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第十七話 憤怒

 銀爪は憤慨していた。父親から継承したとはいえ、魔王の座に就く自分に無礼極まりない言葉を吐いたのだ。到底許されるものではない。


 体から立ち上る魔力は黒く危険な雰囲気を漂わせ、ガノン達を牽制する。血気盛んなルールーでさえ、飛び込むのを躊躇うほどだ。一人が感情的になると周りが冷静になる様に、慎重な足運びで銀爪の観察をし始める。思い起こせばルールーの先輩に当たる”剛撃”を倒したのだ。一応生きてはいるが、未だ昏睡状態から目覚めていない。一歩間違えれば彼の二の舞になることは間違いない。

 正孝はそんな事情を一切知らないながらも銀爪が強いことはよく分かった。ミーシャとイミーナの戦いを垣間見て、魔王が強いことはある程度理解しているつもりだった。が、いざ戦ってみると予想以上の強さで、自慢の炎も火傷にすら至らなかった。


(……へ、あんなのただのお遊びだぜ。まだまだ火力を上げられるんだからな……!)


 恐怖を覆い隠す為、自分の心に言い聞かせる。なんせ此処に来たのは自分の意思だ。守護者で最強であると自負しているのに「ビビって動けません」じゃ格好悪すぎる。正孝は自己を奮い立たせて前に出る。


「何だよその黒いの?ハハッ!格好イイじゃん?」


 無用心と取れるこの行動にアウルヴァングの目が泳ぐ。


「おい何をしちょる……!?戦局が変わったのが分からんか……!ほれ下がれ下がれ、儂の後ろにいろ……!」


 銀爪を刺激しない程度にコッソリとだが、語気強めに正孝に注意する。アウルヴァングの堅牢な鎧の庇護下にいれば、怪我をすることはそうそうないだろうが、前に出た以上下がれないのが無駄にプライドを持つ年頃の男の子である。


「は?ビビリは黙ってな。俺にかかりゃあこんな奴……」


 その時、背筋に冷気が走った様な殺気を感じる。ゾクッとして銀爪を見やるとニヤニヤしながら正孝を見ていた。


「そうか、テメーから死にてぇのか?」


 ジリッ


 その恐怖の表情に正孝は無意識に後退してしまう。情けない話だがイキってしまったことに今更ながら後悔していた。銀爪はそんな正孝の恐怖に追い打ちをかける様に一気に距離を詰める。地面を蹴ると靴の形に抉れて土が盛り上がり、風を切って迫る姿はまるで弾丸の様だった。


「う、うわぁっ!!」


 情けない声が口から出る。顔を隠して身を守ることに必死だが、これは悪手。正孝レベルの動体視力と身体能力なら銀爪の直線的で直情的な攻撃を避けるのは難しいことではない。しかし、見なければそれを避けることは出来ない。


 バギィンッ


 魔力で強化した銀爪の手とアウルヴァングの斧がかち合う。ギギギ……と拮抗し合う中、アウルヴァングが正孝に吠える。


「……言わんこっちゃ無い!!おぬしは前に出ず……ぐぐっ……支援に徹するんじゃ!!前衛は儂に任せい!!」


「じ、じじい……俺を守って……」


 アウルヴァングが銀爪を押さえる。これを好機と捉えたルールーがすかさず走り寄ろうとするが、銀爪が振り上げた拳がアウルヴァングの兜に振り下ろされた時に足を止めた。


 ゴンッ


 アウルヴァングは頭から地面に突き刺さる勢いで叩きつけられる。いつもならすぐに起き上がろうとするタフなドワーフが、地面にめり込んでピクリとも動かない。ドワーフの山で採れた希少金属から打ち出された凄まじい硬度の鎧兜を着ても銀爪の拳に耐えることは出来なかった。


「呆気ねぇな……」


 銀爪がアウルヴァングを見下す様に顔を上げた時、真横から鉄板の様な大剣を思いっきり突き出される。


「!?……チィッ!!」


 体を捻って避けるとブォンッと風を切る音が耳元を過ぎる。ガノンはルールーと違ってアウルヴァングが押さえようとやられようと関係なく、とにかく叩き斬るつもりで行動していた。

 銀爪はルールーが立ち止まったのを感じ取った為に、ガノンもビビって攻撃出来ないだろうと踏んだのだが完全に予想が外れた。


「オラァッ!!」


 大剣を振るっているとは思えないほど軽やかに剣の軌道を変えて追撃してくる。それを()なしたり弾いたりしながら正孝とアウルヴァングから離される。あっという間に元の位置付近まで後退させられながらも鍔競り合いが続く。


「死ねっ!!オラァァッ!!」


 ガノンが一歩踏み込んで剣を振るが、銀爪は垂直に跳躍して振り抜かれた剣を完璧に避けた。これをチャンスと捉える。勝負を焦ったガノンが見せた明らかな隙だ。体を投げ出す様に振り抜かれた姿勢からカウンターが飛ぶ事はまずあり得ない。現にガノンもこちらの動きに対応出来ずに銀爪に目もくれていない。


(もらった!!テメーが死ねっ!!)


 自らの完璧な立ち回りに酔いしれ、周りが見えなくなった銀爪の視界の端に黒い刃物が見えた。


 ザクッ


 右肩と右頬に熱した鉄の棒を当てられた様な感覚に襲われる。ガノンに振り下ろそうとした右腕は痛みで動かず、頬に感じた初めての痛みで一瞬意識が飛ぶ。空中で静止するほど間延びした感覚の中で見たのはルールーとその手に握られた双剣。刺さっているのは当然右肩と右頬。


 ドカッ


 ルールーは刺した双剣を引き抜く為に銀爪の横っ腹を蹴り飛ばす。案の定剣は抜けて、銀爪は蹴りの勢いに任せて空中を飛ぶ。ルールーは後ろ向きに一回転してガノンの剣の上に着地した。銀爪も無事な左手を地面について、体に土をつけない様に地面に着地する。


「ガッ……アッ……」


 ビチャビチャッと大量の血が湧き出る。ただの剣ならこうは行かなかったのだろうが、ルールーの所持する剣は”古代獣(エンシェントビースト)”から採れた幻の鉱物で出来た剣。この世に切れぬ物なし。


「中々ノ”コンビネーション”ダッタデ、ガノン」


「……っるせーな。いいから降りろ。重いんだよ……」


「!?……”レデェ”ニ対シテ失礼ダギャ!!」


「……レディな」


 アウルヴァングが地面に沈んで死んでいるかもしれないというのに、呑気に漫才をしている。正孝は一瞬ポカーンとしていたが、ハッと気付いたようにアウルヴァングをひっくり返してその無事を確認する。頭から出血しているのを見て、これ以上動かすのは危険と判断した。揺さぶったり叩いたりするのは諦めて、正孝は口元に手を当てて息を確認する。


「……まだ生きてる!おい!!何か傷を塞ぐのとか無いのか!?」


 正孝は焦って二人に聞く。


「……んだぁ?アウル爺さんは回復剤持ってないのかよ?」


「か、回復剤……?」


 正孝はアウルヴァングの鎧を見てどこに何があるのか分からず、困惑しながら手を出せないでいた。見かねたルールーがガノンの剣から降りてアウルヴァングの腰の辺りを(まさぐ)る。すると試験管のようなガラス瓶にコルクが刺さった緑の液体が姿を現した。


「おお……それっぽいな……」


 ゲームで見たような見た目に困惑しながら見ていると、ルールーがコルク栓を抜いていきなり顔にぶっかける。その乱暴な様子に忌避感を感じたが、苦しそうだった顔がみるみる生気を取り戻し、アウルヴァングは目を開けた。


「むっ!儂はやられたんか!?」


 バッと起き上がって自分がめり込んでいた地面に驚愕する。


「……頭が潰れるかと思ったわい」


 兜をコンコン叩きながら斧を取って立ち上がる。回復剤は思った以上の即効性で、ピンピンしているドワーフの姿にホッとする正孝。未だに痛みで動けない銀爪は(うずくま)って自分の血を眺めていた。


「……見ろよ、放心状態って奴だ……生まれてこの方一度も傷ついた事がねぇのにって顔してやがるぜ」


 大剣を肩に担いで鼻で笑う。生まれた時から強者だったものは往々にして痛みを知らない。銀爪はまさにその典型的な存在だった。父親以上の腕力を持ち、魔力にも恵まれ、権力の庇護の下でぬくぬくと成長してきた彼は傷つけられた事がない。精神的な屈辱は何度か味わったが、本質的な痛みを感じたのはこれが初めてだった。

 流血して自分の体から大切なものが出て行くような心地悪さ。皮膚を引き裂かれて感じる火傷したような熱さ。舌を噛んだ時とは違ういつまでも続く痛みと倦怠感。ガノンのバカにしたような物言いが耳に障るが、この痛みに比べれば些細な事だった。


 ビキビキ……


 銀爪の体から石がひび割れるような妙な音が聞こえる。その姿は異様という他ないものだった。顔や胸板、手の先などの皮膚が見える場所を見るとそれは顕著に現れる。音に合わせて血管が浮き出始めたのだ。それと同時に魔力もまとわりつき、銀爪の怒りを露わにしている。先ほどの牽制の魔力放出など児戯に等しいレベルだ。気持ち悪いとも取れる姿に見ている四人は引いた。


「ん?おいまさか……」


 正孝は気付く。怒りを露わにした銀爪の傷口から血が止まって行くではないか。筋力と魔力で傷口を押さえ込んだのだ。それと同時に全身に魔力を巡らせて攻撃に備える。


「……止めを刺すべきだったな……」


 ガノンはニヤリと笑いながらも、その頬に一筋の汗が流れ落ちる。どの場面でも上手く立ち回っていたと思える彼だが、実際は全て紙一重だった。魔獣人との戦いに関しても、この戦いに関しても、万が一まともに攻撃を受ければ死んでいるのだ。特に銀爪の攻撃はアウルヴァングのような装甲でも一撃で気絶させられたのを思えば、ガノンなら頭が弾け飛ぶ。

 その最悪の事態を想定しつつ大剣を構える。相手の実力がどんなに上だろうと関係ない。戦うことは楽しいし、何よりもやりたい事が一つある。


「……魔王(こいつ)を殺してゼアルの野郎を見返さなきゃよ……いつまでも追いつけねぇからな……」


 これから始まる激戦は先の互いの力を確認し合うような前戯ではない。本番。全てが死に直結する極寒のブリザードのような攻防である。

 正孝は足がすくむ。殺意とはこれほど物質的で、これほど精神に影響を及ぼすものだと知らなかったからだ。喉元に、或いは胸部にナイフを押し当てられて急所を抉られそうな恐怖。ここを生き延びる事出来たら正孝の世界は大きく変わる事だろう。生き残れれば……。

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