第三十六話 格差
ミーシャは羽交い絞めにした紫炎を後方に投げ飛ばした。ブンッという風切り音が鼓膜を震わす。瞬時に体を捻って着地すると、ミーシャを睨み付ける。
「もう知らんぞ?貴様が振り払ったのだ。我が救済の手を……」
紫炎は裏切られたショックから友の顔を捨て、敵対的な表情を見せる。イミーナは紫炎がようやく自分の所まで上がって来たと表情を緩める。さっきからミーシャへの攻撃を渋る紫炎に嫌気が差していた所だ。銀爪は相変わらずビビッて様子を窺っている。自分の得意な攻撃が止められたのを恐れての事と思う。こいつはいつ自分の役に立つのか本気で分からない。黒影も相変わらず椅子の側で傍観を決め込んでいる。元々戦いのステージにすら上がっていない日和見主義なので期待する方が間違っているというもの。それでも後で第一魔王”黒雲”にはチクるが……。
結論、実質二対一。
(……まぁ問題ないでしょう。紫炎がミーシャを止めれば隙が生まれる。精々頑張っていただきましょうか)
アルルの”遅延”の魔法の効力も消え、いつでも魔力を練れるようになった。犠牲は出ないに越した事は無いが、ミーシャ相手にそれは高望みというもの。同士討ちでも大金星だ。紫炎のやる気がある内に何とか致命の一撃を与えなければ、万に一つの勝ち目はない。あの時とは違い魔力の消費などないに等しいのだから。
(あのままなら衰弱死もありえた……)
血を出しすぎていたし、ミーシャに回復魔法は存在しない。あってもガス欠の魔族や魔法使いに何が出来るわけもない。緩慢な死。それがミーシャの辿る道だった。あの時、逃がしてしまったのは痛手だったと今でも後悔している。最終目標はミーシャの死だが、個人的に一番殺したいのはラルフだ。あれがいなければ下手な気を揉む事も無く全ては自分のシナリオ通りに進んでいた事だろう。
ミーシャから一瞬視線を外す。谷の向こう側で”血の騎士”と紫炎の側近がラルフを殺す為に動いているはず。邪魔なヒューマン二人がいたが、ヒューマン程度ではブラッドレイには勝てまい。ラルフが死ぬのは時間の問題。
「紫炎様……私は接近戦には不向きです。ミーシャを翻弄していただければ私が後方から……」
「黙れイミーナ。ミーシャは我が手で葬る」
紫炎は目をカッ開く。牙を剥き出しにすると心なしか少し牙が伸びたように見える。焼け爛れていた腕はいつの間にか火傷程度に治まり、その手の先の爪は黒真珠のように輝き、構えは獰猛な猛獣のように体を開く。いつでも飛び掛かり攻撃を仕掛けようとしているのが見え見えだ。ここまで露骨なら対処も簡単だろうと思うだろうが、相手は魔王。このレベルの相手の突進を止められるのは同レベル以上の魔王以外考えられない。
ミーシャも手を前に出し、申し訳程度に構える。特に戦闘スタイルの無いミーシャは紫炎に合わせた格好を取った。魔法戦なら瞬殺出来そうなものだが、そうしないのは魔法で攻撃する事が必ずしも有利に働くとは限らないと知っての事だ。接近戦を得意とする紫炎との戦いにおいて遠距離の攻撃はむしろ邪魔になる。一般的に魔法使いと戦士の戦いは間合いで決まる。上手く魔法をかけられれば魔法使いが勝ち、潜り抜けられれば”冷却時間”内に間合いを詰めて戦士が勝つ。
魔法を一度放てば次の攻撃の為、魔力の練り直しが必要となるのだが、これを俗に冷却時間と定義している。魔族との戦いにおいてもこの冷却時間が勝敗を決める鍵となる。アルルにはブレイドがいる様に魔法使いには自分を守る盾が必要だ。
正直ミーシャに盾など必要ない。冷却時間がほとんど存在しないし、魔力も無尽蔵だ。どの敵との戦いにおいてもミーシャが有利である。唯一”古代種”との戦いにおいては魔力を空にしたが、そんな戦いはほぼ存在しない。こう聞くとどれだけ卑怯で無敵かが見て取れる。
何の為の生まれ持ったスキルだと思っているのか?何の為の魔力の節約だと思っているのか?何の為の経験に裏打ちされた技術だと……。その全てを鼻で笑えるから異次元の強さなのだ。
しかし弱点が存在しないわけではない。それは癖だ。あるかないかの微妙な動作。それを知っているか知らないかでは大きく違う。この世界でその癖を唯一知っているのはイミーナだけ。つまりイミーナが目の前にいると言う事は先の攻防の様に魔力を溜めている最中に邪魔される可能性は極めて高い。最強と思える攻撃も放つ前に消されれば意味がない。不確定要素を実地で学んだミーシャは紫炎を盾にする事でイミーナからの攻撃を防ごうと考えていた。
二つの柱は睨み合う。最強の二人が戦いの火蓋を切る時、空間が揺れる。
ゴォンッ
吸血鬼との勝負、魔鳥人との肉弾戦など戦いを記してきたが、まるで次元が違う。姿が目で追えないのは勿論の事、打ち合った場所に衝撃波が出る。それが花火の音の様にドォンッドォンッと地を震わす。耳を塞ぎたくなるほどうるさい音に、この場に集まった連中は戦いを忘れて釘付けになる。
目に見えないのでどちらが優勢なのか不利なのか分からない。魔王達は普通に目で追っている所が次元違いだと感じさせる。その上、イミーナはちょいちょい手を振りかざして魔力で生成した朱い槍を飛ばしている。衝撃波の中に赤い衝撃波も交じり、ミーシャがイミーナの横槍にも対応しているのがよく分かる色合いだ。
ギィンッ
硬質な音が鳴り響く。空中で空気の壁を突破した凄まじい衝撃波が辺り一面に旋風を巻き起こし、砂や石をまき散らす。それがただの風圧でない事が分かったのは凄まじい地割れと谷の崩落だった。土煙が一瞬晴れた時、見えたのは黄金の鱗とルビー色の髪の毛。
「……ガハァッ!!」
打ち負けたのは紫炎。鮮血が飛び散り、体を赤く染める。岩盤をぶち抜くほどの威力を食らった紫炎はクレーターを作り、その中心で埋もれていた。ミーシャは空中で静止している。拳を振り抜いた格好で。
良く見ればミーシャの服が所々破れてクロークは見るも無惨に千切れている。首の所だけが微妙に生き残っているので、マフラーかストールのように見える。口を切ったのか一筋血が流れていた。かすり傷だらけの体だが、致命的なダメージは見受けられない。
それに比べれば紫炎の方は痛々しい事この上ない。所々鱗が剥がれ、打撲痕と裂傷痕が散見される。接近戦を得意とするはずの紫炎に接近戦で勝つ。ミーシャには一対一では勝てない事を身をもって知る。スキル”炎の息”を使う猶予すら与えられず、吐いたのは血だけだった。最早これまでと言える程に痛め付けられたが、紫炎は諦めない。
「オオオォォオ!!」
ガコォッ
紫炎は吠える。そして空中で見下ろすミーシャに突っ込んでいく。
ミーシャは一瞬魔力を飛ばそうと考えたが、それはイミーナに見破られる。ミーシャが無意識に動かした目元を見て、イミーナは槍を飛ばした。紫炎と激突するより早く槍がやって来たのでミーシャはそちらに気を取られる。パキィンッと四、五本飛ばした槍は同時に砕け散る。速すぎるが故の所業だが、しかしその行動の遅延が紫炎の攻撃の助力となる。ミーシャの目が槍に向いた瞬間、空気の壁を尻尾で叩いた。ボンッという音と共に凄まじい加速でミーシャの虚を突いた。
ズンッ
拳を腹に叩き込む。
「……オゥッ!?」
渾身の力を持って殴られたミーシャは呻きながら上に吹き飛ぶ。風を切りながら昇って行くミーシャに追い討ちを掛ける為、紫炎は魔力で足場を作り、足場に飛び移りながら距離を詰める。瞬く間に追い付き息を吸う。スキル”炎の息”。その火炎は青く燃え盛り、一般的な竜魔人の炎との温度の違いを見せつける。火に包まれるミーシャ。
「!?……何て事を!!」
イミーナは焦り、銀爪と黒影に目を向ける。
「ここは危険です!すぐに避難を!!」
言うが早いかイミーナはさっさと後ろに飛び退く。察した黒影も飛んだ。
「おい!何だよ!?何があるって……」
銀爪はいつものように喚いたが、付き合っている場合ではない。この状況を察せないで留まるなら新たな銀爪がその椅子に座るだけだ。しかし、そうはならない。判断こそ遅いが、殺気でも感じたのか急いで離れ始める。
紫炎は怒りから我を忘れ、火を吐き続ける。ミーシャが炭化しボロボロと崩れ、消え去るまでこの息を吐き続けるつもりだろう。それが不味かった。火に包まれればミーシャの姿が見えない。つまりイミーナの邪魔が入らない。
ドンッ
青い炎を掻き分けて光の柱が紫炎に降りかかる。その魔力砲の威力は最初に紫炎に放ち、腕に火傷を負わせたものとは訳が違う。紫炎は光が見えた瞬間に手をかざす。それが全くの無意味だったと分かったのは、手が消滅したのをその目で見たからだ。
火に耐性があり、同胞と比べ桁違いの温度を誇る自身の炎ですら温いくらいに感じる体が、ジュッという音を立てて消える様は悪夢そのもの。そんな柱が雨のように降り注ぐ。紫炎は耐えきれず、また地面に押し返された。ミーシャは落ち行く紫炎に追い討ちを掛ける。自分が殴られたお腹と同じ場所に拳を叩き込んだ。
ゴガンッ
崩れ落ちた谷にさらに深い溝を作り、無惨な状態で瓦礫に埋もれた。両の手は肘から先が失くなり、足も右足が辛うじて残っている。尻尾も中程から削り取られ、体は焦げて、それこそ炭化していた。そんな無惨な状態の紫炎の元にミーシャが降り立つ。
「……ゴホッゴホッ……流石だ……。まさか、この俺が……こ……ここまで……ゴホッ」
ボロボロになった紫炎は何とか絞り出すように声を出す。全力の攻撃は全て受け止められ、技という技を封殺された。唯一入った拳もほとんどダメージがなく、自慢のスキルは意味をなさない。完敗である。イミーナが横槍を入れなければもっと早い段階で追い詰められていた事だろう。
「……後悔してるか?ドレイク」
さっきまで自分と戦っていたとは思えないほど冷静に、そして息も切らさず話しかけてくる。つくづく化け物。
「いや、まさか……ミーシャ……貴様と、たた……戦えて、満足だ……。ゴホッ……貴様と出会えて……」
その言葉を言い切る前にこと切れる。数百年という時を生き、今日まで猛威を振るい続けた灼赤大陸の一柱。竜魔人からは二度と生まれる事がないと言われた希少な存在も最期は呆気なかった。




