エピローグ
朝日が窓から差し込み、まばゆい光が眠気眼を照らし出す。
ラルフの体は頗る良好だった。気持ち良く熟睡された体は、いつものようにガチガチに固まることなくスイスイ動いてストレスを感じない。しかし気分はガクッと落ちこんでいた。
「ちょっとどうしたんですか……もしかしてちゃんと寝られていないとか?シャキッとしないと何か言われますよ?」
その一つは前で急かすイーファの存在だ。サトリとアシュタロトの邪魔のせいで時間を潰され、朝にはイーファがすぐに迎えに来て、ほんの隙間も自由な時間を取れなかった。竜魔人の王、ティアマトの最終面接に向かうために朝早く部屋に迎えにくる約束になっていたから仕方がないのだが、せっかくのチャンスを見逃すことに繋がった。
「……あいよ……」
その反応に呆れながらイーファは前を向いた。ティアマトの部屋の前にはメラとジュリア、アンノウンも立っていた。ティアマトの判断がどうだったのか気になっていたのだろう。挨拶を交わすとラルフはノックもせず不躾に扉を開いた。
「おはよーっ」
ラルフの声に反応して部屋の中にいたミーシャたちは振り向く。長机に寝かされていたティアマトは流石に毒が中和できたのか、長机の上に座ってこちらを睨んでいた。
「おはよラルフ」
「よう、ミーシャ。ティアマトはもう動けるみてぇだな」
「まだダルいらしいけどね」
ティアマトはため息をついて俯く。見た目は確かにダルそうだが、油断は禁物。この状態から襲いかかってくる可能性は十分あり得る。部屋にみんなでゾロゾロ入ると、ティアマトはさらに肩を落とした。
「……見世物じゃないのよ?こんなに集まって一体何するつもり?」
「ティアマト様。大変申シ訳無イノデスガ、貴女ハ アタシ達ニ牙ヲ剥キマシタ。警戒スルノハ当然デショウ」
ジュリアは敬語で諭す。竜魔人は魔族の中では高位の存在。その王ともなれば遜らずにいられなかったのだろう。アンノウンはそんなジュリアに感心しながらティアマトを見る。
「毒の中和にかなり体力を削られたんだろうね。疲れ切ってるみたいだ」
「仕方ありませんわ。そんなこともあろうかとブレイドさんに何か力の付く食べ物をお願いしています。ブレイドさんの料理は美味しいので、ティアマト様もきっと気に入られるかと思います」
用意周到なメラの言動にミーシャもお腹を鳴らす。
「それは皆ノ分も用意してあルノだろうな?」
「ブレイドにぃ任せとけば問題なぁし。私のぉ息子だもんねぇ」
エレノアは妖艶に笑う。お腹を鳴らしたミーシャが恥ずかしがってお腹を押さえていると、ラルフが頭を撫でた。
「そういうことなら話は早いぜ。とっとと移動しよう。ティアマトは動けるのか?」
気怠げに机から降りると、立派な二本足で立って見せた。「これでどう?」とドヤ顔が見える。
「……まぁ大丈夫そうだな。つっても無理すんなよ?もし倒れそうになったら誰かに寄りかかっても良いんだぜ?」
「ふふっ、そちが肩を貸しタらどうじゃ?」
ベルフィアはニヤニヤ笑って提案する。ラルフは苦い顔をした。
「え!?いや、それは……」
戦場ではラルフを狙ってきた敵である。昨夜仲間になることを宣言したとはいえ、肩を貸せるほど許容できない。とはいえ”誰か”と言った以上、それは自分も含まれている。ティアマトが望むなら肩を貸さないと薄情というものだ。
「……お前らの肩など借りるものか」
だが、彼女にもプライドがある。完全に負けを宣言し、仲間入りを強要されて渋々加盟したとはいえ元は敵。そう簡単に心を許すような真似をするはずもない。
それにミーシャは夫を殺した張本人。恐怖で縛られたとはいえ、恨みを失ったわけではない。いつになろうとも必ず復讐を遂げるという意思は心の奥底でメラメラと燃えている。私は平気だと言わんばかりに彼女はズンズン歩いて部屋から出た。
「いや、そっちじゃねぇよーっ」
大広間から遠ざかろうとするティアマトを止めて案内する。到着と同時に扉を開けて仲間たちに挨拶を交わした後、机の上の料理に思わず瞠目した。
「なんだ……これ……」
机の上には大量の料理がズラリと並ぶ。朝に似つかわしくない量に度肝を抜かれて思考が停止していた。
「あ、皆さんおはようございます。たくさん作ったんで、どうぞ食べてください」
キッチンからブレイドが顔を出した。
「おいおい、ブレイド。こりゃ一体どういうことだ?」
「どうって……?決まっているじゃないですか。ティアマトさんが仲間入りするって話だったので豪勢にしとくかなって考えまして、こうして腕を振るいました。お口に合うと良いのですが……」
「そうですよラルフさん。これは祝杯ってやつです。一応皆さんの時にもお祝いしましたよね?あれと一緒です」
アルルも鼻を鳴らして得意げにしている。何故自分でやったようにこんなにも得意げなのかといえば、そのブレイドの凄さを誇っているのだ。謙遜するブレイドの代わりに誇っていると言っても過言ではない。
「しかし朝からこの量はやり過ぎでは……?」
量に圧倒されたのは何もラルフだけではない。頼んだメラもここまでのものは予想していなかったのか、引いているように見える。ブレイドは「あれ?」と自分のやったことが間違いだったか不安になった。
「何もぉ間違ってはないのよぅ。滋養強壮を狙ってのことだからぁ、食べ応えがあるのは当然。ねぇティアマト」
エレノアに促されて「あ……う、うん」と狼狽したように頷いた。鼻をくすぐる料理の匂いはティアマトの疲れた体を期待させるのに十分だった。今からこの料理が口に運ばれ体力を回復できるのかと思えば、口から溢れんばかりのよだれが出る。ゴクリと飲み下すと、その様子にエレノアが「ねっ」と相槌を打った。
「じゃすぐに食べよ!お腹空いちゃった!」
ミーシャの一言に「ウィー!」と賛同の声が聞こえた。
「……それもそうだな。よし、それじゃティアマトが仲間に入ったことを祝して乾杯と行こう。シーヴァ、そこの飲み物をみんなに配ってくれ」
「は〜い」
シーヴァは水出しされたお茶をコップに注いでいく。注がれるごとにリーシャがせっせとお茶を配っていった。
ラルフにお茶が回ってきた時、アスロンが急に出現した。
「ラルフさん!急にすまない!」
「うおぅっ!あ、アスロンさん。どうしたんすか?」
「実はまた敵襲でな……すぐに迎撃を……」
そういった途端、ゴゴォンッと凄まじい音を立てて要塞を揺らした。あまりの揺れにリーシャはラルフにお茶をぶちまけた。ビショビショになりながらアスロンを見る。
「……すいませんが、もう少し早く知らせていただけませんかね?」
「も、申し訳ない。ギリギリまで何が来ているのか分からなくてのぅ……」
アスロンは髭を撫でながら頭を下げた。
「?……ということは相手は海から来たということか?」
前回も突然の呼び出しがあったのを思い出す。その時は白絶が白い珊瑚を駆って海面から攻撃を仕掛けた。あれに関しては霧を纏っていたので発見が遅れたのかもしれないが、その後やってきた魚人族の無敵戦艦カリブティスに関してはノーマークだった。
それを思えば海底からの接近には発見が遅れるのかもしれない。そしてラルフのその考えは的を射ていた。
「うむ。空は監視できるのじゃが、海の底となったら途端に難かしゅうてのぅ。皆も食事は戦いの後じゃ。すぐに戦いに備えてくれい」
その言葉に場内がピリつく。それもそのはず、今すぐお腹を満たしたい状況にお預けをくらったのだ。三大欲求である食を邪魔されては怒りも天に駆け上がる。
「……相手は?」
「儂の記憶が正しければあれは……古代種がひとつリヴァイアサン」
海を統べる最強の蛇がこの要塞を襲っている。その事実に驚愕するが、ミーシャには関係ない。
「何がリヴァイアサンよ。今すぐとっちめてやる」
バッと勢い良く動き出したのはミーシャとティアマト。それを追うようにベルフィアが続いた。ラルフも追いかけようとして振り向く。
「ブレイドたちはここにいろ!料理がぶちまけられないように抑えててくれ!食えなくなったら後が怖いからな!!」
そうしてリヴァイアサンを倒しに走った。
ウツボにドラゴンの頭と鱗をつけたような魔獣リヴァイアサン。喉奥をすぼめて発射される強力な水圧の水鉄砲はレーザーの如く鋭い。何とか魔障壁が機能しているが、それも数発の命。何度も攻撃されれば要塞は一溜まりもない。
駆けつけたミーシャはそんなリヴァイアサンを見てパシッと拳を手のひらに打ち付けた。
「ティアマト、あいつどうする?」
「……そうね、可食部位が多そうだし、あれも食卓に並べる?」
「うん、それは良い考えね。前にブレイドが言ってた”蒲焼き”ってのが似合いそうだし、祝いの席の食卓に並べようか。とりあえず血抜きが先ね」
古代種を前に余裕な態度の二人。食に関する利害の一致から仲間意識が芽生える。それを知ってか知らずか、リヴァイアサンは勇ましく吠えた。
「キシャアアァァッ!!」
海の守護者と最強の魔王軍団。
世間に知られることなくひっそりと最大級の戦いが幕を開けた。




