第三十五話 強引な勧誘
ティアマトは夢の中を彷徨っていた。
霧の中のような世界。自分一人がただただ歩いて誰も見当たらない。
どれほどの時間を歩いたのか、闇雲にまっすぐ進んでいると、不意に人影が見えた。この際、敵でも何でも良いから誰かと合流したかった彼女は急ぎ足でその影を追う。
段々とハッキリしていくその姿は、忘れ難い愛する者の背中だった。
『ドレイク様!!』
前を歩くドレイクはその声に対し、ピクリともしない。彼女はもう一度呼びかける。しかし声がこもっているように聞こえる。きっとこの霧が何らかの妨害行為を働き、自分と夫を隔てているのだ。そう感じたティアマトは霧を掻き分けるように手を振り回し、ドレイクに触ろうと手を伸ばした。
だがその手は空振り、掠りもしない。本来届いてる距離。戦闘に特化した竜魔人が間合いを見誤るはずもなく。
『お待ちください!ドレイク様ぁ!!』
すぐ目の前まで近寄っていたはずのドレイクは徐々に遠のいていく。ティアマトは変わらず走っていたものと思っていたのだが、体が前に進まない。濃度の高い粘性の液体に体を包まれ、進行を妨害されているような奇妙な感覚が彼女を襲う。
ドレイクの姿は最初のうっすら見えていた人影にまで遠のき、最後には霧に包まれ消えていった。
*
彼女は目を覚ました。
霧ではない、どこかの部屋。
背中に伝わる感触は硬い。長机の上で寝かされているような感覚に、自分が一体どういう状況なのかを考える。
(私は……そうだ、グレートロックにいく道中で奴に眠らされたんだ。そこから戦場で突然目が覚めて……また眠らされて……ここはどこだ?)
未だ橙将の手の内とあれば、ここは大きなガレオン船の船内ということになるだろう。しかしそれにしては石造りというのが奇妙でしょうがない。案内された船は木材で出来た船だったはず。
仮に橙将から離れたとしたら、ドワーフの元で捕らえられているのだろうか?それならばこの天井にも説明がつく。
しかし説明がつかないのは、何故まだ生きているのかということ。
考えられるのは眠らされた竜胆を人質として回収し、交換条件を突きつけているというところだろう。これ以上の進軍をやめるように訴えているに違いない。
それ以外で考えられるのは公衆の面前で処刑しようとするドワーフの示威行為か。
何らかの力で体が動かないので、目だけをキョロキョロと動かしてみる。こちらを背にちょこんとソファに座る誰かが目に映った。
「……ねぇ、ちょっと」
その誰かはピクッと反応して振り返る。その姿にティアマトは怒り狂う。
「鏖!!」
「ハズレ。私は唯一王ミーシャだ」
えっへんと胸を張るミーシャ。その顔を焼こうと息を吸い込んだ。
「ああ、ダメダメ」
ミーシャは目にも留まらぬ速さで近付き、手で口を塞いだ。万力の如き力で口を塞がれ、彼女は痛みで悶絶する。具体的には口内に尖った牙が思いっきり刺さって口を血の海に変えていた。顔が握り潰されるのではないかというところでミーシャが口を開く。
「火事になったらどうするの?」
「んーっ!んーっ!!」
「分かった?もうしない?火を吹かない?」
ティアマトは目に涙を溜めて必死に頷いた。ミーシャは手を離した。口から溢れ出た血で真っ赤に汚れているのを確認し、近くに置いていた布巾を取って手を拭った。ティアマトは必死に息をしながらゴホゴホッと血を吐き出す。
苦しそうな彼女を置いて、ミーシャは出入り口付近に歩き出す。
「起きたよー」
その声に反応してまずベルフィアが入ってくる。その後少し経ってからエレノアが入ってきた。ベルフィアがまだ入ってこない誰かを確認するため廊下をキョロキョロと見て「はヨぅ来い!」と声を張り上げている。
「悪い悪いっ!もう起きたのか?!」
ラルフはトイレに行ってたようで、ズボンのベルトとホックとファスナー全開でズボンがズリ落ちないようにだけ両手で握りしめてやってきた。部屋に着いてから急いでベルトまで締めると何事もなかったように魔王たちの中に顔を連ねた。
みんなでじっとティアマトを見ていたが、ベルフィアがラルフの背中をトンッと突いた。「あ、ああ。俺?」とラルフが前に出た。
「お、お前は……」
口からどろっと血が垂れる。
「おいおい、ミーシャ。……あんまり無茶すんなよな」
「だって……」
「心配せずともミーシャ様は何も間違っておりません。おい、図に乗ルなラルフ。さっさと話を終ワらせろ」
三人の関係性を側で見ながらエレノアがほくそ笑む。
バツが悪くなったラルフは咳払いをしながらティアマトに目を向けた。
「俺たちはお前の命を握っている。これがどういう意味か分かるな?」
「知らないっ!!というかどうして私は動けないんだ!私を自由にしろ!!」
血を撒き散らしながら叫び散らす。
「……元気だなぁ。じゃあ順を追って説明するけど、まだ橙将の毒が抜けきってないんだ。とりあえず中和されるまでは時間がかかる。いずれ動けるようになるだろうが、今じゃないとだけは言っておこう」
「なっ……!?」
ようやく自分の状況を理解した。意識だけが覚醒して体が動かないこの金縛り状態は、未だ姿を見ない橙将の毒によるものだと。
必死に動こうとするが、やはり体は動かない。
「ぐっ……橙将の奴はどこだ!?お前らグルだったのかっ!!」
「は?ヤヒコ?あいつなら死んだよ」
「死っ……!?えっ……?!じゃあどうして私は……?」
「そんなノ先に受けた毒ノ量が多かっタんじゃろ?多分。妾には分からん感覚じゃがノぅ……」
ベルフィアは吸血鬼であり、凄まじいまでの再生能力を有しているためか、身体能力に関するあらゆる効果を無効化する。物理的に縛られでもしない限りは体を封じることはできない。
そんなことなど知らない上に、耳にすら入っていないティアマトは体を動かす算段もなく、ただただ呆然と困惑するしかなかった。
「安心してよぉ。ラルフも言ったけどぉ、あなたの身体能力にかかればぁ中和は間違いなく出来るからぁ」
エレノアのふわふわした声が耳をくすぐる。確かにそれは重要なことだ。エレノアにも言われれば少しは信憑性も増す。
しかしそれでは意味がない。この場で自由に動けねば、まな板の鯉だ。
「まぁそういうことだ。それで自由にしろって話だが、これも聞けない相談だな。せっかく捕まえたのに自由にするなんて間抜けも良いとこだぜ」
「……こんな無様な私に……何をしろというの?」
「簡単な話だ。ここで俺たちの側に着くか、潔く死ぬか。好きな方を選ばせてせてやろうってな」
「ふん、ならば殺せ。お前らの仲間など死んでもならないわ!」
「うひー、即答だな……」
「当たり前よ!生き恥を曝すような真似はしない……!」
ゴガンッ
ティアマトの顔の横に拳が叩き込まれる。思わず目を瞑ったティアマトは痛みを感じなかったのを確認し、拳の主、ミーシャの顔を見る。
「だから言ったでしょ?情報を聞けたんだから、夢見心地のまま逝かせてあげれば良かったんだよ」
「全くそノ通りでございましたな。何が「選択肢も与えないノは気ノ毒」だ。返って面倒が増えルばかりではないか」
いつものラルフのわがままが炸裂したらしい。魔王揃いなのも下手なことがないように危険回避のためだと考えられる。
「いや、だって……ビーチに放置してるならまだしも、連れて来ちまったんだぜ?せっかくだから聞いてみようって思うのは……」
「ごちゃごちゃ御託を並べルな。だいたいおどれはいつもいつも……」
ベルフィアはラルフにくどくどと言い含める。エレノアは首を傾げてそれに口を出した。
「ふん?みんなでぇ賛同したでしょぉ?今更文句言わないのぉ」
「……そちは良く知らないからそんなことが言えルノじゃ。いずれ分かル。今後気をつけヨ」
「ひでぇ言われようだ……」
ティアマトそっちのけで行われるコントは彼女を苛つかせるのに一役買った。
「おい!遊んでないで殺すなら殺せ!」
「言われなくてもそうす……ねぇ、お前の額に付いているこれ綺麗だね。もらって良い?」
ミーシャはティアマトの額に付いているドレイクからもらった宝石の欠片を、爪でカリカリと取ろうとする。
「あっ!ちょ……!触るな!!これはドレイク様の……!!って爪で掻いた程度じゃ取れないからカリカリするな!!」
「え、でもこれだけ小さかったら爪でいけそうじゃない?」
「無理無理っ!やめなさいっ!!」
必死に口だけで抵抗を試みる。その姿にエレノアがニヤニヤしながら寄って来た。
「良いじゃなぁい?死んだらぁ、それ持ってけないよぉ?有効に使ってあげるからぁ、安心して逝きなさいねぇ」
その通りだ。死ねばドレイクから受け継いだものは誰にも継承出来ず失われる。有効に使うかはさておき、この欠片がこいつらの手に渡るのは避けたい。もはや八方塞がりとなったティアマトは「くっ……」と言葉を失った。
「……見ろベルフィア、何とかなったろ?さぁティアマト、最後の質問だ。死ぬか、それともその宝石を守り抜くために俺たちに着くか。二つに一つだ。この場で決めろ」




