第八話 攪乱
「……降……参?」
ラルフが両手を挙げて無防備を装う所を見ればそのままの意味なのだろうが、それを信じられる程お人よしではない。弓を握り締めながらアイザックは矢筒から手を離せなかった。
「……ならばその根拠を示せ」
「根拠?」
手に持っていた投げナイフをそのまま離して下に落とす。刃から地面に落ちるがそこまで鋭利でもないので、刺さる事なく転がった。武器すらも手放したラルフは降参したと言えるだろうが……。
「これでいいか?」
「ヒューマン如きの武器の放棄で何が変わる?ハンターくん達をこちらに返してもらおう」
未だ弓を構え続けるハンター。ラルフは少し間を置いてハンターに声をかけた。
「チッ……ハンター、武器を下ろせ」
この状況で武器を下ろすのは相当危ない。相手はいつでも撃てる形を取っているし、自分は洗脳されている体を装っている。このまま下ろしたとして、一斉掃射されないという確信が持てない。何よりグレースが心配だ。
しかし、操られているなら逡巡する事もおかしい。ラルフに乗っかったのは他ならぬ自分である事を鑑みればここは下ろすしかない。ラルフの命令から結論まで実に二秒。引き絞った弦をゆっくりと戻し、番えた矢を矢筒に戻した。戦端を開くかと思われたハンターの矢が飛ばなかった事にグリーンケープの隊員達に安堵の息が漏れる。
神話の時代から内紛が無かったとされるエルフ。ここで初の反逆があるのでは?と内心ひやひやしていた。しかも”光弓”のアイザックに次いで白の騎士団に加入出来る腕を持った弓兵がだ。
「俺としては無駄な争いをせずにこの場を通りたかったんだが……仕方ないなぁ」
ラルフはハンターの肩を持って背中に隠れる。ハンターの耳にギリギリ届くくらいの声でこっそり声を出した。
「……いいぞ予定通りだ。これが成功すれば君らに疑いはかからない……覚えていると思うが、俺が手を叩いたら洗脳が解ける。後は作戦通りにしてくれ……」
ハンターはアイザックから目を離す事無く心で頷いた。”もし万が一”囲まれた時の作戦を考えて、口いっぱいに生唾が溜まる。緊張している証拠だ。静かにゴクリと飲み下すとラルフの次の指令を待つ。ハンターの背中から離れるとミーシャのすぐ近くまで下がった。
「負けたよアイザック。同胞を切ってまで上に尽くすなんて流石だ。君らの忠誠心に免じてこの二人は返そう」
この場のエルフ達に聞こえるように声を張り上げると、一拍置いてハンターとグレースを交互に見た。
「二人とも、歩け」
グレースの背中を強めに押すと、躓きながらハンターの隣に行く。ハンターが視界の端でグレースを捉えると、息を合わせて同時に歩き始めた。アイザック他、隊員達は警戒から構える武器の手に力が入る。ラルフとエルフ達のちょうど真ん中に着いた頃合いでラルフが手を叩いた。
その音に「ハッ」としたハンターとグレースはピタッと止まってキョロキョロと周りを観察し始めた。その顔には困惑の色が見える。アイザックは驚きを隠せない。まさか本当に精神に干渉出来る魔法が存在するのかと思い始めた頃、ラルフが声を上げた。
「ハンター!グレース!楽しいひと時をありがとう!君らの案内が俺達をここへ導いた!感謝してもし足りない!!」
ラルフの声に二人は弾かれたようにバッと振り返る。
「特にグレース!」
グレースは自分が呼ばれた事に困惑した。ラルフは下卑た顔でニヤニヤしながらグレースの体を下から上に舐めるように見る。
「……昨夜は最高だったぜ!またその体を使わせてくれ!!」
その言葉に「はぁっ!?」と大きな声が出る。自分でも驚く程の声に口を隠した。それを見たハンターの表情の変化は顕著だ。
「ラルフ!!」
大声を出しながら弓矢が飛ぶ。ビュビュンッと一瞬で三つの矢が正確にラルフに向かっていく。その速度、狙われた箇所を見るに本気の三連撃。アイザックも見事と褒めたくなる速射だったが、その矢は寸での所で止められる。ミーシャがすぐ隣から手を出して急所に向かっていた矢を三本とも掴んだのだ。
その瞬間、エルフの隊員達はアイザックの指示を待つ事も無く一斉に矢を放った。四方八方から放たれた矢はラルフ達に降り注ぐ。
「待て!撃つな!」
アイザックは慌てて命令するが、放たれた後ではもう遅い。誰もがハリネズミのようになったラルフ達を幻視したが、思った通りにはならなかった。アルルが詠唱破棄した簡単な”円盾”を展開したのだ。魔法の付与されていないただの弓矢ではこの程度の壁ですら突破する事は不可能。バラバラと力なく地面に落ちた。
ハンターの速射には間に合わなかったが、ラルフだけに向けられた矢はミーシャが受け止めたので傷一つ負う事も無い。
「おー怖い怖い。殺気だった兵士は上官の言う事も聞かないから始末に負えないねぇ」
「ふぅ……」と呆れるようなため息を吐き、見下した態度を取ると肩越しにアルルを見た。アルルはその視線に一つ頷くと詠唱を開始した。
「来たれ……火と水の精霊よ……我らを包み、何者からも隠し通せ……」
ボソボソと着実に魔力を溜める。
「……出来れば君らとお友達になりたかった。こういう形で出会わなければ機会もあったかもしれないのに……残念だ」
ラルフは肩を落とすとアイザックを見る。
「……ごきげんよう尖がり耳の諸君」
その言葉が合図だったのか、アルルが槍を持ち上げた。
「いでよ!蒸気の霧」
「!?……撃てぇ!!」
アイザックは急いで号令する。同時にハンターを超える神速の弓矢を披露するが、時既に遅し。弓矢はラルフ達を中心に噴き出た蒸気の勢いに阻まれて押し返された。
「熱っ……!?ぐっ!退け退け!!」
火傷しそうな程熱い蒸気に堪らずエルフたちは後退を余儀なくされる。ここに子供がいなかった事が救いだ。グレースは足が遅いので本来間に合わないが、ハンターが居たので蒸気にやられる事も無く抱え込まれて避ける事に成功した。霧の影響で敵の姿が見えず、混乱を極めた。しばらくするとその霧は晴れたが、案の定その場にラルフ達の姿はない。
「天樹だ!急いで森王様と巫女をお守りしろ!!そこの五人!万が一に備えてこの辺りを捜索するんだ!!」
アイザックはすぐさま命令を下す。エルフ達の行動は早く、瞬時に命令を実行する。ハンターはグレースを立たせると様子を確認した。
「大丈夫?怪我とかない?」
「……あ、うん。だ、大丈夫」
流れるように起こった事を見て目を丸くしている。こんな事に巻き込まれるとは思ってもみなかった顔で。
「二人とも大事無いかな!?」
その二人に近寄ったのはアイザックだ。ハンターは敵意無いアイザックを見てホッとする。グレースも同様だが、本来会う事すら出来ない相手にどう返したら良いか分からず、あたふたしてしまう。
「こちらは全く問題ありません。ご心配をおかけしたようで……」
「ならいい。ハンターくんは今すぐ作戦に加わってくれ。この国の一大事だ。えっと……グレースくん?だったかな。帰っていただきたいのは山々だが、あいつらに操られていたのもある。何かあってもいけないからハンターくんの側に居なさい。私は先に森王様の元に行く。二人共すぐに来るように」
「あ……わわわ、分かりました!」
グレースは体を震わせながらアイザックの指令に答える。それを見たアイザックは可哀そうと言わんばかりの目を向けながらグレースの肩に手を置いた。
「君の境遇には心から同情する……。我らの高貴なる体を汚した罪は万死に値する事だ。あの男は必ず私の手で仕留めるよう約束しよう……。辛いだろうし怖いだろうが、共に行動してくれるようお願いしたい」
その真っ直ぐな瞳に騙している自分の良心が疼いた。だが本当の事を言う事は出来ない。下唇を噛むと、すぐ答えられなかったのに気付いて慌てて答えた。
「あ……は、はい!」
その返事にアイザックは神妙な顔で一つ頷く。そしてハンターに目を向けた後走り出した。その後ろ姿が消えるまで見送ると二人で視線を交わし合う。
「……嘘でしょ?これって……」
「うん。プランB……ひとまず成功だね……」
ラルフの案は皆の努力で実を結んだ。まさか成功すると思わずポカンとしてしまったが、ハンターはグレースの手を持って誘導する。
「さあ行こう!ラルフさん達が向かった天樹へ!」
どう移動したのか分からないが、向かう先は決まっている。天樹はこの国で一番目立つ。例えこの国の道を知らずとも、案内されなくとも着くのだ。グレースはその握られた手を一瞬見た後、ギュッと握り締めた。
「……うん!」