エピローグ
『……エレノア様といつから繋がっていたのですか?』
映像越しの美しい顔は人形の様に無表情でマクマインの顔を見る。マクマインはお気に入りの応接室で、お気に入りの椅子に腰掛けてため息を吐く。
「そんなに昔でも無い。魔族の時間感覚とヒューマンの寿命を考えれば、吹いて飛ぶ程度の僅かな時間だろうな……」
『……貴方はあの黒雲様を国から一歩も出る事なく滅ぼし、イミーナさんを手玉に取って私のミーシャを円卓から追放し、銀爪様をカサブリアと共に葬りました。私にとっては吹いて飛ぶ程度の僅かな時間でね。これを踏まえ、貴方をどうすべきなのか計りかねています……』
「それはこちらのセリフだ。貴様こそどういうつもりなのだ?鏖を殺したいのか、それとも側に置きたいのか……今日こそ答えてもらうぞ”蒼玉”」
それを聞いて僅かに口角を上げた。
『ふふ……もちろん後者です。イミーナさんをけしかけたのは、あの子を殺しきる事は出来ないと踏んでの事。古代種で疲弊したあの子が優秀な部下に裏切られ、最後に行き着くのは私の懐。という寸法です』
蒼玉は当時の事を思い、感慨深そうに目を瞑る。
『今思えばあの子を古代種に向かわせたのは貴方の案だったのでしょうね。「我が世の春が来た」と、この歳ではしたなく喜んでしまったのは今や恥ずかしい記憶です……訳の分からないヒューマンに邪魔されなければ、そんな事も気にならなかったと身に沁みて感じます。私の成りたかったものにあの男が座ったと思うと腹わたが煮え繰り返る思いですよ』
「ラルフ、か……なるほど確かに。しかしその感情が見た目に現れないのは流石というか何というか……」
蒼玉の人形の様に美しく透き通る肌からは憎しみの念や情動を感じない。まるで喋る人形を相手にしている様な不気味ささえ感じてしまう。
『私の物にならないのならば、せめて死んで欲しいと思っていたのですが……どれも上手くいかないものですね』
「ふん、貴様が出て行けば早めに方が付いていただろうに。未だにイミーナなどという無能を使っているのか?」
『無能だなどと……ふふ、そうハッキリ申されなくても宜しいじゃありませんか。それにほんの指先だけでも可能性があるなら私はそれに賭けたいと密かに思っているのですよ。もし私が敵だと認識されれば、今後二度と頼って来ないでしょう?』
蒼玉は口元を押さえてコロコロ笑う。不意に現れる感情の変化。人形の様なこの女がれっきとした生き物であるという事を改めて認識する要因となっていた。
「欲をかけば一番欲しいものを取り零すやもしれんぞ?この私の様にな……」
『ご忠告は素直に受け入れましょう。近々アプローチをかけるつもりではあるので、その時の対応次第でしょうね。……あの男、ラルフについては貴方にお任せいたします。私以上に貴方の方が腹に据えかねているでしょうし……』
マクマインの顔は先程より一層険しくなる。その存在自体は取るに足らない雑魚。ブサイクで下劣で観賞用の価値すら無い、小突いたら死ぬ程度の虫けら。だが、そんな男を世界最強の存在が壁となって守っている。元々はその最強を潰す事を主目的としていたのに、今やすっかり後ろで舌を出すチンケな存在にご執心だ。
それもそのはず、この男さえ居なければ本来立ち塞がる壁は死んでいるのだから。あの魔王を完全に抹消する為に、一体どれほど策を練って来たか……。それを何も考えていない様なイレギュラーに邪魔されたのだ。ヘイトがラルフに向いても不思議では無い。
「ああ……その通りだ。既に手は打っている。時に蒼玉よ、八大地獄とやらは知っているか?」
『いえ、知りません。地獄とは穏やかではありませんが、何かの比喩でしょうか?』
「チーム名だ。八人の強者が揃って一角人の居住区を襲った。現在、私が話を付けて仲間に付けた所だ。此奴らをけしかけて事態の打開を図る」
『それは重畳。期待していますよ公爵』
その言葉を最後に通信を切った。マクマインは通信機を隠す為に使用している高級なオルゴールを見つめる。
(……この私を部下にしたつもりか?利害の一致から手を組んでいるだけだというのに偉そうな……いや、魔族ならではといった所よな。精々お高くとまっているが良いわ、その傲慢が貴様を崩壊させるのだ)
上ばかり見て踏ん反り返っている奴は足元が覚束ないものだ。上ばかり見て足元を疎かにしている様な高飛車女は落とし穴の罠に落として分からせる。最後に笑って立っているのは頂点に立つ自分なのだ。
「……最後は人が勝つのだ……」
ポツリと虚空に漏らした一言。ただの独り言だった。誰にも聞かれていないこの空間で、返事が返って来るのを期待するのは気狂いのそれだ。しかし、それは返ってきた。
『分かっているじゃ無いか。見直したよマクマイン』
聞きなれない言葉にハッとして身構える。
「誰だ!?」
バッと立ち上がってキョロキョロと見渡す。部屋に誰もいないというのに声が返ってきたという事は、又しても黒影が国に侵入して来たとでもいうのだろうか?いや、彼では無い。マクマインは彼の気配を知っている。どれだけ隠密が上手かろうと、気配を消してようと気付いてしまう程に。ここには何も感じない。一瞬自分の頭がおかしくなったのでは?と疑う程に何も無い。
『神の気配を追うだなんて不敬だな。無理に決まっているでしょ?』
「……神?」
マクマインは立て掛けてあったサーベルに手を伸ばす。サッと手に持つと、すぐにいつでも抜刀出来る様に居合の形で部屋内を見渡す。
『ああ、危害を加えるつもりなんて無いさ。今日はただの挨拶。君は何やら色々と画策しているし、事情を知らずとも僕達の求める理想を体現しようとしている。気に入ったよ。僕は君の味方に着いてあげようと思っているんだ』
好意的な言葉を並べ立てる。一方的で有無を言わせない絶対的強者の振る舞い。嫌いなタイプだ。
「……なるほど、私の味方をしてくれると言うのか。今は魔獣の手も借りたい時だ。本当なら感謝しかないのだが、都合が良すぎる為か些か混乱している。私の生み出した妄想でないと言うなら、姿形を持って話をしよう」
『……やっぱり必要なのか。僕は出来れば体の錬成なんてしたくないんだけど……仕方ない、これもコミュニケーションって奴だよね』
虚空に突如光の粒が収束し始める。その光景に呆気に取られるマクマイン。言葉通り足元から徐々に体が構成されていった。少し小柄だが、長い髪をポニーテールで結った光り輝く女性が現れた。出る所は一応出ているが、どれも控え目といった感じ。まだ成人前の幼さが残る美人よりは可愛い印象を植え付けられる。何も身につけずに裸一貫で現れた為に目のやり場に困る。
「き、貴様が神……」
『ああ、そうさ。最近名前もつけたんだ。豊穣神アシュタロトって名付けた。良かったら覚えてね』
「アシュタロト……?」
自分の孫程度の見た目に翻弄されるマクマイン。
『君が付け狙う魔族とラルフには”死神”がついてる。このままじゃ君の願いは可能性すら無く一生成就されない。不公平だよね?』
「な、死神だと?!」
アシュタロトの言葉を鵜呑みにするつもりではないが、ラルフ如きに対してあのゼアルが手出しも出来ずに返って来てしまう理由には超常の力が働いているのかもしれない。ミーシャの時点で十分超常的ではあるが、もし運に絡んだ全ての出来事が死神とやらに操作されたものだったら、殺せないのも納得がいく。
『公平性って大事だよね。だから僕はこっち側だ。基本は君たちに干渉なんてしないから好きにこの世界を謳歌してくれ。僕は僕自身が必要だと感じた時だけ君の前に現れる。てな訳で”豊穣神アシュタロト”をよろしくね!』
語尾にハートが出そうな程可愛らしい声でアピールしたアシュタロトは、出る時とは違って一瞬で体を霧散させた。まるで花火の様に内側からボフッと爆発し、含み笑いの様な声を何処からか発しながら空中に溶けて消えた。
「……とうとう神まで出てきたか」
マクマインは自分の境遇に打ち震える。これだけお膳立てされたのだ、ラルフの息の根を止めなければ失礼に値する。マクマインは込み上げる笑いを抑えきれない。
「ククク……また一歩、貴様の命に手が伸びたぞ……ラルフ」
虎視眈々とその時を待つ。
*
ドラキュラ城の片付けがひと段落したラルフ達はスカイ・ウォーカーに戻っていた。完全な拠点にするにはあと数日掛かりそうという判断と、就寝の為にも戻る必要があったのだ。
ご飯を食べ終わって各々の暇潰しに入った時、ラルフはベランダで一息吐いていた。夜の風が心地良い。(今日はよく寝られそうだ)などと詮無い事を思っていると、背後から声を掛けられた。
「ラルフここに居たんだ」
「お?ミーシャも涼みに来たのか?」
ラルフは肩越しにミーシャを見る。ミーシャは首を振ってラルフに近寄った。
「違うのか。じゃあ俺に用か?」
「うん、そう」
ミーシャはラルフの横に並ぶと手すりに手を掛けた。
「……言いそびれた事があってさ。ラルフ昼間に「帰ってからにしろ」って言ってたから」
あのしんみりした空気をまた再現しようと言うのか?特に人と関わって来なかったラルフにはどう受け止めて良いものか分からない。そんなラルフの気持ちを尻目にミーシャは語る。
「変な事言うけどさ、なんて言うか……イミーナに裏切られて良かったなって思う時があるの」
「ミーシャ……?」
「あ、誤解しないでね。裏切りが好きって訳じゃないから。ラルフと出会った時を考えたら、そうじゃないと会えなかったから……別の出会い方をしてたらね、昔の私なら殺してたと思うし……」
魔族と人族は敵同士。当然の事が当然の様に起こるだけだ。助けたのはたまたまだったが、そのお陰で殺されなかった事を思えば過去の自分を褒める他ない。
「かもな。俺なんて跡形も残らなかっただろうぜ。というか、あんな事がなければミーシャに殺される様な状況なんて訪れなかったろうな。それこそ俺なんてどっかでのたれ死んで土地の肥やしになってるのが関の山さ」
ラルフは何気なく自分のあったかも知れない境遇を話す。あの時を思えばベルフィアにも殺されていないだろう。ラルフには決して名誉の死などあり得ない。ドラキュラ城で手に入れたお金で豪遊して、すぐ素寒貧になったラルフは別の遺跡に潜る。そうして日銭を稼ぎながらよく分からない内に死んでいく。
ミーシャを助ける分岐に自分がいなかったら、人生にドラマ性なんて生まれなかっただろう。それは時に迷惑で、時に面倒だけど、あって良かったと思える様になってきた。
「……ねぇ知ってる?私はあの時生まれて初めて命を救ってもらったんだよ」
「そうなのか?あ、でもそうか。ミーシャは強いもんな」
ラルフは返答しながらミーシャを見る。ミーシャは窺うような上目遣いでラルフを見ていた。
「ありがとうラルフ」
改まった挨拶にむず痒くなったが、真剣な様子のミーシャに茶化す事は出来ない。ラルフはフッと小さく笑うと答えた。
「……良いって。お互い様だろ」
ラルフとミーシャは並んで夜景に目を落とす。浮かぶ月が彼らを照らし、二人の仲を祝福する。
ただの偶然から始まった奇妙な物語はここからまた続いて行く。魔族と人族の戦いは今後さらに激化する。そして、未だ見ぬ強敵達に知らず知らず命を狙われながら、今日も今日とて眠りに落ちる。今はただ、明日の為に体を休めるのみだ。
「行こうぜ、ミーシャ」
「うん!」




