雨、バス停、運命の出会い
「バス、乗らなくて良かったんですか?」
不意に話しかけられ、顔を上げた。
高校生だろうか?セーラー服に身を包んだ少女が、怪訝そうに僕のことを見ていた。
不審がられるのも無理はなかった。バス停のベンチで座っていたのに、バスに乗らなかったのだから。
「いや、雨宿りしてるだけなんだ。急な雨だったから」
苦笑してみせる。突如降り出した雨を凌げそうな場所が、このバス停しかなかったのだ。視界にコンビニの一軒もないあたり、田舎具合を感じさせる。
「あぁ……なるほど」
得心がいったのか、少女がふむふむと頷く。可愛らしい顔立ちと、好奇心が旺盛そうな瞳が印象的だった。
「よいしょっと」
なぜか、僕の隣に腰掛ける少女。
「……えぇと?」
今度は、僕が怪訝そうにする番だった。この少女、先ほどのバスから降りてきたように思っていたんだけど。またバスを待つのだろうか。
「ここで会ったのも何かの縁かと思いまして……もう少しお話したいって言ったら、ご迷惑ですか?」
それから少女は、少しいたずらっぽく笑って言った。
「もしかしてもしかすると……運命の出会いかも?とか思ったり」
うぅむ。僕より3つか4つは年下だと思うが。場慣れしているというか、ませているというか。そう言われたら、僕も運命的なものを感じてきてしまう。丁度いいかも、とか。
「いや、迷惑じゃないよ。雨が止むまで、暇だなって思ってたところだし」
「それは良かったです。お兄さんは……観光ですか?」
僕の持っているボストンバッグに目を向けて尋ねてくる。好奇心の旺盛さに伴ってか、観察力があるようだった。
「半分正解かな。大学のサークルで、マスコミの真似事みたいなことしてて」
「あぁ……それでこんな田舎に。例の事件、ですよね?」
痛ましげな表情。今の一言だけで察してくれるのは、彼女の理解力が高いのか、この地域で例の事件の影響力がよほど大きいのか……まぁ、その両方だろう。
「そう、例の……連続殺人事件」
東京のニュースでも、最近大々的に取り上げられるようになってきた。
いわく。このど田舎で、連続殺人ーーここ3ヶ月で、6名の被害者ーーが発生している、と。
「じゃあお兄さんは、その取材で?」
「そうだね。まぁ、地道に聞き込みしたりとか、現場に向かってみたりとか」
「いいなぁ……私もそういうの、憧れるんです。事件の調査とか、謎解きみたいな」
目をキラキラと輝かせている。好奇心旺盛そうな印象そのままの台詞で、思わず笑ってしまう。
「やっぱり私たち、運命の出会いかもかもしれませんね。趣味嗜好とか、似てそうですし」
そう言いながら、鞄から筆箱を取り出したかと思うとーー
「ほら!私も好きなんです、『はかたん』」
筆箱につけているキーホルダーを見せてきた。『はかたん』とは、最近流行りつつある福岡県のゆるキャラでありーー僕のハンドバッグにも、『はかたん』がついているのであった。ほんと、よく見ている。
「そうだね、似た者同士なのかも。まぁ『はかたん』が好きなのは、僕が福岡県出身っていうのもあるけど」
「あ、そうなんですね!じゃあ今日は、福岡県からはるばる?」
「いや、東京の大学に通ってるから、今は東京で一人暮らししてるんだ。まぁ、東京からでも、ここははるばるだったけど」
冗談めかして言うと、少女は「ですよね」と笑った。無邪気な笑顔がとても可愛らしい。これは本当に、運命的な出会いかもしれないし、そうしたいという思いがどんどんと強まってくる。
とはいえ、現実には難しいかもしれない。さすがに、ここで事に及ぶわけにはいかないし。
そんな僕の悲観を強めるかのごとく。
「あ……雨、止みましたね」
無情にも、少女が言った。もともと、雨が止むまでの時間つぶしで始まった会話だ。雨が止んだいま、僕がここに留まる理由はないし……つまり、少女との時間はこれまでになりそうだった。
「……」
「……」
なんとなく、両者沈黙。じゃあ行くから、その一言がなかなか言い出せないのは……やはり、名残惜しいからか。
「あ、の……ですね」
そうこうしている内に、少女の方が口を開いた。少し、はにかみながら。
「私の家、両親の帰りは深夜なんです。もし、よければ……来ますか?」
「……」
え、いいんだろうか。こんな、都合のいい展開があって。
本当に、運命的な出会いにしたいーーそう思っているのは、僕だけではなく、彼女も同様だったのかもしれない。
もう一度、自分の心に問いかける。この少女でいいのだろうか、と。
その答えは、既に決まりきっていて。
「じゃあ……お邪魔しようかな」
そう言って、笑顔を向ける。
「ほんとですかっ?嬉しいー!」
じゃあ、家まで案内しますね!などと、歩き始める少女の後ろについていく。
図らずも訪れた運命的な出会いに、心を躍らせながら。
ーー本当に、運命的としか言いようがない。
こんな物騒な世の中で、初対面の男を自宅に招く少女がいるなんて。
ーーこうして。
連続殺人事件の被害者数は、7名に更新された。
@
ネタばらしをするならば。
僕は生まれながらに、殺人嗜好を持っていた。
ご飯を食べたい。よく寝たい。
それらと同等のレベルで、人間を殺めたいという気持ちが湧いてくるのだ。
そんな僕だが、この歳になるまで実際に殺人をしたことはなかった。
理由は二つ。
一つ。法律で禁じられているから。
二つ。最初のターゲットには、相応しい相手を選びたいから。
ある日、僕の耳に例の事件を報ずるニュースが飛び込んできた。
ここだ、と思った。連続殺人に紛れて殺人を犯せば、犯人の特定に手こずるのではないかと思った。東京からも、福岡からも遠く離れた田舎だ。さっとやってさっと帰れば、バレないのではないかと。
というより、最悪、バレても良いとさえ思っていた。今までは法を気にして我慢してきたが、いよいよ、欲求が抑えられなくなっていた。
だから、唯一の問題はーー僕の初めての殺人に相応しい相手と出会えるかどうか、それだけだった。
現地に到着してすぐ、急な大雨に降られた時はなんて運が悪いんだと思った。
だが、そこで少女と出会ったことはーーまさに、運命的だった。
可愛らしい、若い少女。なぜか、初めて会った僕に好意を寄せてくれた少女。
そんな彼女の輝かしい未来を、自分の手で奪う。想像するだけで、心が震えた。
「どうぞ、狭い家ですけど」
少女に促され、家の中に入る。
やり方や、タイミングを考えている心の余裕は無かった。一刻も早く、事に及びたかった。
きぃ、と扉が閉まり切った音。同時に、僕は背後を振り返る。
まずは少女にのしかかる。そして首を絞めよう。
僕が冷静に思考できていたのは、そこまでだった。
@
『連続殺人事件の被害者が、7名になりました』
ニュースキャスターが、痛切な声音で読み上げていた。
『被害者の男性は、福岡県出身の大学生でーー警察は犯人の特的に向けて、捜査を続けています』
そこまでニュースを聞き、私はテレビを消した。
そして、その時をーーあの甘美な一瞬を思い起こす。
家に招くなり、彼はーーお兄さんは、私に襲いかかってきた。
私は、それよりも早く構えていた金属バットで、躊躇なく彼の頭を打ち抜いた。
一撃で意識を失ったようだったので、あとはそのままーーである。
「いや、本当に……運命的な出会いでしたね、お兄さんとは」
独りごちる。
彼に目をつけたのは偶然だった。これ以上、地元の人を殺めるとリスクが高すぎるかもーーそう思っていたところに、旅行者らしき男性を見つけたから声をかけたのだ。
身体目的で、家まで着いて来てくれればいい。そう思っていた。
そして家に着いたとき、彼は襲いかかってきた。私は予定通りに反撃したわけだけど……今にして思えば。
「身体目的じゃ、なかったんですよね」
あのとき、襲いかかってきたのはーー単純に。私を、殺そうとしただけだったのだろう。
視界に、『はかたん』のキーホルダーが入る。彼とのやり取りを思い出して、笑ってしまう。
「いや、本当に……趣味嗜好が似ているというか」
お兄さんの言葉を借りるなら。
「似た者同士でしたね、私たち」
目を閉じる。まどろみが柔らかくやってくる。
もう少し、お兄さんとは話してみたかったな。今になって、そう思う。
だから、まぁ。
「おやすみなさい、お兄さん。夢で会えたら、嬉しいです」
そうして。私は、安らかな眠りへと落ちていく。
こんな、物騒な事件が起きている田舎で。
初対面の女の子に着いてくる男性と出会えたーー
ーーそんな、運命的な出会いに感謝しながら。