二十三話 生き残り
人狼はドラキュラ城からかなり離れた山の麓の洞窟に身を潜めていた。先の戦闘がチラつく。回復していた魔王と、よく分からない種族と人間。
「チグハグダ……」
そう考えるしかない。どうすればその三種が組むのか、理由がさっぱりだ。死にかけた魔王を探しに遠路遥々こんな所まで来たというのに。ともすれば止めを刺しに来たのに、無様に返り討ちに遭う事になるとは。しかも一息に消された。信頼していた副長すら塵も残らず。
ジャリッ
石と砂の混じった土を踏む乾いた音が鳴る。その音に気づくや否やスッと戦闘の思考に切り替える。相手は一人。ここまで接近に気づけないと言う事はかなりの腕前であろう事は間違いない。が、殺気もなく、あまりに当たり前に侵入してくる様はこの洞窟の主か、さっき狩りに出た妹かの二択だと感じる。
答えは臭いでわかった。思考の渦に飲まれている人狼は、洞窟に入ってくる妹にすぐに気づく事は出来なかった。
「……ジュリア カ?」
「大丈夫?兄サン……」
普段であれば洞窟に入るずっと前に気付くであろう状況がここまで気づかなかったのは初めてである。幼少期から天才と言われ、それに驕らず鍛錬を積み重ねてきたというのに……。
「ジュリア、イツモ言ッテイルダロ?作戦中ハ隊長ト……」
言って後悔する。「既に壊滅したも同然な”牙狼”に作戦も何もないだろう」と、自分に突っ込む。実に弱々しい。常に強者であり続けようとした、自らの弱さを垣間見た瞬間である。
「……食ベ物ヲ取ッテキタ。一緒ニ食ベマショウ」
小動物を獲ってきたようだ。ジュリアはチームの中でも獲物を獲るのが上手い。何故なら嗅覚による索敵能力がずば抜けて高いからだ。その時に気付く。ジュリアの顔が元の綺麗な顔に戻っている。それに気づいた時、無意識にジュリアに近寄り顔に触れる。
「?……兄サン?」
両手で顔を挟み込み鼻頭を撫でる。少しくすぐったそうに目を閉じたりして、頭を動かしている妹を見て、自分の妄想が生み出した存在でない事に安堵し、ジュリアを抱きしめた。
「!!……チョッ……兄サン!?」
突然の事に慌てるジュリアだったが、肩が震えているのに気付いた。泣いているであろう兄の姿を思い、跳ねのける事は出来ず兄の思いと”牙狼”の仲間を憂い、抱きしめて一緒に泣いていた。
落ち着いた二人はどちらからともなく離れる。改めて考えてみるとハグもした事ない兄妹だというのに悲しかったからとはいえ、抱きしめ合った事実に少々気恥ずかしさも出てくる。
「……何ヲ獲ッテキタンダ?」
ジュリアはイタチ科のような風貌の獣を見せる。四匹獲っていた。二匹ずつ分け合って毛を毟る。わざわざ血抜きをしてきたみたいで臭いや新鮮さにもこだわっている。人狼は鼻が命なので臭みは正直取りたいが、作戦中は血抜きなど出来ないのでそのままを食す事が多い。今は急いでないし心も荒んでいる。狩りをしてまで食べようとは思えないので、このひと手間は正直嬉しかったりする。
特にジュリアは鼻のケアを忘れた事はない。毛を大体毟った所で、ジュリアに対し疑問に思ったことを聞く。
「オ前、鼻ハ ドウシタンダ?ナンデ回復シテイル?」
本来なら二度と鼻が利く事はないだろうというのはチーム”牙狼”の総意だった。魔族達は自らの基本能力に胡坐をかいて、回復材などという小細工を使う事はおろか、作る事すらしなかった。人類に遅れを取るなどあり得ないし、何より魔族を傷つけられる人間が少ない。怪我がなければ再生能力も人並み以上。生まれながらに強い魔族は生きているだけで脅威になる。故に要らないのだ。
その為、万が一の際は引退か追放か処分となる。もちろん回復能力を持つ魔獣を知らなくはないが、基本的に促すのであって元通りにはならない。あれほど強烈な刺激物を鼻に直撃され、顔まで焼けて毛が抜け落ち、無残な姿を晒した妹はもうどこにもいない。ジュリアは丁寧に毛を抜きながら俯いて喋らない。集中しているのではなく単に喋りたくないのだ。
「……ソレニ アノ道具……使ッテイタノハ人間ノ物ダナ?アノ人間ヲ殺シテ手ニ入レタノカ?」
その質問と同時にすべての毛を抜き終わり、ピンクの鳥肌と化した生モノを撫でながら語りだす。
「兄サン……ア……アタシ、実ハ……」
口ごもって要領を得ない。こんな妹を見たのは幼少期以来だ。体が震え、躊躇い、怒られないように言葉を選ぶ。鼻が治り、且つ道具を一式もって逃げてきた。一見すれば人間を殺し、道具を奪ったと思えば合点がいく。しかしそうではない。
兄はジュリアの様子を見て不信感を抱いた。グラジャラクで行われていた裏取引の件と何故だか重なる。戦時中というのに自分の保身の為に動く政府が内心許せなかったものだが、妹の元気な姿を見て悪い気は失せる。都合がいいもので、身内であれば仕方がなかったと許容できるのだ。
「大丈夫ダ、ジュリア。俺ハ怒ッタリシナイ。オ前ガ無事ダッタンダカラ……タダ理由ガ知リタイ」
いつもの命令口調は為りを潜め、お願いに徹する。いつもより優しい口調に絆されたジュリアは躊躇いながらもポツポツ喋り出す。
「実ハ……人間ニ……アノ……治シテ、モラッテ……」
「ドウシテ人間ガ。何ノタメニ?」
訳がわからない。敵であるはずの人間がジュリアの鼻を治し、道具を渡したと言うのか?残った人狼を逃がす為?ジュリアは兄の問いに首を降って答える。理解不能なのはジュリアも同じだという事。
「……ラルフ……」
「ラルフ?人間ノ名前ヲ聞イタノカ?」
兄はジュリアの呟きに反応する。
「アタシ ニ名前ヲ名乗ッタ、ラルフ ヲ殺サナイ事ヲ条件二鼻ヲ治サレタ。アタシ ハ間違ッテイタカナ?」
「?……オ前ハ ラルフ ヲ追イ詰メテ、ソノ結果、命乞イ ヲ サレタッテコトカ?」
なら理由は単純だ。妹は怒られたくないが為に理由を言わなかったのか?鼻を治す為なら何でもするという事を、恥と思って伝え辛かったのか?
「違ウ、アタシ ガ殺サレル所ダッタ。アノ時ノ アタシハ 完全二無防備ダッタノヨ……」
人間に追い詰められるジュリアが思い付かない。要約すれば殺されかけたジュリアがラルフを襲わない事を条件に、何らかの手段で鼻を治した。治す意図が分からないものの、とにかく相当な実力者だろう事が伺える。
「……トニカク、俺ハ ジュリア ガ生キテイテクレテ良カッタト思ッテイルヨ。失ッタモノガ多カッタダケニナ」
ジュリアの顔が暗く沈む。それこそさっきの自分のように食欲が湧いていないといった感じだ。話を聞く限り、チームではないような気がした。人間は単独で動いている可能性がある。だからどうだというわけではないが、少なくともジュリアは助かった。
顔を焼かれた時は怒りと殺意も湧いたが、考えてみればあれがなければ全員が一丸となって作戦を遂行し、全滅していた可能性もある。感謝はないが幸運だったと言わざるを得ない。
「トニカク食ベヨウ。コレカラガ大変ダゾ」
第二魔王”鏖”の復活はどんな事より早く伝えなければならない最悪の事案だ。体力を少しでも回復させて駆け抜ける必要がある。淡白な味わいのイタチっぽい小動物を口に放り込み、さっさと眠りにつく。ジュリアは背を向けて眠る兄の姿を眺めながら罪悪感にも似た気持ちに陥った。
自分が作戦に穴を開けた為に全滅の憂き目にあった。副長の目と顔と言葉がチラつく。ラルフに関してもそうだ。あいつがいなければ、こうならなかった可能性が高い。
だけど許せないはずなのに、憎めない。
洞窟の入り口に目を向ける。暗くなって月明かりだけが入ってくる。ジュリアのため息だけが、しんっとした空間に響いた。