十四話 牙狼
ラルフは首をさすりながら回りを見渡す。辺りに獣臭が充満する。野営地にぴったりな開けた場所に茂みを挟んで魔獣が取り囲んでいる。葉の影から目がギラギラと輝いていた。
「まっタく……人間は逃がす、魔獣を呼び寄せル…そちは碌な事をせんノぅ……」
ベルフィアは辺りを威圧しつつラルフをなじる。
「お前が言うなお前が。ミーシャへの言伝を無視する、交渉中の人を殺す、挙句は俺への攻撃だぜ?絶対にミーシャにチクるからな」
ラルフも懐を探り、状況の打破を図る。
「ハンッ!そちが仲間?誰が……」
フレンドリーの部分にやけに食いつくベルフィア。一言言ってやろうと視線を切ってしまう。
ザザァッ
そこを隙と見て茂みから魔獣が一匹飛び出す。一手遅れるベルフィアだったが、その魔獣の行動を読んでいたラルフは投げナイフを投げる。
ドスッドスッ
「ギャウッ!!」
三本中二本がクリーンヒットし、魔獣はひるんで後方に飛びのく。
「は?”人狼”?!」
姿を現した魔獣人の容姿はアルパザ近郊で決して見ることの無い種。人型の狼。発達した顎と爪は獲物を簡単に引き裂き、敏捷性が高く、俊足で決して獲物を逃がさない。その上統率力と知性があり、狩りはチームで協力して行う。つまり今取り囲んでいる魔獣はすべて人狼である可能性が極めて高い。
「余計なことを……そちノせいで反撃できなんだワ」
「けっ!言ってろ!」
ラルフは足元に煙幕玉を投げて煙幕に包まれる。ベルフィアまで包まれて二人の姿が隠れる。だが、人狼には視覚阻害などあまり意味がない。嗅覚の優れた種族に目隠しは煙幕を放った奴の方が危険だ。逃げ道を把握していたところで人狼は迷わず追いかけられる。周りを囲んでいた人狼たちは一斉に臭いを確認する。自分たち以外の臭いをかぎ分けようと集中する。
「?」
しかしどういうわけか、臭いがない。生き物であれば必ずあるはずの臭いが感じられない。
(対策済みに決まってんだろ)
ラルフは消臭剤をベルフィアにも振りかけて臭いを誤魔化した。消臭剤は魔法を付与した一品でかなり高額だった。一定時間ではあるが嗅覚の鋭い魔獣のセンサーから完全に逃れることができる。ベルフィアの手を引き、一番近くの茂みに飛び込む。そこには包囲していた人狼が待ち伏せしていた。
本来であれば不意を打てたはずの攻撃は、消臭剤のせいで位置を把握出来ず、さらに突然現れた敵に人狼は驚いてしまった。
(もらった!)
ラルフは驚き戸惑い、完全に後手に回った人狼に道具を投げつける。それは手のひらサイズの小瓶。人狼は反射的に小瓶を破壊する。するとその中に入っていた液体が人狼めがけて飛散する。
「グギャアァアァッ!!」
人狼は後退しながら道を開ける。尻もちをついて顔をかき毟る人狼を尻目にラルフたちは素通りで逃げ去る。
液体の正体は魔獣用スパイススプレー。
本来なら一吹きかけて何度も使いたい所だが、そこまで考えられるほど余裕がなかった。そしてこれはラルフにとって二つの幸運が重なる。もし吹きかける程度を使っていたなら、スプレーの臭いを頼りにすぐ様見つかっていた。誤差の範囲かもしれない、しかし一歩でも先に逃げられるのは好都合という他ない。
そして叫び散らす人狼のそばに他の人狼たちが集まる。スパイススプレーの刺激臭に戸惑い、苦しむ仲間を助けられずにいた。その上、鼻を衝く刺激臭は人狼の嗅覚を一時的に遮断させられ、ラルフの思いもよらぬ所で範囲攻撃と化していた。その中心にいた人狼は二度と鼻は利かないだろう。
運よく逃げ切ったラルフとベルフィアはドラキュラ城の入り口付近で落ち着く。
「ハァ……ハァ……ったく……なんだって人狼が……」
息を整えながら遭遇してしまった魔獣人の事を考える。
「……そち」
「……なんだよ……ハァ……お前は何で息が……ハァ……切れてないんだよ……」
最近必死で走ったのは3か月も前だったと思い返すラルフ。体力は常に一定にするように鍛える必要があることを身をもって知る。
「いつまで手を握っとルんじゃ?」
ベルフィアは左手を上げて手首をつかむラルフの右手を指す。
「ん?おお……悪い悪い……ハァ……ハァ」
手を放し、ひらひらと手を振る。左手が自由になったベルフィアは手首をさすりラルフを見る。
小さな男だ。身長や体格ではなく、心持ちや言動が。吸血鬼の男は能力が他生物より高いために尊大なところもあったが、誇り高く、そして高潔だった。それに比べ人間の男は隠れ潜んで戦わずにすぐに逃げる。最低で下劣。
だがそんな男は種族を超えて共通点が一つだけあった。それは”仲間”を決して見捨てない。ベルフィアはラルフを仲間とは認識していない。だが先のラルフの発言からラルフはベルフィアを仲間と思っていた。
「そち……名は何と言っタかノ?」
ラルフは呼吸を整え終えて、姿勢を正し
「言ってなかったか?悪い悪い。俺はラルフ、よろしくなベルフィア」
「?……ハイネスではないノか?ラルフ?どっちが本当ノ名じゃ?」
「……ハイネスは偽名だ。それについて話さなきゃならないことが……」
ドラキュラ城の入り口に手をかけた時、
「アウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……」
すぐそばで遠吠えが聞こえる。
「しまった見つかったか!」
ベルフィアはすぐさま警戒態勢を取る。
「ハンッ!人狼ごとき妾ノ敵ではない。今度は邪魔をすルでないぞラルフ。……ラルフ?」
振り向くとラルフはすでにいなかった。とっとと城に入ってしまったようだ。ベルフィアはほんの少し複雑な心境を覚えるが、最初からこんなものだと自分を慰める。
「……あ奴ノ血は妾が食らう……」
それでも苛立ちはある。すでに失くした仲間の絆。一瞬とはいえ人間如きを信じたのだから腹は立つ。そうこう考える間に人狼の連中にまた囲まれる。今度は茂みに隠れる事なくぞろぞろ出てくる。
「フフ……妾ノ八つ当タりに付き合ってもらうぞ?飼い犬ども……」
「ガァウッ」「グルゥゥゥッ」「フシュルルゥッ」
それぞれの威嚇方法で人狼はベルフィアに対し牽制する。先の騎士から手に入れた血を材料に、体に力を充満させる、”吸血身体強化”を発動させる。取り込んだ血液を使用して魔力とは違った形で特殊能力を得る吸血鬼一族の妙技。
”吸血身体強化”で得られた索敵能力により、隠れた人狼も見抜く。人狼は目に見える範囲で十匹。出てきていない奴は六匹、全部で十六匹。
(小賢しいノぅ……全員出ていれば彼奴等を一網打尽にできルノに)
ベルフィアは身体強化の他に範囲攻撃を持っている。他にも一点集中技や弱体化の攻撃など血で強化できるものは多岐にわたる。ただしかなりコストがかかる。例えば、騎士の血の総量が十に対し索敵は一使用され、範囲攻撃は六使用する。コスト値が高いだけあって、威力もそれなりだが、一人分しか吸っていない現在の状況では一度きりの技。出てくるまで戦うか計画を立てる。
その時、鼻先が爛れてしまった人狼が進んで前に出てくる。
「コロシュゥウゥ……コロシュテヤリュゥウゥ……」
鼻が通らないせいなのか舌も回っていない。目がぎょろぎょろ動いて何かを探している。ラルフを探しているのだろう。見つからないとみるにベルフィアを睨み付け、いの一番に飛び出す。
「ヴガァァァァ!!」
”血走った目”で牙を晒し、涎を撒き散らしながら襲い掛かる。この目は怒りから来る血走りではなく、人狼の特殊スキルである。自分よりも弱い生き物限定ではあるものの、恐怖を与えて神経回路を刺激し行動を遅らせる効果がある。が、ベルフィアには利かない。
”吸血身体強化”コスト二、一点血掌
ズドッ
その一撃は人狼の胸を突き、後方の木に吹き飛ばす。”吸血身体強化”を手に集中させ、敵に避けられない速さで抜き手を食らわす。岩盤をも貫く強力な技。だからこそ手応えがおかしかった。貴重なコストをかけた抜き手でその胸板を貫けなかったのだ。
「ガフッ!」
一応ダメージは入ったが即死ではない。その様子に少々ひるむ人狼とベルフィア。だがベルフィアは自身の戸惑いを人狼に知られるわけにはいかない。
「しゃらくさい!全員でかかってこんかい!!」
叫んだのは自分を鼓舞するためでもあったが、人狼の耐久力がどこまでかわからない今、温存は逆に危険だった。血を現地調達で補うことにしたベルフィアの戦略は、この際少しでも多く敵を近くに寄らせて一気に削る作戦だ。範囲内の敵は十匹。最低でも十匹は巻き込めるのだ。これは大きい。人狼側のリーダーはこの状況に焦りを感じていた。
(我ラノ狙イハ、”鏖”ノ排除。コノママデハ”銀爪”様ニ顔向ケデキヌ……)
リーダーは一番後ろで戦いの様子を観察していた。そこでわかったことは二つ。一つ、魔族でも人でもない種族。一撃で殺されなかった様子を見るに大したことはない。ある程度の攻撃には耐えられる=死ぬことはない。と言う事。
そしてもう一つが体から一瞬あふれ出る力の波動。リーダーはベルフィアが力の解放を狙っている事に気づいたのだ。囲むのは愚策か?と言う事。
(小娘ハ、力ヲ隠シテイル?)
「バウッバウッ!」
リーダーは後ろから指示を出す。言語を喋らない為、言葉を解する種族には聞き取ることの出来ない暗号で相手を暗ます。吠えているようにしか聞こえない指示に的確に応える人狼達。傷ついた人狼と他3匹を残し茂みに隠れる。
「……チッ」
ほんの少しの考えの差で勝機を逃す。人狼、見た目に反して賢い。その上”吸血身体強化”でも一撃では倒せない。戦略の立て直しを要求される中、一つの涼しい声が木霊する。
「何を手こずっているベルフィア」
その声はベルフィアのすべてを硬直させて、何も出来なくさせてしまう。人狼はそれを見逃さない。三匹が一斉にベルフィアに飛び掛かった。
その人狼達は判断を間違えた。上空から魔力の柱が三本、人狼の頭を貫く。避けることも見ることもできず頭頂部から顎にかけて10cm台の丸い穴が開いた。ベルフィアに届くことなく死んだ人狼はまるで打ち上げられた魚のようにその場で痙攣し、冷たくなっていく。
その場に降り立つ規格外の化け物。お尻にかかる長い金髪。浅黒い肌。エルフのようにとがった耳。金色の瞳に縦長の瞳孔。その姿は人狼のチーム”牙狼”が探し求めた第二魔王”鏖”に他ならない。が、聞いていた話と違う。
「何故……奴ハ……回復シテイルノダ……?」