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第三十六話 恐怖

「……あら?」


「ん?」


「え、どうされまして?」


 今戦っているのとは別の通路を守っていたデュラハンは戦闘が始まったのと同時に味方の加勢の為に移動を開始し、途中の通路でサッと動くものを目の端で捉えた。


「いえ、何かこう……動くものが……」


 三体のデュラハンの内、気付いた一体が後ろの二体をチラッと一瞥した後、先陣切ってコツコツと近づく。シタタ……という何かが走る音が聞こえ、鞘からバスタードソードを引き抜く。抱え上げた首の目だけがキョロキョロと動き、前を見据える。少し腰を屈めてそっと近寄り、バッと通路に身を乗り出す。


「きゃあっ!!」


 コテンと尻餅をつく。他の二体もバスタードソードを抜いて尻餅をついたデュラハンに駆け寄る。通路を覗き込むと、そこには女の首が置かれていた。一瞬ぎょっとするも「はぁ……」とため息を吐く。二体は剣を鞘に納めた。


「……何をしておりますの?」


「な、何って……!?く、首が……!」


「えっと……貴女も持っていますわよね?」


 自分達の脇に抱えた首を指差す。自分達はデュラハン。首なし騎士という種族で、首と胴体が離れている。脇に抱えたり、机に置いたり、座る時は膝に乗せたりと、その首は常にあちこちに行っているのに何を驚く事があるのか……。呆れながらその様子を見ている。


「い、いや、でも……!その……」


 反論しようにもその通りなので声も段々消え入るようにしょぼくれる。12シスターズの中で一番怖がりな彼女に突如現れた生首を恐れるなというのも酷な話であるが、もう少し堂々としてくれと思いつつ生首の髪を掴んで引き上げる。


「これは、灰燼(かいじん)様の捕まえてきた吸血鬼の顔ではありませんこと?」


「そんなはず……確かに吸血鬼ですわね。幾ら灰燼様でも実験体を解体されてその辺に放るなどあり得ませんわ……」


 腰を抜かしたデュラハンも立ち上がり、剣を仕舞うと二人の顔を見る。


「もしや灰燼様の身に何か起こったのでは?」


 三体は真剣な顔で見合って首を持って実験室に向かって走り出した。

 奥の暗闇からこそっと出てきたウィーはベルフィアの首を持って行かれた事を悔やみつつ、デュラハンが走っていった方角と別の方に走る。ベルフィアに申し訳なかったが、重石を失くしたウィーの足はさっきの倍近く早く進み出す。

 ミーシャを目指して走る。まったく初めてのこの要塞だがウィーには全く関係ない。彼の探索能力はそこいらの魔物の数倍であり、危険を察知するだけでなく、どこに何がいるのか何となく分かる程。ミーシャまでの距離はそこまで遠くない。

 しかし気掛かりな事が一つあった。それは、先程のデュラハンと同じ様な気配がミーシャと共にある事だ。あれだけ強いミーシャに限って倒される事は無いだろうが、何らかの理由で捕まった可能性も考えられる。しかし、ウィーに理由を考えられる程の頭は無い。とにかく早くこの事を伝えるのが使命だとひた走る。



 拷問部屋のような実験室。灰燼は頭を抱え、髪を振り乱しながら苦しんでいた。吸血鬼ベルフィアの心臓を取り込み、完全な不死の肉体を手に入れたと思った矢先に精神を侵され、厳しい状況に立たされたのだ。


「やめろぉ……!儂の心から……出て、出て行けぇ……!!」


 ギリギリと頭を掴み潰す勢いで抱える。


『ふふふ……(わらわ)を取り込んでおきながらなんと贅沢な事か。好き嫌いせず全部飲み下してみせい』


 心を歪め、掻き乱し、壊す。


「……灰燼様……!」


 老婆は灰燼に手をかざす。こうなれば一刻の猶予もない。不敬かもしれないが攻撃を仕掛けて少しでも尽力しなければならないと考えた。


 しかし、その老婆に待ったをかけたのは他ならぬ灰燼だった。頭を抱えていた右手をバッと勢いよく老婆に向ける。老婆はビクッとして動きを止める。その手はゆっくりと握られて人差し指をピッと立てると、さらにゆっくりと左右に振った。


(……支配権が移ってきている?)


 思考停止する老婆に対してラルフは冷静にその事を知る。灰燼は二度と開かなそうなしわくちゃの瞼をカッと見開いて天井を見上げる。ラルフと老婆からは見られないが、灰燼はトリップしたように黒目を向いて意識が飛んでいた。その心の中で繰り広げられるのは支配権を賭けた争いである。


『貴様……!儂の体じゃ!大人しゅう記憶の片隅でジッとしとれ!!』


(わらわ)ノ心臓じゃぞ?おどれこそとっとと死にさらせ』


 精神の争いは外の戦いと異なる。灰燼は自らを護るために蓄えた知識と力で驚異を切り抜けるが、心の護り方など知らない。未知数の事態は既知となるまで避ける戦いをし続けた為、逃げられない状況に恐怖し、隠れられない事態に混乱して最適解を出せないでいた。


『記憶と言えば、おどれ(わらわ)ノ記憶を好き勝手探りおっタノぅ……仕返しにおどれノも見せてもらうとしヨう』


 ズッ


 怖気が走る。今まで感じた事の無い腹の底を(まさぐ)られる様な恐怖。心臓を鷲掴みされた様な冷える感覚。心からの恐怖は声を失わせる。


『ほぅ……記憶とは存在ノ証明とな?面白い考え方じゃノぅ。なれば記憶が消えタらぬしは死ぬんかえ?』


 老婆との会話を掘り出された。


『な、何を……!?』


 戦々恐々とする灰燼。この精神の世界でどのようにして動けばベルフィアの邪魔が出来るのか分からず手をこまねく。そんな中にあって鼻唄混じりに記憶に潜るベルフィア。

 恐怖は加速する。それというのも老婆と楽しく話していた先の会話を思い出せなくなっていたからだ。ベルフィアが話した記憶の話は確かに老婆から聞いたはずなのに、どんな話だったか細部を思い出せない。


『ん?ほほぅ……同胞ノ絶滅を最初に願っタノはおどれか……自分では勝てんからとミーシャ様を差し向けタと?』


 ズッ


『……あ?』


 言われた意味が分からなかった。吸血鬼を襲わせたのが自分だと言われている。そんな記憶無いのに。


『こノ屑め……(わらわ)はまだしも、他にもこれ程ノ実験を……実験と称して随分楽しんどっタ様じゃノぅ』


 ズッ


『あれ……』


 確かに多くの実験を重ねて来たが、一つ思い出そうとすれば途中で途絶え、また一つ思い出そうとすればまた消える。どんな実験をしてきたのか思い出せなくなっていった。


『長い事暗躍しとっタなぁ。知識は(わらわ)ノ比じゃないノぅ』


 ズッ


『あ……』


 知識とはどれの事を言っているのか?魔法や実験結果など数えきれない物を思い出そうとするが、後少しというところで消えてなくなる。


 自分が自分で失くなっていく恐怖。


 恐怖とは何か?

 思い出せない。何が真実で何が虚像か……。


 真偽とは何か?

 思い出せない。


『これがおどれか。生前は随分矮小な存在ではないか?ひタすら逃げ続け、穴蔵に潜って日ノ光からも逃げて……手に入れタノがアンデッドと?つまらぬ。骨ノない男ヨ』


『よせ……それは駄目じゃ……それは儂の……』


 ズッ


「……あ……」


 それは天井を見上げた灰燼の口から漏れた。


「……儂は……誰ぞ……?」

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