(2)
太陽の光が、少しだけ弱々しくなり、木々の優しさを感じる道を通る。
川遊びが終わると、六人はログハウスへと帰って来た。午後4時である。川の水の、あの冷たさを考えれば、1時間以上遊べたのは、彼等の若さかもしれない。
「冷たい、冷たい」
ログハウスの外に設置されている水道に、ホースを付けて、瑠衣と朋花が、身体についた川の水を流している。夏奈もそこに混ざると、洗った浮き輪や、エアボートをログハウスのテラスにある手摺に干している男性陣にとって、悪くない光景となった。
今年の水着もこれで見納めかと思っている勇太郎の横で、圭太が「今年は、これで終わりかぁ」と言っている。口に出してしまう辺り、圭太らしいと勇太郎は思った。
真平は、何処から取り出したのか、布団ばさみで、浮き輪とエアボートを挟んだ。これで、風が吹いても大丈夫だろう。
女性陣の水浴びが終わると、圭太が座った状態でホースを持つ。近くで、朋花が圭太に背中を向けて、瑠衣と夏奈と話をしていた。
圭太は、ホースの先端を窄めると、朋花に向けて水をかけた。勢い良く水が出ると、朋花の臀部の奥の秘密にかかる。「ぎゃぁ」と朋花が言うと、夏奈がそれに気づいて「それは良くない。真平ちゃん」と一声出した。
真平は、直ぐにそれに反応し、座っている圭太の上からのし掛かる。肩車する時みたいに、真平は圭太の肩に乗っていた。腰が入っていれば、圭太は真平を肩車出来ていただろうが、ただ座っていただけである。圭太は、立ち上がれない。
「お返しをしなくちゃね」
朋花は言うと、圧力が一番掛かるライフル型の水鉄砲に水を入れて、カシュカシュと圧を掛けていた。包丁を研ぐ、山姥みたいな様相だ。
和式トイレで座っているような状態の圭太にとって、場合によっては明日以降、座っているのが辛い状態になるかもしれない。
勇太郎は、その光景の形に、成長していない感じを受けながらも楽しんでいる。
「奥はやめてね。奥は、やめて・・いやいやいや、薄皮一枚だから。大分、無茶させるなぁ」
朋花が、ライフル型の水鉄砲を逆さまにして、圭太の臀部奥にセットしている。どうやら、水着越しというだけで、圭太のとある部分に直通しているようだ。
「三、二、一で、発射するからね」
朋花はそう言っているが、このグループではお約束がある。きっと、今回もそうだろう。
朋花の「じゃあ、いくよ」の掛け声と共に、既に、ライフル型の水鉄砲は発射された。
真平は、圭太の上から直ぐに退く。
圭太は、鈍色の声を上げながら、前のめりに崩れた。臀部を手で押さえている。
勇太郎は、圭太の近くで中腰になると「どうだった?」と聞いた。
「内視鏡を入れられたみたいだった。細いのに太く感じた・・」
圭太の苦悶の表情。もしかしたら、朋花は少しだけ、押し込んだのかもしれない。
悪巧みの終わった後の顔をしている女性陣に、「だってさ」と勇太郎が言うと、それに高笑いがプラスされた。
真平は、一通り笑い終わると、玄関のバスタオルを使って良い事を話し始める。圭太は、それを身体的低姿勢で聞いていた。
「それで、女性陣から、先にシャワー浴びてね。お酒が入るから、全員、先にシャワーする為に川遊びもしたんだから。あ、シャワーの時のバスタオルは各々でお願いします。後、玄関のバスタオルは、風呂場のピンクの籠に入れて置いてね。洗濯するから。諸々が終わったら、バーベキューの準備だよ。女性陣は、シャワー終わった人から、野菜、切っといてくれたら嬉しい。男性陣は、今から炭の火起こしね」
真平が、先の段取りも話す。旅先で、する事が直ぐに決まるのは、その事柄自体を楽しみ易い。
話を聞いて、女性陣がログハウスへ消えると、残った三人は水浴びをしてから、テラスにあるバーベキュー専用スペースへと行く。
そこには、炭の入った段ボール箱が二箱分と、組み立てられたバーベキューコンロが置かれていた。火ばさみも、三つ用意されている。きっと、真平の仕業だろう。
真平が炭の段ボール箱を開けると、ゴムで手の平をコーティングされている軍手をはめて、炭をコンロの中へ雑多に入れた。勇太郎と圭太は、それを火ばさみで綺麗に並べていく。
ある程度炭を入れると、真平が着火剤とガスライターで火を付けた。火が強くなると、その上に、勇太郎と圭太が、段ボール箱から炭を取り出して置いていく。
途中、真平は圭太に団扇を渡し、コンロの横穴目掛けて扇ぐように言った。パタパタパタパタと、団扇の音が森に響く。暫くしたら、火も回るだろう。
落ち着いた所で、勇太郎は、さっきの川で感じた視線の事を、真平と圭太に話す事にした。一人で思っているより、幾分、楽になる筈だ。
「あのさ、さっき川遊びしてだ時、誰かに見られている気がしたんだけど。二人は気がついた?」
勇太郎は、そう話をふる。真平は、良く分からないという顔で首を横に振ったが、圭太は、その話自体に喰いついた。勇太郎との間の、過去の出来事を反芻したのだろう。ニヤリと笑っている。
「勇のそれが始まったか。来た甲斐があったなぁ」
圭太の言葉に、真平は「どういう事?」と聞いている。勇太郎は、ややこしい事になったと思った。一つ、溜め息を出す。
「勇は、昔から見える側だったからね。高校の修学旅行を、ホラー映画に変えた伝説持ってるし。あれは、面白かった」
圭太は、団扇で扇ぎながら、真平に話をする。真平は「本当に?」と言いながら、勇太郎を見た。見られた勇太郎は、行き場の無い感覚になる。また、説明しなければならないらしい。
勇太郎と圭太は、大学で、この話を何回もしていた。それはそれは、飽きるほどに。
二人は、手を変え品を変えでは無く、対象を変える事で、一時の感覚に酔っていたが、勇太郎は先に脱落した。話をしている側が面白く無いなら、長く続く訳が無い。そもそも、勇太郎は、話は好きでも怖いのは嫌いなのである。
勇太郎は、そんな感覚でいたが、真平の眼差しに負けて話をし始める。圭太は、久々だという顔をしていた。勇太郎は、そんな圭太を見ながら、たまには良いかと思い直して、話に身を入れる。
「そんなに、大した話じゃないけどね。高校の時だったんだけど、修学旅行ってさ、部屋が割り振ってあるでしょう」
「それって、部屋に出るみたいな話?」
真平が、話を先読みする。
「それが、違うんだよね。部屋は、何ともなかったんだよ。受付のある一階だったんだ、気持ち悪かったのは。そのホテルの受付には、大きな鏡があって、受付をする人達を映していた。で、先生も受付を終わらせて、俺等のクラス分の鍵を貰って来たんだけど。あっ、俺等は、勿論、ロビーで整列して待っていたよ」
勇太郎は、自分の話し方が、下手になっているのに気がついて、内心、苦笑した。圭太も笑っている。真平だけが、その場面を思い描いているようだった。
「それで、男女別の班ごとに鍵を受け取って受付前を通り過ぎ、エレベーターに乗って部屋に荷物を持って行ってたんだけど、俺と圭太のグループになった時に、女の人が鏡の前で受付してたんだ。最初は、一人旅かなぁとか思ってたんだけどさ、良く見ると、その鏡から白いラインが女の人の頭に繋がっているんだよ。声が出そうだったけど我慢して、周りを見るとさ、受付の中で働いてる人の後ろに、着物を着た女が、誰にも気づかれずに立ってたんだ。それで、鏡の中から、その白いラインをもう一本取り出して、女の人の頭に付けると、白いラインは合体して一本になったんだ」
そこまで聞くと、真平は、「ありそうな話だね」と言った。圭太が、「それが、続きがあるんだなぁ」と真平に言うと、勇太郎に続きを話すように、目で合図する。
「その時は、また変な物見たなぁくらいにしか、思って無かったんだけど、その日の夜に事件が起こったんだ。あの女の人が、ホテル内で殺人事件を起こしたんだ。アイスピックと鉈を持って大暴れしていた。僕等の部屋の扉も、ガンガンに鉈で叩かれて凹んでいたから、いろんな階で暴れたんだろうね。女子達は大泣きだったし、警察やマスコミは来るし大変だったんだよ」
勇太郎は、そこまで話すと真平を見る。真平は、スマートフォンを取り出すと、事件を調べていた。横から圭太が、場所やホテル名を教えている。
真平は、「マジか」と言った。どうやら、見つけたらしい。
「その後は、修学旅行どころじゃなかったんだ」
圭太が言う。勇太郎は、森が少しだけ騒がしい気がした。
「本当にそうだった。で、学校でこの話をしたんだ。呪いの鏡事件として、何故かずっと残っている。まぁ、女の人が暴れた理由は、交際相手の浮気だったみたいだけどね」
勇太郎は、面倒になって、そこで話を閉じた。真平は、「面白いね、現実に影響があるんだ」と圭太と話をしている。
確かにその通りだと、勇太郎も思っていた。現実にやってくる現象としては、痣なんかがあるが、この場合は行動に現れている。勇太郎は数々見てきたが、この場合以外に、そのような事は無かった。
ガラガラと窓が開く。朋花と瑠衣が様子を見にきたらしい。
「もうみんな入ったから、男どもも入りなさいな」
朋花が、タオルを首から掛けている姿で言った。真平が「夏奈様は?」と聞いている。
瑠衣が「キッチンで準備しているよ」と伝えると、真平は急いで玄関にまわり、ログハウスの中へと入る。
「真平が、一番にシャワー浴びてって言っといてくれるかな」
勇太郎が瑠衣に言うと、瑠衣は「はーい」とログハウスの中に消えた。
朋花と圭太は「燻製にしてやる」と、誰にも聞かれない、夫婦漫才を始めている。
勇太郎は、やれやれと火の番を始めた。炭を、段ボール箱から一つ取り出すと、コンロの中に入れる。カチカチピチと音が鳴って、火の粉が少し舞った。
一番最後の勇太郎のシャワーが終わると、バーベキューは既に始まっていた。待たなくても良いと、勇太郎が伝えたからである。
「はい、これ」
勇太郎が、髪の毛を少し拭きながら、ログハウス内の二人掛けのソファーに座ると、音に気がついたのか、瑠衣がビールを持ってきた。勇太郎は「ありがとう」と言いながら、缶を開ける。湯上がりの一杯ほど、美味しい物は他に無い。尚且つ、この季節である。
瑠衣は勇太郎の横に座り、「はい、乾杯」と、そのまま飲もうとしていた勇太郎の缶に自分の缶を当てた。煙の匂いに混ざって、瑠衣のシャンプーの香りが、勇太郎の鼻に届く。
勇太郎はビールを飲んで、それを誤魔化すと、横で瑠衣もチューハイを飲んでいる。普通なら、対面の二人掛けソファーに座るのにおかしいなと、一瞬、勇太郎は思った。
「飲んでみる?」
瑠衣が、勇太郎を、上目遣いで見ながら言う。二人掛けのソファー内では、あまりにも近過ぎる顔だった。
「もうちょっとだなぁ」
外で圭太の声がする。勇太郎は、周りを確認した。目の前のテレビの横に、ビデオカメラがセッティングされている。勇太郎は、声にならない声と共に、テラスでバーベキューをしている四人の元へと行った。
「悪趣味だぞ」
外で、ノートパソコンのモニターで見ていた四人に、勇太郎が憤慨しながら言う。四人ともニヤニヤしている。
「悪趣味になる理由を知りたいなぁ」
朋花の一言に、「知りたいなぁ、知りたいったら知りたいなぁ」圭太も煽るように言葉を繋げる。勇太郎は、唸っているだけだが、その横から瑠衣が来る。
「私も知りたいなぁ」
瑠衣の一言に、勇太郎は崩れていく。四人とも笑っていた。「さっさとしなよ」という事なのだろう。
応援というにしろ、悪趣味ではある。その感じから発案した人間は、大体分かっているのだが、そんな事よりも、瑠衣に「知りたい」と言って貰えた事が勇太郎には収穫だった。
ありがとうと言えない感謝みたいだなぁと、勇太郎は思うと、焼いた肉を頬張り始めた。やけ食いに見えたのか、瑠衣は、勇太郎の横で世話を焼いている。朋花は、それで少しだけ酒が多くなり、それを圭太がテラスの手摺を触りながら見ていた。
午後6時から10時までのバーベキューは、部屋の中で飲み会に変わる。虫が、気になったからでもあった。
机を六人で囲んで、大学の友人の話から恋話まで繋がって、酒の缶が増えていく。
午前1時半頃、「眠い」と言った瑠衣を皮切りに、女性陣は歯磨きをしに洗面台へ行った。床に着くには、丁度良い時間だ。
「おやすみ」
瑠衣と朋花の挨拶の後、階段の音と二階の扉が閉まる音がした。男性陣三人も、それに反応する。
少し遅れて、夏奈が「おやすみ」と言うと、真平が膝をついて、階段を上がっていく夏奈に挨拶をしていた。どんな物語なんだろうと勇太郎は思う。二階の扉が閉まり、夏奈の姿が寝室に消えると、そこから、三人は午前3時まで飲み会を続けた。
「寝るか?」
圭太の声に、勇太郎と真平は同意する。真平は、特に疲れているだろう。
三人で後片付けを終わらせると、圭太は歯を磨きに行き、真平は仕上げとしてテーブルを拭いていた。勇太郎は、ゴミ袋をしばっている。
「明日は、何するの?」
勇太郎は、真平に聞いた。
「写真撮影でもしようかなぁ、水着写真が無いって、女性陣に言われたから。バーベキューでは、大分撮ったけどね」
「なら、もう一回川遊び?」
「炎天下の中で、活動するなら一番良いと思うよ。水着も、バスタオルも洗濯したから大丈夫だしね。暗くなったら、花火と肝試しだから、昼間にやる事は一杯あるよ」
真平が言う。勇太郎は、多分、肝試しの下見だろうと思った。明るい内に、色々と見ておけば危険は少ない。ルートも決められるし、持って来る物を置けばゲーム性も出る。
「そっか、何かあったら言ってね。一人じゃ大変だろうし」
勇太郎の言葉に、真平は「ありがとう」と返すと、「早く寝よう」と台拭きを洗って、キッチンにあるスタンドに引っ掛けた。勇太郎も「だね」と言いながら、圭太と入れ替わりで、洗面所へ真平と行く。
後ろから、「先に寝とくよ」と圭太の声に返事をする。二人は歯を磨き終えると、一階の電気を消して、寝室に入った。圭太の寝息が、既に聞こえる。
真平が真ん中、勇太郎は右側のベットに入ると、二人は直ぐに眠りについた。寝落ちとは、こういう事なのだろう。
外では、蛙と虫が、静かな夜を演出している。月が夜雲に隠れて、また現れると、何かの影をゆっくりと映していた。
勇太郎は、朝の5時頃、目が覚める。トイレだった。ピシッと木が軋む音。寒暖の差だろうか。
天井からか一階からか分からないが、何回も聞こえる。それでも、ボヤけた頭と生理現象には勝てない。
静かに部屋を出ると、一階に誰か座っている気配がした。一階を覗くと、直ぐに見える。誰だろうと勇太郎は思ったが、おかしいと思い直した。
よく見ると着物を着ている。それで、二人掛けのソファーに座っているのだ。
勇太郎は、扉を閉めたのを後悔した。戻れない。一階を覗ける手摺の前で、固まって動けずにいると、首がゆっくりと勇太郎側へ向こうとしている。
ゆっくり、ゆっくり、首より上だけが回転していく。そして、勇太郎と目が合った。
百八十度の異質。
何処かで見たような顔である。しかし、勇太郎は思い出せない。
女だと認識出来る。
顔に血の気が無なかった。
肌に白を混ぜ込んだような青白さに、静脈の鼓動だけが、強い存在である事を感じ受ける。
「おはようございます」
赤い唇が動いて、それは言葉を発した。
目は、勇太郎を捕まえて離さない。
消えない、消させない。
山吹色のラインが、着物の色として纏わり付いていた。
赤い花火の柄は黒と混ざっていて、闇夜の彼岸花を綺麗にしたみたいな艶やかさがある。
勇太郎は、やはり動けずに、その場で直立不動になった。立ったまま、意識があるままの金縛りである。尿意は、脂汗に変わった。
木がピシッピシッと、たまに音を鳴らすが、それ以外は、全て止まっているようだ。
「貴方とは、三回目ですね。いずれにしろ、此方側の人間ですから仕方ない事。あっ、今は、意味など分からなくて構いません。でも、前の様に、お茶に誘って頂けると嬉しいのですが。私に、時間は関係ありませんし」
鼓膜を揺らすのでは無く、心情を揺らして声を聞かされる。それは立ち上がると、首と同じ向きへ、身体も回転させた。
すると、ゆっくりと階段へと歩き出す。
足音は無い。
静かな中で進む。
階段を上がって来る。
足を置く時の、あの音がしない。
木が重みを受け止めていない。
空気を人型に切り取って、色を付けた存在だからか。
勇太郎の前まで来ると、勇太郎の頰に触れる。
両手を勇太郎の顔まであげていた。
身長は158センチくらいだろう。
冬の一番寒い日に、素手で雪を触った後の手の温度がする。
冷たい、愛しい、冷たい。
勇太郎は、それの顔を見る。
変わらない。人間と、何一つ変わらない。
それでも違うと分かる。
物差しが一つ無い目だ。
全ての軸になる、その一つが無い目だ。
「今日は、これくらいにしましょうか。では、また」
優しさと冷たさの間で笑うと、それは消えてしまった。
勇太郎は、立ったまま意識が飛ぶ。
10秒。20秒。
気がつくと、朝の光が見える。生理現象の感覚も思い出す。
勇太郎は、トイレへ行くと用を足してから、鏡を見た。感覚が残っている。
夏の日に氷を押し当てたみたいな、それに人の肌の触感をコーティングしたみたいな、頰に付いた触覚的入れ墨だった。
同じ箇所を触りながら、もう眠れないなと、勇太郎は思う。
蛇口を捻って顔を洗った。朝なのに、水道水を生温く感じて、あれの存在が大きくなったのを勇太郎は認識する。
勇太郎はキッチンへ移動すると、缶ビールで喉を潤した。それでも、忘れられない。
ふと、ソファーを見る。あれが、座っていた箇所に触れてみた。冷たい。濡れているだとかは良く聞くだろうが、あれは、温度だけを変えている。
もしかしたら、夏場に冷たい場所は、あれに近い存在が、座った後か存在した後なのかもしれない。
温水便座では無い洋式トイレや冷んやりした床、何故か冷たい水が出る蛇口に、そこだけ水温の違うプールや海。他にもあるだろうが、考えたくは無い。
勇太郎はソファーに座ると、缶ビールを飲みながらテレビの画面を見る。スイッチは入れていない。
テレビの画面の後ろで、誰かが笑った気がした。勇太郎は、気の所為にしたくなって、缶ビールを更に飲んだ。
ソファーで、横になって寝ていた勇太郎は、頰を触る手で起きた。目を開けると、瑠衣である。
机がある側から触っていた。あれと同じ場所を触りながらも、温かさが違う。
勇太郎は、瑠衣の上半身を抱き寄せる。あの冷たさを忘れる為だった。「きゃっ」と瑠衣は声を出しながら、勇太郎に体重を掛けてしまう。
「ちょっと、どうしたの?」
瑠衣は、いきなりの事でビックリしている。
勇太郎は「ごめん、つい」と言いながら、サッと手を離す。瑠衣は「寝ぼけてても、ついは駄目だよ」と、体勢変えながら笑って言う。
変な間が出来たが、朋花が「おはよう」と降りてきたので、二人ともそれに反応した。その後ろを、夏奈も「おはよう」と言いながら続く。
「昨日、何時まで飲んでたの?」
朋花が、勇太郎に聞いてきた。机の上に、缶ビールが置かれているのが気になったらしい。朋花は、それを見ていた。
「あぁ、三時までだよ。これは、変な夢を見たから、忘れる為に」
勇太郎は言った。本当の事を言って、無理に怖がらせる必要も無い。
女性陣三人は、それを信じていた。勇太郎の顔色の悪さが、理由に裏付けされている為である。
心配する三つの顔に、勇太郎はいたたまれなくなり、「美味しい朝ご飯と、太陽の光を浴びれば元気になるよ」と笑って言った。
「お前は植物か」
朋花が、雰囲気を変える為に、突っ込んでくれた。二人とも笑っている。勇太郎にとっては、朋花の存在は有り難い事だった。
カチャっと、ログハウスの扉が開く。四人で其方を向いた。真平である。外で、何やらしていたらしい。昨日干した、浮き輪やエアボートを、ボストンバックに入れていたのかもしれなかったし、昨日の火の後を見ていたのかもしれなかった。
「おはよう。勇太郎も起きたか」
真平は言った。時間は、午前九時過ぎ。真平は、5時間寝れば大丈夫な体質である。
「朝ご飯、お願い出来るかな?」
真平は、女性三人に向かって言う。「言われなくとも、今、やる気を貰った所。ねぇ」朋花の返事に、二人とも同意している。「よろしく」と二人に言った真平は、夏奈へ「おはようございます、夏奈様。御気分は、いかがでしょうか?」と訊ねていた。
夏奈も変わらず答えている。それを見ていた三人は、一体、この設定はいつ終わるのだろうと疑問だった。まさか、一生続くのだろうか。
女性陣三人が顔を洗う為、洗面台へと向かうと、勇太郎は真平に「起こしてくれても良かったのに」と言った。真平は、「良く寝ていた方が、僕も安心だから」と返す。自分のリズムに合わせる必要は無い、何かあれば必ず言うと、真平は続ける。
勇太郎は納得するしかなく、その雰囲気を感じた真平は「後で下見に行くからね」と、勇太郎に小さな声で言った。勇太郎は、それを聞きながら頷いて、身体を伸ばした後、空き缶をゴミ箱へ入れに行く。カランと、その音がキッチンに響いた。
女性陣が、朝食を作り終わった。コーヒーの香りと、ベーコンの香りがログハウスの中に広がる。その中に柔らかに存在する、焼かれたパンの香りにバターの香りが被さり、五人の食欲を刺激していた。
圭太は、まだ起きて来ない。朝は弱いタイプではあるが、こういう状況の場合は、起きて来る方が多い。
時計は午前10時前である。
「私、起こしてこようか?」
朋花が提案したと同時に、二階の部屋の扉が開いた。圭太が、ボサボサの頭で出て来る。
階段を降りて来る途中、Tシャツの中に手を入れて、ボリボリと掻いている。ふと、五人の方を見た。
「グッドモーニング」
圭太は朝の挨拶をすると、そのまま席に着く。勇太郎にとっては、いつもの圭太であるが、朋花が「顔洗って来なさい」と言うと、瑠衣も夏奈も、少しありえないという顔をしていた。
「何だよ。俺の母ちゃんかよ」
そう言うと圭太は、渋々洗面台へ行き顔を洗う。水道の音と、それが弾ける音。
圭太は戻って来たが、勇太郎はなかなか思い切ったなと思った。着ていたTシャツで、顔を洗った後、拭いたようだ。ペタペタのTシャツが、体に張り付いている。
勇太郎は、圭太が横に座ると笑った。女性陣三人は、圭太に何か言いたそうであったが、勇太郎の笑い声で何も言えない。真平も、その横で下を向いて笑っている。
朋花だけが、さっきのキャラクターを利用して「何やってんの、あんた」と呆れた声で言っていた。
「それじゃあ、いただきます」
圭太の声から朝食が始まると、この後の事を、真平が割り振りをする。明日は、帰るだけにした方が良いからという物でもあったが、朝から川は寒いという事でもあったらしい。
「圭太は、昨日のバーベキューセットを片付けといて。灰の捨て場所は分かるでしょう」
真平が、圭太に言う。
「あぁ、うん、あそこだろう。洗って、裏返しとけば良いか?」
圭太が聞き返すと、「乾いたら、あの箱になおしといて」と、真平は続けた。
「俺と勇は、例のアレして来るからさ。で、女性陣は、部屋の中をよろしくお願いします。朝の後片付けと、昼飯の準備ね。1時ごろには食べよう。それが終わったら、水着、洗濯しといたから、川遊びの準備しといて。食べたら川に行こう。連絡して聞いたら、今日は、飛び込める方が使えるらしいから」
真平の説明に、食べながら聞いている五人は、こういう人間が一人居るだけで大分違うなと思った。声には出さないが、顔がそう言っているなと勇太郎は思う。真平は、それを分かっているのか、いないのか、コーヒーにミルクを入れて飲んでいた。
朝食を食べ終わると、六人は、各々の場所へと移動する。圭太はテラスでバーベキューコンロを片付け、瑠衣と夏奈はキッチンで朝食の食器洗いと昼食の準備、朋花はゴミの仕分けが終わると、テラスの圭太を手伝いに行く。勇太郎と真平は、パンフレット片手に廃園した遊園地へと歩いて行った。
「行くまでは、楽だね。夜になったら、違うのかもしれないけど」
勇太郎が、ミラーハウスの前で真平に言う。
「そうだね。多分、余程の事が無い限り、ミラーハウスまでは来れるし、何かあっても、7、8分でログハウスまで戻れる。後は、中だなぁ。このルート通りなのかもだけど、鏡とかが、割れてないかも重要だから」
真平の慎重な感じに、勇太郎は「整備はされてるし、料金も取られているよ」と、真平に言う。真平は笑って、「建前かもしれないからさ。こういう廃園は、お荷物になる事だってあるから」と勇太郎に言い、「じゃあ、行こう」とライトを準備した。
ミラーハウスの中は昼間でも暗かった。勇太郎が真平に言われて、入り口のスイッチを入れると、ミラーハウス全体に光が灯っていく。一部の蛍光灯がチカチカしていたり、全く点灯していなかったりしていたが、鏡が割れている事は無く、道は歩き易かった。
二人は、迷路状の中を全てチェックする。行き止まり、蛍光灯の点灯具合、足元の危険な物、鏡の立て付け。真平が貰っていた地図に、書き込んでいった。そして、一番安全なルートの中間に、小さな折り畳みの机を用意して、その上に、銀色に光るキーホルダーを三つ置いた。
「これで良いかな」
真平が言うと、勇太郎も頷いた。そして、出口まで、同じようにチェックしていく。
二人は、出口から外に出ると、今度は蛍光灯を消して、ライトだけで進んだ。勇太郎は、下見したから全然怖く無いかもと、少し機嫌が良くなった。あれが出たのが、ログハウスである事も大きい。
「取り敢えず、大丈夫みたいだね」
途中で真平が笑顔で言うと、勇太郎も「そうだね」と言って時計を見た。午後1時10分である。昼食の時間は、午後1時頃であった筈だ。
「もう、1時回ってるよ」
勇太郎が慌てて言うと、真平も「少しのんびりし過ぎたね」と、ライトを照らして先を急いだ。
二人がログハウスへ戻ると、日の当たる場所にバーベキューコンロが干してある。圭太は、きちんとやっていたようであった。朋花をつけていたから、サボる事は出来なかったであろう。
玄関から真平が入ると、四人はクーラーがフル稼動の中で、ソファーに座って話をしていた。勇太郎も、真平に続くと、同じ光景を見る。
「ごめん、遅れた」
真平は謝った。勇太郎は、あれだけやってるんだからと思ったが、真平の顔を立てて、一緒に謝る。
「大丈夫だよ、冷やし中華だし。丁度、冷えてると思う」
瑠衣は笑顔で言うと、立ち上がって冷蔵庫へと向かった。その後に、夏奈も続く。
真平は、その夏奈へ「申し訳ありません」と言っているが、夏奈は「問題無い」と返していた。一体、何処のヴァイスリッターだと勇太郎は思うが、踏み込んではいけない壁が、そこにはある気がした。
ソファーでは、圭太と朋花の夫婦漫才が、観客が居なくなっても続けられている。
日常の形が、帰ってきたような感じがして、勇太郎は明るかった。
昼食の冷やし中華は、瑠衣が頑張ったらしい。瑠衣は「錦糸卵が上手く出来たんだ」と勇太郎に言っている。勇太郎は、微妙に繋がっている錦糸卵を食べながら、「本当だね、美味しいよ」と返して、瑠衣を笑顔にしていた。
真平は、小声で「夏奈様がサポートされたのですか?」と聞いている。夏奈は、親指を立てて、合図を送った。真平が、大きな声で返しそうだった為、夏奈は、人差し指を鼻へも持っていく。真平は察すると、そこで一礼をした。
「なんだこれ」
圭太が言う。朋花は、テーブルに肘をついて溜め息を吐き出す。
「なんで、私は余り物なんだ」
朋花はボソッと言うが、地獄耳の圭太は、聞き逃さなかった。
「誰が余り物だと」
「あんた、あんたの事」
朋花の人差し指が、圭太の顔面を捉えている。
「余り物になるようにしてるくせに」
圭太が、明後日の方向見ながら言うと、朋花は、全てを把握している圭太が疎ましかった。圭太のくせに、全部、分かっているのかと朋花は思う。
「あっ、食べ終わったら、四人共、水着準備しててね。後片付けは、二人でやっとくからさ。良いだろ?勇」
真平の説明の割り込みに、圭太と朋花は、それ以上、お互いに踏み込まなかった。
勇太郎は、真平の提案に納得して頷く。
瑠衣と夏奈は、また川遊び出来ると喜んでいた。
朋花と圭太だけが、少し上の空で、冷やし中華を啜って、場をやり過ごしている。
「早く食べて行こう。朋花ちゃんも」
瑠衣の言葉に、朋花は「そうだね、たくさん飛ぼう」と、笑顔で答える。「無理しちゃって」と圭太の小声に、朋花は無言の七味攻めで、圭太を恐怖させていた。




