第三十一話 終戦の鐘
「……いやー、相変わらず凄ぇなぁ」
そこにあったのは佇む足。
ところどころ砕けて、青い液体がその身を濡らす。頭や腕、あるはずの胴体は弾け飛んで消滅している。いや、その辺りに散らばっているのかもしれないが、肉片は岩のようにゴツゴツしていて、そこに元々あったのか肉片なのかよく分からない。
古代種としてその名を轟かせた天を衝く巨人は足だけとなっていた。
ミーシャとの殴り合いは、結局サイクロプスの敗北で決着がついていた。
岩盤の如く硬い体、魔力を弾く特別な能力、巨人というフィジカル、全てが揃った無敵の肉体。その存在を持ってしてもミーシャを倒すことは叶わなかった。
全身真っ青になったミーシャは痛みを伴う手を魔力で回復させる。
「あー……疲れちゃった」
サイクロプスの死骸に興味を失ったミーシャはふいっと顔を背け、ラルフとベルフィアの元にフヨフヨと戻る。ミーシャはラルフに近寄る度に笑顔になっていったが、ラルフは逆に困り顔に変わった。一瞬疑問に思ったが、答えはラルフの口から出た。
「あーあーあー……真っ青じゃねえか。とっとと要塞に戻って風呂に入ろうぜ」
液体が掛かった体を上から下に見ながらミーシャも頷いた。確かに汚い。夢中で殴っていたから気づいていなかったようだ。自分が珍しく頭を捻った相手だったので、ラルフに褒めてもらおうと思っていたのだが当てが外れた。
「そう……だな。ベルフィア、すぐに帰るぞ」
「はっ承知致しましタ」
腰に下げた杖を取り出し、すぐに転移を開始しようとする。
「あ、ごめん!待った待った!すぐに帰るってのは賛成だが、戦場にみんなを置いてきちまってる。まずはビーチに転移してくれないか?」
ベルフィアは怪訝な顔でラルフを睨む。
「阿呆ぅが、そんな暇はない。ミーシャ様を一刻も早くこノ液体から解き放つことこそ急務。ささ、ミーシャ様お手を……」
「いや、ベルフィア。確かにすぐに洗い流したいが、みんなを回収する方が先だ。すまないが先にビーチに転移してくれ」
「畏まりましタ。ビーチを目指し転移を開始します」
一瞬の間もない。恐ろしいほどの変わり身の早さだ。
ミーシャが決定することに決して逆らわない女。それがベルフィアだ。自分の命が助かること前提に従者になったのに、今ではミーシャに死ねと命令されたら実行するのではないかと感じさせられる。
「ごめんな、ミーシャ」
ラルフはいつものようにミーシャの頭を撫でる。それは待ち侘びた温かな手だったが、ミーシャはおもむろにその手を取ってラルフの手を頬にこすりつけた。猫のような仕草に可愛さと疑問が同居する。
思う存分ラルフの手を楽しんだミーシャは手を離してラルフに返す。「いししっ」とイタズラっ子の悪だくみが成功したような笑顔を見せた。
「これでラルフも同じだよ」
「え?……ああ」
何がしたかったのか理解した。ラルフの手にはベッタリと青い液体が付着していたのだ。慎ましいイタズラには可愛さしか残っていなかった。
ベルフィアは一瞬嫉妬したが、満足したミーシャが手を握った。
「ベルフィアもいっしょー」
ベルフィアの顔は溶けた。
ムッとして笑ったことなど一度もありませんと言いたげな顔はこの世から消え去った。
「えっ……何その顔……怖っ」
ラルフはベルフィアのこれほど弛緩した顔を初めて見た。狂気にまみれた顔や、嘲笑したり怒ったりしているのがいつもの顔なので、完全に調子を狂わされてしまう。
ベルフィアはラルフに指摘されて顔を締めた。
「何が悪い。ほれ、とっとと行くぞ」
相変わらずラルフには冷たい。ラルフとしてはこっちの方が日常なので文句はない。
ベルフィアは杖を振るって転移を開始した。
本来複雑な魔法陣を組むような大掛かりな魔法だが、それがこの杖一本に集約されている。第六魔王”灰燼”さまさまである。
景色はすぐさま変わる。飛んだ先はビーチ。グレートロック到着時、初期に降り立った場所。最初と違っていたのはミーシャが一緒に来ていることと、大人数で来てないこと、そして戦場が静まり返っていることだった。
「お?終わったのか?」
剣戟の音も聞こえない。歓喜の声も怨嗟の声も衣擦れの音すらも消え去った戦場。ドワーフや魔族がそれぞれ撤退したのかといえばそうではない。明らかに数は減っているが、まだチラホラといるにはいる。
息を飲んで様子を伺っているのだ。ただ一人の存在を。
「どうも終ワってはおらんヨうじゃ。何だか不思議な光景じゃノぅ……」
その人物に目がいく。丁度刀を鞘に収めるところだった。その目の前には死したサイクロプスを彷彿とさせる亡骸があった。間合いがかなりあいているので、わざわざ後ろに下がったのだと考えた。
「あいつが原因か……誰なんだ?……」
ラルフは興味ありげに呟く。ミーシャも周りの状況からそれを察する。そして周りを見渡したからこそ分かったが、ブレイドたちの姿が見当たらない。
「あれ?みんな居ないじゃん。何人で来たの?」
それを言われてハッとする。言われてみれば確かにみんなの姿がない。アロンツォとナタリアの姿も、皆忽然と消えたように。
「エレノアを残してみんなで来たんだ。ブレイドとアルルがエレノアを心配して……」
だとすればここには十人以上の見知った仲間がいることになる。だが見当たらない。足元に倒れているわけでもないし、転移してきたというのに誰も反応せずにいることから、何らかの事情で要塞に戻ったと見るのが妥当だろう。
「……ブレイド?」
その名前に反応するのが一人だけいた。
大柄で筋骨隆々。斧を背負った巨人。もっともサイクロプスを見た後では小さく見えてしまう。のっしのっしと歩いてラルフたちに近寄る。
「オメーらブレイドの仲間か?」
「ん?あんたは?」
突然声をかけられて驚く。ベルフィアは警戒から体を半身に構えていた。すぐに動けるようにするための姿勢。
ジニオンは額をコリコリと掻きながらニヤリと笑った。
「慌てんなよ。俺は攻撃するつもりなんざねぇ。ビンビン感じるんだよなぁ、オメーらが強ぇってことはよぉ……本来なら手を出すとこだが、半端に終わったあの小僧との戦いに決着をつけたくてなぁ。ちょっくらブレイドの小僧を呼んできちゃくれねぇだろうか?」
「出来ない相談だな。私たちは要塞に帰ってこの液体を洗い流さないといけないんだ。お前が何者かは知らんが、諦めろ。……もうここに用はない。ベルフィア」
「はっ」
ベルフィアは転移のために杖を握る。
「おいおい、つれねぇなぁ。こっちは下手に出てんのに一考の余地すらねぇのかよ……やっぱこいつしかねぇか?」
ジニオンは脅し目的か、拳を振り上げた。ラルフはその行動に肩を竦める。
「結局それかよ……すまないがミーシャ、一発分からせてやってくれ」
「……まぁ、それしかないなら」
「ふはっ!!何ならその力を大いに振るっても良いんだぜ?ブレイドの代わりに俺を楽しませてくれるってんならな!!」
ジニオンは喜び勇んで攻撃を開始する。
ゴンッ
その音は鈍くそんなに遠くまで響くことはなかったが、代わりに巨体が宙を舞った。
「……帰るか」
ベルフィアは杖を振るった。
ラルフたちが帰った後、入れ違いにやって来たトドットたちと合流した八大地獄は地面に埋まったジニオンを覗き込んでいた。ティファルが盛大に笑い転げるのを尻目にロングマンが遠のく彼岸花を睨みつける。
「あれが鏖か……」
ロングマンの呟きはティファルの笑い声にかき消された。




