第二十二話 黄金の炎
凄まじい炎が橙将の体を燃やす。
ただの火では熱風に当てられている程度にしか感じられず、かなり強力な炎の魔法でもほとんどダメージのない彼が、この炎には身悶える。火傷の痛みなど知らない彼は、皮膚が焼ける感覚を実感しながらパニックに陥っていた。
「あああっ!!がああぁあっ!?」
手を振るっても、体を激しく揺すっても火の勢いは止まることを知らず、ほんの数秒の時間が永遠のように感じられた。
竜胆が生み出す最強の炎。元々はラルフを消し去るための攻撃だったが、橙将の不義理を許さない彼女の思いが、ラルフを通じて顕現したようだった。
このままでは焼き殺される。それを感じた橙将は急いで魔力を練り上げる。すぐさま自分に向かって攻撃魔法を放った。
「ぐおおっ!!サ、砂嵐!!」
ボアッ
砂が風で巻き上がり、体に纏わりつく。
風と砂の複合魔法で黄金の炎を吹き飛ばそうと試みた。砂での消火方法はかなり有効だった。まるでシールでも剥すように体から炎を引き剥がしていく。
魔法の効力がなくなる頃には、彼の狙い通り黄金の炎を吹き飛ばすことに成功した。
体はあまりの火力に爛れて一部炭化し、焼け落ちた肉から骨が覗く。あまりの熱に肺まで焼かれて、ヒューヒューと苦しそうに息をしている。頼りの薙刀は完全に燃え尽きた。無事な部分を探すのが難しいくらいの火傷を負った橙将は、意識が飛ぶ一歩手前といったギリギリのところで何とか立っている。
「マジか……あの炎に堪えるのかよ。流石魔王だな」
「カヒュッ……な……ヒュー……何だ……?ヒュー……今の炎は……」
「そこに転がってる竜魔人の炎だよ。特別な力で閉じ込め、ここぞってタイミングで返してやったのさ」
自分でもやりすぎたと思えるほどに痛々しい姿となった橙将を見ながら説明する。真っ黒に焼け焦げた橙将を足先から頭まで観察すると、手を二回仲間に振った。
そのジェスチャーで橙将に総攻撃を仕掛けると認識したベルフィアたちはスッとさり気なく臨戦態勢に入った。
「まぁその……なんだ。そんだけ燃えたら苦しいだろ?一思いに介錯してやるよ」
吸いずらい息を何とか焼けた肺に取り込みながら、湯立った真っ赤な目でラルフたちを見渡す。筋肉も碌に動かせなくなったこの体では、剣戟はおろか、たった一発の攻撃を止めるのも難しい。その上、焼け爛れた皮膚のせいで汗腺が塞がり、毒を散布させることが不可能となった。特異能力をも封じられた橙将にもはや生き延びる術は残されていない。
こうなれば自爆覚悟で一人は道ずれにする他ない。決死の覚悟で臨む最後の戦場。
(……こんなはずでは無かった……)
そう思うのも無理はない。もっと簡単に済むはずだったし、橙将自身は無傷での勝利が約束された戦争でもあった。
それが蓋を開けたらどうだ?グレートロックには一歩も侵入出来ず、死ぬ一歩手前の焼け焦げた自分が部下の屍の上にやっとの思いで立っている。現実は辛く、常に残酷である。
バッ
全員が攻撃のタイミングを伺っていると、一先ずラルフが走り出した。
速い。
思った以上の速度に驚きながらみんな遅れてスタートする。手負いのオーガに容赦なしで掛かっていく。どれほどダメージを受け、死にかけているといっても相手は魔王。油断は禁物。
真っ先に間合いに入ったラルフに橙将は片手を伸ばす。ラルフは腰に下げたダガーナイフでほぼ炭化したグズグズの手を切り落とした。下から上にかち上げるように切り裂き、景気良く吹き飛んでいく右腕。まだ完全に中まで火が通っていなかったようで、切られた断面から生の部分が見えた。
「終わりだ!」
「ああ……終わりだ……」
ドクッ
切られた傷口から血が溢れ出す。彼にはこの手しかなかった。傷つけられ、体から溢れ出た血液を相手にかけることで毒に侵す。
向かって来た相手がラルフで良かった。円卓でも必ずリストに上がる男。ヲルト大陸にまで乗り込んで、円卓の場を汚し、魔王たちをコケにしたヒューマン。
ラルフは橙将の表情に違和感を覚えていた。自分が追い詰められ、腕まで切られたというのに全く諦めていない。
そしてもう一つの懸念。目の前で見せられた竜胆との絡み。攻撃されて怪我まで負ったのに、倒れたのは竜胆。何かあるとは思っていた。例えば、体から吹き出るこの血とか?
そう思えば行動も早かった。ラルフは橙将の傷に左手を伸ばした。
ジュッ
「!?」
橙将の傷口は塞がれた。
何が起こったのか気づくのにコンマ三秒かかった。どこから出したのか、ラルフは橙将の傷口に液体をぶっかけた。それもただの液体ではない。溶けた金属だ。あまりのことに橙将は痛みすら感じなかった。
ラルフは橙将が仕掛けようとした最後っ屁を、溶けて使い物にならなくなったナイフだったもので完全に防ぐことに成功したのだ。
もちろん橙将の能力を看破したわけではない。これは条件反射に近い行為だ。竜胆とのいざこざを見ていなければ懸念の一つもなく血を吹きかけられていただろうし、これに対応出来る能力がなかったらどうしようもなかった。戦闘において観察と先読み、あと咄嗟の行動は自身の命を救うことにつながる。ラルフも例に漏れず救われた。
ただ正解を引いただけの運の良い状況だが、この世には結果オーライという言葉が存在する。
「……うごおぉっ!!?」
遅れてやって来た戸惑いと痛みが彼の喉を震わせる。傷口に纏わりつく熱い金属が、橙将の意識を刈り取ろうとする。パチパチと明滅する視界。ショック死してもおかしくなかったが、彼の精神力は並大抵ではなく、ここまで追い詰められながらまだ意識が存在した。
「カヒュ……ラル……フ……」
それでも虫の息であることには変わりない。ラルフはとにかく全部の金属をぶっかけて、サッと後退した。続けざまにデュラハン姉妹が剣で切りつける。シャーク、ティララ、メラ、イーファ……入れ替わり立ち替わり剣で斬りつけていく。身体中にかけられた熱々の金属のせいで切られた途端に傷口を塞ぎ、血液の噴出を防いだ。
「ウワッ!何コレッ!?」
ジュリアは金属で包まれた橙将に触れることなく下がった。アンノウンはウンディーネを操作し、水の魔法を使用する。局地的な滝を浴びせかけられ、金属は蒸気を上げて冷えて固まった。
現代アートのような直立する金属になった橙将。ブレイドは心臓に当たる胸部に魔力砲を放った。ドンッという音と共に丸い穴が開く。最後にベルフィアは持ち前の腕力で橙将の頭の部分を殴りつけた。
バキュッ
硬い甲羅を叩き割ったような音が鳴り響き、頭の部分の金属はぺしゃんこになった。
金属が固まったせいで倒れることも出来ず、橙将は立ったまま絶命した。
薬害で倒れている竜胆。
死んだ橙将。
指揮系統を失った魔族たちだったが、それに気づく者は少なく、正面以外を攻めていた魔族も徐々に合流して、未だ戦争は続いていた。
魔王戦より周りの雑魚を優先して戦っていたバードたちは順調に戦果を重ねていた。こちらの様子を確認したアロンツォはウィンクを飛ばし、ナタリアはムスッとしているもののラルフたちの功労に目で返礼した。
「……ったく粋の良い連中だぜ……よし、とっとと片付けよう!そうそう、こいつが突然起きても厄介だからブレイドとアルル、それからアンノウンは竜胆を見張ってくれ。それ以外は周りを片付けてくれ」
魔王戦で目立った活躍のなかったジュリアはそれを聞くなり、すぐに移動を開始した。デュラハン姉妹もすぐさま魔族に攻撃を開始し、ベルフィアもいつも通り動こうとしたその時、ラルフに呼び止められた。
「ベルフィア。ちょっといいか?」
「なんじゃ?これからがお楽しみじゃというに……」
「いいから聞けって。思ったんだが、まだミーシャが戻って来てない。変じゃないか?」
そういえばそうだった。魔王との戦いに集中していたせいで失念していた。
ミーシャの相手は古代種。一時は地震が起こるほどの戦いを繰り広げていたし、現状特に地面の揺れを感じないところから、戦いはミーシャが勝ったのだろうと考えるが、帰ってこないのはどういうわけか?
万が一もあり得るのでは?そう思えばお楽しみなど二の次、三の次だ。ベルフィアは腰に下げた杖を取り出した。
「……飛ぶぞラルフ」
「ああ、そうだな。すれ違いにならなきゃ良いけど……」
ベルフィアが杖を振り、同時に二人の姿は戦場からかき消えた。




