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 太陽光がまぶたを暖め、僕は覚醒した。

 維持機器で簡単なバイタルチェックを開始する。

 寝袋から体を引きずりだし、周囲の様子を見て、直ぐに自分の状況を把握する。

「クソが、もう汚染されたか」

 教室の様子が、昨日とはまるで異なっていた。

 磨き上げられたリノリウムの床、清潔な空気、ヒビひとつ入っていない黒板には消えかけの数式がある、机やイスにも風化の様子はまるでない。

 僕が通っていた時代の教室の風景に、世界は戻っていた。

 教室には僕しかいない、でも校舎のそこらじゅうから人の気配がする。

 バイタルチェックが完了し、その結果が右腕部のタブレットに表示される。

「汚染度:5」

 汚れた炎の残滓によって精神が汚染され、ありもしない幻覚を見せられている。

 僕は注射器を取り出し、抑制剤を再度投与しようとした。だけど思いなおす。

「このペースで打ってたら、探索が終わらない」

 注射器と抑制剤をポーチに戻すと、僕は教室を出た。

 廊下もまた、昔の姿に戻っていた。

 人影は相変わらず存在せず、代わりに人の濃厚な気配だけが溢れかえってる。

 足音、声、ドアの開閉音。忘却の彼方に過ぎ去っていた、当時の雰囲気が僕の脳を強く刺激した。

 外壁やポスターの独特な色調、むき出しのコンクリートタイルの冷たさ、そして制服の……白いシャツの匂い。

 全部が嫌いな物だ。

 僕はこの場所が嫌いだった。忘れかけていたものが一斉に僕の中に押し寄せ、胸の内側を掻き毟る。

 僕は、学校がたまらなく嫌いだった。

 異常な兄が暴れまわり、その弟としてみられるこの空間が。

 廊下を進み、第二の下駄箱から外に出る。

 校庭だ。

 この中学校にある二つの校庭の一つ、野球部員達が使う校庭。兄が堕ちたのも、多分ここだとされている場所。

 校庭には誰もいない、でも喧騒がする、なんの喧騒かは直ぐにわかった。

 これは、野球部のメンバーと兄が揉めたときの音だ。

 大勢の怒号、大勢に押さえ込まれた兄貴の泣き喚く声、校庭のところどころに血の跡まで現れ始めた。

 自分の身の丈も理解せずに厳しい部活に飛び込み、周囲に迷惑をかけ避けられ、そして突然暴れだした。

 あの時僕はその様子を、授業中の教室の窓から眺めることになった。

 同級生達の何人かが校庭の様子に気づき、指さし、僕に尋ねた「あれ、お前の兄貴か?」

 嫌な記憶だ、思い出したくも無かった。

 僕は校庭から目を逸らし、校舎の屋上に目をやる。

 屋上には三羽の天使が並び、僕を見下ろしていた。

 喧騒が大きくなる、兄の悲鳴だけでない、自分へと兄について問いかける声も。校庭に血が広がる、赤色で汚染され、それに呼応するように音も不快感も全てが肥大化していく。

 僕は耐え切れず、抑制剤を取り出し首筋に打った。

 

 



 抑制剤が体に馴染むのを感じる。

 そっと目を開くと、もう幻覚は消えていた。

 校舎はもとの廃墟にもどり、整えられたダイアモンドも凹凸の激しい荒地に戻っていた。

 校舎の屋上を見上げる。そこにはもう天使達はいない。

 僕は空になった注射器を投げ捨て、それを踏みつける。バキバキとした乾いた音が大きくなり、より意識が汚濁から覚醒へと近づいた気がした。

 僕はよたよたと足を動かし始める。

 嫌な記憶を思い出した。

 兄のこと、周囲の目線、クソみたいな日々。

 目的の場所、兄が堕ちたと思わしき場所へと付いた。わかっていた事だが、やはり何もない。幻覚でみたような血の滲んだ土なんて無かった。

「なにをしてるんだ……僕は」

 思わずそんなつぶやきが漏れる。

 自分でもかなりバカだと思う。こんな寿命を削るような真似をして、俺は何を。

 傍から見れば、無意味でこっけいで、全部がアホ臭い……

 

 

「なんでそんな無意味な事をしてるの?」

 僕が小学6年生の時、一度兄にそう問うたことがある。

 兄は勉強机の上で巨大な練り消しを練っていた。大人の握りこぶしほどはあるだろう、巨大な消しカスの塊を。

「面白いだろ?」

 兄はさも当然のようにそう答える。

 僕はとても不愉快だった、なぜなら丁度その日の昼、いまだに練り消しで遊んでる同級生を友人達とバカにしたばかりだったからだ。

「面白くもなんともないよ」

 兄の視線は、再び僕からこ汚い消しカスの山へと戻った。

「あっそう。俺は面白いんだがな」

 兄のそっけない態度に、僕はかなり苛立った。

「面白くないっていってんじゃん。やめてよ」

「なんで俺がやめなくちゃいけないんだ」

「ガキっぽいからだよ。幼稚園児かよ」

 気に入らない同級生にぶつけた言葉を、そのまま兄にぶつけた。

 でもその同級生と違って、兄は澄ました表情で余裕げだった。

「お前は人に『ガキっぽい』って言われたら、それで物事をやめるのかよ?」

 僕は何も言い返せない、そんな様子をみてシニカルな笑みを浮かべ、言葉を続けた。

「俺はやめないよ、納得できないからなそれじゃあ」

 

 

 

 

「納得……できないか……」

 兄が自殺、馬鹿げてる。

 天使になって消えた? ありえない。

 兄の最後が知りたかった、いろいろ僕なりに調べてみた。でも、どれも納得のいく答えにはならなかった。

 もう、何か残っているとしたら、ここにしか。

「……だから、来たのか。そうだったな」

 僕はその場を離れ、今度は高等部の校舎へとあるきだした

 中等部の校舎と違い、高等部の校舎は屋上に当時簡単に行くことができた。そこは兄が飛び降りた場所でもあり、先ほど天使達が群れていた場所でもある。

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