、今からもう一度死んで生き返されたら元に戻れねぇだろうか?せめて男に戻れたら……」
「無理だ。自決すれば二度とは生き返されんだろうな」
テノスもジニオンも揃って外方を向く。「他に質問は?」と一応伺うも特に無いのか、みんな黙ってロングマンを見ている。しばらく黙って確認し、これ以上の無駄口が無いことを悟ると口を開いた。
「それでは明日の朝に出発する。今日の夜はゆっくり体を休め、明日に備えよ」
この協議に八大地獄も参加する。
黒の円卓、王の集い、八大地獄、ラルフ一行。まだ始まってもいないのに、既に暗雲が立ち込める様な、黒く嫌な空気が世界を席巻する。
夢の協議が始まるまで、後少し。




