第三十七話 笑顔
「もー……無駄に広いなぁ。ねぇ、灰燼はどこ?」
ミーシャは浮遊要塞スカイ・ウォーカーの中を歩き回り、自力で探すのが面倒臭くなっていた。さっきからちょいちょい捕まえたデュラハンに尋ねるも、口を噤んで僅かばかりの抵抗を見せる。「話さないなら別に良いや」と見逃してきたが、そろそろ我慢も限界にきていた。ミーシャは引っ張ってきた体を床に投げ倒す。
「あっ!?」
突然の行動に驚いて、為す術なく俯せに倒れる。ミーシャは馬乗りになって動けないよう固定すると、片手に抱え込んでいたデュラハンの頭を両手で挟み込むように持ち替えた。
「もしもーし、私の声が届いてんの?」
ブニッと頬っぺたを両側からつねる。
「あいひゃひゃひゃ……!!」
デュラハンにとって頭は何より大事なもの。他者に手渡したり、何処かに忘れる様な間抜けは絶対に起こさない。その為、こうして弄ばれるなど初めての経験だったし、何より頬っぺたをつねられるのがこんなに痛いとは思ってもみなかった。鍛え上げ、灰燼の部下の中では最強を誇る騎士でさえ、初めての痛みに堪えるのは難しかった。
「……ねぇ、どこ?」
「いひゃいいひゃいっ!!はにゃひへー!!」
ふにゃふにゃと抵抗するも千切らないように絶妙な加減で苦しめてくるので、長く苦しい戦いを想定しているとシタタ……と走ってくる音が聞こえた。
*
「灰燼様!!」
バァンッ
三体のデュラハンはベルフィアの首を携えて程なく到着した。そこに居たのは天井を見上げる吸血鬼の体を手に入れた灰燼と、首筋を押さえながらヘタリ込むヒューマン。そして呆然とその様子を窺うデスウィッチが目に飛び込んでくる。
それを見て不安になりながら三体の騎士はお互いを見た。何が起こっているのか分からず、その内の一体がそっと部屋に侵入した。
「……ババ様。ババ様」
デスウィッチにコソッと話しかける。老婆はピクッと動いて顔を傾けた。
「……あの……一体何が起こっていますの?」
「……それが……婆やにも何が何やらで……灰燼様は……あの……突如頭を抱えて……その……」
いつもの皮肉も一切なく、歯切れも悪くしどろもどろに答える。言い辛い事でもあるようにしている。その時、ヒューマンが立ち上がる。
「何だって?お前今なんて言った?」
「何を言ってますの?貴方には何も……」
「しーっししし……!」
ラルフは左手をかざして後ろに静かにする様合図を送る。よく見ると右手の人差し指を口元に持っていって自身も喋らない様に黙っている。周りの音を遮って目をキョロキョロと動かした後、今度は誰からも分かる様に灰燼に話しかける。
「……お前、今なんて言った?」
「……!?灰燼様に何て口を……!」
「……お待ちを……」
老婆は右手を出してそれを遮る。灰燼の呟きは老婆も気になる言葉だった。その真剣な様子に訝しみながらも直属の上司たっての希望であれば溜飲も下がる。しかし当の灰燼は天を仰いだまま一向に動こうとしない。
「……灰燼か?」
ラルフはポツリと尋ねる。だがさっきと同じくピクリとも動かない。
「……ベルフィアか?」
その瞬間、バッと頭を下げてラルフを見た。その目は猛獣の狩りの直前の様な獰猛な目で爛々と見据える。カッと見開いた目は釣り上がり、血を求める純粋な吸血鬼の……棺桶から対面した最初の時を思わせた。
「……ああぁ……違う……灰燼様ではない……殺すのです……!!」
老婆は異様な空気を感じ取り、デュラハンに命令を下す。「……え?え?」と困惑を隠せない三体のデュラハンは剣を抜きながらも手を出せないでいた。灰燼ではないとはどういう事なのか?老婆が言い辛そうにしていた「もしかして……」を話さなかったが為に、老婆とデュラハンで見識に齟齬が生じているのだ。
「……何をしているのです……!早く……」
老婆には既に彼の者が灰燼でない事を肌で感じたのだが、デュラハンには直属の上司より上の主人。剣を向けるのはもちろん抜くのも不敬なのだが、焦って抜いてしまっている。これもデュラハンの心にストップを掛けていた。
デュラハンが全く動こうとしないのに対し、灰燼の体が動き出した。灰燼は老婆に向かって右手をかざす。その顔はニヤリと歪んでいた。その手から放たれたのは魔力の刃。薄く、薄く、平たく、そして薄く、引き伸ばされた魔力の刃は何者も切り裂く。
スウィンッスウィンッスウィンッ
独特な音が辺りに木霊する。解き放たれた刃を止める術は無い。デスウィッチの前に出した三本の自慢のバスタードソードは受け止める事も出来ずに全て寸断されバラバラと落ちた。キンッキィンッと金属が床に散らばり、剣の残骸を目で追ったデュラハン達はその目を放たれた老婆に向ける。老婆は両手をかざした急かしている格好のまま止まっていた。
ピシッ
その形はとどまる事なくほんの少しずつズレている。正中線に沿って真っ二つ。左肩から右太腿にかけて袈裟斬りで真っ二つ。右腕から左脇腹にかけて真っ二つとバラバラに、それこそバスタードソードより無残に床に転がる。
「バ……ババ様!!?」
「そん……な……ババ様……」
デュラハンは揃って口をあんぐりと開けて状況が整理出来ずに静止している。
「「ふふふ……これは良き力じゃノぅ」」
灰燼の口から低く下っ腹に響く様な声と女性の声が二重に聞こえる。デュラハンの一体は狼狽気味に声を上ずらせながら叫ぶ。
「あ、ああ、貴方は……!!なな、何なんですの!!?」
「「ん〜?何で分からんノじゃ?妾は第六魔王”灰燼”。アンデッドノ王。”不死ノ王”じゃヨ?」」
体をぐっと伸ばして見下す様にデュラハンを見る。その視線にたじたじになる彼女達。
「おい……イジメんなよ、ベルフィア」
ラルフは腰に手を当てて呆れた様に灰燼に投げかける。目だけでギョロッとラルフを見た後、それに続いて顔を向ける。
「「んふふ……ラルフヨ、そんな簡単に答え合わせをしては楽しく無いじゃろぅ?」」
右拳で口元を隠し、口の中で含みながら笑う。デュラハンはぽかんとした顔で二人を交互に見比べている。
「お前で良かったよ。何つーか、凄い幸運だよなぁ。マジで死ぬかと思ったぜ……」
「「……それは妾ノ台詞ヨ……」」
消え入る様な声でポツリと呟く。
「ふざけないでくださいましっ!!」
壁に向かって剣の残骸である柄の部分を壁に投げつける。パキィッと甲高い音で柄が砕ける。
「こんな事……到底許される事ではありません!!灰燼様をどこに隠されたのです!?灰燼様を返してくださいまし!!」
「「ピーピーピーピー……うるさいノぅ。じゃから妾がそノ灰燼じゃて言うとルノに……」」
ニヤニヤ嘲笑う。
「そこんとこだが、どうやったんだ?灰燼の精神をどう乗っ取った?」
「……乗っ取った?」
「「んもー……ラルフは我慢を知らん!」」
呆れた顔で諸手を上げた。「「まっタく……」」と答え合わせをしようとした時、デュラハンの背後から声をかけられる。
「……これは、どういう事だ?ラルフ。何がどうなってる?」
「あ、貴女達……何で……?」
そこに立っていたのはミーシャと脇に抱えたデュラハンの首。二人の前にはぁはぁ息を吐くウィーの姿があった。頑張ってここまで連れてきてくれたのだ。部屋の中に居たデュラハン達も振り向いて驚く。その理由は長女が捕まっていた事。12シスターズの中で一番腕の立つ彼女が難なく捕まっている事実が彼女達の戦意を喪失させた。
「「今からご説明させて下さい。ミーシャ様」」
灰燼の体を奪ったベルフィアは右手を胸に置いてスッと頭を下げる。
「ん?お前誰だ?」
「「ベルフィアでございます……あ、体がお気に召しませんか?すぐに変化致します」」
両手を唐突に胸にドスッと突き刺す。穴を開ける様にグリグリ傷口を広げるとおもむろに左右に引っ張る。ベキベキッメキメキッと痛々しい音が鳴りながら開いていく胸の中、見えたのは心臓ではなく白髪の頭。胸の傷口からひょこっと顔を出したのはベルフィアの顔だった。デュラハンの持つ顔と瓜二つだが、髪だけは灰燼の様に真っ白に変化してしまっていた。
そこから体をまたベキベキッメキメキッ変化させていく。180cmあった身長が縮んで160cm前後の女性の体に変化した。灰燼の着ていた服で乳房を隠してベルフィアは復活した。
「お前ベルフィアだったのか。全然分からなかったぞ。変身能力なんてあったんだな」
いっぱい能力を持っているベルフィアに感心し、一つ頷いた。
「ミーシャ様ノ為なら更に力を増やしましョうぞ」
さっきまでの二重に聞こえていた声はベルフィアの声に統一され、灰燼はベルフィアの中に完全に取り込まれた。形勢は完全にラルフ達が有利。敵であるデュラハン達も鳴りを潜め、誰も喋らない静寂が一瞬流れる。ラルフが頬を掻いて様子を窺った後パンッと一回柏手を打った。
「よしっ!それじゃお前ら降伏しろ。この船は俺たちミーシャ一行が掌握した。抵抗は無駄だ」
ギロッと一斉にラルフに視線が集中して針の様な殺気がラルフを襲う。「うっ……」と恐怖に慄くが、頭を振って気を取り直すと、ミーシャをチラリと見た。
「……ミーシャ、ブレイドとアルルがまだ戦っているんだ。助けに行ってくれないか?ここはベルフィアだけでどうにでもなる」
「いや、それより灰燼はどこに行った?」
「妾が殺しましタ。もう心配無用にございます」
それを聞いてミーシャはフンッと鼻を鳴らした。
「灰燼はそんなに弱かったのか……まぁいい、ウィーを借りてくね」
デュラハンを部屋に放るとウィーを抱きかかえてさっさと行ってしまった。
「姉様!」
「姉様!」
「大丈夫ですか姉様!」
三体は口々に長女の元に集まる。長女はバッと起き上がって剣を構える。
「灰燼様を殺したですって?!バカも休み休み言いなさい!!」
今にも飛びかかってきそうなデュラハンを前にベルフィアは余裕の流し目で返す。スッと手を出すとまたしても魔力の刃が顔を出した。
スウィンッ
その音が部屋に反響すると同時にバスタードソードの刀身が中側から切れ落ちた。キィンッと甲高い音の後、ベルフィアがニヤリと笑った。
「嘘だと思うなら掛かって来い。おどれらには万に一つノ勝ち目もないがノぅ」
勝負は決した。ブレイドとアルルもミーシャの手によって救出され、なんとか軽傷で済んだ。灰燼に攫われたベルフィア奪還作戦は実に意外な形で決着を見た。ラルフは今度も命があったことに安堵しつつベルフィアを見た。その視線に気づいたベルフィアは皮肉交じりに話し出す。
「ふふふ……まタ生き延びてしもうタワ」
「ああ、まぁ……お互いにな」
二人で仲良く笑いあった。