第九話 価値観
「おいおい、ここに来て増えるのかよ……」
ラルフとジュリアは転移をうまく活用し、虫を避けつつ、潜っているのか戻っているのか不明な道をとにかく進んでいた。二つの分かれ道は何回か通ったが、三つの別れ道は初めてだった。
「モシカスレバ、コッチガ正解カモシレナイヨ」
下を指差すジュリア。下に行くと地下に行きそうな気がするが、通路は平坦な場所ばかりではない。緩やかな坂や急な坂、行き止まりや人がギリギリ通れる隙間の道があったりでどれが正解かは分かってない。転移を繰り返している事から現在の位置が、例えば山の三合目くらいの高さで、下に続く道は即ち出口に向かう道の可能性も捨てきれない。
今の所、何とか無事に進んできて、新しい場所に来たのだ。ここで決定的な間違いをしたくない。指をなめて風を感じ取ってみたり、ライトを当てて奥を見ようとしたりで、唸りながら精査している。ジュリアは未だに胡椒の匂いが鼻から取れず、舌も痺れていて本領を発揮出来ないでいる。ラルフの隣で一応スンスン嗅いでいるが、虫の臭いすら分からなかった。二人は思い思いの方法で色々試したが、結果正解が分からないから、諦めて一か八かとなる。
「デ?ドレニ行クノ?」
「……下に行ってみるか……」
本当に分からないからこそ、最初に出た案が良い様に思えてくる。もし行き止まりでも転移の罠がある限り、敵に挟まれて詰んでしまう事がないので、ある意味やり直しが利くと思われる。ただ、敵のど真ん中に放り込まれる可能性もあり、それは即ち死に直結するので油断はできない。
そして下に行く案は、元々自分の案では無いから責任転嫁も可能だ。もしもの際はジュリアを一方的に責める事も視野に入れている。そんな黒い考えはジュリアには思いもよらない。「炭鉱を抜けるまでは仲間」という前提がジュリアを支配し安心させているからだ。
脱出出来るまでは一時的には味方だが、その期間が切れたら敵だ。その考えを一応は持っているものの、ラルフ程重要視していない。ここでも身体能力の差を無意識に考慮していた。万が一突然襲われても負けないという自負心が邪魔になっていた。圧倒的に弱いラルフは精神攻撃も密かにストックしておく。
光を持つラルフが先行する。本当なら体が頑強なジュリアに先行してもらいたいが、鼻が利かないのは痛い。あそこでご飯にしようと思ったのは、敵ではないアピールの為でもあったが余計だったと思えた。肩を落としたかったが、落胆を見せると機嫌が悪くなるかもと思い、表に出せない。しかし、この行動はジュリアにとっては感心する事に繋がっていた。
(弱イクセニ……)
その背中は前を向いて堂々と歩く漢の姿だった。ラルフはただのヒューマンで大量の虫に飲まれたら白骨化するであろう雑魚。そして全力で命乞いをする情けない男だ。なのに自ら前に出て、まだ何があるかも分からない道に踏み出す。偵察部隊”牙狼”の時は鼻が良いだけに、率先して偵察する事も多かったから、この行動がどれほど危険かその身で理解している。
「ネェ……アタシニ前ニ行ケッテ言ワナイノ?」
それを聞いて、ピタッとラルフは停止する。ジュリアの顔を窺うように振り向く。だが、顔を見てもジュリアの表情は読みにくい。ラルフにはどういう気持ちでその言葉が出たのか分からないので、それに答える事は出来なかった。ここで「じゃ、前に行って」といった途端に「ハ?フザケンナ。言ッタダケダ」と言われたら悲しい。黙って前に向き直ってそのまま歩く。
「……ここはちょっと急だから足元気を付けろよ」
「……エ?ウ、ウン」
ジュリアにとってもラルフの顔は読みにくかった。影になって顔の半分くらい隠れていたのもあるが、元々、戦いくらいでしかヒューマンと関わる事がないので大まかな感情以外は読みづらい。表情が読めなかったから、ここからは単なる妄想だが「俺が前を歩く。お前は後ろからついて来い」と言われているような男の顔を見た気がしていた。
彼女は索敵に特化しているものの格闘家だ。対してラルフは盗賊。罠に関してはラルフの方が一枚上手であると言わざる負えない。転移の罠にもラルフは炭鉱に入って間もなく対処した所から、ジュリア以上にここに精通していると言って過言ではない。勘違いではあるのだが、ジュリアは自分よりずっと弱い存在に対して頼もしさを感じた。
(弱いのに頼もしい?)
自分でも分からない気持ちがフワッと湧いてきていた。魔族は力こそ重視する。それはジュリアも例外ではない。だから混乱していた。この気持ちが一体何なのか。布が擦れる音が後ろから聴こえてくる。あまりに小さな音だが、だからこそラルフはその音に警戒し、音の発生源を見る為にバッと後ろを振り向く。そこには当たり前だがジュリアしかいない。
「チョ……眩シ。何ヨ?」
「いや、なんか音が……」
虫が這って来たのかとライトを下に向ける。音の発生源はジュリアの尻尾だった。ジュリアは尻尾を左右に振っていて、ほんのわずかな音を立てていた。これだけ静かな空間なら普段気付かないような小さな音でも拾う。
左右に揺れる尻尾を不思議に眺めるラルフ。その視線を追ってジュリアは自分の尻尾を見る。「ア……」という小さく漏れ出た声が響く。魔獣人は魔獣に比べれば顔の表情が豊かではあるが、イヌ科の動物の特性をそのまま受け継いでいる。そのせいもあって、感情は表情以上に尻尾に出る。二人はしばらく固まっていたが、ラルフが先に口を開いた。
「なんで尻尾を……」
「ミ……見ルナ!コレハ関係ナイカラナ!!ソンナハズナインダ……!決シテ喜ンデルトカ……ソンナハズ……」
声がどんどん小さくなっていく。それと同時に尻尾の振りも治まっていく。「フーッ」と細く長い息を吐き、落ち着きを取り戻すと、ラルフを見据える。
「……サッサト行クゾ」
睨んでいるような怖い顔だが、どちらかと言えば恥ずかしさを堪えているようなジトッとした目だった。
「……おう」
ここを掘り下げるのは地雷だと思ったラルフは逆らう事なく頷く。しばらく黙って歩いていると。
「……ラルフ。オ前ハドウシテ人ト魔族デ戦争ガ起コルト思ウ?」
突然の質問だった。意図が分からなかったが、チラリと見た顔は真剣そのものだった。
「そりゃ歴史が物語ってるだろ?魔族と人は生存圏を懸けて戦ってるんだ」
「大マカニ人ト魔族ヲ分ケテイルガ、ソノ中ニモ細分化サレタ種族ガイル。ナンデ人ト魔族ナノ?」
ジュリアがこんな世界を憂う事を急に聞いてきたのはきっと暇なのだろう。黙って歩いているのが飽きたから。となればラルフとの共通の話題を探すとしたら世界情勢くらいのものだ。
「うーん。そうだな……簡単に言うと価値観の違いだろうな」
「価値観?」
「魔族は力こそ全てという考え方があるだろう?それに対抗するために人も力を付けたが、お前ら魔族は人と違って生まれた時から身体能力が高い。だから人は精霊とかそんなのと手を組んでみたり、武器や魔法を付与した魔道具、あと薬なんかを開発してきた……それもこれも一人では何も出来ないからだ」
濡れた地面を避ける様に大股で跨ぎながらまた話し出す。
「魔族側だって開発したり、物事の決定に色々考慮する頭脳があるが、それは結局、個人の強さに依存した作戦だったり国造りだったりする。人だって権力を笠に調子に乗った連中はいるが、どちらかと言えば弱さを補う様に力を合わせてという考え方になる。大半の場合、物事の効率化を図るのが魔族。信頼を何より大事にして補い合うのが人だ。意味分かるか?」
分からないではない。
「……2ツガ手ヲ取リ合エバ、モットスゴイ事ニナリソウダケド……」
「お前もミーシャに言ってただろ?もうそんな事言ってる段階にないってな。どちらも殺しすぎた。元はどっちが正しいのか分かんないけど、始まったもんはしょうがない。それに、魔族も人も傲慢だ。今更どちらかが休戦を申し込んでも結局戦争になるだろうぜ」
「休戦……カ。確カニ難シイカモ……」
魔族が弱い人を殴りつけて戦争が始まったというのは過言ではないし、魔族が強い事に恐れた人が徒党を組んで魔族を殴ったのがきっかけにもなったかもしれない。戦争をやめるにはどちらかが譲歩するしかないが、それではどちらかが割を食う。結局、行く所まで行くしか道はないのだ。
「ジャア聞クケド、アンタト魔王様ハナンデ仲間デイラレルワケ?」
それを聞いてこの会話の着地点を見たラルフはふっと短く息をついて答える。
「さあな。世の中には魔族と人で子供を作る稀有な例があるみたいだから、その延長線上だろうよ」
足を止めてジュリアを見る。
「多分探せば俺達みたいなの沢山いるぜ?きっとな」
二ッと笑ってまた前を向く。
(……人ト魔族ガ?)
アルパザ近郊の凄惨な現場。そこで抱き合うラルフとミーシャを思い出す。その風景は言葉で言い表すならば「未来」。人魔大戦の終結を現した世界の縮図。ジュリアの中で小さな光が灯る。
(……コレガ……未来?)
頼りないはずのラルフの背中が少しだけ大きく見える。ジュリアは飛躍しすぎた頭を振ってラルフの後についていく。出口こそ見えないが、進む先が少しだけ明るく見えた気がした。




