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第三話 日常風景-2

『ああ、良かった。まだ戻られてはいけませんよ』


 メラに思いっきり殴られたラルフは夢現(ゆめうつつ)の中、頬を摩りながらサトリを見た。


「……なぁ、俺まだ生きてるよな?」


『ご安心ください。あの程度では死にません。そのレベルで強化されていますから』


 つまり強化されていなかったら先の一撃で死んでいたのかと、心臓がキュッとなる感覚を味わう。首の鞭打ちくらいは覚悟しながらサトリに目を合わせる。


「俺が強くなっているのは事実らしいな……それで?その口ぶりだと他にも何かあるのか?」


『ええ、とっておきのが』


「へぇ……そいつは楽しみだな……」



「……んん?」


 目に飛び込んできたのはいつもの天井だった。メラにぶっ叩かれて意識を飛ばしてからどのくらい経ったのか?それを知る由もないラルフは、頬に感じる冷たい何かに驚く。


「わっ!何だ!?」


「ちょっ……動かないでください」


 そこには手をかざすイーファの姿があった。何をしているのか聞こうと口を開いた時、口内に痛みが走る。「うっ」と咄嗟に口を抑えた。その時に自分の頬が腫れ上がっていることに気づいた。


「言ったでしょう?メラ姉様に頬を()たれたのです。それで済んでラッキーでした」


 イーファはラルフの頬に自分の手を当てる。ひんやりと気持ちの良い感触に無意識に顔を預けてしまう。


「呼吸されている時は死んでいないことに安堵しましたが、いつ起きるのかと心配していたところです。思ったよりすぐに目覚めましたね」


「痛っ……そ、そうなのか?すぐってどのくらいだ?三日か?」


「すぐはすぐです。十分も経っていないかと」


「日は経ってないんだな?マジで死んだかと思ったぜ……」


 イーファはニコッと優しい笑みを見せる。


「ええ、わたくしたちもパニックになりました。万が一死んでしまってはミーシャ様に殺されてしまいます。本当に生きていて良かった」


「……いい笑顔で自分の心配かよ。俺自身のことをもっと心配してくれっての……」


 困ったように眉間に皺を寄せながら先ほどのことを思い出す。


「フゥ……寝ぼけていたとはいえ、メラ姉様の尊厳を傷つけるような行いをしたのですよ?反撃されて当然でしょう。例えラルフに向けるべきではない腕力の一撃だったとしても、どちらの気持ちが分かるかと言えば断然メラ姉様ですわ」


「俺は何をしたんだよ……」


 ラルフの視点からは、目覚めた途端に思いっきり叩かれたようにしか見えず、自分に落ち度があったとすれば寝相の悪さくらいしか思いつかない。


「わたくしにするならともかく、メラ姉様に迫るなんてそれは……」


 イーファはゴニョゴニョと口篭るように呟く。目と鼻の先で言われたのなら声量が小さくても聞こえてしまう。


「……え?イーファは許せることなのか?……一体なんなんだ?」


 彼女はぽっと顔が赤くなる。あたふたしだしてラルフの頬から手を離した。


「!?……な、なんでもないです!そんなことよりバードの連中がラルフさんに話があるそうですよ。すぐに用意していきましょう」


 スッと立って服の皺を伸ばすとラルフを急かし始めた。ラルフとしても色々思うことはあるが、これ以上聞けばまた殴られるだけだろうと諦めて「はいはい」とベッドから降りた。

 その頃、メラは先に戻ってラルフが来られない説明をしていた。


「申し訳ございません!」


 メラは起こしに行ったのに気絶させてしまうという大失態に頭を下げた。理由が理由だけにメラ個人にガツンというべきかどうか憚られ、仲間はみんな口を閉ざして唸った。そのウブな反応に空王は含み笑いをした。

 バカにしたような空王の表情にミーシャが首を傾げた。


「何がおかしいの?」


「ふふふ……失礼、あまりに可愛らしかったものでつい。気に障ったのなら謝るわ」


 空王のその言葉にメラは顔を赤らめながらぺこりと頭を下げた。「はぁ……」とため息を吐いたナタリアは部屋から出ていくために出入り口に歩き出した。


「話し合いはお預けってことね。空王、私は部屋に戻ります」


「はーい」


 空王は友達にでも対応するような軽い声で答えた。

 みんなの視線を一身に集めながらナタリアが扉を開けた瞬間「おわっ!」という声と共にラルフが倒れかかってきた。あまりに突然の出来事に反応が遅れた彼女の胸にラルフの顔が収まる。体幹の強いナタリアは成人男性の体重で寄りかかられても、勢いに押されることなくその場に立ち尽くした。

 顔面から床にダイブすると思っていたラルフは柔らかいものに受け止められて一応助かったと思ったのも束の間、これは「女性特有の起伏に富んだ体」だと気づき、そっと顔を上げた。そこには冷ややかで見下ろしてくる突き刺さるようなナタリアの目があった。


「……えっと、あの……な、なんでこうなるかなぁ……」


 柔らかな双丘に包まれながら苦笑いで口角を引くつかせていた。ナタリアは眉を釣り上げながら答える。


「……ちっ、いいからとっとと離れろ。殺されたいの?」


「はいっ!すいませんでした!!」


 ラルフは彼女の寛大な対応に即座に起き上がる。ビシッと背伸びするように起き上がったラルフのことを顔から足の爪先までジロジロ見ながらナタリアは踵を返す。話すべき相手がやってきたのでアロンツォたちの元に戻っていった。

 内心ホッとしながらいつもの大広間に目を向けると、そこには軽蔑の眼差しで見ている仲間たちがいた。


「待った待った!今のは不可抗力だろ!」


 しらーっとした空気の中、ブレイドはコホンっと咳払いをして仕切り直しにかかる。


「ラルフさん、朝ご飯食べます?」



「まっタく……女とくれば見境ノ無い男じゃな……」


 ベルフィアはラルフを罵り、呆れた顔で見下していた。


「……待て待て、俺がいつそんな素振りをみせたよ……どっちも誤解だって」


 食後にコーヒーを飲みながらラルフは身振り手振りで先のナタリアの件とメラの件の無実を訴える。いつもならミーシャの擁護が飛んできても良いのだが、今回のはちょっと腹に据えかねたようでムスッとしている。ブレイドたちは苦笑いで様子を伺う。


「そなたらはいつもこんな感じなのか?」


 アロンツォは興味深そうに尋ねた。それを否定すべく首を振る。


「勘違いするなよ?いつもはもう少し仲良しだ。だよなミーシャ」


 ラルフはすぐさまミーシャの頭を撫でる。ムスッとしていたミーシャは徐々に穏やかな表情へと変わる。ラルフの手に撫でられるのが好きなのだ。

 しかしその問いには口を閉ざし、お代わりしたカフェオレに口を付けた。まだ許していないという意思表示だろう。


「今は虫の居所が悪いようだ。ところでさっきイーファから聞いたんだが、俺に何か用があるとか……?」


 その言葉にナタリアが一歩前に出る。


「私が……」


 ナタリアが一歩前に出た時内心ドキッとしたが、先の件などまるで無かったように毅然とした振る舞いで立っていた。空王や兄の前で辱めたというのに、それをおくびにも出さない姿勢は流石だと言えた。

 対してラルフは先の件から気まずい空気を勝手に感じつつ「ど、どうぞ」と苦い顔で促した。


「私たちの羽を伸ばす時間が欲しいの。ただじっとしていては体が鈍ってしまうから」


「あ、ああ、なんだそんなことか。そりゃ全然飛び回ってくれて構わないぜ。空王は別だけど、俺は君らの制限までするつもりは無いしな。……あ、だからって拡大解釈しないでくれよ?変わらず暴力は禁止だからな」


「……誰に対して言っているか……分かってる?」


 注釈を入れたのがまずかった。さっきまでの涼しげな顔から一転、暗雲立ち込める鬼気迫る顔へと変貌した。当然であろう、ナタリアはラルフの失態を我慢したのだから。


「……いや、ほんとに失礼しました……」


 ラルフは項垂れたのと同時に密かに自身の右手を眺めていた。この大広間に向かっている最中にほんの少し違和感があった。手があるのに手が無いような、そこにあるのに遥かに遠いような……自分でもよく分からない感覚。

 先の扉の取っ手を握ることが出来ずにバランスを崩した。ナタリアの方が早く開けたとかそんな単純なことではなく、なんというか取っ手とそれを掴もうとする手の間に絶対に越えられぬ壁というか、目と鼻の先にあった取っ手を絶対に掴めないという錯覚を覚えていた。

 一瞬自分はどうかしてしまったのかと「空間把握能力」や「知覚能力」を疑ったりもしたのだが、朝食を食べている内にそんなことなど無かったかのように問題なく機能しているのを感じた。


 夢枕に立ったサトリ。彼女が与えてくれた何かは確実にラルフの中の何かを変えた。

 サトリの言っていたことを思い出しながら目を瞑る。掌の中に空間の歪みを観測した。ほんの少し目を見開き、有るか無しかの微笑みを(たた)えながらギュッと握った。


「何をニヤニヤしとル。反省ノ色がまルで見えんノぅ」


「え?ちょっ……んなことねーし!めちゃくちゃ反省してるっつーの!」


 全く説得力のない喚き声に白ける場内。

 ある種平和な日常を垣間見る空中浮遊要塞スカイ・ウォーカー。これから行くドワーフの国”グレートロック”に何が待ち受けているかも知らず邁進するラルフ一行。

 この世界を左右する戦いの舞台に上がろうとしているとも知らずに……。

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