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7.『決闘のちハッピーエンド?』
決闘当日。
僕と神谷さんは屋上の扉を前に立ち止まっていた。
これまで数ヶ月に渡って特訓を積みあげてきたというのに、この先に佐波が待ち構えているのだと思うと、ドアノブにかけた手が石像のように重く感じられる。
(大丈夫、僕は勝つためにここにきたんだ)
心の中で自分を鼓舞し、重い手の感覚を吹き飛ばすつもりで僕はドアを開け放つ。大きな衝撃音を壁と鉄製のドアが奏で、決闘のステージにリングイン。
この学校中の不良たちが集結している中、屋上の中心で待ち構えている佐波に僕は言い放った。
「佐波エイジ! 今日ここでお前を倒す!」
「ずいぶんデカい口聞くようになったじゃねぇか……」
僕のが不服だったのか、微笑む顔面は凶器そのものだ。まさに、包丁を突きつけられた丸腰の一般人のように、僕はその顔面に恐怖を抱きかける。
いくら僕自身が成長していたとしても、佐波が恐怖の対象であることは依然として変わらない。
水中から浮き上がってくる空気が、水面に出てこないように、必死で堪えた。
「まあいいさ。これからボロボロになってもらうんだからなぁ」
拳をバキバキと鳴らしながら佐波は睨みつけてくる。それを負けじと僕も睨み返した。
不良集団のヒエラルキーに君臨し、いじめを主導してきた佐波に、僕は勝てるのだろうか?
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
自答する前に、戦いの火蓋は切って落とされた。
迫りくる恐怖の対象は、目の前でどんどん大きくなってくる。それと並行して、恐怖と勇気のしのぎを削る戦いは激化し。
佐波との距離が5メートル程になった時、恐怖が勇気を上回ってしまった。
「ひっ……」
足が止まってしまう。
怯えた声が口から漏れたが、それを自分のものだとは思いたくなかった。
「はっ! そこでびびったまま待ってろ! ……一発で仕留めてやる!」
「流くん!」
走る佐波が腕を振り下ろそうと構えた。それに対して未だに僕の足は震えるばかり。
よみがえる三ヶ月前の光景。なにも変わらない、変わっていない自分の未来が容易に想像できた。
「くらえ!」
―――振るわれる拳が、頰肉を掠めた。
「なにっ!?」
後ろを向いてみれば、そこには無理解を口にする佐波が走ってきた勢いのあまり、前のめりになってバランスを取っている。
「あ、れ……?」
何が起こったのかわからなかった。
「チッ……。ちょっとはやるようになったらしいな」
佐波は小さな舌打ちをすると、身を翻して、また襲いかかってくる。
再び体を蹂躙するのは恐れだ。
迫ってくる恐怖の象徴に体はガクガクとどうしようもない反応を返す。
再び振るわれた暴威は接近の勢いを右足に乗せたキックだ。
続いて飛んできたのは左足の蹴り。次は、その回転力を利用して放たれた回し蹴りだ。
そのあとにも佐波の猛攻は続いた。
(ぁ? どうして……?)
そこで僕は自分がなぜ彼の暴力にさらされていないのかを、疑問に思い、悟る。
佐波の拳が自分の目の前を切り裂く。頰を狙った右フックに対して視点は佐波を見上げるものへと勝手に変化した。
誰かから不可視の力を受けているわけでもない。
……僕は佐波の連打を回避していたのだ。
怖さはあるが、体は攻撃に対してきちんと反応していた。
長身であるがゆえにリーチの長い佐波の足払い。それが僕の足を救いさらわんととするが、それを難なく避ける。
「くそがッ」
苛立ちの声が佐波の口から漏れた。
(やれる……! 僕は、戦える……!)
惨めだった。情けなかった。少しでもいいから報復してやろうと息巻いても、なにもできなかった自分が嫌いだった。
だが今は違う。心の奥底にある闘志が火柱を上げて燃えたぎっている。
神谷さんに教わった蹴りを僕は佐波に放つ。
届くギリギリの距離で放ったそれは、バックステップで避けられてしまった。だが、即座に行った追い打ちが成功する。
「ぐっ……」
右ストレートが佐波のみぞおちを捉えた。
僕はまだ見ぬ勝利に気を引き締める。
お互いの出方を伺い合うように佐波と僕は対峙した。
「うぉぉぉぉ!」
声をあげて、僕は躍り掛かる。
上半身への右ストレート。体を捻るようにして避けられた。
だが、脛を狙ったキックは直撃。
呻いた隙に僕は左ストレートを佐波の頰に思いきりぶつける。
手に届いた確かな手応えが証明するように、佐波は尻餅をついた。
「てめぇ……」
血に汚れた口元を右手で拭う佐波にねめつけられるが、あれほど恐怖を抱く対象だった鋭い目も、今は恐るるに足らない。
飛んでくる攻撃も僕が知るキックやパンチに大きく劣っている。
(勝てる! 間違いなく勝てる!)
平和を手に入れ、神谷さんも取られずに事なきを得る。
現実味を帯びてきた希望に僕は気分を高揚させた。
ちょうどその時だ。
「調子にのるなよ。……おい」
立ち上がった佐波は不良の一人を顎で使った。
なにかをみ取った不良の一人が取り出してきたのは、
「卑怯よ!」
神谷さんが声をあげて訴える。それもそのはず、佐波に手渡されたのは、一本の竹刀だった。
「なっ……!」
声を詰まらせて目を見張る僕に、佐波は下劣に笑う。
「あんたらの決闘条件には武器の使用について規定はなかったはずだぜ? 恨むなら自分たちの詰めの甘さを恨むんだな」
「そんなこと通るわけ……うわっ!」
振るわれた竹刀が風を切り、先ほどまで自分が立っていた場所で大きな衝撃音を立てる。
その場所から流れるようにがれた竹刀は僕の腹部を穿った。
強烈で局所的な打撃はまるで本物の刃物で腹を切られたかのような錯覚を僕にもたらす。衝撃に肺の空気が無理やり絞り出され、夢中になって咳き込んだ。
苦悶の表情を浮かべていると、そこで容赦なく背中が竹刀で切り倒される。
「あ゛ぁッ!」
いつかのように地べたと抱擁を交わした。
続けて体を襲い続ける竹刀に僕は苦鳴を上げることしかできない。苦痛に意識が点滅し、耳に張り付く周囲の嘲笑が心をへし折りにかかった。
「流くん! 流くん!」
神谷さんが悲嘆に暮れた声で僕の名を叫ぶ。二、三歩歩いた彼女は今にも僕を助けに走ってしまいそうだ。
「……こな、いで!」
それを僕は、静止する。
「どうして……」
悲しそうな顔をする彼女が目に入るが、そこだけは譲ることができない。
もう神谷さんに情けをかけられることだけは、僕のプライドが許さない。今日ここで僕は生まれ変わる。生まれ変わるのだ。
「ハッ! お安くない仲になりやがって。お前みたいなやつが毎日毎日……腹がたつ」
大上段に構えられた竹刀が陽の光を纏った瞬間、息の根を止めんとする斬撃じみた打撃が僕の肢体を叩き潰しにかかった。
動かすことに痛みが伴う体を、矜持と気力で即座に転がし、竹刀の猛威から身を守る。
すぐに立ち上がり、僕は佐波に相対した。
無理を冒しているせいで、集中力がヤスリで削り取られて行くような感覚がある中、僕は打開策を探る。
ゆらゆらと死神の様に歩み寄ってくる佐波。それは時間が限りなく少ないことを示している。
僕は歯噛みした。
正攻法で、竹刀を持った佐波に勝てるのか? ―――それは難しい話だ。長いリーチを持つ竹刀は回避を極端に難しくする。一度二度の攻撃は避けることができても、全て避け切ることはできないだろう。体の状態を鑑みても、あと一回でも攻撃を受ければ僕は気絶してしまうに違いない。
武器の使用をもう一度めれば止めるだろうか? ―――応じるはずがない。抗議を竹刀の一振りで遮ってきたことから、結果は容易に想像できる。
自分の荷物で何か武器になりそうなものは―――
思考が白熱する中、佐波は一歩一歩歩みを進めてきていた。激しい運動の末に流れる汗が、頰の擦り傷を逆撫して警鐘を鳴らす。
「終わりだ! 死ねぇ!」
時間切れだと言わんばかりに佐波が吠えた。
(くそ……! やるしかない……)
それまでの思考を僕は投げ捨て、全神経を今、目の前の相手に傾ける。
突貫してくる筋肉質な体躯がこの戦いを決しようと竹刀を横に振りかぶったとき、僕は目を見開いた。
「流くん!」
脳裏に焼き付いた高速の回し蹴りが、突如蘇る。
足と竹刀という違いはあれども、竹刀がなぞる軌道は神谷さんのそれと一致した。
だが、男の本能をくすぐる魅惑的な布地はそこに存在しない。
僕は瞬時に体を低く沈み込ませ、佐波の懐に侵入した。
「なっ!?」
避けられるとは思っていなかったのか、竹刀を振り切った佐波の顔は驚きに溢れている。
「うぉぉぉおぉおぉおおぉおおぉぉおぉおぉおぉおおおぉおぉおおおお!」
低い体勢から全筋肉を動員し、床を破壊するつもりで蹴り飛ばす。体を一気に伸ばしきることで繰り出された、天をも貫かんとするアッパーが佐波の顎に直撃した。
拳に伝わる確かな重み。それをしたたかに空へと弾き飛ばす。
「ぐわぁっ……ぁ……!」
僕の勇姿は、夕日を背景に、輪郭のはっきりした影となって屋上を彩っていた。
「「「佐波さん!」」」
佐波が地面に墜落してから一拍の間が置かれたのち、彼を心配する不良たちの声でようやく、今しがた打倒した佐波の方を僕は向いた。
わらわらと佐波の周りに寄ってくる不良たち。
「てめぇ、覚えていろよ!」
集団で佐波を担ぎ、そそくさと屋上のドアを順番にくぐり抜けていく不良たちを、僕はぼんやりと眺めていた。
「流くん! よかった!」
「ぁ……、神谷さん……」
抱きつかれて、ようやく、決闘に勝利したことを静かに自覚した。
飛び上るほどの喜びは、思っていたほどない。だが、胸の奥に確かに築かれたの存在を、僕は今、しっかり感じとっている。
これが、いわゆる自信、というやつなのかもしれない。
「流くん、ほんとうに、おめでとう……」
「神谷さん、ありがとう。僕、……勝ったよ」
「うん……、うん……!」
胸の中で涙を流す神谷さんに、感謝と勝利を伝える。それに彼女は、ただただ、力強く頷いた。
いつまでも彼女を胸に抱いたまま、勝利の感慨に耽っていたい気も大いにしたが、僕は自分との約束を思い出す。
「神谷さんに、言いたいことがあるんだ」
涙目で僕を見る彼女に、緊張感は鰻登りに上がっていく。それを深呼吸で抑えつつ、戦闘前にしたように気を張って。
彼女の目を真っ直ぐに見て。
「僕は、神谷さんのことが、大好きです!」
自分の好意を、打ち明けた―――。
8.エピローグ 『勝ち取った平穏と新たに始まる戦い』
「おはよう神谷さん!」
「おはよう。流くん」
登校している最中、神谷さんの後ろ姿を発見した僕はすかさず声をかけた。彼女の顔は変化に乏しい方だが、わずかに口が笑みに変わったのを発見して、嬉しくなる。
他人からすれば些細な変化なのかもしれないが、僕は彼女が十分に喜んでくれていることを知っている。
―――あの決闘ののち、僕は平穏を手に入れた。
佐波に勝利したことは、自分にとって人生の分岐点になったと言って良い。
高校に入ったばかりの時も、自分が大きく生まれ変わったような感慨を抱いていたものだが、それとはわけが違う。本当の意味で僕は変ったのだ。
あの決闘ののち、自分を生まれ変わらせてくれた神谷さんに感謝を、そして、出会った当初から変わらない熱い好意を僕は伝えた。
その時の彼女の反応は、こうだ。
『私も、流くんのこと、好きよ? 君は必死に変わろうと努力してたもの。流くんのことは、ほんとうに尊敬してる』
初めての春が来たぁぁぁ、と一瞬思ったが、その後に続く言葉に、『うん?』と僕は疑問符を浮かべ、確認をとってみた。すると、
『そ、それってどういう意味の……』
『うん?』
小首を傾げた彼女の反応は、芳しくなかった。なんのこと? そんな心の声が聞こえてきそうな顔を神谷さんはした。
……詰まる所、僕の思いは届かなかった!
神谷さんにこのどうしようもない思いを誤解なく伝えようと、今は奮闘している。
「神谷さん、今日も手合わせお願いしてもいいかな?」
「あ、ごめん流くん、今日は少し用事があるの。昨日下駄箱に手紙が入れられていてね……」
「ええっ!?」
僕は驚愕を口にした。
(それって、ラブレターなんじゃ……?)
突然大きな声をあげた僕に対して神谷さんは目を丸くしている。
「どうしたの?」
「い、いや! なんでもないよ!」
当然といえば当然なのだ。何しろ神谷さんは心も見た目も美しい。男子生徒の心を意図せず多数射抜いていても、無理はない。
思えば決闘の条件に神谷さんを彼女にする権利を佐波が求めたのも、至って普通のことだ。
僕が目指すゴールに、ライバルは多い。
人生は、戦いの連続である。恋愛もまた然り。
僕は決意する。
(とにかく先手必勝だ!)
「神谷さん、今日のお昼、話したいことが……!」
「凛花ちゃーん!」
「あ、流くんごめんね。また後で」
「えぇ!? ちょっと、神谷さぁん!」
友達に駆け寄っていく彼女の背中は、遠い。
(ホームルーム後の休み時間に都合を聞こう……!)
だが、そんなことで挫けてしまう心は、もう持ち合わせていない。
神谷さんは、天然だ。だが、僕はひたむきに、彼女に好意をり続けるだろう。
いつに思いが届くかはわからない。それでも―――
(僕は前に進むんだ!)
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
これからも執筆活動頑張りたいです。