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第三十七話 思わぬ吉報

 鬱蒼と茂る森の中、荒々しく走り回る巨大生物の姿があった。雄々しく猛り狂う猛獣は何かに追い立てられるようにただひたすらにまっすぐ走る。息が切れてゴフッゴフッと鼻息が一層荒くなったその時、木々の間から平野が顔を覗かせた。


 ガバァッ


 森から飛び出したのは頭に二本の角を生やした魔牛。その体は筋骨隆々で、真正面からぶつかれば死は免れない。その肉は絶品だが、生存本能が高く、人族に警戒心を持っていて捕まえることが困難な面倒臭い魔獣である。その為、高級食材として高値で取引されている。

 そんな魔獣が急ブレーキをかける。目の前に人族が数人並んで自分の行く手を遮ったのだ。


「ブモオォォォッ!?」


 狼狽する魔牛は足踏みしながら混乱している。ただ行く手を遮られたのなら引き返すだけだ。しかしそれが出来ないのはここまで追い立てられて逃げてきたからだった。

 後ろにも人間、前にも人間。ただ本能で逃げるだけの小さい脳みそにはこの場合の対処方法が思いつかない。魔牛は前に立ちふさがる人間に狙いを定めて角を振りかぶった。前方を蹴散らすことでそのまま逃げることを選択したのだ。


「今だトウドウ!」


 草臥れたハットを被った白髭混じりの男が叫ぶ。


「おうよ!」


 それに待ってましたと返答しながら魔牛に襲い掛かる鎖を巻いた小男。

 絶望的な戦力差に見える。体高5mはある魔獣と身長160cm前後の小男。この戦力差を埋める手立ては彼が体に巻いた鎖にあった。


 ジャラララッ


 自分に巻かれた鎖の長さとは明らかに違うと思えるほど鎖を伸ばす。魔牛の胴体に巻きつけ、関節を曲げる瞬間を狙って足に巻きつけ、バランスを崩して地面に頭からダイブさせる。さらに落ちゆく一瞬、口に猿轡の要領で鎖を噛ませて全ては終了した。


 ドズゥンッ


 魔牛の2tは下らない身体は、ほんの瞬きの間だけ空中遊泳を楽しむと地面に落下し、まるでハムのように調理されるのを待つ食材へとなってしまった。


「モオォォ……!!」


 さっきの威勢は何処へやら、暴れても切れることのない鎖の強度に為す術がない。藤堂は小高い丘を登るように牛の背中を踏みしめて下を覗いた。


「見事な手際だ!流石トウドウ!!」


「俺一人じゃどうしようもねぇさ。あんたらがいつも通り追い立ててくれっから捕まえられたんだよ。連携無しには成し遂げられねぇ」


 藤堂はニカっと笑った。



 平野をえっちらおっちら、やっとの思いで着いた街にて魔牛を売った。生きている新鮮なままの魔牛をオークション形式で売りさばき、凄まじいと思えるほどの金額を一日で稼いだ行商人の面々はバーを貸し切って宴を始めたのだった。

 酔いが回って意識が散漫とする中、やんややんやの大騒ぎの中にあってもこの呟きはハッキリと聞こえた。


「あんたがずっといてくれりゃ俺のキャラバンは一生安泰なんだがねぇ……」


「悪いなぁ、そりゃ無理ってもんだ。俺ぁ帰らなくちゃならねぇからよ。俺を無間地獄から救い出してくれた神の糸との約束なんだ。いや、比喩にしても失礼だったか?ラルフさんたちとの約束だからな」


 呪いの鎖の影響で酔うことも喉を潤すことも出来ない藤堂は、コップになみなみ注がれた酒を眺めながら自嘲気味に笑った。


「……あいつが魔族と一緒に旅してると聞いた時は驚いたが、何でも極端な奴だからな。落ち着いて考え直したら変に納得しちまったんだ。何にでも突拍子がねぇから母さんも困ってたっけな……」


 昔を思い出して感慨に浸る。その何とも言えない顔を見ながら同情する。


「……おやっさん……」


「いっけね、俺としたことがしんみりしちまったな。今日は宴だってのによ。酒が入るとどうも感情が抑えきれねぇな!」


 空元気に笑って見せた。それに同調するように笑っていると、カウンター越しにバーのマスターが声を掛けてきた。


「威勢が良いですねぇコンラッドさん。まだつまみは有りますかい?」


「おう、ほれこの通りにな。ま、いってもすぐ無くなっちまぁな。新しいボトルと一緒に持って来てくれや」


「あいよ。少々お待ちを……」


 キャラバンの仲間たちが音楽を奏でて陽気に歌う。楽しそうな歌声に耳を傾けていると、マスターが揚げ物や焼き物を持って戻って来た。ボトルはカウンターの下から上物を取り出す。コンラッドのコップに注いでいる時に思い出したように話しかけた。


「そう言えば聞きましたかい?また出たそうだよ、光の柱」


「本当か?おっかねぇな。最近頻発してるそうじゃねぇか。天変地異の前触れか何かかよ?」


「正にそれです。常連の占い師に聞いたんすけど、あれは破滅の前触れって言ってましてね。それ聞いて以来怖くて怖くて……」


 突然発生した光の柱。夜の闇をも照らし出す、太陽の如き光に美しさを感じる者から恐怖を感じる者まで人それぞれ。藤堂はこの話を聞いて目を丸くした。


「その……光の柱ってのはどこで発生したか分かってるんで?」


「正確な位置までは何とも言えませんねぇ。ただ南の方で上がったとしか……」


 コンラッドは首を傾げる。


「南と言やぁ、カサブリアで起こったのとは違うんだろ?」


「あの戦争より後の話だから関係ありませんよ。噂によればホルス島で上がったとか何とか」


「ひえ〜、今度はバードが滅んじまうのか?自由に飛びまわれて、勝手気ままに日々を過ごしているような平和な連中が滅んじまうなんて世も末だぜ」


「本当ですよ」


「おやっさん。ちょっといいかい?」


 藤堂はコンラッドに耳打ちする。


「……その光の柱ってのは俺を助けてくれたラルフさんたちと深く関係がある」


「何だって?!」


「先日も立派に立ち上ってたってんならラルフさんたちは大丈夫。しっかりと元気にやってる何よりの証拠だ」


 コンラッドはそのことを聞いて顔が緩んだ。


「ははっ!そうか!そりゃ良かった!!」


「え?なんですか?二人だけで盛り上がっちゃって」


 マスターも会話に加わりたそうにこちらを見ている。


「聞いてくれよマスター!俺の息子から最近便りがあったんだ!抽象的すぎて全く分かんなかったけど、元気にやってるんだと!」


「ラルフくんから?それは良かった!最近は懸賞金騒動やら何やらあって心配してたんですよ。嬉しい報せだ」


「おうよ!昔、どっかで聞いたんだよな。便りが無いのは良い便りってな。このご時世、便りがなけりゃ戦争で死んじまってるか、飢え死にしてるかの二択だろ?考え無しの言葉だと馬鹿にしてたが、ラルフが出てっちまった後で俺自身に言い聞かせてたんだ。便りが無いのは良い便りってな……けど、何だ……生きて元気にやってんだろうって分かるとこんなにも嬉しいんだって、今更ながらに感じちまったよ。母さんにも教えてやんねぇと、この気持ちを独り占めしてたら怒られちまうわな」


 妻の形見である指輪を取り出してさり気なくキスをした。


「クロエ。ラルフの奴は本当にどうしようもない奴だけど、あいつなりに頑張ってるみたいだぜ。今の俺には寄り添うことは出来ねぇが、お前なら出来る。どうか見守ってやっていてくれ……」


 それは祈りに近いものだった。亡き妻に語り掛ける夫の背中は途方に暮れたような寂しい雰囲気を漂わせていたが、それ以上に喜びと慈しみが感じられた。


「クロエさん、か。これはまた懐かしい名前が出たもんですね……」


 マスターもクロエの人となりを知っているようだ。置いてけぼりになっていた藤堂はズイッとコップを突き出した。


「クロエさんに」


 乾杯の合図だ。コンラッドはニヤリと笑ってカウンターから使ってないコップを取り出す。


「マスターも飲んで飲んで。俺の奢りだ」


 マスターは苦笑いで「じゃ、一杯だけ……」と注いだ。愉快なBGMを背に三人はコップを掲げた。


「クロエに」


 チンッと三つのコップが合わさる。一様に飲み干すと、コンラッドはマスターの「一杯だけ」という言葉を無視して酒を注ぐ。そしてまたコップを掲げた。


「そしてラルフに!」


 喜び溢れる表情に乾杯をせずにいられない。三つのコップはまたも音を立てて合わさり、その中身は瞬く間に空になった。

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