第三十九話 公爵の判断
黒曜騎士団団長ゼアルの敗北。
その噂は瞬く間にイルレアン国を席巻した。
この国に入り込んだ犯罪者の攻撃に、為す術もなく倒されたと……。
——あの敗北から数日後。イルレアン城、某所。
「……団長。行っちゃ駄目ですよ」
バクスは歩くゼアルの後ろでコソコソと話す。ゼアルは不機嫌そうな顔で肩越しに見ると、バクスはギクッとして一瞬引いたが、言わずにいられないのでまた口を出す。
「今回の件であの公爵に呼び出されたってことは団長の身が危ないです。ラルフとなると目の色を変える方です。最悪……斬首なんてこと……」
カッ
小気味よい音を立てて立ち止まると振り返る。
「斬首を命ぜられるならそれ程のことをしたということだ。公爵の決定に異論を出すことはしない」
「し、しかし……」
「口惜しいのは奴に一度も勝てずに死ぬことくらいか」
「そんなっ!」
声が大きくなったことに自分自身で驚いてキョロキョロ周りを見た後、また声を落として口を開く。
「……死ぬなんて言わないでくださいよ。何で俺より先に逝こうとしているんですか……」
デカい図体の割に繊細な心を持つバクスの目には前団長、ブレイブの姿があった。途方に暮れる瞳にゼアルは目を伏せる。
「すまない」
「……謝らないでくださいよ。こいつは単なる我儘って奴です。もし団長が極刑なんてなったら俺が抗議します。絶対どうにかしてみせますから」
グッと拳をゼアルの目の前に持ってきた。
「ふっ……頼もしいな……しかし、もし極刑でもそんなことはするな」
バクスは口を開きかけて閉じる。ゼアルが手で制したのだ。
「まぁ聞け、私を庇う真似は貴様の進退を窮める結果に繋がる。それに貴様という男が居なければ、誰が貴様の家族を養うのだ?」
何も言えない。団長のために自身の命などどうでも良いと投げ捨てることは簡単だ。だが、妻や子供たちを無責任に遺して逝くなど父親失格だ。せめて子供が成人していれば話は別だが、それにはまだまだ時間がかかる。
「聞いているぞ?上の子は弦楽器が得意なのだとな。今度発表会もあるそうじゃないか。そんな時に私の心配している場合ではない」
バクスの肩に手を置く。
「貴様の人生を生きろ」
ポンポンッと二回軽く叩くとそのまま歩き出す。引き止めようと身じろぎしたその時
「まだ沙汰が下ったわけではない。案ずるな」
振り返ることなくバクスの不安に返答した。バクスは後を追うことが出来ずに呆然と立ち尽くした。
(貴様の不安は尤もだバクス……公爵のラルフに対する怒り。その上、一度たりとも私の前に見舞いにすら来ないとあったら、考える先は一つ……)
公爵の癇癪は苛烈を極める。怒りの沸点自体はかなり高いのだが、沸点の高さに比例しているのか一度怒りだすと中々冷めない。今頃怒り狂って、一時そうだったように書斎の机の上は破壊され尽くしていることだろう。
最も厄介なのが、ラルフに負けた事実だろう。吸血鬼や魔王に負けたのならまだしも、人類最強を謳われた自分がまさかラルフのような常人に土をつけられるとは誰も思わない。この汚点を払拭する方法は、死んでなかったことにする他ないだろう。
そんなことを考えながら公爵の書斎に辿り着いたゼアルは、扉の前で大きく息をついて気を落ち着けると、はやる気持ちを抑えてノックした。
「ゼアルです」
「——入れ」
扉越しに聞こえる公爵の声。今は侍女が側についていないので、こうして公爵の声がこもって聞こえてくる。
「失礼します」
中に入ると、公爵が一人机で手を組んで座っていた。
「待っていたぞ。まぁ座れ」
公爵が指定した椅子に腰掛ける。ほんの少し沈黙が流れる。公爵はおもむろに口を開いた。
「ゼアル……貴様ラルフに敗北したそうだな」
早速きた。
「……申し訳ございません。私の油断が生んだ敗北です。何なりと処分を」
「良い」
「は?」
「良いと言っている」
公爵は椅子にもたれかかる。くつろぐような態度を示しながら何でも無いように答えた。
「今の奴には神が宿っている。貴様がどれほど強くなろうとも、勝ちの目は存在せん」
「神……」
大げさだ。いや、ミーシャという一点でのみその解釈で間違いない。強すぎるが故にいつ乱入されるかとハラハラしたが、そんなこともなく倒されたら元も子もない。
「信じられぬのも無理はない。私も自分で何を言っているのかと虫酸が走りそうになる」
ゼアルは怒り狂った公爵にこの場で殺されるのも覚悟したというのに、蓋を開けてみれば処刑の「しょ」の字すらでず、怒ってすらいない。どれほど感情を巧妙に隠したのかと疑いたくなるレベルだ。
「……ふっ、論より証拠よ。貴様も神を見ればその半信半疑に決着がつく」
そういうと誰かを探すようにキョロキョロと周りを見渡し「出ろアシュタロト」と言葉を投げかけた。
『何かなぁ?人使いの荒い……ん?この場合は神使い?』
いつからそこにいたのか、とぼけた風に姿を現した。
「こ、子供……?」
『アシュタロト、豊穣の神だよ。名前で呼んでね』
対面に座する子供。異様だ。まず気配が希薄だ。ここに確かに姿はあるが、本当にここに居るのかどうかが疑わしく思えるほどに。公爵に目をやるが、その顔は真剣そのもの。アシュタロトを神であると一部の疑いもない。
「奴にはこれと同じものが常に憑いている。貴様が負けた理由は間違いなくそこにある」
「バカな……」
『ねぇ……「これ」なんて失礼だよ。後そろそろ本題に行こうよ。日が暮れちゃうよ?』
「うむ……さてゼアル、改めていうこともないが貴様は強い。魔王を二体も屠った貴様がよもやラルフ如きに後れを取るなど本来あり得ない。これをあり得る範疇まで押し上げるのが神の御技……」
公爵は席から立ち上がる。
「この神の御技を貴様に付与しようと考えているのだ」
「まさか……そんなことが?」
『出来るよ。というよりも、僕に出来ないことはないね』
ニコニコと笑うアシュタロト。
『本当はジラルにあげようとしたんだけど「自分よりふさわしい奴がいる」の一点張りでさ。「じゃ、そいつを連れてきてよ」って来たのが君だったわけさ』
「公爵……」
自分は何を疑っていたのか?ここに来れば処刑されるなど杞憂に過ぎない。どころかパワーアップを考えていたようだ。
「事実だ。それに人類最強の貴様が神の祝福を受けるとどうなるのか……それも見ものであると思ってな」
実験に近い考え方だが、付与してくれる存在は神様。絶対に失敗しないことを思えば、本当にただのパワーアップだ。
「貴様と彼奴の一騎打ちを聞いてすぐに思い至った。神の力を持ち、ラルフを殺せ。ゼアル」
ゼアルは椅子から立ち上がり、すぐにアシュタロトと公爵の二人に対して跪く。
「……はっ!今度こそ奴の首、撥ねてご覧に入れます!!」
その威勢良い言葉にアシュタロトと公爵はニヤリと笑う。
ゼアルに付与された神の力は彼という存在を一段階も二段階も上に押し上げた。
再戦の時は近い。




