第三十話 怪物との邂逅
「……何をしているのよ、ロン……」
撫子が面倒な手合いだと見るや退避したナタリアは、後ろから付いてきているはずのアロンツォの姿がないことに気付いて空中で急停止した。彼が気まぐれの男であることは、一般的にも良く知られているが、作戦変更までしてその作戦もまともに実行しないとは頭を抱えたくなる。
元々の作戦は魔王同士戦わせて、疲弊したところを二体とも打倒する「漁夫の利」作戦。つまり何もせずに見守るのが使命と言って過言ではない。では先の撫子との攻防はなんだったのか?それはアロンツォからの提案による作戦変更だった。
あの凄まじい光の柱を目にしたナタリアは恐怖から動けずにいた。それこそ静かになるまでやり過ごすことを無意識の内に選択するほどだった。白の騎士団で”天宝”と呼ばれた実力者でも戦いを拒絶する絶望の一撃。飛ぶことだけで精一杯だったナタリアの肩をポンっと叩いた。
『鏖に敵対することは即ち死。ならばいっそ撫子に傷を付けて仲間であることを強調してみてはどうか?』
敵に媚び諂う行為に等しい。ナタリア的にはこの案に同調しきれなかったものの、一族を助ける為と思えば首が縦に動いた。
アロンツォの提案からも分かる通り、最初から撫子を殺せるとは思っていなかったが、擦り傷くらいは付けられるであろうと踏んでいた。直接相対した結果、こちらの手の内を明かしただけという失態。
ただし、バードが魔王にちょっかいを掛けたという事実は撫子の心に刻みつけた。ミーシャがあの兵力を退け撫子の前に立った時、撫子が自ら伝えてくれることだろう。「人族と結託する魔族の恥晒し」くらいの暴言を突き付けてくれたら尚良い。他力本願でとても順調とは言えないが、これ以外の選択肢など思いつかない。
「……後は生きて帰るだけだよ。兄上」
*
「あっ……えっと、確か風神だっけ?あれ?お前、私たちの後ろで兵士の指揮を取ってたんじゃなかったか?」
ミーシャは首を傾げた。イービルシードとそれに噛まれたバード達を一掃した時、微動だにせずに俯瞰から見ていた二つの人影がいたのを思い出す。兵士が軽装鎧で自身の体を守る中、その二人は体に張り付くようなピッタリとした派手な衣装だったからよく覚えている。
戦場ではそういう目立つ連中は強者の証であると学んでいたので「きっと隊長とか将軍とかの奴なんだろうな」くらいに記憶していたが、先行した自分よりも先に撫子と戦っているのは何故なのかと頭の上に疑問符を乱立させていた。
撫子が呆然とミーシャに気を取られている隙にアロンツォは足を掴んでいる分身の頭に深々と槍を突き立てた。ズルッと足首から手が離れ自由の身となる。
「何を手間取っていた?そなたそれでも最強の魔王か?」
まるで何かの作戦でも立てていたかのような言い草。ミーシャは訝しみながらアロンツォを見る。
「何か凄い偉そうなんだけど……お前一体何なの?」
「余はそなたが来るまでこの魔王を取り逃がさないように戦っていたバードの最高戦力である。後少しで死ぬところであったぞ?」
槍をクルッと一回転させて脇に挟む。撫子の攻撃を警戒して目配せを怠らない。
「へー、ディアンサが敵前逃亡を図ろうとしてたのか……それで何?お前如きに押さえ込まれて逃げられなかったって?」
「……う、うむ。その通りである」
ミーシャの言い方に引っ掛かるものはあるが、概ねその通りなので肯定しておく。
「まったく……普段会議の場でも自分には関係ありませんって顔してのほほんとしてるから肝心な時に選択を誤るんだよ。どこ吹く風の精神ってのも考えものじゃない?」
ミーシャは肩を竦めて呆れるように両の掌を上にかざした。その態度に茫然自失だった撫子の目に生気が宿る。さらに分身全員の顔が憤怒の形相で醜く歪んだ。
「ミーシャァ!!」
バキバキバキ……
ミーシャのすぐ後ろから聞こえてきた音に振り向くと、足場として構成されていたはずの巨大な蔓の一本が鎌首をもたげた。堅牢な建物も一撃のもと粉砕しそうな重量が持ち上がっていくのを目の当たりにすると頭が真っ白になる。
(余に使ったものとはまったく違う……これが本当の力か!?)
これが振り下ろされれば受け止めることも出来ずにぺしゃんこだ。ミーシャの真上にあるものの、そのまま振り下ろされればアロンツォにも当たってしまう。そしてその蔓は無慈悲に振り下ろされる。家畜の如く死を待つばかりのアロンツォが次の瞬間に見た光景は現実とは到底思えないものだった。
「邪魔っ!」
ゴンッ
蔓がミーシャのアッパーカットに耐えきれずに押し返されてしまった。上向くだけならもう一度振り下ろせたかもしれないが、勢い良すぎて反対側に吹き飛んでいった。ゴゴォンッと地震の如く足場が揺れて雑兵のツリーマンがバランスを崩している。
「なっ……!?」
撫子も驚いている。あの一撃で死ぬとまでは思っていなかったが、まさか素手で押し返すとは思いもよらない。
と、そこにひょこっと女性が顔を覗かせた。
「あっぶなぁ……ちゃんと周り見てよぅ、もう少しで潰れるところだよぉ?」
エレノアもこの場に追いついた。いよいよ後が無くなる撫子。元より勝ち目のない戦い。ここで死ぬくらいならば撤退するほか道はない。安心安全の実家を手放してでも生き延びなければ……。
「あらぁ?ディアンサが分身を出してるわぁ。なぁに?遊ばれてるのぉ?」
「分身?」
「ん、ミーシャには教えてなかったかぁ。あれらはぁ全部偽物。本物は隠れ潜んでじっと機会を窺ってるのよぉ」
「偽物?!そんな、これ全部?」
戦い方がバレている。一瞬パニック状態になったが、よく考えればエレノアは第一魔王”黒雲”の娘。黒雲は万が一の為に魔王の能力を調べ上げていた。黒雲の最も信頼していた敏腕執事”黒影”を密偵に出し、一人ひとりの能力を詳らかにして安心を得ていた。中には黒雲との友好の為、敢えて能力を開示するものもいた。撫子は面倒だったのでそんなことをしなかったが、内心自分から能力を晒すなんてあり得ないと一蹴していた。だからと言って隠し通せるはずもなく、能力に関する情報は盗み見られている。
そんな魔王の娘となれば当然知っていてもおかしくない。分身達に対して「遊び」という言葉を使用した時点で看破されていることが分かる。
「じゃあ本物はどこにいるのよ?」
ミーシャが確信に触れようとしている。これ以上は見逃せない。エレノアが「それはぁ……」と口を開いた瞬間、足場の蔓が突如波打ち出した。
「わわっなになに?!」
二人でバランスを取りながらバランスを取る。とてつもなく大きな何かが畝りを上げている。アロンツォは「今の内に」と蔓草から逃げ出す。二人が足元に気を取られている間に忽然と消えた。
「あいつ、いつの間に……」
「これはぁ、私たちも退避するべきじゃなぁい?」
蔓の荒波に揉まれながら、退避を考え始めた。二人を尻目に急いで飛び出したアロンツォは空中で待っていたナタリアと合流した。
「ふっ……遅かったじゃん。何してたの?」
「……鏖が来るまでの繋ぎといったところか。彼の魔王ほか魔族一体が撫子と会敵した」
「それじゃ時間の問題ね。というよりもう終わってるかも?」
「馬鹿を申せ」
アロンツォは先ほど逃げ出した蠢く蔓を睨みつけた。
「本当の戦いはこれからだ」




