第三十三話 この時を……
馬を休みなく走らせて街を駆け抜ける。
騎士たちが国民に外出規制をかけていたので、突然横から飛び出してくるような危ない状況もなく、魔法省までの道は開かれていた。
(不思議だ。まるで私がこうして馬に乗ることを見越していたような……)
こう思うのも神という存在と遭遇してしまったが為だろう。一昔前なら幸運と捉えていたものが、何かの意思と感じてしまう。
街中でここまで速く馬を走らせるのも、目的の場所までこんなに早く着けるのも初めてのことだった。
「幸運……いや、状況が状況だけに幸運とは呼べんな……」
そんな詮無いことを呟く程度には気が気でない状態だった。
「マ、マクマイン様?どうしてこちらに……」
そこには魔法省直属の兵士、俗に”護衛兵”と呼ばれる魔法戦士部隊が魔法省の入り口を固めていた。
犯罪者ラルフの国内侵入を受けて、魔法省への強化を図ったと見える。
(これほどの兵を掻い潜ってどうやって中に……)
もはやラルフが最初から魔法省の中に居たのではと考えてしまう。いくら探し回っても見つからなかったのは、潜伏場所から一角人の情報から何から何までが全てがブラフだったのではと……。
公爵は突飛な考えを捨てて、堂々と歩く。騒めくガードナーの中に隊長格と思われる男を見つけ、声をかけた。
「局長に用がある。すぐに門扉を開け」
「かしこまりました」
男は手を振るって開けろとジェスチャーを送る。門の内側にいた魔法使いが急いで詠唱を行い、簡易的な結界を解除した。
見れば見るほどにここの警備は厳重だ。公爵はこの魔法省を立ち上げた立役者。彼は当然顔パスだが、本来ここに入る場合は特別な許可証を持参しなくては話すら聞いてもらえない。
部下たちの間を抜けて魔法省の建物までの広い敷地を、焦らず急ぎすぎずを心掛けて進む。すぐ後ろではまた門を閉じて結界を張り直している。これで出ることは出来ない。
(いや、どうやって入ったかが分からない以上、奴は出入り自由と考えるのが良いか……)
側に誰もいないことを確認してポツリと呟く。
「……アシュタロト……いるのか?」
部下を誰一人連れていない無防備な状態。武器もあり鍛えているとはいえ、相手が何人いるか分からない状況。そして何より妻が人質に取られたという不利な現状。神という不確かではあるが、絶対的な存在でもいない限り不安で仕方ない。
『何かな?』
いつもは全くと言っていいほど神出鬼没な上、返事をすることも稀な彼女が今回はすんなり返事をした。こんな時だからこそ頼れるとは、神という存在に縋る者たちの気持ちが分かったような気がした。
「相手が相手だからな……貴様でもいないと話にならん。相手方の神の存在も気掛かりだ。私の元を離れてくれるなよ」
『うふふ……心配?でも安心しなよ。僕は君の元から離れる予定はないからさ』
公爵の口元に笑みが溢れる。この話し合いの場で彼女から手を出すつもりはなさそうだが、こちらが危なくなった時は盾になってくれるくらいはしてくれるような気がした。これで命の保証は出来たも同然。
そのまま建物の中に入ってふと気づく。
「そうだ。どの部屋にいるのか聞いてなかったな……」
通信機を切る直前にその話が出来れば良かったが、そのことはすっかり失念していた。とりあえずは局長室を目指せば良いかと一歩踏み出した時、背後から声をかけられる。
「はい、そこで動かないで」
その声にピタッと足を止める。
(……馬鹿な……気配を感じなかっただと?)
相当な手練だ。
第一魔王”黒雲”が頼りにしている執事、”黒影”の希薄な気配をも感じ取れる公爵の感覚から逃れる気配。人間じゃない。
「……貴様は?」
「ラルフの仲間とだけ言っておこうかな。そんなことより話し合いの場にその腰の得物は相応しくないよ。この場で私が預かる。剣を外して床に置いてくれる?」
逆らっても良いことはない。公爵は手慣れた様子で腰に佩いた剣をサッと取り外すと声のする方に差し出す。そこには真っ黒い出で立ちの人物が立っていた。
(暗殺者か……?)
武器を持っている様子はないが、不気味だとしか言いようがない。
「ん?ははっ、誰が立っているのか気になったのかな?気持ちは分かるけど、敵の間合いで逆らうのは賢い行動とは言えないな……人質を取られているのを忘れたのかな?」
「すまないな、この剣は王より賜りし聖剣。床に置くことは出来んのだ。良ければ手渡しで預かってくれないかな?」
「ふーん……中々良い文句だね。忠義に厚い臣下だと思わされるし、同時に情にも訴えられる。そういうの好きだなぁ……私の顔を見せるのに値する文句だよ」
そこに現れたのはまだ若い子供と呼べる年齢。多分十六、七くらいか。この時分から既に実力者と呼べる存在が目の前に立っている事実に恐れ入る。
「……何故貴様のような存在があのような男に与する?どんな旨味があの男にあるというのだ?」
「あなたは損得勘定で敵味方を決めるんだね。……でもしょうがないか。政治家である以上、国の為に損得を取るのは当然のことだよね」
「……名は?」
「この世界の呼び名はアンノウンで通ってるよ。じゃ、その剣は預かるね」
アンノウンは公爵からの手渡しに応じて、そっと大事そうに預かった。物の扱いにも長けているところから良い教育を受けていることは明白である。アンノウンを見て思ったのが(惜しい……)である。このような人物が部下にいれば、間違いなくストレスを感じることはなかっただろう。
そんな風に感じていた時、ふとこちらに来る気配に気づいた。ギロッとそちらを見ると、武器を構えている男と屁っ放り腰の男がやってくるのが見えた。
「……案内人かな?」
「ご名答。あの二人について行ってね」
アンノウンは影に隠れるように入り口付近に立った。それと同時に姿を見せた金髪の男性に目を丸くする。
「き、貴様は……ブレイブ!?」
いや、まさかそんなはずはない。かの者はこの手で……。しかし、手に携えているのは怪魔剣”デッドオアアライブ”。銃形態で構えながら公爵の命を狙っているように見える。
「俺の名はブレイド。父ブレイブの息子だ」
「まさか……黒影が言っていた半人半魔……なるほど、貴様がそうか」
先に情報を聞いていたお陰で取り乱さずに済んだ。ここが初出であれば感情の振り幅がどうなっていたか知れたものではない。
「ラルフさんがこの先で待っている。さぁ、移動してもらおうか」
切っ先を振りながら建物の奥を指し示す。ふっと鼻で笑いながら足を動かした。ブレイドと屁っ放り腰の男の間を抜けたところで屁っ放り腰の男が声をかけた。
「あ、待ってください。そ、そのベルトに仕込んでるナイフと袖に隠した暗器も取外すようにお願いします」
気づかれた。巧妙に隠した暗器を見破られたのはこれが初めてだった。例えヨボヨボの老人だとて油断せずに武装をしていた男の体から、鍛え抜いた肉体以外の武器がすべて取り除かれた。アンノウンに渡した時とは違い、ナイフ類はそのまま床に落とした。
「……良い目をしている。それほどの洞察力は出会った中で最高峰のものだ」
「ど、洞察力っていうか……装備している項目が見えたというか……」
何を言っているか分からなかったが、謙遜していることだけは分かった。「行け」というブレイドの突き上げに公爵は逆らうことなく進む。しばらく歩いていると、部屋から明かりが漏れ出ているのが見えた。そこに誘導されているのが分かった公爵はすぐ後ろにいるブレイドに話しかける。
「妻は……アイナは無事なのか?」
「安心しろ。ラルフさんが通信機で脅していたことはしていないし、ラルフさんは指一本触れちゃいない」
「それは重畳。ところでもう一人……私の娘、アルルは息災か?」
「……」
どう答えるべきか迷ったような逡巡を感じる。
「……心配無用。とだけ言っておく」
「そうか……」
聞くだけのことを聞いた公爵はドアノブに手をかけると、徐々に力を入れて扉を開いた。
開いた先に待っていたのは、ドカッと太々しく三人掛けのソファに座るラルフが一人。公爵の登場にニヤリと笑うゲス野郎。公爵の固く握られた震える手が今の心境を如実に表している。
「こうして対面で会うのは初めましてだなぁ公爵様?いや、ジラル=H=マクマイン。待ってたぜ、この時をよ……」
「……それはこちらのセリフだ。ラルフ……いや、クソ野郎」




