第三十九話 訃報と希望
オークルドの崩壊、群青の訃報。
その出来事は瞬く間に世界に広がった。
ヲルト大陸をエレノアから取り返した黄泉は、この事態の収拾に頭を悩ませていた。
「……こんなことってあるのか?例え国が滅ぼうとも、死を回避出来る能力を持つあの二柱が死ぬなんて……」
正直、竜胆は真っ先に死ぬものだろうと予想していたので行方不明と言われても驚きはなかった。亡き第四魔王”紫炎”の敵討ちに燃えていた彼女は自殺願望とも呼べる空気を孕んでいたからだ。
エレノアの裏切り発覚の日、久しぶりに見た彼女の余裕のない顔からは死相が漂っていた。そんな彼女を差し置いて、無敵の体を持つ群青と、”不死身”の異名を持つ橙将が先に死ぬなどあり得ない話だった。
(戦争を仕掛けた橙将と竜胆はまだ分かる。ドワーフどもにやられるとは思えんが、実力で拮抗するほどの邪魔者が居たに違いない。しかし群青は……)
グレートロックは敵地。これだけでも不利だったと言えるし、横槍が入ったとすれば負けることも考えられる。
橙将と竜胆の二柱は言い訳を並べれば幾らでも誤魔化せそうだが、群青はそうもいかない。西の大陸という自陣で行われた戦争。幾らでも部下を投入できる状況にありながら負けるなど、オークたちが自ら首を差し出したとしか思えない。
正に不可解。
「人間どもの猛追は留まることを知らず……このままではこのヲルトにまで進軍されますぞ」
円卓の会議場を使って黄泉は部下との話し合いの場を設けていた。新生円卓は開始早々に四柱がやられるという異常事態。今後のことを考えるのに一人悶々と考えているよりは多くの知恵があった方が良いとの判断からだったが……。
「とにかく早急な対策が急務。例の手を組む話、人族を脅す案を取り下げて休戦協定を結んではどうか?時を稼ぐのもまた策の内」
「それは良い!こちらは思った以上に疲弊している。魔王様方の相次ぐ死……それによる同胞たちの離散は、我らの戦力低下に繋がっている」
「左様。これ以上こちらが削れるのは力関係を大きく変えることに繋がりまする。面目を保つためにも、一旦気位は捨てて安全策に逃げるのが手でしょうな」
「黄泉様。ぜひ御一考いただける様、よろしくお願いします」
皆が皆、尻込みしてしまっている。人族に対して休戦協定など、少し前では考えられない提案だ。
「……お前らの懸念はもっともだ。この件は検討し、決まり次第追って報せる。……提案に感謝する」
黄泉は顎をしゃくって部屋から出て行く様に促した。それを見た部下たちはすぐに席を立ち、頭を深々と下げて退室する。
静かになった室内で黄泉のため息だけが密かに空気に溶けて消えた。
*
「……これで円卓に残るのは私と黄泉と朱槍、それから鉄と行方不明の竜胆。ふふっ……いや、竜胆はもう使い物にならないと考えるのが妥当でしょうね」
蒼玉は縁側に座って桜に似た花を愛でながらニコニコ笑う。
「……蒼玉様、失礼を承知でお聞かせ願いたい。撫子様を含め、計四柱が倒れたというのに何故あなた様は……」
すぐ側で話を聞いていたこの屋敷の風景にそぐわない騎士、黒影の懐刀である血の騎士が蒼玉に尋ねる。
「古きは淘汰される運命。遅かれ早かれこうなることは必然。ふふっ……あなたの判断と同じですよ」
ブラッドレイの目が鋭く光った。
黒影が捕らえられた折、ブラッドレイは黒影の無実を訴え出たが、本人との面会で真実を知り、傷心のところを蒼玉に拾われた。
ブラッドレイは錆びた全身鎧や溢れ出る禍々しいオーラから、蒼玉の侍女や秘書から最初こそ白い目で見られたが、警備隊長に任ぜられてからは迫害の目は失せた。彼女が部下からどれほど慕われているのかよく分かる。
「しかしいずれも黒雲様からお名前を頂戴された方々。蒼玉様のお心はさぞ暗いものと考えておりましたが……その強さ、求心力、美貌、さらには悟りまで開いているとは恐れ入りました」
「褒めたところで何も出ませんよ。そんなことより……」
蒼玉の右後方に控えていた侍女に目配せをする。それに頷いた侍女は書状を蒼玉に渡す。
「あなたはこの事態をどう見ます?」
書状を広げながら先の口頭での報告を文字で見直す。
「……お戯れを。私には情勢を見る力はございません。ただ……私の見解を申すのであれば、魔王様方がお亡くなりになられた今、人族は攻勢に出るであろうということくらいで……より一層の警戒が必要としか……」
「なるほど、その通りですね。今が好機と我々の生活圏を侵略し、乗っ取りに来るでしょう」
ブラッドレイはコクっと頷く。
「しかし、群青様の残した”人類との結託案”。あれが功を奏しました。万が一の際はこの協定を振りかざし、彼らには侵略を自重していただきましょう。最も科学力の進んだイルレアンとヴォルケインの両国を味方にできたのは幸運でしたし、それもこれも群青様あってのこと。感謝と共にご冥福をお祈りいたしましょう」
「……人類との結託?まさかそんなことを、あの群青様が……」
「現在暴れまわっているミーシャを討伐するのが目的です。これは極一部しか知らなかったことで、近く皆に情報の開示をしようと思っておりました。今知ったのも恥ずかしいことではありませんよ?」
第四魔王”紫炎”を屠った最強の魔王。その魔王を討伐する名目で手を取り合う。どれほど警戒しているのかよく分かる。
「……無知な私にお聞かせ願いたいのですが、その人族に発案した群青様も他のお二方も殺されました。これは即ち裏切りということになるのでは?」
ブラッドレイの禍々しいオーラはより一層立ち上る。感情の高ぶりが手に取るように分かった。
「ええ、確かに。あなたの言う通りです。ですが案ずることはありません。この休戦は一時的なもの……復讐の時はすぐに訪れますので、ご安心を」
それを聞いた後のオーラは見る間に萎んでいく。誇りを重んじる男であるからこその怒り。しかし決して主人の意向に背くことがない生粋の武人。
蒼玉は満足していた。見た目こそ汚らしいが、これほど義に厚い武人を手に入れたことに喜びを感じる。
(ああ、これがミーシャだったなら……)
そう思えば思うほどに瞼の裏に彼女の像が浮かぶ。
「……当分はこの犬で我慢しましょう……」
「……何か仰りましたか?」
背後で控えていた侍女が蒼玉に声をかける。それに笑顔を見せた。
「イミーナに声をかけておこうと思いましてね。今後のことも兼ねてすり合わせが必要でしょうし……ブラッドレイ」
「はっ!」
「私の秘書のウェイブと連携し、ミーシャの情報を集めなさい。今いる場所、目的地、仲間の詳細。出来るだけ細かな情報が欲しいのだけど、あなたに死なれては困るので接近はしないように」
「御意っ」
ブラッドレイは跪いた姿勢からすぐに立ち上がり、踵を返して去っていった。蒼玉はおもむろに庭に出て空を見上げる。
空には薄っすら赤い火の鳥が悠々と飛んでいるのが見えた。
(古代種……何を探しているのやら……)
数日前から近辺を飛び回る鳳凰の姿が目撃されている。サイクロプスも死に、世界は大きく変わろうとしていた。それもこれもミーシャの力なのだと思うと尚のこと手元に置きたくなる。
「やはり新時代へと移り変わろうとしているのですね……変わりゆく世界の中心に立っているのかと思うと少し興奮します」
時代が過ぎ去るのを惜しんでいるのか、その表情には哀愁が漂っていた。目をしばらく閉じて気を落ち着けると、静かに目を開けて踵を返した。
「さぁ、私たちも忙しくなりますよ。これからが本番なのですから……」
蒼玉は侍女を連れ立って屋敷に入っていった。




