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第三十八話 そこから見える景色

 ──ゴッ


 両者が踏み込んだ瞬間、まるで時が飛んだような錯覚を感じた。


 ラルフとゼアル。たったコンマ一秒の世界。先に踏み込んだのはゼアル。それは自負心からだった。ラルフを殺す技術を持ち、瞬時に細切れに出来る魔剣を所持している。

 これだけでも確かに信じることの出来る力だが、それ以上に経験が物を言う。


 ──ギャリンッギャリッ……


 金属が跳ね、転がる。


 幾つもの戦場を越え、魔族を屠ってきた。魔王をも滅ぼすその技量は人類最強の名に偽りなし。

 対してラルフはただの人間。外見的特徴も無ければ、生まれ持った才能も乏しい。全ては努力と経験で手に入れた涙ぐましいもの。


 ──ヒュンッヒュンッ


 空気を切り裂き、飛ぶ鋼。


 そんなラルフを鼻で笑うゼアルという無双の存在。

 だが、油断はしない。

 もし叩いただけで死んでしまう虫のような存在だとしても、陸に上げた跳ねるしか能のない魚であっても、血を流しすぎて三秒後には死んでしまうような瀕死の小動物であったとしても、それがラルフならば全力で相手をする。


 ──ガシャアッ


 ようやく止まる金属の音。


 この世に存在することを許せない。

 この小汚いヒューマンは弱いくせに図に乗る。脅しも威圧も刃の煌めきもこの男を屈するに至らなかった。全ては世界そのものを鼻で笑ってゴミのように捨てられる最強の魔王、ミーシャが居るせいだと理解している。

 虎の威を借る狐。魔王を盾に自身の存在を押し上げた卑怯者。


 ──ザクッ


 星の重力に負けて空に舞い上がった鋼も地面に刺さった。


 しかし、ここにラルフとの一騎打ちが実現した。前に出すことが出来れば一も二もなく寸断出来る。マクマイン公爵も切望した状況にゼアルが先んじた。


 ラルフを殺せるならここで死んでも悔いはない。


 浮つく心をキツく締めて真っ直ぐに。ただ、真っ直ぐに……。



「そこの景色はどうだ?」


 ダガーナイフは地面に刺さり、拳を固く握り締め、膝をつき、ニヤリと笑いながらラルフは尋ねる。

 剣を握り締め、天を仰ぎ、笑うことも泣くことも、怒ることもなくそこに居るゼアル。


 その光景を見た周りの反応は唖然である。

 結果は歴然。


「……嘘だ……」


 歩はその目に見た信じられない出来事に目を見開いた。ありえない光景は頭を混乱の渦に陥れる。強さとはそこにある唯一変わらないものだ。弱者に天敵が存在するように、頂点捕食者が存在するように、ミーシャがそうであるように……。


 ならばこの状況はどうか?これはどう説明すべきか?


 ラルフが立って、ゼアルが倒れる。


「嘘じゃないよ」


 アンノウンが隣で歩に答える。見たら分かる。現にこうして目の前にその光景が広がっている。


「すごーい!ラルフが勝ったー!」


「わーっ!」


 ミーシャとアルルははしゃぐ。強くなったと聞いてはいたが、それを見ていなかったミーシャはラルフの成長ぶりに心の底から喜んだ。


「え?え?なんで……ラルフの奴が……?というかどうやって……?」


 ダルトンは困惑気味にブレイドに尋ねる。


「俺にも一瞬しか見えませんでしたが、ナイフを手放して真正面から殴ったようです」


「へ?なんで武器を……」


「ふっふーん!誘導よっ!」


 ミーシャはニコニコ笑いながら弾むように話し出す。


「踏み込むと同時にナイフを投げて注意を逸らし、隙を突いて右ストレート!見てよあの吹っ飛び様っ!遂にラルフがやったのよ!!」


 ゼアルが踏み出したと同時にラルフも踏み出す。

 ラルフはタイミングを見ていた。ゼアルには雷の様に疾い剣技がある。ベルフィアを一瞬の内にバラバラにしたアレを自分が受けることになれば、間違いなく死ぬ。死ぬわけにはいかない。だがこの戦い、受けないわけにはいかなかった。


(……だって悔しいだろ?いつまでも見下されてんのは)


 ビュンッ


 武器を明後日の方向に投げるラルフ。ゼアルは油断をしていなかった。最も警戒したのはラルフの唯一の武器、手に握られたダガーナイフ。それが手放された瞬間、ほんの一瞬気の緩みが出来た。

 ラルフにはそれを感じられるほど時間的余裕はない。そこはゼアルの動体視力を信じた。その後に来る生き物として当然の気の緩みも含めて。

 戦いの最中、魔獣の牙や爪が突然ポロリと落ちたらどうなるだろうか?騎士が剣を手放したら?エルフが弓と矢をその辺に投げたら?ドワーフが斧を地面に突き立て武器から離れたら?

 困惑、混乱、疑問。それらが突然押し寄せるのだ。無意識下に訪れる感情の波。


 虚を衝く。


 踏み込んだラルフはゼアルの懐に飛び込む。ゼアルの知るラルフの身体能力は常人並。一度戦ったからこそ、それをよく分かっていたはずだった。でもそれを大きく上回る身体能力。速い。ゼアルが武器に気を取られた一瞬で見失うほどに。

 突然押し寄せた三つの感情に加えられた驚愕。ゼアルほどの達人となれば戦闘中、無意識に攻撃を仕掛けられる”無拍子”を会得している。となれば理論上、どのような状態でも即座に攻撃に対応可能である。

 しかし、事ここに至って"無拍子"は封じられていた。感情が思考を生み、思考が肉体を鈍らせ、体を無理に動かそうとする意思が”無拍子”の邪魔をする。拳が迫っていても動けないほどに……。


「……」


 狙ってやったわけではない。いや、視線誘導からの攻撃までがラルフの作戦であり、その裏に付随した状況までは想定外である。斬られなかったのは単純に運が良かったのだ。


 鼻から大量の血を出しながら無様に仰向けに転がるゼアル。あまりの膂力に何度も地面に体を打ちつけながら、食らったこともない顔面への直接的な打撃で完全に伸びている人類最強を見下ろす。


「へっ……もう聞こえちゃいねぇか……」


 ラルフの問いに答えられないゼアルに踵を返して拳を振り上げる。明確な勝利の余韻を誰も咎めることなど出来ようはずもなく、ゼアルの部下たちはラルフが飛行艇に乗り込むのをただ黙って見ていた。たとえ飛行艇の船底が見えても動くことは出来ないだろう。

 これは騎士としての矜持だ。誰の邪魔が入ることもない正々堂々の一騎打ち。勝ち方はどうあれ、ラルフはゼアルを倒した。騎士たちは一斉に目を伏せる。ラルフたちの乗る飛行艇が飛び立つのを待っているかの様に、見送るかの様に……。


 ラルフはそんな騎士たちに帽子のツバをちょんっと摘んだ。騎士に対する彼なりの誠意だ。

 飛行艇はすんなりと街の夜空へと飛び出し、徐々に徐々に、消えるように小さく見えなくなっていった。

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