第十六話 対決
「固っ……」
ミーシャはダークビーストを殴った手を振りながら奇怪な魔獣を見る。太い腕は振るうだけで突風が巻き起こり、殴れば地面が抉れる。一度鳴けば弱き者の動きを止め、三つの首は死角なく敵を見据える。体はまるで金属のように硬く、その体を覆う毛は針金のように鋭い。まさに規格外の怪物。
しかし、それを冷ややかな目でミーシャは眺める。古代種はこのダークビーストと合わせて二体見たが、あのドラゴンと比べたら随分と歪だと言わざるを得ない。強そうな、それでいて恐怖を感じられそうな頭を三つ揃えて、見るからに剛力だと思える腕と短足だが支えるのに長けた強靭な足。強そうという一点においては一貫性があるがそれ以外はてんでバランスが悪い。
「これを製作した奴の気が知れないな」
ミーシャは苦い顔をする。自分の感性とは合わないことを感じて気分が悪くなったのだ。すぐにも殺してしまいたいが、殴った感じから一筋縄ではいかない事が良く分かった。ラルフ達をあそこに置いてきて正解だ。ブレイドなら後方支援で使えるかもしれないが、実力を考えれば狙われたら一溜まりもない。攻撃が一撃当たっただけでも瀕死になるのは目に見えている。
久方ぶりに本気で相手をしないといけない相手だと確信し、ミーシャは拳を硬く握り締めた。ダークビーストはミーシャのあまりの速さに度肝を抜かれた。このままでは攻撃を当てる事が出来ないと悟る。
「「ゴオォォォォ!!」」
いきなりの咆哮。弱き者はこれだけで筋肉が萎縮して動けなくなるが、ミーシャにはうるさいだけだ。ただ大声を出しているだけなら何ともないが、直後凄まじい衝撃波が巻き起こる。ボワッと空気の壁が押し寄せ、そこに生えていた草木を根こそぎ吹き飛ばす。ミーシャもいきなりの事に対応が遅れて吹き飛ぶ。もちろんすぐ近くで狙いを定めていたグリーンケープの面々も含めて。
「うわああっ!!」「ぎゃあああっ!!」各々独自の悲鳴を上げて吹き飛ぶ。トルネードや竜巻にでも巻き込まれたようにしがみついていた木ごと吹き飛び、ダークビーストの周りはまっさらな大地となった。飛んで行った木々は非戦闘員であるエルフの民が住んでいる居住区にも飛び、被害が大きくなる一方だ。
ミーシャは空中で体勢を立て直し、ダークビーストの所在を確認する。全体攻撃。あのドラゴンにも備わっていた事を思い出した。あのドラゴンは鱗が光り始めてからレーザービームのような魔力砲を全身から撒き散らしていたが、ダークビーストは音や衝撃波などの空気に干渉する力を主に使用するようだ。もちろん魔力を使わないわけが無いので、それだけだとタカをくくるのは大きな間違いだ。
ダークビーストもミーシャを確認するや両手で地面を叩く。ドドンッと大きな音で威圧した後、案の定魔力を用いた。腕に竜巻のような風の渦を纏わせ始めたのだ。他の箇所も空気の膜のような不可視の鎧を纏い始める。元から勝たせる気など無いのだろうが、体も硬いくせにさらに魔力の障壁とは意地が悪い。
「それで私に勝つつもりか?」
ミーシャも負けじと魔力障壁を展開する。両手を突き出すと魔力砲を撃つ準備をする。最強の魔王と最強の魔獣。世紀の戦いが繰り広げられる。
*
ラルフはアトムを前に調子に乗っていた。
自分に"神の意向"が通用しないからと頬まで叩いた。エルフ達、特に元巫女は目の前でそれを見て驚愕する。神がただの人間に脅かされるその瞬間を見る事になったのだから驚かない方がおかしい。
『……下剋上の物語だと?はっ!貴様に何が出来る?なにも出来まい。ただの人間にダークビーストを倒す力など無いし、この国にいる弓兵にすら勝てぬくせにどうやってそれを成し遂げるつもりだ?お前なんぞここですり潰されて終わりだ』
叩かれた事に怒りを覚えたアトムは巫女の非力な力でラルフをドンッと押し出す。自分の力が打ち消されるからせめてもの抵抗といったところだろう。
しかし全体重で押されてもそこまで反発力もなく二、三歩下がる程度だ。ガリガリの体にヒョロヒョロの腕ではこんなものだろう。
『何をしている!こいつらを殺せ!』
それを命じられたエルフの騎士達は水の障壁に阻まれて狼狽えていたが、自分の意志が無いように水の障壁に突っ込む。弾かれて全く通る事が出来ないというのに次から次に後ろから休むことなく自ら弾かれに行く。
「ちょっ……!部下を殺す気?!」
アルルは段々圧されて来た事に焦りを感じて魔力を操作し始める。障壁にダメージがあると言う事はエルフの騎士達にも相当なダメージが入っているはずである。"神の意向"には逆らえない。これはエルフの騎士が死ぬかアルルが圧し負けるかのどちらかしかない。
『神の役に立つ為に身を粉にして働くのは当然の事だ。我が命を聞けぬと言うならいっそ死ぬのが下僕の役割だろう?』
普通の事だといった顔で語る。アルルは背筋に冷たいものを感じる。水の障壁に目をやると、目に光のない操られたというのが妥当な騎士達が一心不乱に体を押し込む。溺れて息も絶え絶えにとにかく前に進もうと必死だ。チキンレースを強いられるアルル。これにはブレイドも迷う。ここで壁を失くせば面倒な事になるのは明白だが、アルルを思えばこそ軽々しく「こーしろあーしろ」とは決して言えない。そんな中、ラルフはアルルに言葉を投げ掛けた。
「アルル、二つに一つだぞ。お前の良心はエルフの騎士を溺れ死にさせないことか俺たちを守るかだ」
それを言われては考えるまでもない。十代の女の子に決めさせるには酷とも思えるが、そう言ってられる状況ではない。アルルの目に覚悟の輝きが見える。
「……それなら私は私の仲間を守ります」
取捨選択。この旅に同行してから既に覚悟は出来ている。ブレイドと一緒なら地獄だろうと突き進もう。アトムは思い通りにならない状況にふぅっとため息を吐くとアルルに手をかざす。
『吹き飛べ』
アルルの体に突如不可思議な力が降りかかる。今の体勢を維持できず、簡単に祭壇の外に追いやられた。
「アルル!!」
それを見たブレイドはすぐさまアルルを追って空にダイブする。アルルを空中で難なくキャッチするが、そのまま重力に引っ張られて祭壇の周りを囲う湖に落ちる。
それを機に水の障壁は力を失くし、立ち上っていたのが嘘のようにバシャンッと階段を濡らした。その勢いに倒れる騎士達もいるが、ようやく祭壇に登ってくる。祭壇の上にいるのはラルフとウィー。ほぼほぼ非戦闘員というところだ。
『さぁどうするラルフよ。絶体絶命じゃないか?この状況をどうやって打破するつもりだ』
ラルフは余裕気味にフッと不敵に笑う。この状況を打破する何かがあるように。しかし何も無い。得意武器も無ければなけなしの投げナイフもアイザックの時にハッタリで使ってそのままにしてしまった。拾う暇がなかったと言い訳も出来るが、補充出来ないというのに考えが甘かったと言わざるを得ない。一筋の汗がこめかみから顎まですーっと流れる。
「いやぁ、ははっ……すぅー……どうすっかなぁ……」




