第二十話 欠如
(何だこいつ?いきなり何も知らないような振りを……)
キョロキョロと見回して現状を確認している。見た事もない場所に突然放り出されて戸惑うのがその目でよく分かった。
「おいふざけんな、追い詰められたら知らん振りか?許さねぇぞ」
眉間に皺を寄せて睨みつける。その怒りの表情を見て「ひっ……」と小さく呻いた。一丁前に恐怖を感じているような顔を見せる。(白々しいな……)と思いながらも何故かそれが嘘には見えない。あまり脅し上げて時間切れとなるのは避けたいところ。
「……俺は別にお前を殺そうなんて気は無い。ただ協力して欲しいと思っているだけでな?ま、とりあえずお前の呼んだあの化け物を元の場所に返してくれ。それからゆっくり話を……」
出来るだけ柔和に敵意ない感じでペラペラと喋るラルフ。そんな彼を見てちょっと安心したのかおずおずと声を出した。
「あ、あの……貴方が何を言っているのか全く分からないのですが……化け物とは一体何の事でしょう、か……?」
ラルフもそろそろ堪忍袋の尾が切れそうになる。
「……いい加減にしろよ。あんだけ調子こいた挙句これか?馬鹿にすんなよ……後三分だぞこの野郎」
何を質問しても怒るラルフに涙目になって俯く。時間だけが過ぎ去る。そろそろ空気ポケットの効果も切れそうだ。
「おいコラ!さっさと返事しやがれアトム!!」
また「ひっ……」と小さく悲鳴を出すが、さっきとは明らかに違う反応を示す。
「ち、違います!私はソフィアです!アトムでは御座いません!!」
膝を立てて両手で顔を隠す。まるで殴られたくないと懇願するように丸まって抗議する。
「あ?ソフィア……って多分その体の名前だろ?ちょっと危なくなったら本体を盾にする気か?呆れた奴だな。恥ずかしくないのか?」
「し、信じてください!私はソフィアです!今何が起こっているのか全く知らないんです!」
信じてくれと言われても信じられる筈もない。しかし仮にアトムでないなら好機でもある。時間もない事だし、少し強引だがここで決めようと覚悟を決める。
「……OK!分かった!いいだろう。君はソフィアだ。アトムなんてふざけた野郎じゃない」
ラルフは天樹の巫女ソフィアに両手をかざしてなだめた。その手にビクつくが、攻撃されない事を感じて少しだけ心を開く。
「……あの……申し訳ないのですが、何があったのか教えていただけると……」
「ああ〜すまない。その暇がなくてな……」
空気ポケットが心なしか狭くなったのを感じる。時間通りではあるのだが最初の問答で余計な時間を過ごしてしまった。ここからはとにかく簡潔に伝えられる事だけを優先して……。
「ここで言いたい事は一つ。君の力を貸して欲しい」
「……私の?それは……」
「人探しだ。その為に巫女の力を貸してくれ」
「……えっと……」
「考える暇もないぞ!ここはすぐに水に沈む!首を縦に振るんだ!」
「で、でも森王様が……」
「森王にはもう許可得てるから!ああもうダメだ間に合わない!息を吸え!……いやもっと大きく!!」
トプンッ
空気ポケットはソフィアとラルフの深呼吸を最後にその姿を消した。二人の頬は空気で膨らみ、間抜けな顔になっている。巫女は息を止めているのがやっとといった感じで鼻まで摘まんでいる。息しない事を我慢しているだけではその内窒息する。ラルフは中々動こうとしない巫女を抱え上げて水面に向かってひたすら泳いだ。
*
『ブハッ!ハァー……ハァー……』
アトムは大きく息を吸った。天地がひっくり返っている。何が起こったのか整理してすぐさま真横に転がって体勢を変える。先の体とは打って変わって全てが小さく見える。自分の体に纏わり付く魔力の渦が砂埃を巻き上げ少々鬱陶しくもある。
この体はダークビーストの体。アトムは水中に入ったと同時に巫女の体を捨て、精神をダークビーストに即座に移した。ラルフの奇行にある種の恐怖を感じたアトムは最も強い体に身を置く形となった。
『くっ……この我が……ヒューマン如きに……!!』
ドガンッ
怒りから地面を殴る。
「おい……お前何してるんだ?」
その声は女性の声だが、低く冷淡な怒りのこもった声だった。ダークビーストに乗り移ったアトムは声のする方を見る。そこには金髪のダークエルフっぽい女性が眉間に皺を寄せて立っていた。ミーシャだ。
遠くで見ていたせいか完全に他人事だったが、思い返せばダークビーストはこの小さな巨人にバックドロップでひっくり返されていた。こっちはこっちで危険だったと思い出した。
「これを見ろ。私の首に掛かったこの無惨なクロークを……!お前如き獣がこの服という叡知の結晶に傷を付けるなど絶対に許せない!!」
バッと手を広げる。その手に収束する魔力の放流。ここから放たれるのはダークビーストの防御すら貫く魔力砲。
『……ワンパターンだな。貴様にはそれしか攻撃方法が無いのか?』
心胆を震わせるような低い声が辺り一面に響き渡る。ダークビーストの体を使っている事を改めて確認したアトムは、自分が強者である事を認識して少し余裕が出始めた。
『その程度の布切れが叡知の結晶だと?よくもまぁそんな事ほざけたものだな』
大鹿と獅子の顔がニヤリと歪む。尻尾の蛇は鎌首をもたげて密かに魔力を貯める。いつでも魔力砲が撃てるように準備を欠かさない。
「ん?なんだ、お前喋れたのか?!獣の癖に生意気な!私の言葉が分かるならまず謝れ!どの道許さないけどな!!」
ミーシャの怒りの言葉にカカッと高らかに笑う。
『ふははっ!何が"許さない"だ、この出来損ないめ。この肉体を見ろ。これこそが叡知の結晶だ。何せ創造神たる我が産み出した傑作だからなぁ』
ミーシャはピキピキと血管が浮くほど苛立つが、スッと無表情になる。怒りすぎると逆に冷静になる奴だ。それと同時にどうしても感じてしまった違和感を吐き出す。
「そんな不細工な生き物が叡知の結晶?馬鹿も休み休み言うんだな。こんな不細工生物を産み出してしまった事を恥じるべきだ。安心しろ私がお前の駄作を消し炭にして無かったことにしてやるから」
喉の奥につっかえていた製作者に言いたかった事がスルリと出て妙にスッキリとした気分になる。だが言われた本人はイラつきやムカつきを感じるどころではない。
『き、貴様っ!!?』
ドンッ
尻尾の蛇からその言葉と同時に魔力砲が放たれる。タイミングを見計らっていた攻撃だったが、ミーシャの言葉で我慢出来ずに攻撃を仕掛けた。
今度はミーシャが受ける番だ。魔力の障壁を目の前に展開させて先程の状況とは逆の立場となる。魔力砲に包まれて一瞬姿が隠れるがすぐに顔を出す。放たれた魔力砲は真横に放射される滝のようにミーシャに迫るが、魔障壁に阻まれてその身に届く事はない。
ピシッ
「おっ?」
音の発生源は魔障壁だ。あまりの力の放流に障壁が悲鳴を上げた。この感覚は彼の竜と"稲妻"の最強魔法「落雷」以来である。
「ふむ、姿はどうあれ力は本物らしい……」
両手をかざして魔障壁を元の状態まで復元するが、その勢いに圧されて音波攻撃ですら耐えた位置から少し下がった。元々魔力砲の方が強かったか、またはアトムが入った事で力が増した可能性も否めない。
「力で張り合う気か?面白い……いや、全く面白くない!私の宝物を壊しておいて図々しい奴だ!」
魔障壁の輝きが増す。先ほどまで圧されていたミーシャは魔力砲に真っ直ぐ向かって飛ぶ。ジジジジジ……とまるでその流れに逆らう様に蛇の頭に突き進む。
『なっ!?糞っ!!』
魔力を更に高める。手に巻いた渦が消失し、全ての魔力が蛇の口に集中する。極大の赤い輝きを持って発射される魔力砲は山すら消し飛ばす威力がある。更に高まったという事は最早そのレベルではない。だが、ミーシャには関係ない。
……ジジジジジ!!
蛇の頭に向かって徐々に速度を上げるミーシャ。
『ウオオオォォォッ!!』
魔力砲を吐き続ける蛇の口に魔障壁の球体が飛び込む。
バァンッ
蛇の頭は赤いエネルギーが血を撒き散らすように四方に吹き飛んだ。その衝撃にアトムも堪らず転がり、ミーシャもくるくると飛んで空中に停止する。
アトムはガバッと起き上がって状況を確認する。黒く艶やかな鱗を持った口縄は、頭の部分が弾け飛んで跡形もない。
『……嘘だ……嘘だっ!!?』
有り得ない。全て特別使用だった。この体を破壊できるのは同じ古代種だけだ。いや、だった。古代竜を倒したと聞いてはいたが、全く信じていなかった。
それを実感した事で恐怖と同時に体の一部を失った喪失感に苛まれる。悲しみと怒りがない交ぜになった何とも言えない表情で叫び散らす。
『うわあぁぁぁぁっ!!!』
アトムは獣の顔を歪め、弾けた尻尾にすがり付くように泣きじゃくる。ミーシャはそのみっともない巨体を見下ろす。
「これで1/3くらい私の気持ちが分かったか……まだ終わりじゃないぞ?お前は絶対許さない」




