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第二十三話 撤退

 始まる事は避けられぬ戦い。人族にも魔族にも傾倒出来ないラルフ達には当然と呼べる戦い。


「聞いたか?確かに言ったな?」


 ラルフはニヤリと笑ってミーシャを見る。


「間違いない。エレノアの選択を信じよう」


 ミーシャは頷いた後、席を立つ。


「行こうラルフ。そうと決まれば長居は無用だ」


 ミーシャはラルフの席を引く。「……だな」と言ってラルフはネックレスを回収しながら立った。


「なっ!?逃げるかぁ!!」


 群青は拳を振り上げながら迫ろうと一歩踏み出す。


 ギシィッ


 その拳がラルフに届く事はない。どころか体が前に進む事も無い。もっと言えば金縛りにでもなった様に体の一切が動かなかった。


「ぬっ!?」


 拳を振り上げた間抜けな格好で止まっている。その様は蜘蛛の巣に捕らえられた哀れな虫の様だった。


「これは……白絶っ!?」


 それは群青だけではなかった。橙将もまた、ハルバートを構えた格好のまま動けないでいた。ピアノ線の様に細い魔法糸はこの会場内の全てに張り巡らされ、エレノア以外の魔王達の眼前を囲う。白絶は席から立つ。


「……動かない方が良いよ……僕の糸は特別製だ……」


 白絶は入り口に向かって歩き出す。


「こんな事ってあるかよ……これほど長い時の中、何故今になって……」


 白絶の裏切りを認めたくなかった黄泉は何とも言えない表情で俯いた。白絶が群青の横を通り過ぎた時にチラッとラルフを見る。ラルフが草臥れたハットの先端を摘んで目で返礼した。それを見た白絶は有るか無いかの微笑を湛えると、入り口まで歩いて立ち止まる。


「よし、行くぞエレノア」


 エレノアは席から立って黒影を肩越しに見た。黒影はスッと礼をしてエレノアを見送る。それに気付いたラルフは首を傾げた。


「ん?黒影、だっけ?お前は良いのか?」


「……誰かが責任を負わねばなりません。私はこの地に残り、後片付けを致しましょう」


 表情こそ分からないが全てを悟った様な、諦めた様な雰囲気を醸し出していた。


「……そっか、分かった。お前の主人は俺達で預かる。生きていたら訪ねて来いよな」


 ミジッミチミチミチッ……


 その音はすぐ側で鳴っていた。群青が身を捩って白絶の糸を引き千切ろうとしている音だ。


「何を良い話の様に……!!お主らまとめてここで……!!」


「……動くなってば……」


 白絶は糸を追加する。ギュチッと糸の塊が手足に巻き付き、さらに固定された。


「ぐおおぉっ……」


 白絶と群青の相性は悪い。いや、白絶に初めから注視していればこうはならない。意識外で捕らえられてしまったので、苦戦を強いられているだけだ。そんな攻防を他所にエレノアは歩いてラルフ達の所に向かう。ラルフの側に立つと横目でラルフを確認する。ブレイドの様な力の(ほとばし)りや技術、立ち居振る舞いの優雅さなど存在しない。すぐ側で見ているだけの中性的なヒューマンには達人を思わせる空気感が漂っているのに対し、ラルフの存在は見たままの常人。


「……あなたには何があるの?」


「……は?」


「強さも無ければ魔力も無い……ここに来たヒューマンは何かしらを持っているのよ。けどあなたには何も感じない。ここから出て行く前に教えて」


「空気を読め」「今どんな状態か見たら分かるだろ」そう言いたい所だが、未だ納得出来ていない所があるなら答えない訳には行かない。これが最後の質問である事を願って少し考えた。


「……運命……じゃね?」


 ラルフのこれまでを辿れば壮絶なものだ。特にミーシャと会って以降は死と隣り合わせ。白絶が居なかったらミーシャが魔王を三柱倒す前に殺されていたと予想出来る。これまでやって来た事が巡り巡ってこの場にラルフを立たせている。震え上がる程に否定したい運命だ。それを聞いたエレノアはきょとんとする。フッと鼻で笑うとミーシャを見た。


「面白い男を見つけたねミーシャ」


「まあね。……もういいかな?はいみんな入り口に集合!」


 パンパンッと手を叩くと、ミーシャは踵を返して無防備に背中を見せる。ラルフは一応後ずさりしながら入り口まで戻った。ホームグラウンドで為す術もなく見送る魔王達。


「ちょっと待て。貴様ら本当にこのまま帰るつもりか!?ここから世界を揺るがすブッチギリの戦いが始まるとかそんなんじゃ無いのかよ!!」


 黄泉は白絶の裏切りからようやく立ち直り、さっきまで抱いていた覚悟をぶちまける。この場を自分たちの力で収めて再出発を図ろうとしていたのに、何もかもぶち壊しだ。毒にも薬にもならず、損しかなかった状況に精神が不安定になるのも致し方ない。


「いや、最初から戦う気とか無かったし、エレノアが来てくれたから帰るよ」


「そんな馬鹿な……貴様は人族で俺達は魔王!戦って俺達を倒す事こそが本懐だろう!?貴様には人族としての……男としての矜持はないのか!?」


「あるよ。でも戦わない。ん?戦いたかったのか?残念だったな!」


「!?……貴様っ!!」


 黄泉はキレた。声を荒げて席を立つ。本来なら白絶の糸が邪魔をして動けない。だが、黄泉はシャドーアイと呼ばれる影を切り取ったような種族。その力は影に潜り、影を侵食し、影を操り、敵を殺す。机の下から影が伸びる。この影は黄泉自身。ラルフの影に侵食する為に影を伸ばした。

 しかし、時既に遅し。ベルフィアが杖を振り、要塞へ転移を開始していた。黄泉の影は届く事なく空振りし、ラルフ達は瞬時に姿を消した。それと同時に白絶の糸は霧散し、群青と橙将の体は解放された。


「くそぉっ!!……何という事だ!!これは過去最悪の失態だぞ!!」


 群青は振り上げた拳を第七魔王の椅子にぶつけた。椅子は粉々に砕け散る。その癇癪を涼しい顔で見ていた蒼玉にギロッと目を向けた。


「お主……何故加勢しなかった。主の能力ならあの糸を消す事は容易だった筈……何故だ」


「その必要は無しと判断致しました」


 蒼玉は即答後、背もたれに身を預けながら続ける。


「あちら側には戦う意思が無かった事。エレノア様の追放が成った事。黒影様が留まり、責任を負われるという事。それに最も危険なミーシャと真正面から戦う事の愚を冒したく無いという事。以上を踏まえ、戦わない事を選択したまでで……」


「……貴様あの子娘と仲が良かったなぁ。戦わぬ理由には私的要件も混ざっているのではないかな?」


 橙将はハルバートの石突きを床に突き刺しながら蒼玉を睨み付ける。


「愚かな質問を有難う御座います橙将様。私とて命が惜しい。それに戦わない事を選択したのは朱槍、竜胆、撫子、鉄の四柱にも同じ事が言えるのでは?」


「蒼玉っ!」


 竜胆はそれに激昂して立ち上がる。


「?……何か間違えておりましたか?」


 竜胆はミーシャに復讐心を抱いている。戦わぬ理由が無いだけに、そうハッキリ言われると怒りが湧き上がる。ただ結局戦わなかった事は事実。竜胆は「不愉快だ!!」と癇癪を起こして荒々しく座った。


「……黄泉様も言っておられましたが、この異常事態も何とか治りましたので”黒の円卓”を「かくあるべき姿」に戻そうではありませんか。イシュクル様の弔いも兼ねて……でしたか?」


 チラッと黄泉を見れば、立ち上がったまま動かずに扉の外、ヲルトから少し離れた位置にあるスカイ・ウォーカーに釘付けとなっている。口からは時折「ラルフ」という名前が漏れ出ている。


「……少し休憩を挟みましょう。気をお沈め頂かないとお話になりませんから。二十分程で如何です?」


 蒼玉が場を仕切り始める。特に文句の無かった撫子の「良いんじゃな〜い」の一言で一旦休憩が挟まれる事になる。会場を後にする魔王や、腕を組んで瞑想する魔王など、各々の休憩を挟んでいる中にあって、黄泉だけは飛び去ったスカイ・ウォーカーの影をいつまでも追っていた。

 それは未練や恨み辛みなどでは無い純粋な怒りによるもの。ラルフはミーシャや白絶、ベルフィアやその他の仲間達以上に魔王達の脳裏に刻まれる事になる。

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