第十二話 実を取るか、幻想を夢見るか
「見ロ!ラルフ!光ダ!!」
ラルフとジュリアの二人は三つの別れ道を下に進み、ようやく新たな場所へと辿り着いた。
「見えてるさ!行こうぜ!」
ラルフはライトを消すと走り出した。遅れてジュリアも走り出す。パキパキッグシャッと何やら硬いが軽いせんべえかクッキーを踏み潰すような感覚が足から伝わる。十中八九虫だろう。気にする事なく光の下に出た。そこには豊かな森が広がり、青空に日の光が眩しい。
「……外だ」
鼻の利かないジュリアと特異能力のないラルフ。索敵を封じられたこの二人が真っ先に外に出る事が出来た。虫達は外に出る直前で引き返す。炭鉱で育った虫たちの唯一無二の安全地帯。一度外に出れば天敵がうようよいる。それを感覚的に知る虫達は日の元に出る事すら拒み、中に留まり続ける。
ラルフは炭鉱の出入り口と空、森、ジュリアの順に目を泳がせた。
「……マジか?」
「ヤッタワネ!ラルフ!コンナニ早ク出ラレルナンテ思ワナカッタワ!」
ジュリアは声が上ずり喜びを隠しきれない。今にも飛び跳ねて喜びそうな程である。しかしラルフは不安そうな顔で辺りを見渡す。ジュリアはひとしきり喜んだ後、ラルフの不安そうな顔に目が行った。
「ドウシタノ?ラルフ?」
「いや……ミーシャ達が居なくて、あいつらならすぐにでも外に出られると思うんだが……」
その時ジュリアもハッとする。今は”鏖”がいない。吸血鬼もゴブリンもよく分からない人間二人も……。ラルフ達はジュリアの敵である。何かを成しえる機会は往々にして訪れるものだ。そして今まさにターゲットが目の前で一人っきり。現在この異様な炭鉱で離れ離れとなり、容易にミーシャと合流出来ない稀有な事態。こんなチャンスは今後一切ないと断言出来る。ジュリアは秘かに指の先から金属より硬い爪を覗かせる。
(ソウダ……今ガソノ絶好ノ機会……)
自らの奥底に眠る復讐の炎を滾らせてラルフににじり寄る。ふいに炭鉱の出入り口に振り返るラルフ。背中を見せ無防備な状態。
(馬鹿メ……ココヲ出タラ、オ互イ敵ダト確認シタダロウ?ココデ捻リ潰シテ……)
そう思いラルフの背中に爪を立てようと振りかぶったその時に、ジュリアの脳内に電流が走る。これ以上足が前に出ない。今この時しかないのに、今後これほどのチャンスはないと思えるのに……それ以上に先の会話が脳裏に響く。
『多分探せば俺達みたいなの沢山いるぜ?きっとな』
人と魔族の歴史的和解。前例が無いわけではない。ラルフが人と魔族の子供、俗にいう半人半魔の事について言及していたがまさにそれである。人と魔族が愛し合う。敵同士である事と同時に種族の垣根を超えるなど倫理に反する。だからこそハーフは生きて日の目を見る事は許されない。憎しみの連鎖の中に愛が生まれるなど、あってはならない暴挙だからだ。
だが、今回の様に魔王と人間が……何の力もない経験だけで何とか生き延びているようなラルフと、異次元の強さを崇められ恐れられる最強の魔王ミーシャが、共に手を取り合ってというのは異例中の異例である事は間違いない。
(コレガ未来……)
炭鉱内でも思った世界の在り方がラルフの背中に集約している。ここでラルフを殺すのは赤子の手を捻るほど簡単だ。しかしジュリアにはラルフを殺した後の世界が現在の状況と変わらない事に気付く。むしろもっと最悪な事態に発展するのではないかとすら予測する。ジュリアは力なく腕を下ろした。(コレハ任務ナンダ!)(コンナ機会ハ二度トナイゾ!)さっきまで中心で叫んでいた復讐の炎は片隅に追いやられ、自分という存在に目を落とす。
(……多分ココハ世界ノ分岐点ナンダ……アタシガ ラルフ ヲ殺スカ否カ試サレテイル)
ラルフを殺せば任務達成。カサブリアに堂々と胸を張って帰れる。兄の回復を待って再度”鏖”を殺す為、尽力出来る。こちらは文句の言いようが無い程に真っ当だ。
ラルフを殺さなければ任務未達成。国に帰れない。”牙狼”の敵討ちも難しくなる。万が一、殺せたのに殺さなかったという事が知られれば自分の命がない。こちらは未知数の可能性に身を委ね、自らをも犠牲にする破滅的思想だ。
実を取るか、幻想を夢見るか。
兄と肩を並べて戦う事を夢見て己を鍛えた。人狼の中でも頑丈で頑強だったジュリアは瞬く間に実力を発揮し、チームになくてはならない優秀な存在となった。しかしあまりに短期間でその強さを獲得した為、経験が浅く、突っ走る事もあったが実力の前にはご愛嬌と言えた。だからこそだろう。彼女は染まりやすいのだ。
人類は敵だと固定概念があっても、ちょっとした事でその当たり前が崩される事が多々ある。例えるなら命を救われたり、経験則にない暗い穴蔵で出入り口が分からないからと、敵と協力して乗り越えてみたり、馬鹿みたいに辛い料理を鼻を潰しながら一緒に食べたり。
ラルフとの関わりなどそれこそ一瞬だ。カサブリアで過ごしてきた時間の方がはるかに長いし、教育だって魔族側の言い分を鵜呑みにしてきた。何より人類を悪と断じ、殺してきた。
ここでジュリアが気付けなかったのは、知り合ってしまった事がそもそもの間違いである事だ。敵を殺す上で、相手の細かな情報を知ってしまったら雑念が入ってしまう。当然と思ってきた殺しの理由はその一瞬の関わりで覆される。
何故我々は争うのか?
相手を悪者にしないと叩く事なんてできない。勿論、戦闘狂や利権が関わってくる上層部、その日暮らしの傭兵などには当てはまらないがジュリアには刺さる。特に信じてきた能力、チーム、兄がいとも簡単に壊され、自暴自棄になった経緯があれば夢も見たくなる。この長きにわたる戦争に終幕を……。
「俺はもう一度炭鉱に入る」
ラルフは力なく項垂れたジュリアを見る。
「……何故?ココデ待ッテイレバ、イズレ出テクルデショ?」
ラルフは恥ずかしそうに頬を掻く。
「あいつきっと俺がいなくて泣いてるぜ。心配だから側に居てやらなきゃな……」
じっとラルフの様子を見る。
「アンタガ行ッタッテ何モ変ワラナイデショ。ムシロ邪魔ニナルンジャナイ?」
その通りだ。ラルフが行って何になるというのか?ラルフは頬を掻いていた手を顎に持ってきて顎を擦る。
「……気持ち?」
「……何ソレ?」
「まぁなんつーか……単なる我儘だよ。俺はあいつらが心配なのさ。お前にもあるだろ?何の役にも立たなくたって取り敢えず寄り添いたい時が」
ラルフはそれだけ言うと今出てきた出入り口前で腰に手を当てて「うっし!」と気合いをいれると、入っていこうとまた足を踏み入れる。
「待ッテ。……死ヌカモシレナイワヨ?」
「死なないさ……多分な……つーことでお前とはここでお別れだ。またな」
ラルフはライトをつけて中に入っていく。ジュリアは少しの間佇む。そして意を決して炭鉱を覗く。
「ラルフ!アタシモ……」
そこで気付く。この炭鉱は罠が張り巡らされ、一定時間が経過すれば、転移の罠が発動してしまう。ラルフの姿は既に無かった。
「……アタシハ……何ヲ……」
自分でも分からなかった。どうしてラルフの後についていこうとしたのか。自分は何に突き動かされたのか。その答えは分からない。
「……ナラ……知レバ良イ」
ジュリアは胡椒のせいで利かなくなっていた鼻を触る。少し鼻が通ってきたのを確認し、炭鉱をじろりと見るとまた元の暗い穴蔵に走った。




