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第二十一話 誤解

「ぷはっ!」


 水面から顔を出したラルフとソフィアは祭壇から離れて縁に上がる。普段運動などしない巫女は天樹の陸地に上がるやいなやゴホッゴホッと咳き込んだ。息を止めていたが途中で我慢の限界が来たらしい。水を少し飲んだのだろう。


「……大丈夫か?アトム」


「えほっ……わ、私はソフィアです!間違えないで……下さい!」


「あ、そうだったな。すまん。忘れてたぜ……」


 ハァハァ肩で息をしながら必死に否定する。かまをかけたが引っ掛からなかった。声もソフィア本人と思われる声だし、本物の雰囲気というか異物が混入されているような違和感を感じない。だからといって安心は出来ない。布巾を良く絞って水気を切ると、ソフィアの口に当てる。


「んっ!んん~っ!?」


 言葉が紡げないように口を塞いだ。


「落ち着け落ち着け、しー、ししっ……悪いが口は閉じていてくれ。安全が確認出来るまではこのままで。な?」


 ソフィアは多少暴れたものの、濡れた体は寒さと疲れで体力の消耗が激しい。さらに水を切ったとはいえ濡れた布を口に当てられて息もしづらい。口を塞いで拘束する悪漢である事は変わらないが、特にそれ以上何かしようという動きはない。安心など出来ないが力で敵わないとみるやすぐに抵抗を止めてラルフに体を預ける。


「口で息をするな、鼻で息をしろ。よーしよし、それで良い。それじゃソフィア、君に順を追って説明するから移動しながら聞いてもらおうか?」


 ソフィアは「もうどうでもしてくれ」といった雰囲気で頷く。ラルフはソフィアの見た目以上に軽い体を抱えながら移動を開始する。


「まず何から話せばいいか……そうだな、取り敢えずこの国が滅ぶかもしれない事から話そうか?ここから見えると思うが、あそこにダークビーストとかいうヤバい獣が……」


 とダークビーストを見ると『ガアァ!!』と人の怒声と獣の咆哮が混ざった様な恐怖の声を出しながら祭壇に向かって走って来るのが見える。ヤバい獣と相対していた筈のミーシャはそれより速くこちらに飛んで来る。


(?……なんでこっちに来る?)


 認識した直後、視界にチラリと映ったミーシャの手に集中する魔力の塊のような不可思議なものを見た。あれはミーシャが魔力砲を放出する際の力の結晶。


「……!?」


 何かヤバいと感じたラルフはソフィアを庇うように隠す。


(まさかあのミーシャが操られたのか!?)


 だとするなら為す術もなく死ぬのみだ。



 それは目の端に映った他愛もない光景だった。蛇の頭を失い、悲嘆に暮れるアトムに追い討ちを掛ける衝撃。ラルフが湖から上がって来ていた。しかも自分が溺れるという恐怖から咄嗟に離れた巫女を生きたまま連れて……。

 ハッタリだった。どうやったか知らないが、湖に長く潜れる何かを用意しておいて、期を見計らって何事も無かったように湖から這い出てきたようだ。

 人間如きが神である自分を騙したのも許せないが、何より許せなかったのはこのハッタリを用いてアトムが腰抜けであると照らした事だ。誰にという事ではなく、アトム本人にその事実を刻み付けた。


 屈辱。許されざる屈辱。


 殺さなければならない。ラルフだけは抹殺してこの世界から、いやこの世に生を成した事実、その歴史から抹消する必要がある。ダークビーストで受けた喪失感など、この怒りの前に全て霞む。そしてミーシャはダークビーストのみるみる変わる表情、その視線を追って振り向く。視界に入ったのは目を疑う光景だった。クロークの喪失など塵に等しい程の衝撃。

 そこには半裸のエルフの口を抑えて今にも良からぬ事をしそうなラルフの姿があった。エルフの国と事実上の戦争中だというのに、こんな時に欲情し間違いが起きそうな光景に見える。

 それだけでも驚愕なのに、相手はガリガリの男と見間違えるレベルの貧相な体だ。自分と見比べても女らしい部分なんて骨格くらいのものなのだ。正直魅力の欠片もない。夜はくっついて寝るほど気を許した仲なのに、襲うのはその辺のエルフだなんて……。


 許せなかった。


 エルフなんかに欲情するラルフもラルフだが、エルフ如きが自分を差し置いてラルフの寵愛を受けようなどと……最早この世から跡形もなく消し去るのが妥当というもの。

 二つの最強が先程までの戦いを、犠牲を忘れ、その二人の存在に釘付けとなる。一つは憎悪、一つは恋慕。そして間髪入れずに動き出す。瞬き一つの間に距離が詰まる。そんな中その一瞬で危険を感じ取ったラルフは即座にソフィアを庇う。


「!?」


 誤射するわけにもいかず、振り替えって手に貯めた魔力を迫るダークビーストに撃つ。デタラメに撃った砲撃は大鹿の頭の丁度目元に当たり、アトムは突然の事に怯んで突撃の足を止める。


『グッ!!』


 獅子の頭は顎が砕けて使い物にならず、蛇の頭も弾けて失くなった。今使える大鹿の頭を狂わされるとどうしようもない。太い手で目元を拭いながら必死に混乱から抜け出す為にもがく。それを尻目にミーシャはラルフの近くに降り立ち肩を叩く。ソフィアを庇って恐怖で固まったラルフの背中がビクリと跳ねた。


「ちょっとラルフ!こんな時に何してんの!」


 ミーシャの変わりない言葉や雰囲気に恐る恐る振り返る。


「……何だよミーシャ。脅かすんじゃねぇよ……」


 ホッと一息吐くとソフィアもおずおずとミーシャを見る。その怯えた目にミーシャはキッと睨みつける。ミーシャの怒りが見えたソフィアは何も言わずにサッと目を逸らした。


「……こいつは?」


「ああ、アトム兼ソフィアだ。どうも言葉で相手を操る術を持っていて口を塞いでいるんだ」


「あ、そうかだからか……ふん、そんな奴殺せば良い」


 ギッと指に力を込める。今にも肉を削ごうとしそうな勢いだ。


「待て待て!こいつがいないとベルフィアの位置が分からないんだぞ?!重要なのは俺達の仲間を助ける事だ。な?だから取り敢えず一緒に避難させて、安全になったら手伝わせて……」


 ゴォンッ


 計画を話している最中に突然天樹が揺れる。立っていられないほどの地震が起こったような揺れがラルフ達とエルフ達を襲う。


「うおっ!!何だ!?」


 ラルフは倒れそうになったがミーシャが引き戻す。割とすぐに揺れが収まったが、またすぐにゴォンッという大きな音と共に地震が起こった。


「……ん〜、何かぶつかってる?」


 樹の淵から下を覗き込むと大鹿の角が天樹の幹に刺さっている。


「おい、マジか……まさかあいつ……」


「……んん〜!?」


 ラルフとソフィアは同じ考えで驚愕の顔をしている。ミーシャは二人の表情と獣の行動から推察する。


「ああ、この木を倒そうってのね。ん?でもこの木が無いと……?」


「ああそうだ。そもそもこの国に来た意味が無くなっちまうぞ」


 創世の時代から存在する天樹。エルフによって守られ、美しく完璧に管理され、傷一つ存在しなかった世界の宝。今、神との通信装置であり世界を監視するアンテナが荒くれの獣によって倒壊の危機を迎えた。ラルフはミーシャを見る。


「あの獣を止めるには殺すしか道は無さそうだ……」


 ラルフは真剣で焦りながらも悲しみの表情を浮かべている。その表情で自分の事を心配してくれていると悟ったミーシャは嫉妬していた自分を心から恥じた。「誰が裏切ってもラルフは裏切ったりしない」そう信じる事にした。


「……ふーっ、分かった。後は任せてそいつと一緒に避難して。もう遊ばないから」


 首の辺りに纏わり付くだけとなったクロークの残骸を外してラルフに渡す。それを受け取るとギュッと握りしめた。


「……すまない。俺も戦えたら……」


「もし戦えるくらい強かったら私はこの世にいないよ?」


 そのセリフに「ふっ……」と小さく笑みがこぼれた。その通りだろう。ラルフが強かったらそもそも出会ってすらいないはずだから……。


 ゴォンッ


 また大きく揺れる。今度は支えもなく尻餅をついた。


「……痛ってぇ……」


「あっ、ご、ごめんなさい!だ、大丈夫……でしょうか?」


 ソフィアを庇ったので尾てい骨が危なかったが、何とか骨折は免れたようだ。尻は半端じゃなく痛いが。


「ああ、まぁなんとかな……もう猶予はねぇな……」


「うん」


 ミーシャとラルフが二人で頷きあうと背後から声が聞こえる。


「ラルフさん!すぐに避難しましょう!」


 ブレイドが声を張り上げている。ラルフは「おうっ!」と返答して手を挙げた。


「じゃあミーシャ。もう一回言うのも何だが……」


 と振り向きながら言いかけた時、既にミーシャの姿は無かった。すぐに行ったようだ。ラルフは虚空に言葉を投げる。


「……頼んだぜ」

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