プロローグ
秩序の崩壊。
世界は均衡を保つ為、力ある番人を解き放つ。
あるべき姿に戻るように、あるべき場所を取り戻す為に……。
妖精の中でも下級に位置するピクシー。そのピクシーのオリビアは水の精霊のお願いを聞き入れ、仲間達と禁断の永久凍土に足を踏み入れた。最初こそ何ともなかったが、湖に浮かんでいた水死体と思わしきヒューマンを発見する。
突如動き出したヒューマンに仲間をよく分からない内に皆殺しにされ、何故かオリビアだけ残された。逃走は不可能と判断し、言われるがまま泣く泣く別の土地に案内することに……。
「ふぅむ……この辺りも様変わりしたものよな。優に三百年は経っとるやもしれぬ」
獅子の鬣のように立派な髭を撫で上げて浸る。その男に伺いを立てるように後ろから仲間が言葉をかけた。
「儂の見立てでは千年は経っとるんじゃないかと推測するが如何に?」
八人の中では最も年のいった腰の曲がった老人が、綺麗な水晶の嵌まった杖をつきながら男を覗き込む。
「千年は言い過ぎっしょ?お爺ちゃんってすぐに大袈裟にするよねー」
ワイシャツにミニスカート、ニーソックスの女の子は物騒な槍を弄びながら口を挟む。
「何を言うか。儂は経験則を元に答えを導き出すのじゃ。老人の言葉は素直に聞くものじゃぞ?」
「はぁ……」とため息を吐いて女の子の隣で歩くこの中で最も若いだろう少年が呟く。
「始まったよ、爺さんの説教……つか千年って、爺さんでも経験ないだろ」
右腕に何やらでかい機械のような変なものを装着している。武器なのだろうか?それにしては使いづらそうである。用途は不明と言わざるを得ない。
「はんっ!そういうのはもうどうでもいいからさぁ……まだ歩かされるの?どっか良い宿にでも止まりたいんだけど?」
奇抜な格好で周りを威嚇しているように見える女性もいる。黙ってついてきてるのは傷だらけの大男と、兜で顔を隠して体をマントで覆う性別不詳の人。後は身の丈に合わない大剣を背負う少女。全員合わせて八人。
八大地獄。
そう話し合っていた。一度も聞いた事がない。そんな名前だった。オリビアはビクビクしながらも肩越しで連中を確認する。さっきまで氷付けだったとは思えないほど快活に会話を弾ませている。そして、ついさっき同胞達を切り殺したとは思えないほど何事もなく楽しげに外の世界に思いを馳せていた。
(……狂ってる……)
早いとこ案内し終わって逃げ出したいが、案内したらしたで用済みとなって真っ二つになる可能性も否めない。それを考え出すと涙が止まらない。ポロポロと小さな水滴が地面に落ちては消える。
ようやく氷の大地を抜けて侵入禁止の境目にやって来た。ここまで来る間は濃霧が立ち込め、まだ明るいはずなのに薄暗く感じていた。この境目にくれば霧も晴れて明るい風景が顔を出す。それを見た面々は安堵のため息を吐いた。
「幾百年寝たかも分からず、どれだけ世界が変わったかも知れぬが、やはり緑を目の当たりにすると不思議と心が落ち着くものよなぁ……」
「はっ!ちげぇねぇ!」
さっきまで黙っていた傷だらけの大男は快活に笑いながら周りを見渡す。
「ねぇピクシー。ここは何の大陸なわけ?」
槍を携えた女の子がぶっきら棒に尋ねる。
『こ、ここは北の大陸でガルドルド大陸よ。あなたたちがいたのは永久凍土の大地"ゼロ"。この場所のせいで大陸全土が寒いから生き物もあまり寄り付かないけど、力のないヒューマンや獣人族、あと一角人が住んでるわ。魔族は寒さに強いのが何種類か……』
それをフムフム頷きながら話を聞く面々。
「こやつは良き案内人じゃ。のぅ皆の衆。こやつを今後も使っていくのはどうじゃ?」
老人は気を良くして周りの賛同を得ようとする。
(ひぇ~……やめて!解放して!!)
オリビアは恐怖で埋め尽くされ心の中で否定する。ブルブル震えながら俯いた。
「ふぅむ……しかしなぁ……」
獅子のような髭を持つ男は髭を撫で上げながら考える。八人はオリビアを囲って値踏みするように眺める。彼女はふと気付いた。
(……もしかしてこれって案内人にならないと死ぬの?!)
悲しき事実。髭の男が悩んでいるのを鑑みるに、案内し終わったら「ご苦労」で自分の体が真っ二つになったのは確実だろう。この老人が口利きしてなかったら十秒前に死んでいた可能性も否めない。それを認識したとき目に一杯の涙が溜まった。
「悪く……ない……」
大剣を背負った少女がポツリと声を出した。それに対して残り七人の顔に理解の色が見える。髭の男が全員の顔を見渡した後、オリビアに目を向けた。
「羽虫。名は何という?」
『オ、オリビア……です』
「良い名前じゃない、ピクシーのくせに生意気ねぇ。ヨロシクね、おちびちゃん」
奇抜な格好の女性はオリビアの胸を指でチョンと突ついた。『うっ……』と痛みで後ろに下がる。
「ふむ……自分の事は二の次に、常に我らの為に働くが良い。然すれば殺しはしない」
腰に下げた刀に左手を置いていたが、刀から手を離して袖の中に手を入れた。
「……で?誰が面倒見んの?」
槍を杖がわりに体を預けた女の子が質問した。
「言い出しっぺの爺さんで良いだろう」
手を何かで覆った少年は考えるのも面倒だと言った様子でそっぽを向いた。老人は「儂か?」と自分の顔に指を差して答える。
「……パルスが見る……」
大剣を背負った少女がポツリと呟いた。少女を抜いた七人は視線を交わし合ってこくこくと頷く。
「じゃ、パルスで決まり」
(ぱ、ぱるす?)
オリビアは誰の事を言っているのか分からずキョロキョロと周りを見た。少女はオリビアに手を差し出す。
「おいで……オリビア……」
パルスとはこの少女の事らしい。一人称が自分の名前だったのだ。オリビアは逡巡しながらもパルスの元に飛んで、差し出された手に乗った。パルスは手に乗ったオリビアを肩に移動させると、肩に座るように指示する。逆らう事なく肩に座った。
「さぁ、忙しくなるぞ。改めて言うまでもないだろうが我らの目的は藤堂 源之助の排除。彼奴がこの世界に大手を振るって歩いているようだ。見つけ次第滅する」
「……それは当然の事だけどどうやって探すわけ?延々歩くなんて嫌なんですけど?」
「そうよな……手始めにここ、ガルドルドとやらを掌握しようぞ。拠点を手にし、そこから世界に向けて侵攻を開始する。まずは人里を見つけて食にありつこうぞ」
歩き出そうとした時、ふとオリビアを見る。
「羽虫。近くの人里に案内せよ」
『は、はい……』
オリビアはパルスの肩から飛び立ち、前に出て案内を開始する。
『ここを真っ直ぐ行けばここから一番近い人里に着ける……あ、いや着けます……』
「そう畏まらんで大丈夫じゃ。そなたはもう仲間なんじゃからのぅ」
「いいや、上下関係は大事だよ爺さん。新人は先輩を立てるべきだよ」
少年は見た目の割りに生意気な事を言う。
「それじゃあそなたも老人を労る事をするがいいぞ。祖父と孫ほどの年の差があるんじゃからのぅ」
その言葉には反応せずそっぽを向いた。
「いつまでくっちゃべってんだよ……オリビア、とっとと案内しろ。あんまり待たせると頭から食っちまうぞ」
斧を持った大男は面倒くさそうに語りかけた。ビクつくオリビアはすぐに案内する。多少歩いたが森を抜けると10mほど切り立った崖の下に隠れるようにして石造りの頑丈そうな家が立ち並ぶ。
そこに住むのはヒューマン。ホーンやアニマンもチラホラ見えるが、ヒューマンが圧倒的に多い所を見ると、他種族はわざわざ自分の町から出てきて商いをしていると思われる。
「へー、いい街じゃない。ここを観光がてら潰すってわけ?」
奇抜な格好の女は物騒な事を言っている。蛮族の発言だと恐怖するオリビア。
「ふむ……まぁ仕様のない事よな」
髭の男は否定するどころか肯定する。思った通りただの蛮族だった。
「で?どうするんだよ、ロングマン」
少年は髭の男の名前を呼びながら指示を待つ。八大地獄と名乗るこのチームのリーダー、ロングマンは髭を撫でて思いに耽る。
「ここは北の大地で寒いんだったな……我が炎熱で温めてやるのも一興だが、蒸し殺すと臭いがな……ジョーカー。どうだ?一つお主の衆合ですり潰してしまうのは?」
兜で顔を隠し、マントで体を隠す性別不詳の人物かも分からない何か。名をジョーカーと言うらしい者は頭を横に振った。
「ワタシが行くわ。肩慣らしに」
奇抜な女が前に出る。
「主が……?黒縄は派手すぎて折角の拠点を汚す事になる……ここはトドットしか適任がおらんな」
女は「あぁん?」と眉を潜め、訝しげにロングマンを睨んだ。
「何よ。最初から爺さんに任すなら有志にしないでくれる?」
ふんっと機嫌悪そうに腕を組んでそっぽを向く。トドットと呼ばれた老人は「儂か?」と言って前に出る。
「よかろう。せめて苦しまぬよう、等活の力で息絶えよ」
その日、ガルドルドにあるヒューマンの街は死人が歩く街となった。八大地獄の名が知れ渡るのはこれより十日の後。世界がその存在に震撼する事になる。