第二十一話 情動
安宿に到着し、部屋を見たラルフたちは疑問を感じた。
「あれ?一部屋だよ?」
アンノウンは自分のもらった鍵と部屋を交互に見ながら困った顔をしている。鍵を五人分渡されたので各一部屋もらえたのかと思ったが、どうもそういうわけではないらしい。
「相部屋だな……この鍵はそこの箱の鍵の様だ」
安宿のさらに安価な相部屋。駆け出しの冒険者や流れ者の文無しが雨風を凌ぐ目的で寝泊まりする様なタコ部屋である。部屋の鍵はつけられておらず、私物を守る目的で備え付けの鍵付き木箱を使用可能。何か盗まれたりしても宿は一切の責任を取らない、本当に寝泊まりだけの安宿である。
「……他に誰か泊まってたりするんでしょうか?」
ブレイドは心配そうにアルルをチラッと見た。アルルはそれに首を傾げる。
「それは大丈夫だ。ここは隠れ宿らしくてな、店主が誰も居ないところを選んでくれた。店主と宿主が嘘を言ってないならこの宿は俺たちだけってことになる」
ミーシャがいることを考えれば当然と言える配慮だ。店主とて騒ぎは起こしたくないだろう。ソフィー=ウィルムとアロンツォの二人が突然訪ねてきたことも、その思いに拍車をかけたと推測する。
アンノウンはアルルとブレイドを交互に見ながらニヤっと笑った。
「そんなに彼女のことが心配だった?」
「え……ええ、まぁ……」
ブレイドは顔を赤らめながら首筋をさすった。アルルも嬉しそうに「えへへ」と笑っている。
しかしラルフは気づいていた。アルルは寝る時に厚手のワンピースを脱ぎ捨て、薄着のインナーだけで寝る。年の割にナイスバディの彼女にはブレイドと二人暮らしだったせいか羞恥心が欠けており、他人の前でも平気で肌を晒す場合がある。貞操観念の欠落とまで言わないが、他人に迷惑をかけることは目に見えている。
ラルフの考えが確実に一番だろうが、とはいえ彼の顔の紅潮具合はアンノウンの邪推を否定はしない。その顔を見てミーシャもラルフに尋ねる。
「ラルフは……さ、私が心配だったりする?」
難しい意見だ。ミーシャがアルルほど普通の女の子ならあるいは心配もあったかもしれない。恥ずかしげもなく自分の肢体を曝け出す様な痴女ならあるいは……。
だが、彼女はこの世界で最も強く、そしてきちんと恥じらいを持っている。他者を捻り潰す心配はあっても、彼女に対する心配など存在しない。でもそんなことを口に出すほど人生経験は浅くない。
「……当たり前だろ。俺がミーシャを心配しないなんてありえないぜ?」
ミーシャはパァッと嬉しそうに笑って両手で顔を挟んだ。
しかしアンノウンは気づいた。即答ではなく、一拍の間があったのはラルフが葛藤した為だろうと……。
二組のカップルの純情を余所にして、とにかくこの安宿を拠点に動いていくことになるだろう。荷という荷は無いが、箱を開けてみたり、せんべえ布団を広げてみたりと部屋の様子を確認する。くつろげる様な椅子やソファもないので、フローリングに絨毯を敷いただけの床で座っていると、コンコンとノックが鳴った。
バッ
ミーシャ以外は警戒して膝立ちとなる。腰に差したダガーナイフを握りしめながらラルフが扉に歩く。
「誰だ?」
「ぼ、僕です。草部 歩です」
その声は先ほど聞いた男の子の声だ。雑貨屋の店員がここに何の用か?アンノウンはスッと立ち上がって、ラルフの脇を通り過ぎる。
「あ、おい……」
ラルフの心配を余所にアンノウンは扉を開けた。そこには俯き加減の伺う様な目で歩が佇んでいた。
「あ、えっと……先ほどは……」
「どうしたの?何か用?」
もじもじしていて話しにくそうにしている。ラルフは敵意がないことを悟るとナイフの柄から手を離した。
「……とりあえず中に入ったらどうだ?話があるなら聞いてやろうぜ」
歩を中に招き入れ、絨毯の上に座らせた。
「飲み物は……ないな。この宿の表の稼業は酒屋だったな。なんか飲むか?」
「あ、お構いなく。長居はいたしませんので……」
「え?そうなの?私は何か飲みたいな。ここって果実水とかあるのかな?」
ミーシャは遠慮なく飲み物を要求する。その図々しい要求にブレイドが即座に反応した。
「じゃあ俺が買ってきます。みんな果実水でいいですよね?」
ブレイドは返答を待たずにさっと部屋から出て行った。歩が遠慮する前に出て行かれたので少し慌てたが、元より遠慮させない様にを考えての行動だろう。彼も空気を読んでそこは黙った。
「……で、話ってのは?」
「あっと……どう言ったら良いのか……あなた方はずっと旅をなさっているんですよね?」
言葉を選びながら恐る恐るといった感じで尋ねる。
「ああ、まあな。少なくとも俺は何処かに定着できない根無し草だからな。そんな俺について来るっつーことは、みーんな根無し草の仲間入りだ」
何の自慢にもならないが、ちょっと誇らしげだ。ラルフのその雰囲気が羨ましかった。
「ぼ、冒険者ってことですよね?良いな……僕もなりたいな……」
歩はポツリとつぶやいて俯いた。
「なれば良いじゃない。外に出ればお前も冒険者の仲間入りだよ?」
ミーシャは簡単に言って退ける。そういう意味では歩も少し前には冒険者だった。この世界の社会の理解や文字の読み書きができないので、すぐに投げ出したが……。そんなことを愚痴る訳にもいかず黙っていると、ブレイドが果実水とコップを持ってやってきた。
「あ、ブレイド。幾らかかった?」
「サービスだそうです。今週は貸切で誰も泊まらないからって」
「そりゃ良かった。あの婆さんも人並みの情があったか」
貸切とはいえ、相部屋を用意されたことを根に持っていた。ブレイドはそんなラルフのやっかみを無視して六個のコップに均等になる様に注いでそれぞれに配った。アンノウンは唇を湿らせる程度に果実水を口に付けると歩に向き直る。
「エルフの里からこっちまでどうやって来たの?」
「えっと、一応歩いて……」
「へー、魔獣を掻い潜ってここまで来たんなら立派な冒険者ですよ。ってことはあそこで働いてたのは路銀集めとかそんな感じです?」
同い年くらいの身空で何事もなくイルレアンに辿り着いたのならそれは凄いことだ。一人旅など出来ないアルルが感心していると、歩が目に涙をためてポロリと一粒こぼした。何とかイルレアンまで来られたが、それ以降は何も出来ず、無為にお金だけを使って飢えていた。もし店主に拾ってもらわなければどうなっていたことか。働けたのもただただ運が良かっただけ。
色々な思いが歩の中で混ざり合い、感情のコントロールが上手くいかずに流れ出てしまったのだ。
「ええ!?ちょっ……!」
突然のことに驚くラルフたち。トラウマスイッチを押してしまったアルルは慌ててワタワタし始めた。
「すいません……すいません……」
とめどなく溢れる情けない感情。しかしそれを止める術を持たず、気が済むまで泣き続けた。
歩の苦労を察したラルフは、少し考えてこう切り出した。
「……あのさ、君は今の状況に満足しているのか?言えずに溜まった嫌なこと、思ってること全部出しちまえよ。少しは軽くなるぜ?……心がな」




