12.小さきものたちの力 解決編
盗賊団との戦いが熱戦になりすぎてまさかの超ボリュームに……
え? ま、まさかハリセンで盗賊をぶっ潰す主人公とかいる訳ないやろー!
「――僕のことは、エックスと呼んでほしい」
いかにも駆け出しの冒険者がしそうな安っぽいボロい装備に、そこだけ無駄に重厚な見た目の黒いフルフェイスの兜をかぶったその男は、盗賊を全員打ちのめしたあと、私にそう名乗った。
……エックス。
どう考えても偽名だろう。
「……私は金獅子騎士団の第三隊所属のエレンだ」
どこからどう見ても怪しい。
が、今は非常時。
ここで彼と敵対する愚は冒せない。
彼に聞きたいことは山ほどあったが、まずは盗賊団の対処が先だ。
二人で協力して盗賊たちに縄をかけながら、私は今後のことを考えていた。
悪名高き「夜の鷹」が、まさかこれだけの人数しかいない、ということもないだろう。
すぐに隊長に連絡を取って、応援をよこしてもらって、同時に彼らを尋問して夜の鷹の根城を……。
「おかしい、な」
最後の盗賊を拘束したところで、ふと彼がつぶやいた。
「ギルドからの応援、どうして来ないんだ?」
「あ……」
あの冒険者のリーダーの少年がギルドに救援を呼びに行ってから、もう少なくない時間が経過している。
本来であれば、とっくに応援を呼んで戻ってきてもいいはず。
ギルドに行く、と言って逃げた可能性も考えられるが、あの様子からリーダーの少年が裏切るとも思いにくい。
いや、そういえば……。
少年が逃げていく時、盗賊たちはそれをにやにやと眺めながら見送っていた。
まるで、彼が逃げても全く問題がない、というように……。
「まさか……」
私の疑念が形になる前に、「彼」は駆け出していた。
「くっ!」
一瞬だけ逡巡するが、私は盗賊たちを放置して、エックスを追うことを決めた。
しかし……。
(――速い!)
私は冒険者時代、斥候職を務め、騎士団に入ってからも偵察を任されることも多かった関係で、足の速さには自信があった。
だが、エックスはそんな私の自信を打ち砕くように、すさまじい速度でギルドに向かって走っていく。
結局、彼にやっと追いついたのは、ギルドを目前にした道の真ん中だった。
私がやっとその場に辿り着いた時、彼は血だまりの横で「何か」を握りしめて立ち尽くしていた。
「どう、した?」
声をかけてから、気付く。
彼が握りしめているのは、細長い布。
「それ、は……」
冒険者たちが襲われていた時、私の位置からは距離があって一人一人の顔を判別することはできなかった。
だが一つだけ、リーダーの少年が、その額にバンダナをつけていたことだけは覚えていた。
血だまりと、そこに落ちていたバンダナ。
答えは、一つしかない。
――盗賊団には、別動隊がいた。
おそらく、精霊祭当日ではなく、今日動くことは、前々から計画されていたこと。
彼らは新人冒険者を襲うと同時に、彼らが逃げそうな経路に網を張り、その逃亡を阻んでいたのだ。
「くそ!」
何から何まで、後手に回っている。
私が自分の認識の甘さに歯噛みしていると、立ち尽くしていたエックスが、突然口を開いた。
「あいつは、さ。馬鹿でおっちょこちょいで、女たらしでいつもうるさくて、ほんとこいつ、なんなんだろって思うこともいっぱいあった」
「エックス?」
唐突に語られた言葉に、私は戸惑う。
だが、エックスは視線をバンダナから外さないまま、静かに独白を続ける。
「そもそもの出会いだって、無理矢理に巻き込まれただけだったし。正直言って、迷惑だなって思ったことも片手の指じゃ足りないくらい、ある。だけど、さ。……やっぱりあいつといて楽しかったんだって、救われてたんだって、今になって、思うんだ」
そこで、エックスは初めて顔を上げた。
バンダナをぎゅうっと握りしめ、そして……。
「――絶対に、取り返す」
決然とした言葉が、口に出された、瞬間。
「――っ!?」
押し寄せた殺気に、私は思わずよろめいてしまう。
盗賊団と戦っていた時も、あまりにすさまじい実力に、怖いと思うことはあった。
だが、これは、桁が違う。
私は初めて、この「エックス」という男の、本気に触れたのだ。
慄く私に、一切の配慮をすることなく、事態は動き出す。
「エレン、だっけ? 騎士団、だって言ってたよね」
彼の目が初めて、私を捉えた。
その澄んだ黒い瞳に、私は内心の動揺を抑えて答える。
「あ、ああ。盗賊団が精霊祭を襲うという情報があったんだ。だから、偵察のために、私が……」
その言葉に何を思ったか、彼はなるほど、とつぶやいてから、言った。
「――僕は、これから盗賊団の本拠地に乗り込む。だから、その手助けをしてくれないか?」
※ ※ ※
周りの住人に聞き込みをした結果、盗賊団の別動隊はほかにもいて、リーダーの少年を含む何人かの冒険者をさらっていったところを、何人かが目撃していた。
中には盗賊団を止めようと実際に交戦した冒険者もいて、特におやっさんと呼ばれる彼は、苦々しい顔で貴重な情報をくれた。
「オレも多少は腕に自信があったんだけどな。人数差があったとはいえ、逃げるのが精一杯だった。あいつら、おそらく一人一人が百レベル前半くらいの実力を持ってやがる」
その言葉を信じるなら、夜の鷹は全員が一流冒険者クラスの戦力を持っている戦闘集団ということになる。
たとえ金獅子騎士団がそろっていたとしても、簡単には勝てないほどの相手だ。
私は最初、誘拐などと言うのは、人目につかないところでこっそりと行うものかと思っていた。
だが、きっと、奴らには自信があったのだ。
騎士団さえ到着しなければ、町全ての人間と戦闘になったとしても、無事に切り抜けられる、という自信が。
もし、彼らに誤算があるとしたら……。
「聞きたい話は聞けた。僕らも動こう」
この珍妙な格好をした、得体のしれない男だけ。
盗賊団のアジトの場所は、尋問するとあっさりと男たちが吐いた。
町の北にある山間部に造られた、放棄された坑道。
それが、彼らの当座のアジトらしい。
「本当に、二人だけで行くのか?」
「ああ。時間が経てば経つほど、さらわれた人たちが危険になる。どうしてもと言うなら、僕が一人でも……」
「馬鹿を言うな。私も行くさ」
「……助かるよ」
エックスの速度は以前に言った通り。
私にしても、斥候として山の中の移動も慣れている。
私たちは矢のような速度で山を駆け抜け、ほんの一時間ほどで目的の場所へと辿り着いた。
「入り口を見つけるのは、もう少し手間取ると思ったんだが、流石だな」
「あ、ああ。パーティシステム、って言っても分からないか。あいつと僕はつながってる。だから、近くまでくれば分かるんだよ」
「と、いうことは……」
私の問いに、彼は力強くうなずいた。
「ああ。あいつはこの奥にいる。おそらく、さらわれたほかの冒険者と一緒に」
そう言って、例の紙束を手に、坑道に進もうとするエックスを、私は慌てて止めた。
「待て! どうするつもりだ?」
「どうする、って。それはもちろん中に乗り込んで……」
「乗り込んで、どうする? あいつらは非道な盗賊団だぞ。もし、冒険者たちを人質にされたらどうする?」
そこまで考えていなかったのか、エックスはう、と口ごもった。
「ほんの少しの間でいい。あいつらの注意を、引き付けられないか?」
「出来ると思う、けど、どうするんだ?」
訝し気な彼の言葉に、私はあえて自信たっぷりに笑ってみせた。
「愚問だな。私は元《レンジャー》。偵察だけじゃなく、救出だって得意なんだ」
※ ※ ※
アジトにできるだけ近い、茂みの中に身を潜める。
(彼にはああ言ったものの、死地だな、これは)
盗賊たちのレベルが百を超えているとなると、一人一人が私と同等の戦闘力を持っていることになる。
潜入がバレ、そんな人間複数に囲まれてしまえば、生きて帰れるとは思わない方がいいだろう。
今一度気を引き締め、
「――《ピックトセンスズ》」
知覚を強化する魔法を、自分自身に使っておく。
このピックトセンスズは意識したものを把握しやすくなるもので、例えば遠くにあるものが気になるなら視覚を、小さな音が気になるなら聴覚を、という具合にそれぞれ補助してくれる。
似た魔法として、五感全てを強化する《クイッドゥロー》があるが、これは強化された五感によって余計な情報が入りすぎてしまうことがあるため、クイッドゥローよりもピックトセンスズの方が私の好みに合っていた。
それにしても……。
(エックスは、一体どうやって彼らの注意を惹くつもりだ?)
例えば彼が直接出て行ってしまっては、意味がない。
それでは人質を取られて事態は最悪の方向に転がる可能性が高い。
私がやきもきしながら待っていると、突然、森の奥から轟音が聞こえ始めた。
「な、なんだ、あいつは!!」
同時に、アジトの前にいた見張りが叫び出す。
私は茂みから少しだけ身を乗り出し、そして思わず快哉をあげた。
「は、はは! 最高だな、あの男は!」
一体、どこまで私を驚かせれば気が済むのか。
「ブ、ブラックタイガーだ! ブラックタイガーが出たぁ!!」
私の隠れている茂みと反対の方向から現れたのは、ブラックタイガーと呼ばれる虎のモンスター。
特徴は蟹の爪のようになっている腕で、この凶悪な一撃は一流の冒険者すら軽く屠ってしまう。
その討伐にはレベル百八十のパーティが必要とまで言われるモンスターで、当然ながら町の近くのこんな場所で出てくるはずがない。
「く、くそ! 何でこんな場所にこんなモンスターが!」
「話がちげえぞ、くそがぁ!!」
「全員だ! 全員出てこい! 人数かけて潰さないと死ぬぞ!!」
目論見通り、盗賊たちが洞窟の中から次々に出ていくのを眺めながら、私は興奮を抑えられなかった。
エックスは一体、何者なのか。
その力は、まさに規格外の一言に尽きる。
斥候職である私をはるかに上回る速度に戦闘力、それから未知の探知技能に加えて、モンスターを操ると来た。
彼ならレベル300以上、俗に英雄級と呼ばれる力を持っていると言われても、いや、それより上、伝説級の力を持っていると言われても、信じてしまいそうだ。
(……っと)
あまり、悠長に構えていられる場合ではない。
盗賊たち全員が、現れたブラックタイガーに注目しているのを確認して、私はそっと地面を蹴った。
自らの存在を希薄に、足音を殺し、洞窟の中に潜り込む。
(よし!)
かろうじて残っていた見張りの目の前を通り抜け、無人の洞窟に駆け込んだところで、私はほっと息を吐いた。
騎士団に入ってからこの手の技能を使う機会も減っていたが、どうやら腕は錆びついていないようだ。
「ここは……食堂か」
坑道だった時の用途は分からないが、入ってすぐにぶつかった大きな空間は、彼らが普段過ごす食堂らしい。
汗と酒の匂いが漂うその空間を、私は音もなく駆け抜ける。
(左は寝室。右は倉庫、か。どちらもすぐに突き当たりになっている。なら……)
食堂からいくつか枝分かれする道を素早い判断で見極め、私は一番奥、坑道の先へと続く道に身を躍らせる。
そして、通路を進んでまた道が二股に分かれたところで、下から階段を上ってくる足音が……。
(しまった!!)
まだ、下に見張りが残っていたのか。
(この場所は、まずい)
いくら斥候の技能があるとはいえ、一本道で出会えばやり過ごすことは不可能だ。
戻るべきか一瞬だけ迷って、私は右の道、男がやってきたのとは違う枝道に潜り込む。
(奴がこっちに来たら、終わりだ)
緊張の数秒が過ぎる。
「ったく、ボスも人使いが荒いよなぁ。このルーガ様に子供のお守を押し付けるたぁよぉ!」
男の足音は、だんだんと近くなり……そして、離れていった。
「……助かった、か」
額を、冷汗が伝う。
(危な、かった……)
偶然、近くに部屋がある場所でなければ、私は呆気なく見つかっていただろう。
(それにしても……)
私は思わず、鼻を押さえた。
「ひどい匂いだな、ここは」
もしや毒だろうか。
私は念のために、冒険者時代から常に携帯している防毒マスクで口元を覆う。
途端に、ひどい悪臭は途絶えた。
「そう警戒しなくても、私には毒は効かない、とは思うが……」
毒は、高レベルの人間には効かないというのは、もはや定説だ。
いや、より強いモンスターの毒などをくらえば高レベルの人間でも毒に冒されることはあるが、基本的にはスキル上昇による毒の製作技術の上がり幅よりも、レベルによる毒耐性の向上が上回るため、高レベルの戦いになればなるほど、人が調合した毒は効果が薄いのだ。
(匂いの発生源は、これか?)
寸胴鍋、と言うのだろうか。
子供が楽に入るほどの大きさの、くすんだ大鍋から悪臭が漂っているようだった。
恐る恐る、その蓋を開ける。
「う、これは……シチュー、か」
原型のまま肉や野菜など、食材らしきものが茶色をしたドロドロとした中を泳いでる。
とにかく食べられるもの全てを鍋に投げ込んで煮込んでみた、とでも言うような、料理と言うのも憚られる代物が、そこにはあった。
どうやらここは、厨房だったらしい。
(考えてみれば、盗賊団の中にまともな料理人などいるはずがない、か)
女神が人に「スキル」を与えたことで変わったのは、戦いだけではない。
料理や芸術、鍛冶や錬金といった分野にも、長足の進歩があった。
料理スキルが高ければ、同じ素材、同じ工程で料理を作ったとしても、その味や効能に違いが出る、らしい。
知り合いの料理人は、自分の腕よりスキルレベルが物を言うというのは複雑だ、などと言っていたが。
(この有様では、何年続けてもスキルが上がるはずもないな)
料理スキルを上げるためには真摯に料理に向き合い、研鑽を積む必要がある。
こんな料理を作っているようでは料理スキルが低いまま、というのも納得ではある。
と、あまり時間をかけてはいられない。
私は用心深くその厨房から顔を出すと、男が完全に通り過ぎたのを確認して、先を急いだ。
(さっきの男は、子供のお守りを押し付けられた、と言っていた)
つまり……。
(――ゴールは、もうすぐだ)
※ ※ ※
「これは……」
奥に進んだ私が見つけたのは、魔獣用の檻と、その中に入れられている四人の冒険者だった。
彼らは私の姿を認めると、怯んだような態度を見せたが、そのうちの一人が、仲間をかばうように前に出た。
「こ、こいつらに手を出すな! やるならオレが……」
必死で威嚇する彼は、盗賊たちに殴られたのだろうか。
片頬がわずかにはれ上がっていた。
それでも必死に仲間を守ろうとする姿をほほえましく思いながらも、そっと一本の指を立てて、その声を留めさせる。
「静かに。……安心してくれ。私は君たちの味方だ」
「え……?」
そう言うと、あからさまに彼らの雰囲気が弛緩するのが分かった。
彼らを安心させるため、できるだけ穏やかな声で語りかける。
「君の名前は?」
「え、あ、オレ、ピーターです」
「ありがとう、ピーター君。私はエレンと言う。金獅子騎士団の者で、盗賊から君たちを助けに来たんだ」
「た、たすけに……」
「ああ。外には応援が……そう、盗賊を倒せるだけの戦力が駆けつけてくれている」
「じゃ、じゃあ、オレたち、助かるんですね!」
興奮するピーターをもう一度、しい、っと制してから、続ける。
「今から、ここのカギを開ける。だが、ここはまだ敵地だ。静かに、私の指示に従って動いてくれ」
取り出したのは、直前の通路で見つけた鍵の束だ。
これで合っているといいのだが。
「ひ、開いた!」
ピーターの喜びの声に、私もほっと息をつく。
(しかし、魔獣用の檻を使う、というのは考えたな)
耐久力も高いし、魔力に耐性もある。
唯一の難点は大きいことで、よくここまで運んだと思うが、冒険者を閉じ込めるにはこれ以上のものはないかもしれない。
檻から出てきたのは、四人。
先ほど話した少年ピーター、それからヒーラーだという理知的な少年のリチャード、最後が双子の魔法使いというキキとララだ。
幸い、ピーター以外は目立った外傷はない。
これなら脱出に支障はないだろう。
「それじゃあ……」
「あ、あの! 奥にまだ捕まってる人がいるみたいなんだ。オレはまだ目が覚めてなかったんだけど、こいつが血だらけの奴が奥に運び込まれたのを見たって……」
との申告に、私は自分の顔が険しくなるのが分かった。
「分かった。行ってみよう」
「オ、オレたちも行くよ。リチャードの回復魔法が役に立つかもしれないし、放ってはおけない!」
彼らの意を受け、全員で奥へと進む。
そこにいたのは、二人の冒険者だった。
そのうちの一人を見た瞬間、ピーターが叫び声をあげる。
「アルフレッド! お前も捕まってたのかよ!」
「え、あ、ああ」
どこか居心地が悪そうに頭をかくのはアルフレッドと呼ばれた少年。
だが、私が注目したのはもう一人の冒険者の方だった。
彼の服はところどころ破れ、血がこびりついている。
先ほどピーターが言っていた血だらけの少年というのは、彼のことだろう。
しかし、それにしては……。
「連中に痛めつけられたと聞いていたが、大丈夫なのか?」
「あ、ああ。起きた時には治療されてて……」
「そうか。それは何よりだ」
考えてみれば、少年たちは盗賊にとっても大事な商品だ。
ひどい怪我を放置するはずもないか。
私は手早く彼ら二人にも事情を説明する。
アルフレッドの隣にいた血だらけの彼はイアンと言って、ピーターと同じように、この町に精霊祭目当てにやってきた冒険者で、町はずれで盗賊たちに捕まってしまったらしい。
一方で、アルフレッドだけはこの町で活動していた新人冒険者らしい。
おそらく、盗賊団が狙ったのは外から来た冒険者だけだと思うので、巻き添えだったのだろう。
まあ、さらわれた状況は関係ない。
とにかく全員を救出しなければいけないのだが、
「この錠、ダイヤル式か」
おそらく何かに使われていたのを代用していたのだろうが、彼ら二人を閉じ込めている檻の扉はダイヤル式の錠で閉じられていた。
手にした鍵束では当然開けられないし、正しい数字など知るはずもない。
こうなれば、音が鳴るのを覚悟で剣で無理矢理鍵をこじ開けて、と私が考えたところ、
「あ、あの、これ、『鍵のかかった扉』ですよね。だったら何とかなる、かも」
前に出たのはヒーラーの少年リチャードだった。
彼は扉に手をかざすと、
「あの檻には魔法が効かなかったけど、こっちになら。……《アンルッス》!!」
スペルを口にした途端、錠前の数位がカタカタと鳴り、やがてカチリ、という音と共に止まる。
そして、
「ひ、開いた……」
少年二人を閉じ込めていた檻の扉は、音もなく開いた。
「や、やった!」
「よく、こんな魔法を覚えていたな」
アンルッスというのは習得難易度がそれなりに高い割に、「扉を開ける」という効果が限定された地味な魔法で、覚えている人間もほとんどいない。
私が驚いて声をあげると、
「うちのパーティみんな不器用だから」
と、リチャードは照れたように笑った。
ともあれ、これで脱出ができる。
「とにかく、外に出られれば応援がいる。可能な限り見つからないように、何とか外まで……」
そこまで口にした時だった。
強化された知覚が、異常を検知する。
「……足音が、来る」
「えっ?」
耳を澄ましていると、乱雑な足音。
それからしばらく遅れて、
「おいおいおいおい! 鍵がねえじゃねえかよ鍵がぁ!」
耳に障る胴間声が聞こえてきて、少年たちがびくりと肩を震わせる。
「もしかしてネズミかぁ。おいおいおい! 楽しくなってきたなぁおい!」
そんな声と共に、足音がどんどんと近付いてくる。
(くそ、時間をかけすぎた、か)
今のは十中八九、行きにすれ違ったルーガという名前の見張りだろう。
外での戦闘が終わって、見張りが戻ってきたのだ。
(まさか、ブラックタイガーがこんなに早くやられるなんて)
あのルーガという男、頭は悪そうだが、力だけはありそうだった。
一対一で戦っても、勝てるか分からない。
ましてや、相手に仲間を呼ばれてしまえばそこで終わりだ。
(せめて、不意打ちをしかけられれば)
そう思うが、相手は侵入者を想定して最大限に警戒している。
このままでは……。
「あ、あの、エレンさん。あいつの名前、ルーガっていうんですよね?」
「あ、ああ。そうだが、ピーター君?」
そんな中、小声で話しかけてきたのはピーターだった。
彼は私に見張りの男の名前を聞くと、震える手を口元に持っていき、叫んだ。
『おおーいルーガぁ!! 鍵、上に忘れてるぞぉ!』
聞こえてきた野太い声に、私は目を見開いた。
あの声は確かに隣のピーターから発せられた……はずなのに、その声が通路の奥から聞こえてきたからだ。
「あ、なんだよ。上かぁ。……ん? 鍵、上になんて持ってったか?」
ルーガの足音が遠ざかっていく。
私は目を丸くしてピーターを見ていた。
「あ、あの。オレ、昔腹話術にはまってたことがあって、スキルを……」
「そ、そうなのか、助かったよ」
小声でやり取りをするが、しかし危機が去った訳ではない。
奴が上に戻ってしまえば事態は悪化する。
その前に、どうにかしてあいつを倒さねばならない。
しかし、いくら気がそれているとはいえ、私だけでは……。
「あ……」
そこで、私は、不安そうに通路を見ている双子の魔法使いを思い出した。
そうだ。
私一人では無理でも、補助があれば……。
「なぁ、君たち。《スイレン》の魔法は使えるか?」
※ ※ ※
剣を手に、駆けだす。
目標は、ルーガという大男。
気付かれれば、終わり。
この一撃で、どうにか……。
しかし、私が剣を振りかぶり、一撃を繰り出す直前、
「なっ! いつのまに――」
野生の勘、とでも言うべきか、ルーガは私の接近に気付くと手にした斧を向けようとする。
だが、
(一瞬、遅かったな)
私が剣を振るう方が、早い。
「ぐああっ!」
振りぬいた一撃は彼の腕を捉え、腕を斬り飛ばすまではいかなかったが、斧を取り落とす。
「く、くそ! だ、だれ――」
武器を失ったルーガは、とっさの判断で下がり、仲間を呼ぼうとする。
――それが、彼の最大の失着だった。
「――スイレン!」
私の背後から、スイレン……対象者の音を消す魔法が飛んでくる。
それは正確にルーガに当たり、彼の叫びはかき消される。
そして、一瞬の猶予を潰された彼に、次の私の一撃を避ける術はなかった。
ルーガの顔が、驚愕に歪む。
その顔に、
「終わり、だっ!」
私の剣がめしり、と食い込んだ。
※ ※ ※
「死んでる、んですか?」
ピーターの言葉に、私は首を横に振った。
「いいや。気を失っているだけだ」
最後の瞬間、私は反射的に刃を寝かせ、剣の腹で彼の頭を打っていた。
私は甘い、のだろうか。
けれど、前途ある若者の前で、人が死ぬ光景は、できるだけ見せたくなかった。
「それより、よくやってくれたな、二人とも」
そう声をかけると、今回の最大の功労者、キキとララが笑顔を見せた。
「あ、ありがとうございます! で、でも、本当にすごいのはエレンさんです! まさか、自分にスイレンの魔法をかけて、近付く時の音を消すなんて」
「ふふ。君たちにいいところを見せられているから、少しくらいはね」
スイレンの魔法は、魔法使いに使って相手の声を封じることでほんの数秒、魔法の詠唱を阻害する、そういうスペルだ。
だが、魔法は使い方次第。
これは冒険者時代、私たちのパーティが得意としていた戦法だった。
(何だか、昔を思い出してしまうな)
山賊団と比べれば、さらわれてきた彼らのレベルは低い。
だが、彼らは憶することなく、現れる障害を自分の能力と創意工夫で乗り切ろうとしている。
単に能力の大きさだけが、強さじゃない。
あるいは、エックスに潜入を申し出たのは、それを証明したかったのかもしれない。
冒険者たちがさらわれた時、私は無力だった。
これほどまでに自分の弱さを、小ささを思い知ったことはない。
だからこそ、示したかったのだ。
――たとえ小さく、弱い存在でも、知恵を絞り、力を合わせることで、強大な相手にも立ち向かうことができるのだ、と。
(エックスはまさか、そんな私の気持ちを汲んで……?)
いや、深く考えすぎだろう。
それに……。
「進もう。ここから先はたぶん、これまでのようには行かない」
陽動に使ったモンスターは、もう倒された。
私たちはこれから、山賊団が集まった広間を抜け、外に脱出しなくてはいけないのだ。
※ ※ ※
「まずい、な」
行きにルーガと出会った分かれ道から、顔を覗かせた私は、思わずそうつぶやいていた。
想像していた通り、広間には山賊どもが戻っていた。
あるいは自分一人だけなら駆け抜けられなくはないかもしれない。
だが、この六人を連れて、というのは……。
不安そうにこちらを見てくる新人冒険者たちを見て、グッと唇を噛み締める。
(これを使う、か?)
エックスから、事前に渡されていた魔道具がある。
派手な光と魔力を放出する魔道具らしく、これが発動した瞬間、外に隠れたエックスが飛び込んできて助けに来てくれる、らしい。
しかし、使った瞬間にこちらの位置はバレるだろう。
とても安全とは言い難いし、せっかくここまで来たのに、という思いはある。
(だが、一番重要なのはさらわれてきた彼らの安全、それを見誤る訳には……)
そう思い悩む私に、おずおずと声がかけられる。
「あ、あの、あそこって、厨房ですよね? だったらもしかすると、俺なら何とか出来るかも」
そう控えめに口に出したのは、今までほとんど前に出てこなかった、アルフレッドという名の少年だった。
※ ※ ※
「おっとと。えーっと、料理は」
アルフレッドは私たちを通路の反対側に残し、一人で厨房の部屋へと歩いていってしまった。
その足取りは、どこか危なっかしい。
(止めるべき、だっただろうか)
しかし、今までも様々な活躍を見せてくれた若い冒険者たち。
その輝きを見たいという欲に、私はつい負けてしまったのだ。
「がんばれ、アルフレッド」
隣で彼の友達らしいピーターが、少しくぐもった声でそうつぶやく。
その声がこもっているのは、彼から「絶対に匂いを嗅がないように」と言われたので、アルフレッドを含め、全員に防毒マスクをつけさせている。
(もしもの、時は……)
私はエックスからもらった魔道具を握りしめ、アルフレッドを見守る。
どうにか誰にも見つからずに厨房にやってきた彼は、大鍋に向かって懐から取り出した小瓶を取り出すと。
「………く……れ。…えも……ゅん」
よく聞き取れないが、何やら呪文と共に小瓶の中身を振りかける。
「お、おい!! おまえ!!」
その直後、だった。
あまりに突然で止める間もなかった。
広間の方から盗賊が一人駆け寄ってきて、アルフレッドに詰め寄る。
絶望に、目の前が真っ暗になりそうになる。
横でピーターが立ち上がり、駆け出しそうになるのを制する。
代わりに私は魔道具に力を込めようとして、
「――それ、めっちゃうまそうじゃねえか!!」
続いて男から出た言葉に、動きが止まった。
「どけ!」
男はアルフレッドを乱暴にどかすと、彼にはもう目もくれず、あの腐臭を放っていた鍋の中にスプーンを突っ込む。
そしてそれを一口すくうと、
「う、うめええええええええええええええええええ!!」
絶叫した。
そして、唖然とする私たちの見ている前でこんなのもどかしいとスプーンを投げ捨て、代わりにカップで鍋の中身をさらって飲み干し始める。
「おいおい! なんだなんだ!」
「すっげえいい匂いじゃねえか何やってんだ!」
「お、おれにも食わせろよ!!」
次々に増えていく男たちを前に、私たちは立ち尽くす。
と、いつのまにか隣にいたアルフレッドが、
「あの、この隙に」
弱気な笑顔で、外を指していた。
何が起こっているかは分からない。
分からないが、確かに千載一遇のチャンスだった。
「わ、私に続け!」
号令をかけ、広間に飛び込んでいく。
※ ※ ※
その広間はほんの十数メートル。
足の遅い新人冒険者を連れていても、ほんの数秒で抜けられる。
だが、背後から盗賊たちの声が聞こえる度に、私の心臓は委縮し、足が震えそうになる。
恐怖と怖気に歯を食いしばっても震えが止まらない。
一生で一番長い数秒のあと、
「――エレン!!」
外に出た私に、エックスの声がかけられる。
彼の姿を見た瞬間、私はやっと現実に戻ってこれたような心地がした。
安堵に腰が砕け、その場にへたり込みそうになるが、かろうじてこらえる。
私が新人たちを連れてきたのを見て、すぐに洞窟に突入しようとする彼を、慌てて止める。
「待って! 中には……毒が! これを!」
間一髪、防毒マスクを投げ渡すと、
「ありがとう! あとは任せてくれ!」
エックスはためらいなく防毒マスクを身に着け、洞窟の中に踊りこんでいった。
それを見送ると、
「こ、これで、だいじょうぶ……だよね?」
「よかった、助かった!」
「あぁもう、死ぬかと思ったよー」
直後に、連れてきた新人冒険者たちが、次々にその場にへたり込む。
また、それよりも余裕のあるものたちは、笑顔を見せ、
「やるじゃねえかアルフレッド!」
「へへっ、ペーターもな」
「だからおまえ……あぁもういいか」
そんな風に、互いの健闘を称え合っていた。
九死に一生を得た彼らの喜びの声は、私に混じりけのない幸せな結末を感じさせた。
(……あぁ。これで、一件落着だ)
普通なら、いや、実際に、そうなのだろう。
……だが。
無邪気にじゃれ合う少年たちを見ながら、しかし私は少年たちのように笑顔を浮かべることはできなかった。
どれだけ平静を装おうとしても、身体の震えが収まらない。
それは、盗賊たちの捕縛に行ったエックスが心配だから……ではない。
彼の実力なら、いいや、たとえ盗賊捕縛に向かったのが誰であったとしても、奴らを捕らえることなどたやすいだろう。
いや、もはや、捕縛の必要すらないかもしれない。
あれはもう、終わりだ。
あの地獄絵図を見れば、盗賊団が終わったのは誰の目にも明らかだった。
「なん、なのだ。あれは……」
聞きたい、訳ではない。
ただ、どうしても、無視はできない。
できないから、強化された知覚が、否が応にも今も続く盗賊たちの叫びを拾う。
拾って、しまう。
「ありえ、ない。意味が、分からない……」
私は今日、エックスの使う技に、エックスの見せる底知れない力に、驚かされてきた。
だが、これはもう、そんな次元を超えている。
ああ、そうだ。
エックスの使う技は、確かにすさまじい。
すさまじいが、まだ理解はできる。
だが、これは……何だ?
「渡さねえ全部俺のだ渡さねええええ!!」
「くわせろおれがっあああくわせろ!」
「にくにくにくにくにくにくにく!!」
「ああああうめえうめえうめえええええ!!」
「殺すぞてめえらこれは渡さねえ死ね死ね死ね死ね!!」
「ああ! うまあああい!! ああああ! ああああああああ!!」
魔法によって強化され、斥候として鍛えられた私の耳には、狂気じみた盗賊たちの叫びをここからでも聞き取れてしまう。
大鍋に入った料理を奪い合い、仲間同士で争い合うその叫びを。
金属がぶつかり合い、肉が切り裂かれる音を、拾ってしまう。
これはもう、強欲だとか食い意地が張っているとか、そんなレベルをとうに超している。
あの鍋の料理は、ほんの数十分前には何の変哲もない、むしろ不出来な部類に入る料理だったはずだ。
だが、今の「アレ」は何だ?
――高レベルの人間に、毒は効かない。
それは確かな真実であったはずだ。
いや、百歩譲ってあれが高レベルの人間にも効く強力な毒だったとして、あの効果はなんだ?
隣を、明らかに怪しい私たちが通っても一顧だにせずに大鍋に向かっていた。
いや、それどころか、今も捕虜であり、重要な金儲けの道具である新人冒険者たちが逃げても、誰一人として気にしていない。
ただ、一心不乱に、あの鍋の中身を食べたいがためだけに、仲間同士で奪い合いを、いや、殺し合いを始めている。
それに……。
あれを「食べた」人間がそうなったならまだ分かる。
だが、ほとんどの人間がただ「匂いを嗅いだ」だけなのだ。
……そう。
アルフレッドがやったのは、ただ鍋に「何か」を入れただけ。
ほんのそれだけのことで、彼は盗賊団を壊滅させてしまったのだ。
(そんな、そんなことが、ありえるのか?)
私は必死に震える声を押しとどめ、その元凶に質問を投げかける。
「アルフレッド。お前は、お前は一体あの鍋に、何を入れたのだ!?」
すると、大鍋に「何か」を入れたアルフレッドという少年は……。
いや、アルフレッドと呼ばれていた黒髪黒目の少年は、一瞬だけきょとんとした顔を作ったあと、手にした小瓶を自慢げに振って、言った。
「――世界で一番おいしいもの、かな」
彼が大事そうに持った小瓶、そのラベルには「ハカータの塩」と書かれていた。
これが小さきモノ(塩)たちの力!!
次回は解答編になります