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第三十二話 行方

 ギキィィィ……


 重い扉を開けて入って来たのはフード付きマントを羽織り、腰が曲がった老婆デスウィッチ。ゆるりとした動きに合わせて後ろからついて来るものがある。老婆が手をかざすとその物体は上に浮き上がって老婆の前方に投げ出された。


 ドサッ


「ぐえっ……!?」


 落ちた衝撃で呻いたのはラルフ。ブレイドとアルルのすぐ後ろに控えていたラルフとウィーは、背後からやって来た老婆に気付かず魔法の束縛によって捕まり、何やら暗い部屋に連れて来られた。ウィーは離れない様にしがみつき、顔を隠しながらチラチラと周りを見ている。

 投げ飛ばされた拍子に転がり落ちた草臥れたハットを、背中を擦りながら膝立ちになり被り直す。ラルフもウィー同様辺りを見渡すと鎖や刃物、鈍器などが吊り下げられてるのが目に飛び込んだ。人が寝転べそうな程の大きな長机や本棚、ビン詰めにされた臓物が入ったものなど所狭しと並んでいる。そんな恐怖の部屋に連れ込まれて背筋が凍る思いに苛まれながらも、動揺を見せない様に必死に取り繕って老婆の方に振り返る。


「……お、おいおい。ここで何しようっての?」


 その言葉に反応を示さない。


「……あんたみたいな超強い魔族ならあそこで俺を捻り殺せた筈だろ?こんな拷問部屋みたいな場所に連れて来て密かに楽しもうってのか?」


「……」


「……俺達みたいな雑魚を殺しても何にもなんねーぞ?それがあんたの趣味ってんなら否定するつもりはねーけど出来れば考え直してほしいなぁ、なんて……」


「……」


 一方的に喋るラルフに一向に喋ろうとしない老婆。そろそろラルフの我慢も限界だった。


「あの……聞いてんのか婆さん?」


 その時、老婆の口許がニヤァッと耳まで裂けるように笑った。


「ヒヒヒ……不安でございましょうが……しばしお待ちくだされ……じきに何の為にここに連れてきたのか分かりますゆえ……」


 怖気が走る低い唸るような声で恐怖を煽る。ウィーがバッとラルフの懐に隠れてガタガタ震えだす。自分より怖がっているものがいると存外恐怖は薄れるものである。こんな命の危機に瀕する部屋で意外に落ち着きながらウィーの背中を擦る。


「……ところで俺達の仲間をこっそり連れて行きやがったようだな……彼女はどこに居る?死ぬ前に会いたいんだが……」


 もちろん死ぬつもりはミリ単位も存在しない。ベルフィアの捕まっている場所を把握し、時間を稼ぐ。彼女を解放すればそう難しい事ではないだろう。ベルフィアに戦わせている内に、完璧のタイミングで仲間が助けに来てくれる事も考えられる。

 後ろを取られた時は正直死んだと思ったが、何の気紛れかこうして生きている。仲間と合流を果たせば何の事はない、いつも通りギリギリで助かるだろう。そんな事を考えていると背後からドチャッという音が鳴る。ドキッとして恐る恐る振り返るとベルフィアの物と思わしき首が転がってきた。


「くくくっ……望みの女じゃ。受け取るがよいぞ人の子よ」


 その声は奥の暗がりから聴こえる。チラッと後ろの老婆を見ると、顔を伏せている。頭を下げているように見えるので前方にいるのはタダ者ではない。この浮遊要塞で偉いと言えば第六魔王”灰燼(かいじん)”を置いて他にいないだろう。ベルフィアの首を見てため息が出る。


(こいつ格上相手には毎回解体されてるな……)


 そんな事を思いながら頭を拾う。ベルフィアの顔を見ると、いつもと違う表情に迎えられた。無表情で生気の無い死んだような虚ろな目。


「……よう、どうした?ベルフィアお前元気無いな。俺が助けに来たのがそんなに気に障ったのか?」


 いつもの調子で語り掛けるも反応が全くない。


「ちょ……おい……なんだよ」


 いつもの減らず口が聞けず困惑するラルフ。まるで本当に死んだみたいに……。前方の暗い影からペタッと裸足で歩く音が聞こえる。ゆっくり光の当たる場所に出てきたのは蝋燭の様に白い肌。生き物である事を否定するかのようなその見た目に既視感を覚える。


「吸血鬼の生き残りはベルフィアだけだと本人から聞いていたが、こんな所にも存在していたってわけかよ……しかも魔王とは恐れ入ったぜ」


 掘りの深いハッキリとした顔立ちで真っ白な髪を肩甲骨辺りまで伸ばした半裸の偉丈夫。真っ黒に塗られたような目で瞳は朱く輝いている。下瞼から頬にかけて黒い文様が顔についているのを見れば、吸血鬼は皆同じ文様があるのだろう。ベルフィアと決定的に違うのは、その絶対的な気配。やはり魔王というだけあって鈍感なラルフにも立っているだけでその強さが垣間見える。


「くくくっ……貴様如きヒューマンでも力を感じるか?その通り、儂は第六魔王”灰燼”。じゃが吸血鬼ではなかった……その女が儂の一部となり、ついに今日(こんにち)この時!儂の夢は成ったのじゃ!!」


 自分に酔った声で両手を広げるように振り上げる。


「無限に再生し、不死でありながら生を実感する肉体!吸血鬼を超えた究極の存在”不死の王(ノー・ライフ・キング)”に!!」


 高笑いがこの部屋に響き渡る。その様子に背後の老婆もニヤニヤと嬉しそうだ。長い長い積み上げの末に手に入れた魔王の力に上乗せされた吸血鬼の再生能力。正に無敵ともいえる組み合わせだが、その肉体をどうやって手に入れたというのか?その答えはベルフィアの虚ろな頭が教えてくれた。ラルフは頭を大事そうに左わき腹に抱え込む。想像通りなら最悪の状況だが、知る為には尋ねなければならない。


「……ベルフィアの体はどこだ?」


 ニヤニヤと笑いながら上から見下す灰燼。


「くくくっ……既に承知ではないのかね?お察しの通りバラバラに解体し、実験に使ったのよ。そしてほれ、この通り儂の体に馴染んでおるわ」


 右手で八つに割れた腹筋から胸筋を順になぞり、手を体から離すとギシッと握って拳を作る。


「それとも気付かなかったかな?大事に抱えているそれが既に死んでいることに」


 抱え込んだベルフィアの頭を指差す。


「……こいつは不死身だ。死ぬはずがないだろう……」


 例え実験に使われて灰燼の一部となっていたとしてここに頭があるのだ。黒曜騎士団の団長ゼアルに切断された時も生きていたし、こんな事で死ぬなど到底考えられない。そうは言ってもピクリとも動かない頭に違和感しかない。灰燼の言う通り死んだというのか?


「ふむ、信じられぬのも無理はない。貴様とこの吸血鬼との間には一朝一夕で得られぬ仲間同士の信頼関係があったのだろうしのぅ。どれ、記憶を観てみるか……」


 灰燼は胸に手を当てるとおもむろにその胸に差し込んだ。そんな事を目の前でやられると単純に気持ち悪い。自分の内臓が探られているわけではないのに気分が悪くなってくる。


「ふむふむ、なるほどなるほど……貴様がラルフか。そういえば資料でも見た顔じゃな……実力は最低、隠れてやり過ごすしか能のない詐欺師ときたか。なんじゃ貴様散々な評価じゃのぅ」


(ベルフィアめ、普段からそんな事思ってたのか……)


 灰燼の言葉を鵜呑みにするのなら、死んで尚口の減らない奴だった。


「……ハッタリだな。何故お前がそれを知り得る?頭ならここにあるし、記憶を読み取る事なんて出来ないはずだ」


「ふむ、記憶の宿る場所を把握しとるのか。人間も中々賢いのぅ。しかしこの者の……いや吸血鬼の記憶は心臓に存在する。これが核であり、最も重要な器官じゃ。ここに血をため込み、再生も全てこの器官に集約されとる。解剖すればどうやって殺せるのかよく分かったわい」


 ニヤニヤ笑顔の絶えない灰燼。嬉しいのは分かるが、ラルフやウィーという雑魚の前だからとべらべらと喋りすぎではないだろうか?弱点まで晒すとは……自慢したくてここに連れてきたのか、はたまた今の力を試したかったのか?

自慢だとすれば間抜けだし、試すにしても力事態は変わらないから意味のない事だ。両方とも違うだろう。


 その時ふと気付く、吸血鬼の体を手に入れたのだ。となればここにラルフとウィーが居る理由など一つしかない。


(そうか、俺達はこいつの餌か……!)


 それに気付いた時に背筋に冷たいものが走る。血を摂取するのに強弱は関係ない。血を媒介にして特殊能力に変換する事を思えば力を試したいと思うのは別におかしくなかった。その時、ズゥンッと要塞が微かに揺れた。天井から吊り下げた金属が擦れ合って嫌な音を鳴らす。


「……灰燼様、そろそろ……」


 老婆が急かし始めた。ドキッと心臓が一つ跳ね、ウィーをギュッと抱きしめる。震えるウィーの小さな温もりに咄嗟に声が出た。


「……待て、俺はどうなってもいい。血を吸うなら俺だけにしてこの小ゴブリンは……せめてこいつだけは、どうにかならないか?」


「……おや、気付かれましたか……灰燼様のご推察の通り、中々に賢しいヒューマンにございまする……」


 怖いと思う気持ちにウィーとの違いはない。ラルフの人生の教訓は”生きる為には人を利用する”事だ。自分が生き残る事だけを思えば、ウィーを灰燼にパスして何とか老婆を掻い潜り、自分だけ逃げる事も出来ただろう。しかし、自分の半分も生きていないであろう子供を身代わりにしてまで生き延びようなどそんな人でなしではない。


「……記憶通りの男じゃな。最低で下劣だが”仲間”を決して見捨てない、か……。よかろう、貴様の覚悟に免じてそのゴブリンは逃がそう」


「……灰燼様……」


「大丈夫じゃ婆や、そのゴブリンには何も出来ん。通路に放り出しておけ。儂が殺さんでもどの道この要塞内で死ぬ。くくっ……仲間に合流する事も出来んわ」


「……かしこまりました……」


 ラルフの願いは聞き届けられ、ウィーはこの部屋からの退出を許された。ウィーは唯一残ったベルフィアの頭を抱えて呆然と研究室の前に立ち尽くした。助けてもらう事しか出来ない自分に歯噛みする。ベルフィアの頭をギュッと抱きしめると泣きながら走り出した。まだある。自分に出来る事はまだある。

 自分にラルフを助け出せる力はないが、それを叶えてくれる存在がこの要塞にいる。連れてくるんだ。ラルフを助ける為に。


「感謝するぜ灰燼さん……。感謝ついでに聞きたいんだが、あんたミーシャと戦う気なのか?勝ち目はないように思えるんだが……」


 ラルフはウィーが助かった事に対し、やり切った顔で尋ねる。


「勿論戦う気などない。要塞の一つや二つ落とされたところで何のその。この体を手に入れたのじゃぞ?幾らでも再起出来るからのぅ……」


 ベロリと口周りを舐める。


「とりあえず牙慣らしに貴様の生き血を啜る。……ああ……楽しみじゃよ……」


 恍惚とした表情。期待で目が爛爛としている。空腹を満たすという、久方ぶりの生の実感を今ここで味わえる。灰燼の手は迷う事なくラルフの首に伸びる。ガッと鷲掴むとラルフの体重を無視してグッと引き摺り上げた。ラルフは苦しむが、そんな事は灰燼に関係ない。首を横に傾けると伸びた犬歯をラルフの首筋に突き刺した。

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