第八話 悪巧み
『取り逃がしただと?』
通信機の映像越しから隠しきれぬ憤りを感じる。眉をひそめながら厳しい顔で睨みつけるのはイルレアンが誇る英雄、ジラル=H=マクマイン公爵。その雰囲気に圧倒され、アルパザの地を任されている黒曜騎士団分隊、第二部隊長は全力で頭を下げて陳謝する。
「申し訳ございません!次は必ず奴らを捕獲し……!」
『良い』
必死なセリフに被せるように放った一言は部隊長の頭を混乱させるのに一役買った。
「……は?「良い」とはどういう……?」
当然の疑問だ。昨晩遅くに報告した時には、失敗すれば失職は免れないといった勢いで脅し倒されたというのに、人が変わったような態度に呆気に取られる。
『私も少々焦り過ぎたと反省しているのだよ。彼奴は警戒心の塊のような男。そんな男を追い詰めるような真似をすれば、隠れてしまって尻尾を出さなくなる。今すぐにでも始末したいのは山々だが、泳がせるのも作戦の内だ。彼奴に関わりの有りそうな連中の動向を探り、具に報告書にまとめよ』
最初とは打って変わって慎重そのもの。何かある事に気付いた部隊長は探りを入れる。
「……お言葉を返すようですが、それでは逃してしまう危険性もあるのではないでしょうか?観察を行いながらも捕獲を視野に入れた作戦案を考えるべきです」
『その意見はもっともだ部隊長。しかしこういっては何だが、貴様らは一度失敗している。彼奴等も思考する生き物であれば、今回の件を学習しないわけがない。ほとぼりが冷めるまでは出てこないことは明白。それならばしばらく警戒態勢を解き、私服騎士の巡回を増やすのだ。治安維持を最優先に壁の建設を急げ』
「それではいつ捕獲作戦を……?」
その質問に公爵は椅子に背を預ける。
『そちらに、あるチームを派遣した。現場の指揮権はその者たちに委譲し、順次行動を開始せよ』
なるほど。不甲斐ない自分達に代わり、優秀な人物を送る事で失敗を取り返そうとの考えだ。となれば思い浮かぶ人物はただ一人。ただ何故名前を隠す必要があるのか?不思議に思いながらも尋ねる。
「……ゼアル団長をこちらに?」
『違う。ゼアルには他の仕事を与えている。そちらに派遣したのは最近手を組んだ「八大地獄」という連中だ』
「そんなまさか……そのような、えも言われぬ連中に指揮権を委譲しろというのですか?!」
『その通りだ部隊長』
簡素で突き放すような返答に、部隊長の中で悔しさや不安などの数々の負の感情が芽生える。今までも失敗はあったが、その分成果も残している。ここまで冷たくされる謂れは無いし、不甲斐ないからとぽっと出のチームに指揮権を渡すなど言語道断。公爵も戦場で活躍していた経歴から、他国等の赤の他人に指揮権を委譲するのがどれほど危険な事かは分かっているはず。
納得のいかない部隊長を手を組みつつ無表情で見据える。
『言いたい事は分かる。だがこれは正式な任務だ。私の指示に従え』
「……かしこまりました」
苦い顔をしつつも逆らう気などない。何か深い考えあってのことだろうとその場では仕方なく納得する。
『では……以上だ部隊長。次の報告が良きものである事を期待する』
「はっ!失礼致します!」
その言葉を最後に通信を切る。渋い顔のまま通信機を手に取り、強く握りしめた。
*
公爵は通信機を切ると、おもむろに立ち上がった。窓の外を眺めながらフンッと鼻で笑う。
「一角人の精鋭を瞬く間に潰したという力か……」
部隊長は不信感を持っていたが、まさにそれで良い。敢えて細かい情報を与えず、色眼鏡なしでその力を見定めさせようと企んだのだ。
「その為ならば町の一つや二つは安いものだ。そうだろう?アシュタロト」
虚空に話しかける公爵。公爵以外誰もいない室内にその声は虚しく響く。
『残酷だね〜。あの町は人類の安息の地じゃ無かったのかい?』
返ってくるはずのなかった質問に軽く答えられた。公爵がニヤリと笑って振り向くと、自分がさっきまで座っていた椅子にポニーテールの少女が裸で足を組んで座っていた。したり顔で振り向いたは良かったが、そのあられもない姿に一瞬狼狽し、咳払いを一つしながら視線を逸らした。
「人の世に顕現するなら服の一つも着たらどうかな?いくら超常の者といえど、羞恥心は持っていて欲しいものだが……」
公爵は席から離れるとクローゼットを開ける。中にあるのは公爵のサイズに合ったものばかりで彼女の体には大きすぎる。上着ならブカブカでも平気だろうと一着取り出した。
「多少大きいが恥部は隠せる。私の前であろうと、こういう服で隠してくれ」
公爵が上着をかざすと、興味なさげにその上着を見ている。つーんっと唇を尖らせながら椅子から降りると、机という障害物を回り込む事なく透過しながら真っ直ぐ公爵の元まで歩いた。その様子に多少驚き、机の様子を確認しながら彼女に服を手渡そうとする。
『なるほど。僕の裸は目に毒だと……そう言いたいのかい?』
「違う、そうじゃない。目のやり場に困るから着ろという事だ」
上着をかざしていたので、アシュタロトはそのまま袖に手を通し、公爵に着せてもらう形で上着を羽織った。
「ほら、前も留めて……そうだ。これでちゃんと隠れた」
『面倒だね〜。ほら、これで文句無いだろう?』
まだ下着をつけてなかったり裸足だったりと気になる点は多いが、まぁ及第点だ。アシュタロトが言った通り文句は無い。
「ああ、そうだな」
公爵はクローゼットを閉めながらアシュタロトを見る。大きすぎて手の先が出ず、だらんと垂れ下がった袖を振りながら遊ぶ彼女が公爵を見上げる。
『ふふふ……いや、しっかし八大地獄を顎で使う人族がいるなんて思いもよらなかったな〜。創造主として鼻が高いよ』
その言いようから彼のチームが相当の手練れであることが伺える。
「貴様に聞きたいのだが、彼奴等はどういう連中なのだ?」
『彼らは実働隊さ。僕らが作った守護獣、君らが古代種と呼ぶ最強の獣はさしずめ門番。八大地獄は自由に動き回る殲滅部隊ってところだね。昔々、僕らに牙をむいた反逆者どもを一掃した暴力の化身さ。もっとも、一人だけ取り逃がしちゃったから完璧とまではいかないのが難点だけどね』
軽く話してはいるが、昔とは一体どの程度昔の事なのか。知る限りの文献では八大地獄の名は一つとして出てこない。百年……いや、千年よりも前の可能性がある。
「八大地獄とは不老不死の集団なのか?」
『んーん、この時代まで氷漬けにして眠ってもらってただけ。今復活したのもその必要があったから。彼らには彼らの目的がある。それは彼らとの交渉の段階で理解しているでしょ?』
確か男を探しているとのことだった。見つけ出して殺すつもりなのだろうが、その殺意を利用してこちらに引き込んだ。というより向こう側がそれを望んでいたという方が正しい。各地を転々と探すより、各地にいる人達の情報で見つけようという魂胆だ。
『まぁ期待してなよ。きっと気にいるから』
「ふっ……楽しみだな」
公爵はアシュタロトと共に黒い笑みを浮かべた。西日が赤く室内を照らす。この赤が惨劇を予兆しているような気がして身震いする。世界を揺るがす力の登場に興奮が治らない。窓の外に目をやり、気を落ち着けながら呟く。
「本当に……期待しているよ。アシュタロト」
いつの間にかアシュタロトは消え、その部屋には公爵だけがいた。
アルパザはこの世から消え去るのかそれとも無事に終わるのか。それは神のみぞ知る。




