第三十話 空しき終戦
「アガガアアァアッァ……」
苦しみもがく声に顔を顰めるルールーたち。
八大地獄との戦闘が突然終わり、肩透かしを食らっていたところに木霊するこの声は、ルールーの部下から発せられていた。
彼女たちが戦っていた相手は第五の地獄”大叫”を操るノーン。彼女の槍に斬られた部下たちは、例えそれが擦り傷であっても一様に痛みに叫ぶ。
「アリーチェ!!早グ来イッ!!ワダシノ部下ヲ治セッ!!」
ルールーは後方に居たアリーチェの元まで傷付いた部下を運んできた。傷つけられたのは二人で、最初に足を切られたスナとそれを見ても果敢に挑んでいったピュマ。ピュマは肩の辺りを斬られた。
「分かった!」
アリーチェは急いで傷の具合を確かめる。すぐさま回復魔法をかけて傷口を塞いだが、以降もずっと叫び続けて全く改善されない。何とか無事だったジャガが「モシカシタラ毒ニヤラレタカモ」と横から挟んだので、魔力による触診に移った。状態異常を確認していたが、不思議なことに何も感じない。
「……毒じゃない」
「ハァ?!」
「毒じゃないのよ」
訳が分からなかった。斬られた拍子に痛みが爆発的に感じるような、回復魔法で治しても痛みが引かないような攻撃など毒の攻撃以外考えられない。「ジャア一体何ナンダギャ!!」とアリーチェの肩を思いっきり掴む。爪が立って服の下から血が滲んだ。その痛みに耐えながらアリーチェは毅然とした態度で説明する。
「……彼女たちの痛みは恐らく呪いの類。祈祷師や巫女、いわゆる神職に就く者たちでないと無理」
「ソ……ソンナッ!?」
肩に食い込んだルールーの爪が離れて拳を握り、地面に向かって殴りつけた。ガスッと音を立てて拳大の窪みが出来る。スナとピュマの二人は徐々に痙攣しながら白目を剥いて気絶。息も絶え絶えになり、最期には泡を吹いて絶命した。あまりの痛みによるショック死である。
「スナ!!ピュマ!!」
ルールーとジャガは涙を流して二人に声をかける。もう既に届いていない事実に歯噛みし、ノーンに恨みを抱く。アリーチェも、何も出来ない自分に悔し涙を溜める。
「アリーチェ様!こちらをお願いします!!」
その声に弾かれたように顔を向けると、エルフたちがハンターを担いでいるのが見えた。
「ハンターさんっ!!」
ボロボロになったハンターを見て急いで駆け寄る美咲。ハンターは痛みに軋む身体を何とか動かして美咲に応える。その笑顔は痛々しくも優しいものだった。アリーチェは涙を袖で拭って立ち上がる。傷心の獣人族たちにお辞儀をし、タッとエルフの元に走った。
その様子を遠目で見ていたガノンは結局何もなし得なかった不甲斐なさを感じて、落胆から肩を落とした。
「無様であるな」
その声に即座に反応してギロッと刺すような視線を向ける。案の定アロンツォが澄まし顔でそこにいた。
「……おい手前ぇ、こんな時にまで突っかかってくんな。今の俺は歯止めが利かねぇぞ……」
「事実を事実のまま話しているのみよ。これが余らの実力ということであるな」
「……チッ」
ガノンは腕を組んでその言葉を甘んじて受け止める。ドゴールの死、ルールーの部下の死、重症のハンター。ガノンもルールーもアロンツォも全く歯が立たなかった。白の騎士団の称号は地に落ちたといって過言では無い。ゼアルはチラッとアロンツォを見た。
「あまり悲観しないことだ。私たち人間には出来る事と出来ない事がある。今はただ戦死した者たちの死を悼もう」
俯き加減で目を瞑り、静かに黙祷を捧げる。消え去った命は元には戻らない。ならばこうして死者への弔いをするべきである。
アロンツォは死んだ大男の死骸に目をやる。腕の先が無い見事な切り口に一つ頷いた。
「やはりそなたは強い。想像を絶する強者を悉く沈める。余は鼻が高い……が、同時に肩身が狭い」
彼の率直な意見だ。ゼアルだけの功績で成り立つ部隊など、有って無いようなものだ。翼人族最強を公言出来る実力なれど、それは井の中の蛙だったということ。
魔王を倒せると思っていた。本番で本領を発揮し、全て上手く行くと思っていた。誰より功績を残して、誰よりも尊敬される人物になれると本気で思っていた。
だが違った。その技量、技術、能力はあったが、現実は全てランクが違っていた。新しく席に座ったばかりの魔王ですら段違いの実力者。神輿で担がれただけの間抜けの方が幾分マシだと思えるほどの道化。穴があれば入りたいと思えるほどにゼアルを尊敬していた。
「何を言う。貴様らが居てくれたから今の私がある。私は自分の力でここまで来たのだと自惚れるほど考え足らずでは無いぞ」
しかしゼアルにはその思いが通じない。
「ふっ……謙遜は時に罪であることを知るべきよ」
やれやれといった風に両手を上げる。
「……けっ、二人でやってろ」
ガノンは一人踵を返す。二人はその背中を目で追った後、視線を交わせて同時に肩を竦ませた。ガノンは正孝の元にのそのそと歩いていく。腰掛けるのにちょうど良い高さの岩に座り、疲れた身体を癒している。
「……正孝。手前ぇ大丈夫かよ?」
正孝はガノンから顔をそらして手で答えた。いつもの饒舌な正孝には珍しい様子に訝しむ。フンッと鼻を鳴らし、正孝に近寄る。
「……大丈夫でもねぇな、その顔」
正孝の顔は殴られた後が分かりやすく腫れ上がっている。頬が邪魔をして口を開けないのだ。見るからに不機嫌そうな顔でギロッと睨んできたが、今度は反対側に顔を背けた。
「……ったく、こいつを使え」
そう言って差し出したのは回復薬だ。正孝は薬とガノンの顔を交互に見る。
「……そんな顔じゃ恥ずかしくて戻れねぇんだろ。ゼアルの野郎から渡されたもんだ。俺は使わねぇし、手前ぇ使え」
正孝は悔しそうにそれをもらうと顔に振りかけた。みるみるうちに顔の腫れは消え、痛みも引いた。少し残った分は口に含んで飲むことにした。きついミントに蜂蜜を入れたような風味は好きでは無かった。特にミントの鼻を刺すようなつんっとした匂と少しの渋みが苦手で、好んで飲みたいと思える代物では無かったものの、他の部分に当たった攻撃の痛みは薄らいだ。
「ありがとよ」
「……まだ全回復じゃねぇだろ。ハンターの治療が終わったら、アリーチェに回復魔法を頼め。良いな」
「ああ、分かった分かった」
生意気にひらひらと手を振った。ガノンはいつもの調子が戻った正孝に安心して後方に下がることにした。ルカの人形たちもゾロゾロと歩いて戻っている。
「ガノン様ーっ!」
駆け寄ってきたのは仮面の男ルカ。人形ではあるが、大軍勢を率いて八大地獄を一瞬でも翻弄した名将。
「ガノン様!お怪我はありませんか?!」
「……擦り傷だこんなもん」
「そんなっ!血が出ておりますよ!こちらをどうぞ。傷に当てて止血してください」
ルカはポケットからハンカチを取り出して手渡す。
「……こんな真っ白なの使えねぇよ」
「お使いください。使用後は私にお返しくださいませ」
「……あ?何なら買い取るが?」
「いやそんな。お金をいただくわけには……」
「……何言ってんだ。普通は払うだろ?」
ルカの変な言動で混乱させられるガノン。犠牲は避けられなかった八大地獄との戦闘の果て、パペットマスターという新たな友を手に入れた。
奴らが狙っていたとされる藤堂 源之助。彼がどこに消えたのかは分からず仕舞いだったが、探す余裕の無かった面々は、死ぬことのない彼の無事を祈り、急ぎヴィルヘルム王国に戻るのだった。




