第三十六話 八大地獄の慰安旅行
「ちっくしょおおおぉぉっ!!」
山に咆哮が轟く。大地に響き、木々を揺らす。筋骨隆々の大男が力一杯叫び散らしていた。
ジニオンはたった一発で伸された事実が信じられず、腹の底から悔しさを吐き出していた。そんな男を周りで眺め、率先してテノスが深いため息を吐いた。
「……叫びたいのはこっちだぜ……こいつを見な、手の先が無くなって魔道具に侵食された俺の手をよ……欠損も何もしてない野郎が一度負けたからってピーピー喚くなっつの」
「なぁに格好つけてんの?あんただって「手が〜手が〜」って泣いてた癖に……」
ティファルに指摘され、苛立ちから魔道具が反応して刃に変化する。しかしすぐに気を落ち着けて変化した腕を、元の手の形に戻した。
「……姉ちゃんには分からないだろ」
テノスは不貞腐れて顔を背ける。ティファルは妙に大人な対応の弟に冷ややかな目を向けて「つまんない子」と腕を組み、こっちもそっぽを向いた。
そしてもう一人、頭に包帯を巻いたノーンは唇を尖らせながら上の空といった感じだ。ドワーフの中にいた医者や魔法使いを脅しあげて回復魔法を施し、一命は取り留めた。もうほとんど頭の傷も治り、後遺症も残らないと診断されたはずだが、目を離せばボーッと虚空を眺めていることが多い。
「まさかこれほどの手傷を負うとは夢にも思わなかったぞ。三人も負けるとは……我ら八大地獄の名が廃るというもの。トドット、どの位の手練れか?」
「うむ……相手の実力はまず最上といって過言ではない。一人で儂ら三人を手玉に取りおった。連携を仕掛けてようやく五分。最初から本気で来られていたら二人は確実にあそこで死んでおった。いや、下手をすれば儂も……」
「なるほど……小人如きに遅れをとっていた魔族とは一線を画すか……その者が噂の魔王に違いない。となるとジニオンが殴り飛ばされたという少女も魔王、であろうな……」
「あの巨体が一撃で伸されたというのは信じ難い。いずれの魔王も同程度の実力ならば警戒せねばなるまいて」
ドンッ
その言葉を聞いていたテノスが大木に拳を叩きつけた。気を引きたいがための行動か、ロングマンとトドットは木を一撃でへし折ったテノスを見る。
「だとするなら魔王如き怖くも何ともないね……俺の拳で腹を貫いたんだ。次あったら瞬殺してやる」
「その手でか?あまり言いたくは無いが、お前は油断しすぎる傾向にある。魔王は任せられんな」
「ざけんな!こいつは背後から撃たれたせいだ!正面ならあんな野郎……!!」
テノスは興奮して熱り立つ。言い出した子供は何を言ってもこの調子だ。少々大人気なかったとロングマンはあご髭を撫で上げる。
「……ふむ、その通りだなテノスよ。その怒りは手の復讐に取っておけ」
テノスはブレイドの顔を思い出して目を鋭く光らせる。舌打ちをしながら魔道具の手を撫でた。
我関せずを決め込むのはいつも通りジョーカーとパルス。仮面の男は静かに佇み、少女はオリビアを眺めながら暇潰しをしている。
「いい気なものよ。藤堂 源之助を殺す前にこちらが瓦解してはどうしようもないというのに……」
「あいつらはいつものことでしょ。マジになったら勝手に動くって。それより、まだ休憩すんの?さっさと行かないとまた日が暮れるわよ?」
ティファルは肩を回しながらダルそうに欠伸し始めた。それを見てロングマンは肩を竦める。
「案ずることはない。この山を越えた先に平野が広がり、領地を隔てる谷がある。谷の向こう側が目的地だ。つまり、もうすぐそこだ」
「あっそ、何でも良いけどさ。何でワタシたちがそこに行く必要があるわけ?鬱憤ばらしには丁度良いかもしんないけど……」
ロングマンは眉を顰める。「言ってなかったっけ?」というような間抜けな顔だった。
「……ふむ、特に気になっているのは魔王の存在よ。我は白の騎士団と相見えたが、魔王と手合わせしておらん。どの位の手練れか、会ってみたくてな。これは言うなればわがままという奴よ」
「ふーん。それでオーク?」
「うむ。聞いた話では群青と呼ばれる魔王が統治しとるようでな、一つ死合おうと思っておる。お前の言うようにこれは三人の鬱憤晴らしであり、その上、魔族の国を潰せばマクマインへの良い手土産にもなる。要約すれば、魔王の実力を図り、士気向上と共に人族に恩を売れる。一石三鳥の戦争ということだ」
石の上に座っていたロングマンは刀を手に持ち立ち上がる。
「……そろそろ行くとするか」
「了解。はーい、みんな行くよ!」
ティファルはパンパンと手を叩き、注目させる。ロングマンが腰に刀を刺すところを見てみんな支度を始めた。一人叫び続ける男を除いて……。
そこから山を越え、平野から谷まで一日かけてやってきた。テノスの魔道具で谷を難なく越えると、オークの領土に侵入した。
3mの巨人が闊歩するこの土地に足を踏み入れ帰ってきた人間はいない。そもそも陸続きとはいえ、わざわざ深い谷を越えてまで危険なオークの領土に侵入しようとする間抜けは、いずれもその命で教育費を支払った。
「長閑なところじゃなぁ。それに何と言っても土地が広い。オークという種族はこの世界でもかなり幅を利かせていると見て良いのぅ」
「そう見たいね。あのデカさを見れば納得ってもんだわ」
ズンッ……ズンッ……
歩幅が広い。一歩一歩徐々に近づいてきて、オークが五体ほど首を傾げながら八人と一匹を見下ろした。
「オイ。何ダコイツラハ?」
「知ランナァ。俺達ノ領土ニ侵入シテ来ルトハ間抜ケナ連中ダ」
「ヒューマン ダデ!久々ノ御馳走ダ!!皆デ分ケテ食ッチマオウ!!」
「人数ガ数エラレネーダカ?コッチハ”五”アッチハ”八”平等ニハ分ケラレンデ?」
「ガハハ!早イモン勝チダナ」
オークはそれぞれ好き勝手に喋る。いずれもジニオンすら見上げるほど大きい。かなりの技術力があるのか、ピカピカの鎧を着込んで斧やハンマーを持っている。国の兵士といった出で立ちは、この者たちが見張りであることを知らせてくれた。
「一人……いや、二人が良いか?伝書鳩を飛ばし、戦力を捻り出すか……よし、誰が行く?」
「そりゃもちろん……」
ジニオンとテノスが前に出ようとするが、仮面の男がそれより早く前に出た。その姿に一同瞠目する。
「ほう……やるか?ジョーカー」
肩慣らしに丁度良い相手と見たか、ジョーカーは無言で短剣を抜いた。
オークがその小ささに顔を見合わせ、ガハハと笑う。
「ソッタラ オラガ潰シテヤルダ!」
率先して一体がグワッとハンマーを振りかぶった。人間などひと所にぺしゃんこにしてしまいそうな大きさにハタから見ればジョーカーとの戦力差は歴然。
しかし、見た目に現れない戦力差はその真逆。いや、それ以上。
「死ネ!チビ!!」
ゴォッ
オークはハンマーを振り下ろした。だが、ジョーカーは変わらずそこに立っている。どころか、押し潰すはずのハンマーの先の部分がどこかに消失し、柄だけを握りしめている。元から棒だったものを振ったように見えた。
「……ハァ?」
振った本人は首を傾げる。周りのオークたちも何が起こったのか分からず、目を剥いた。
「……先ッポ、ドコ行ッタダ?」
困惑から仲間を見ようと振り向いた時、天地がひっくり返った。
ゴドンッ
真っ先に攻撃したオークの頭は体と泣き別れ、地面に転がった。ジョーカーは自分が斬ったのだと主張するように短剣を前に掲げた。それを見たオークたちがギャーギャー騒ぎ始めた時、ロングマンが念を押す。
「……二人は活かせよ?」
呟く程度の小さな声だったがジョーカーには聞こえたようで、周りに気づかれるかどうか分からないくらい小さく頷いた。




