第二十七話 百夜
ベルフィアは目の前で燃える焚き火を眺める。枝を投げ入れ、火を絶やさないようにしている。この時間は自分だけの時間だ。
ミーシャの破壊した山から少し離れた森の中、ラルフ達は野営をしている。いつもの様に夜番をするベルフィア。暗い闇の中、しんと静まり返り風の音もそっと耳を撫でる。冷たい空気が流れ、外で寝ると風邪を引きそうだ。チラリとテントを確認する。ラルフの鞄に入っていたとは思えない大きさだ。最近の道具は昔の道具とは全く違う。その構造を理解すればベルフィアも設置する事が出来るのだろうがそんなつもりは毛頭ない。自分には使う機会など訪れないだろうから。
また一本枝を投げ入れる。この行為にも特段意味はない。なんせ暗がりだろうと見通す目を持っているからだ。強いて光を絶やさないようにするのは魔獣を寄せ付けない為である。
もう一つのテントに目をやる。最初に見たテントにラルフとミーシャ、そしてウィーが寝ている。二つ目はブレイドとアルルのテントだ。二つも入れていたとはラルフにしては準備が良い。二人はまだ十代前半と若いが、既にお互いが意識し会うような関係だ。この旅で何らかの間違いでも起こして身籠らなければいいが、若いたぎりを抑える様に強要するほど空気が読めないわけではない。子を生しても仕方がないと許容しよう。ミーシャにとって悪い影響にならなければの話だ。
頭を振って視線を戻す。ぼんやり火を眺めると昔を思い出してきた。吸血鬼の里、霧の谷”ブラッドスモッグ”。族長の娘として生まれ落ち、英才教育を受けて育ってきた。だが才能の無いベルフィアは何をしても上手くやれなかった。数十年ぶりの出産で期待値も大きかっただけに同胞の目は冷たかった。
挙げ句親にも見放され、一人黙々と教えられたことを反芻する日々。時には屋敷に帰ることなくブラッドスモッグを離れて森の中で静かに過ごした。その森に迷いこんだ冒険者が焚き火を焚いて野営しているのを見つけ、腹ごなしに冒険者を襲い、何の気紛れか火を絶やさないように準備されていた木を燃やし続けた。
朝が来るまで。
それが気晴らしだと分かるまで時間は掛からなかった。以来、事ある毎にその場所に入り浸り冒険者の道具で火をつけては焚き火をしたものだ。体に異変があった頃、人でいう十代後半。もう子供を産み育てられる年に、親からお達しがあった。
『ヨうやくお前でも役に立てル時が来たぞ。子袋として同胞を増やすノだ』
幾ら親の言葉だとしても、例え族長の言葉だとしても聞ける命令と聞けない命令はある。族長の娘として力を発揮し、戦力として認めてほしいのに「物になれ」と言われては反発もする。
半端者であり、与えられた仕事も全う出来ず、せめてもの情けに同胞の役に立てる唯一の方法すら蹴る。もはや何の為に存在しているのか分からない。呆れ果てた両親はベルフィアを放っておく事にした。ただ一人の吸血鬼として認めて欲しかった。それだけなのに。
パチッと火花が散る。立て掛けた木組みが割れて落ちる。我に返ったベルフィアは枝を取ろうと手を伸ばす。そこにラルフが座っていた。
「ん?そちは何をしておル?」
「何って、夜風に当たりに来たんだよ」
肩を回し、背筋を伸ばしてポキポキ体をほぐす。ウィーとミーシャに阻まれ、碌に寝返りも打てず体が固まってしまったのだ。ラルフにとって睡眠とは苦行になりつつあった。
「お前こそ何だよ。さっきからボーッとしてんじゃん。俺が来たのも分かんなかったみたいだしな」
確かにそうだ。少し浸りすぎたようだ。
「今のお前じゃ夜番は任せられないなぁ。何なら今から俺が代わるぜ?」
「なんじゃと……?」
その言葉に過敏に反応する。
「妾はおどれ何ぞヨり、ヨっぽど優れておル。これは妾ノ仕事じゃ。おどれ如きがしゃしゃり出ルな」
言い放った言葉には棘しかない。誰も寄せ付けまいとする頑として譲らない意思。その言葉遣いからも分かるように一旦受けとる事もしない完全な拒絶。
「……何だよ本気で怒ってんな。何か悩み事でもあるのか?今回の旅とか、自分の待遇とかよ」
ラルフの対応にハッとして目を背ける。気持ちを落ち着けて焚き火に目を向けると自嘲気味に笑った。
「……いや、なに。昔ノ事を思い出してな。そちに話す事でもないが……」
ラルフは天を仰ぐ。月明かりもない真っ暗な夜空。手を振り上げ空を指さすと、くるっと一周させた。
「まぁそう言うな。夜は長いぜ?」
ラルフは焚き火の側に寄ると火に当たる。それを見てまた枝を焚き火に放る。火を絶やさない為に。
「ふんっ、妾ノ事なんぞどうでも良い。そちノ事を教えろ」
「は?俺?」
話の流れから(そうはならんだろ)と思ったが、自分の過去を話すような奴でない事は良く知っている。というかミーシャの命令でもない限り、自ら恥部を曝け出す奴ではないと思っている。
「うーん、じゃあ何が聞きたいんだ?」
「そうヨな……そちノ成長譚でも聞こうかノぅ。あの訳ノ分からん……何じゃっタか?盗賊まがいの……」
額に指をあてて考え込む。
「それってまさかとは思うがトレジャーハンターの事じゃないよな?」
「おーっそれじゃそれじゃ。そちがいかにしてそノとれなんたらになろうと思うタノか。それが知りタいノぅ」
「トレジャーハンターな」ともう一度繰り返し、ため息を吐いてから焚き火を眺める。
「何も難しい事じゃないさ、ガキの頃に見た本が強烈に印象に残っててよ。俺のじいちゃんの書庫にあった古びた日誌なんだが、これが面白くってな」
徐々に笑顔になっていく。当時を思い出してニヤニヤ笑顔が止まらない。
「その一説にトレジャーハンターの事が書いてあったのさ”トレジャーハンターはいわば遺跡の探検家だ。失われた技術や遺跡、遺産の保護を目的とし、しかるべき場所にそれを収める。それに見合った報酬をいただいているだけなんだ”ってな。痺れたぜ……世界にはそんな仕事もあるのかってよ」
「……盗賊と何が違う?」
「お前もか……」といった顔で見たが、そこは言われ慣れているから冷静に対処出来る。
「とにかく、違うもんは違う。俺はあの日誌に書かれたトレジャーハンターになりたくて多くの遺跡に侵入してきた。今はそんな暇ないけどな」
ベルフィアは「ふーん」と二回頷いて、ラルフのきっかけの部分を少し反芻していた。
「……因みに誰ノ日誌なんじゃ?」
「”ロングマン”って人だ。文字の書き方や見識の違いからかなり昔の人だってことは分かったんだが、それが何十年前なのか、もしくは何百年前の人なのかは分からなかった」
「ならばそノ”ロングマン”がトレジャーハンターなわけじゃな?」
話の流れを考えれば自明の理だ。
「いや、ロングマンは剣士だよ。道すがら出会った男がトレジャーハンターだと称しているんだ」
こいつは何を言っているのか?
「待て待て。という事はどこノ誰とも知らぬ端役にそちは惚れ込んだと?そういう事か?」
「端役って……まぁ、そういうことだな」
改めて考えれば自分でも捻くれていると思える。今も昔も人魔大戦真っただ中。戦える者が稼げる時代。一昔前から白の騎士団が大衆の憧れだ。世界の半数以上が英雄譚に憧れ、富や名声を求めて戦士や騎士を目指したり、魔力の扱いに才能があれば魔法使いや神聖魔法に類するいわゆる僧侶を目指したりするだろう。その過程で自ずと自分の才能や戦い以外の興味あるものに気付いて別の道を目指すものだ。そしてごく少数のラルフの様な変わり者が初めから別のスキルを習得する。
中でもこの世界の盗賊はハズレ職だ。遺跡荒らしは危険なわりに報酬が少ないことでも知られていて、盗賊も食いっぱぐれる。優秀な仲介人がいて初めて金になるのだが、手数料もそれなりだ。罠発見と罠解除、鍵開けに関する特殊スキルでギルドメンバーに入り、戦闘不参加でおこぼれとお情けで食っていくのが生き方としては正しい。
それが嫌なプライドの高い連中がスキルを売りに非正規でグループに参加し、見合った仕事をし、出来高制で報酬をもらうというその日暮らしに身をやつす。ラルフは遺跡探索を主に活動しているがどちらかと言えば非正規に位置する。
だからといって戦闘で使えないわけではない。魔族との戦闘においてサポートは重要であり、専用のアイテムを使いこなして支援できるのは、自分の力以外に頼みをおく盗賊ならではの戦い方だ。ただしかなりベテランの盗賊のと言える。大抵戦いから逃れた奴らばかりなので戦闘で使えないのが多い。
「俺はあの日見た日誌のトレジャーハンターになりたかった。それだけだ……」
「軟弱な……男なら筋肉を付けろ。そちは弱すぎル」
ラルフのチームはラルフとウィー以外戦闘能力が高い。ミーシャは魔王、ベルフィアは吸血鬼、ブレイドは半人半魔で伝説の武器持ち、アルルは大魔導士の孫であり才能を受け継ぐ魔法使い。そんな奴らに囲まれて肩身が狭い。しかしウィーは実は索敵能力が凄まじく高い。戦う事こそ出来ないが、有能ではある。ラルフは盗賊のスキルを修めているが、それが直接この逃走劇に役立つかと言われれば、ほぼ無いと言える。ラルフだけ明らかに戦力になっていない。
「え?俺の話聞いてた?」
しかし、今は別にそんな事話していない。
「冗談じゃ。半分はな……なりタいもノにはなれタかノ?」
「……まだまだ、だな。でも言うだけはタダだ。そうだろ?」
ニヤッと笑う。その顔を見てベルフィアは目を伏せる。
「そうか、羨ましいノぅ。夢があルというノは……」
「ところでお前はどうなんだ?」
ラルフは言いきったという顔でチラリと顔を覗く。その視線を受けて焚き火に目を向ける。
「妾ノ夢は叶わぬ。もはや惰性で生きルだけじゃ……」
寂しい事を呟くと同時に火の粉がパチッと跳ねた。
「そうなのか?でも思い描いた夢が叶いそうにないなら別の事を付け足したら良いんじゃないか?」
何を言っているのか分からずラルフを見る。
「夢を加えるんだ。第一の夢ってのがその叶わない夢なら、第二の夢を思い描けば良いんだよ。例えば「今の逃亡劇が終わります様に」とか「超絶旨い飯にありつけます様に」とか。お前なら「上質な血が飲めます様に」とかな」
叶えたい事リストという奴だ。
「そんなもノが何ノ役に立つ?」
「立つさ。やりたい事があればそれに向かって邁進できる。何もない人生なんてつまらないだろ?」
ラルフはベルフィアに向き直る。
「だから何でも良いから思い付いた事を紙でも心でもいいから書き留めとくんだよ。そんで叶った奴から消してくんだ。そんでまた新しいのを書き留める。夢ってのは結局自分がやりたい事なんだよ。だから小さな夢から叶えてやるんだ」
「……そノ心は?」
「叶わない夢なんて無いって事の証明だな」
ベルフィアはラルフのドヤ顔を一瞬呆けた顔で見た後、プッと吹き出した。
「そりゃまタ、えらい大きく出タノぅ」
クククッと笑う。含み笑いは寝ている人達を起こさない配慮だ。
「そう思うか?」
「そりゃそうじゃろ?奴隷が大国ノ姫に恋心を抱いても結ばれルことがないヨうに、夢は夢、現実は現実じゃ。妾ノ喩えで既に叶わぬ夢が出タじゃろ?夢なんぞ叶わん事が普通なノじゃ」
ラルフはベルフィアの達観した考えにため息を吐き、お手上げのポーズを見せる。
「やっぱ人の話聞いてないな……。いいか?物事には順序ってもんがある。目先の夢を叶える事から始めるのが得策なんだよ。行きつけの店の一番高い飯を食うだとか、高い酒を飲むとかな。その為の道筋は「仕事をして金をもらう」だ。姫様とイチャコラしたいのが夢なら、そこに辿り着く為の道を作ってかなきゃダメだ」
当然の事だ。奴隷階級の男なら、この戦争時代に大戦果を立て、その武勲で騎士位を賜るくらい頑張れば姫にも手が届くかもしれない。荒唐無稽な話だと思うだろうが、それしか方法がないなら実現の為にやるしかない。
「これは俺個人の意見だけど、夢はある種の目標だと思ってる。夢は見るものだと諦めて行動しないのはそいつの勝手だけど、夢に向かう奴を否定するのは間違ってる。何もしないで手に出来るものなんてありゃしないんだからな」
それを聞いて「はんっ」と鼻で笑う。勢いに乗って何か言ってやりたかったが、目標に向かってひた走っていた過去を思い出して言葉にするのをやめる。過去の自分を否定するような気がして。口を半開きにしたまま少し固まっていたのを恥じて口をへの字に結ぶと「偉そうに……ラルフノくせに生意気じゃノぅ」とベルフィアは焚き火に目を落とす。
一時の沈黙。その後、何かに気付いたようにほくそ笑むとラルフの方を向く。
「決めタぞ、妾ノ夢はそちノ血を心ゆくまで堪能すル事じゃ」
舌舐めずりをしてラルフの喉元を見る。その視線に背筋に冷たいものが走るが、ラルフは自分を奮い立たせて声を出す。
「安易だな。そんなの今襲えば済む話じゃないか。もっとこう……ギリギリ叶えられそうな奴をだな……」
「そちノ血を吸う事はミーシャ様とノ関係上不可能じゃ。そちがミーシャ様に飽きられタ時、妾ノ夢が叶う。それまで辛抱してやろう。ってノはどうじゃ?」
ラルフの語った夢の理論そのものだ。ぐぅの音も出ない。
「か、叶うと……良いな。その夢……」
冷や汗をだらだらかきながら、ベルフィアの視線に恐怖する。丸まった背筋も少し伸びた。
「ふふふ……楽しみじゃな。せいぜい飽きられんヨうに立ち回れ。それから妾ノ夢ノ実現ノ為、決して死ぬな。……ミーシャ様を悲しませぬヨうにな」
ベルフィアの提唱する夢はラルフに対する鼓舞だったと知る。それに気づくとラルフは照れ隠しに頭を掻いた後「まいったな……」と呟き、ベルフィアと小さく笑い合った。