第十三話 平和の終わり
ダークビースト。
アトムの声に呼応するようにどこからか野獣の咆哮が聞こえる。この辺りでは絶対に聞けないような大型肉食獣の吠え声。
エルフ達の顔が固まる。エルフェニアは神話の時代から侵略の危機を免れてきた、いわば不可侵領域。既に魔王が侵入して来た時点でこの歴史は終わったとも言えるが、国民にとっては現段階でも平和そのもの。だがこの空気を震わせる声は国民の心胆を震わせ不安を煽る。
「アトム様!何をなさるおつもりですか!」
森王は一体何が起こっているのか分かっていないものの、とにかく酷い事になるのは確信出来た。破滅の臭いに焦ってアトムに非難の目を向ける。
『"鏖"を殺す切り札を切る。守護者が使えん以上これしか無いだろう?』
不適に笑い、こっちにやって来る切り札に期待している。
「あの鏖をも殺す?それは一体……いや、何が来ようと関係ない!この国を戦場にするなどあり得ない!!ダークビーストとやらを即刻引き返すように……!!」
森王はアトムに近寄ると肩を掴もうとする。しかしその手がアトムに届く事はなく、森王は不可視の力で後方に吹き飛ばされる。
「!?」
『邪魔だ』
森王は抵抗する余地もなく祭壇から投げ出され、祭壇を丸く囲った湖に落ちる。元巫女もこの行動は想定外だったのか驚きを隠せない。
「ア、アトム様?何を呼んだのです?」
『我が創りし最強の獣。その力は全てを破壊する』
その言葉に戦慄する。自分達は全く関係ない位置から見ていたはずなのに、いつの間にか最前線に立たされていた。魔王が目の前に立っている事を思えばここは既に最前線なのだが、アトムが側に居る事でここが安全だと錯覚していた。今日がエルフェニアの最後かもしれないと息を飲む。
『まぁそう心配するな。あの出来損ないが死ねば一件落着だ。ダークビーストは我の言う事を聞き、我を傷つける事はない』
つまりアトムの側に居さえすれば傷付く事はない。余裕こそ無くなったがさっきよりは幾分楽だ。元巫女は不安を拭いきれず目をキョロキョロさせながらも動けないでいた。
「ダークビースト……って何だ?」
ミーシャはキョトンとした顔でラルフに聞く。
「いや分からん……ブレイドもアルルも聞いた事ないか?」
二人を見るが顔を横に振るばかり。山に引き篭ってほとんど情報が遮断されて生きてきたのにその二人に聞く方が酷というもの。ラルフは自分の記憶を頼りにダークビーストの正体を掴めないか考える。
ダダッダダッダダッダダッ……
地面が揺れる程の駆け出し音。獣が四足歩行で駆けてくる音だ。ダークビースト。名ばかりの化け物というわけでもないらしい。それも大きい。いや、巨大だ。地響きが鳴るほどでかいとなると規格外と言って差し支えないだろう。それだけ巨大な怪物だ。知識の中で知る魔獣で、見上げるほどでかい肉食獣など居ない。正確には知らない。もしかすればこの辺りに生息する頂点捕食者が、エルフの切り札がいるのかもしれない。
ラルフが思考を諦めた頃に、その姿を現した。その姿は正に闇の化身。漆黒の毛並みに赤い鬣と赤い目を光らせる。獅子の顔を持ち、大型の鹿の頭も獅子の首付近から生え、さらに尻尾には蛇が鎌首をもたげる。両手両足は猿のような合体獣。その姿は夢に出てくる歪な悪魔。
古の時よりその身を変えず、南の島で並び立つ者のいない恐怖を絵に描いた化け物。古代種が一つ、ダークビースト。
「あれは……キマイラじゃないか?」
ラルフは遠目からその姿を確認すると呟いた。
「キマイラとは何です?」
ブレイドはこの位置からでも感じる力の波動に体を震わせながら質問する。
「南の大陸、クリムゾンテールの怪物だ。昔獣人族の街に行った時に土産物で木彫りのキマイラが売られていたが、実在してたなんて……」
ラルフは当時の事を思い出しながら質問に答えた。
『何を言う?あれの方が長くこの世界で生き続けている。泡沫の存在如きが永遠の存在を前に図に乗るな』
アトムはラルフに不快な顔を送る。自分の創造物を貶されたように感じたのかもしれない。その様子にラルフは何かを悟る。
「……あれはまさか古代種か?」
ニヤリと不敵に笑う。
『ふはは……その通り。貴様らがそう呼んで恐れる存在こそあのダークビーストだ』
ミーシャはその存在を確認して、自分の中の古代種のイメージと照らし合わせる。
「随分と醜い化け物だな。古代竜とは雲泥の差だ」
ミーシャの吐き捨てる様な物言いにギリッと奥歯を噛み締める。
『……醜いだと?これ程の力の化身を見てか?……いや、それも仕方ない。飛竜の美しさは傑作の一言に尽きる。それを事もあろうに貴様如き小さな存在が汚すなど到底許される事ではない……』
ミーシャから視線を外し、肩に浮かぶサトリを見る。
『だがそれも今日で終わる。出来損ないの死と共に……』




