二十二話 ベルフィアの苦悩
「なにゆえ妾がこノヨうなことを……」
ベルフィアは困惑していた。ラルフの作戦により、腕を切り落とすという馬鹿げた事を了承したからだ。
「ん?なんだ?動きでもあったか?」
ミーシャはベッドの上に転がりながら、ぶつくさ呟いたベルフィアを見る。
「いえ、動きはありません」
ベルフィアは”吸血身体強化”を発動させ腕を通信装置としていた。切り離すときにコストを使う事で感覚器官を作り出す”五感剥離”という特殊技能を使用してラルフに渡した。
一応念じれば孤立して動かす事も可能だ。遠くにいてもGPSのように体の一部の場所が分かり、足だろうが、手だろうが、視覚、聴覚、触覚をその一部で感じることができる優れもの。ただ血を摂取した時のみ使えるのであまり使わない上、切り離す数だけコストをそれぞれ三も使うので、戦いには使える機会がなかなかない。
吸血鬼が数多くいた数百年前は、一人が体を散り散りに千切り、待ち伏せや隠れた相手に対する先制攻撃に使用したものだが、一人になった今は死に技になっていた。情報収集の為、交渉に長けた吸血鬼は指を一本千切り、盗聴器として使用したこともあるという。
ラルフはまさかそんな事に使えるとは思いもよらず切り離した後の腕をしきりに「気持ち悪い、気持ち悪い」とベルフィアから離れた後ほざいていた。時折イラッとして動かしてビビらせる事も考えたが、この作戦の根底はラルフと人間の交渉の良し悪し、そしてラルフ本人が裏切っていないかの確認だ。
むやみに動かしたり、この能力があったと知られれば交渉事にも支障をきたす。その上、隠し事が多い男故、暗号などで誤魔化されたら困る。信用出来ない男という観点では人間側とベルフィアで共通する印象だった。
「……今ヨうやく町に着きましタ。これから交渉に入ります」
カバンを開けて団長の顔が見えた。ラルフの作戦通りベルフィアを追い詰めている事になっている。
(しかし此奴……危ういことをしヨル)
守衛のリーダーを何とか丸め込もうとしたり、その言い訳が苦しかったり……もうそろそろ本名を名乗ってその辺のわだかまりを消せば楽に事が運べるだろうに。そんな事を感じていると話し合いの場に着いたようだ。ラルフの考えはベルフィアが現れた時、魔王の噂が立ち暴れまわっているのではないかという吸血鬼が魔王の正体説。情勢を教えてもらった時に、昔と今はあまり変わらないと知る事が出来た。つまり魔族がこの地にいるのは普通に考えればおかしい事になる。出発前に作戦の内容を聞いた時は納得したが、当の団長は納得していない。
『……ならこの話はここまでだ』
「なに?」
それは聞き捨てならない言葉だった。ラルフが話している時に突然の質問。その質問に秘匿を選択したラルフだが、その答えは団長にさらなる不信感を与えたようだ。
「何をこまねいていル?ラルフ……」
ラルフは一方的に突っ込まれ、あまつさえ盗人呼ばわりされていた。この体たらくに痺れを切らしたベルフィアは
「魔王様、こノ作戦は失敗です。次ノ手を考えルべきかと」
と、即座に打診した。
「何かあったのか?」
ミーシャはベッドから体を起こし心配そうにベルフィアに語り掛ける。ベルフィアは知っている。この心配がミーシャ自身の事ではなくラルフに向いている事に。
「団長とやらに作戦を看破されましタ。ラルフノ考えは甘かっタヨうです。次ノ指示をお願いします」
ベルフィアにしてみればラルフなどお荷物に他ならない。自分がいる以上、戦闘に関しても特殊技能に関しても、人間を遥かに超える事は誰の目にも明らかである。アルパザという町を滅ぼすのは簡単だ。面倒な事をせずに人間を殲滅すれば情報が漏れるなど心配する必要がない。
「……ラルフはどうしてる?」
ベルフィアは即座にラルフの行動を探る。
『一方的にガンガン言ってくれたな、団長さんよ』
歩く音が聞こえ、水をいれている音がコポコポと聞こえる。そして言い訳をし始めた。
「……まだ悪あがきをしていルヨうです」
「なるほど、まだ諦めてはいないのだな?」
それを確認するや否や仰向けに転がり直す。
「ならばまだ待つ」
ミーシャはラルフを信じようとしている。何故かラルフを信じたいのだ。こうなると土壇場まで動かないかもしれない、ベルフィアは不安を抱いて作戦を考える。万が一の保険は持つに越した事はない。
『だからこそ言いたい』
次の言葉によっては切り捨てられそうな雰囲気を感じ、感覚を研ぎ澄ませる。場合によってはカバンから出る必要もある。実際ここでラルフが切り殺されればわざわざこんな事を考える必要がない。しかし助ける事も出来たのにやらなければ叱責どころか命をもとられかねない。
『俺を盗人呼ばわりする前に、情報を開示してくれ。全部じゃなくていい……』
『……いいだろう』
ラルフの苦し紛れの交渉は通った。ベルフィアは内心ホッとする。
「ラルフめ、ハラハラさせおル」
そこでハッとする。
(なにゆえ妾があやつノ心配なんぞ……)
ベルフィアはラルフに抱いた気持ちを自分の命が助かったと頭を切り替える。しかし、それは人間風情と一蓮托生という事になる。それもまたどうなのかと思い悩む。その様子をちらりと見ていたミーシャは少し嬉しそうに微笑む。
「大丈夫そうだな」
自分の信じた事がうまく進んでいくことは自信の回復にも繋がり、またラルフに対する信頼にも大きく関係する。ベルフィアはその事を知ってか知らずかミーシャの微笑みに安堵する。
「……お聞きしてもヨろしいですか?」
「ん?なんだ?」
転がりながらチラリとベルフィアに視線を送る。
「妾には理解できないノですが、ラルフにどれほどノ価値があルとお思いでしょうか?あれはタだノ人間です」
ミーシャは天井に視線を移し、物思いに耽る。
「なんだろうな……この数日間でいろいろあったからな、その恩を感じてかもしれない……」
「それは……ラルフに救助されタ件と関係が?ならばすでに妾からノ攻撃を防いだことでトントンでは?」
ミーシャはベルフィアを一瞥した後で顔を背ける。
「……私を助けたのは気まぐれかもしれない。でも……そうだな、ただ信じたいだけだ」
視線を天井に戻し、押し黙る。当時の状況を思い出して考える。
「誰だろうと助けちまうものさ」
人間と勘違いして助けたのだろうがそれでも嬉しかった。裏切られ、死にかけ、自分がやってきた事を全て蔑ろにされた。死ぬしかなかった自分を救ったのがただの人間。見つけたのがラルフでなければ死んでいただろう。
「……傷だらけだった私を……」
ポツリッと言葉が漏れる。その状況を考えふと思う。そういえばこのワンピースつぎはぎだらけである。もう包帯も取れて綺麗になった腕を見る。全身傷だらけの死にかけだった事を思えば、治療薬を使用するにも脱がす必要があるのではないか?
(まぁ恥ずかしがる事もない……)
一瞬顔が熱くなるのを感じたが、治療のためなら仕方なしと落ち着こうとするとラルフがチラつく。最初の食事に食べた不味い焦げ茶の塊を思い出す。それがラルフの口の中に……。
「……!?」
それを考え急に恥ずかしくなる。ガバッと掛け布団に包まって、鼓動を抑えるのに必死だ。その様子にビクッとなるベルフィア。さっきからコロコロ変わるミーシャの行動が自分にとって心底怖かったりする。
ミーシャの言動に一喜一憂していると話しはかなり進んでいた。しまったという気持ちで耳をそばだてると「魔法使いがどうの」と言う話しになっていた。
『魔法使いが最初にやられていれば俺たちも危なかった……』
と言ってカバンから腕を取り出す。机に投げ出されラルフが投げナイフを取り出した時、触覚を遮断する。痛覚を感じないようにしたのだ。
『こいつを見てくれ』
言うが早いか腕にナイフを突き立てる。しかも傷口をグリグリ広げるように。再生能力を見せる為にあえて刺したのだろうが、どうも私怨が入っているような気がしてならない。
(あやつ、ノリノリでやりたい放題じゃな……)
陰湿な奴だと心の中で罵る。しかしこの卑怯なまでの再生能力が団長に刺さり、ラルフが団長の誘導に成功したことを悟る。ようやく話がかみ合った所でベルフィアにとって聞き捨てならない言葉が団長の口より発せられる。
『待てハイネス。その腕を渡してくれ。我らで預かろう』
何のために必要なのか?トロフィーにでもするつもりか?ベルフィアは思う
(ラルフなら渡すのではないか?)
今ようやく話がかみ合ったのだ。信用まではいかないだろうが、納得出来る所までいったのだからこれを切るのは交渉にはありえない。だがベルフィアにとって渡されたりするのは感情的にありえない。焦りながらラルフ共々殺す事も考えていると
『悪いが、もう俺の財産だ。こいつは渡せないね。どうしても欲しいってんなら吸血鬼に頼んでくれ』
その瞬間ベルフィアの頭は真っ白になった。この時、無意識にラルフの持っていた手がピクッと動いてしまったが、すでにカバンの中なのでバレる事はなかった。剣を鞘から抜き、構える音まで聞こえた。まさに絶体絶命のピンチといった様子だ。しかしベルフィアは頭が混乱して助ける事も考えられなかった。
この時ラルフは一番無防備だった。ラルフにとっては元から助けなどない状態と一緒だがそんな時にもラルフは堂々と出ていく。出て少し扉から離れた後ため息と共に本音が零れる。
『うわぁ……怖かったぜ……危うく殺されるところだ……』
ベルフィアからしてみれば”鏖”を相手に話しているも一緒だというのに。生きる為に常に最良を選ぼうと努力し、ようやく手にした流れを切ってまでベルフィアの腕を守った。これが感動だろう。ベルフィアはラルフに対し少々敬意を持った。
『あ、やべ!』
ラルフの言葉で我に返る。ラルフから焦りを感じる。すぐさま扉まで歩み寄る音が聞こえてきた。何か忘れ物をしたような、気軽さもある。扉の前で少し考えたような躊躇と葛藤を感じ、意を決して扉を開けると、
『あの~……すまないが今の分でいいからお金をくれないかな、実はかなりヤバくて……』
それを聞いたベルフィアは噴き出してしまう。さっきまであった威厳は影を潜め、卑屈に徹するラルフの下郎さ加減のいわゆる温度差、高低差に気持ちが追い付かず笑ってしまった。
「なになに?どうしたの?」
ミーシャはベルフィアから初めて聞いた本気の噴き出しに少女のように純粋な目で問いかける。ベルフィアはその目にも同じ気持ちを感じ、ついに抑えきれなくなり大笑いした。
「ベルフィア!?ちょっ……大丈夫?」
ミーシャはベルフィアを本気で心配する。上位者の姿は成りを潜め、ベルフィアの背中を擦るのだった。