(1)
鏡は、世の中に必要な物だ。顔を見て身支度を整えたり、いつもは見えない場所を確認したり、その用途は様々だろう。
故に、何処にでもある。何かが映るという項目ならば、鏡以外にもあるのだ。
その数の多さは、無限に広がる毛細血管のようである。それでいて・・・
パタン。
勇太郎は、本を閉じた。近くの紙一枚が、風圧で少しズレる。勇太郎は、それを四つ折りにし、ズボンのポケットにしまった。別に要らない物だが、そのままにはしない。
大学の図書館へ、暇潰しに来た勇太郎だったが、一発目から苦手なジャンルである、ホラー小説を手に取るとは思いもしなかった。
題名だけで、本を選んではいけなかった。いや、その前に、目次からも、その片鱗は無かった。プロローグの最後の部分を、読まなければ分からない本だったのだ。それは、仕方ない。
そもそもだ、ジャンル分けされて並んでいる本棚があるのに、何故、元の場所へ戻さない奴がいるのか。それが、全く分からない。
勇太郎は、少しイラつきながら、図書館を後にする。勿論、適切な棚へ本は戻した。
カフェテリアにでも行って、甘いアイスコーヒーでも飲めば、さっきの事も忘れるだろうと、勇太郎はカフェテリアへの道を歩き出す。
気分を変える為に、テニスサークルの練習を、横目で見られるルートを取るのはご愛嬌である。この場合、あざとさの変態となるのだろうが、人一人の個人的楽しみだ。当人以外に、害悪は無い。
勇太郎は、歩きながら、遠目に眺めた。フェンスの中には、六面、テニスコートがある。いつものように、道側のテニスコートで、女の子達が練習をしていた。
その中に、勇太郎の気になる子が居るわけでは無い。居ないからこそ、見れるのかもしれなかった。
そのテニスコートを通り過ぎて、「高杉」と学生から呼ばれている大きな杉の木を、勇太郎は左に曲がる。この通りを、真っ直ぐ進めば、目的のカフェテリアだ。
左右に、重ならないよう、数メートル単位で設置されているベンチでは、一人で音楽を聴いてる人、横になって寝ている人、二人きりの世界を表の世界にダダ漏れさせている人などが、各々に時間を過ごしていた。
気にせず歩いて行く勇太郎は、向かい側から歩いて来る、見慣れた友人を発見する。
圭太だった。スマートフォンで、誰かと喋りながら歩いて来る。
圭太は、勇太郎の姿を発見すると、左手を上げて挨拶をしてきた。
勇太郎も、手を上げたが、歩くスピードは変わらない。手を下げるタイミングで、圭太とすれ違い、そのまま、歩いて行こうとしていた。
「勇、ちょっと待って」
呼び止められ、勇太郎は振り返る。
圭太は、スマートフォンでの会話を「わかった。頼むよ」で終えると、勇太郎の元へと歩み寄る。
「今度行くさ、あれ。順調に進んでるよ」
圭太が、興奮気味に言う。
「俺は、苦手だから行かないよ」
「そんなこと言うなよ。折角、瑠衣ちゃんとか、瑠衣ちゃんとか、瑠衣ちゃんとか、誘って、OK貰っているのにさ」
同じ単語を三回言う友人は、時間ときどき場所ときどきウザい、となってしまうのがセオリーだが、勇太郎は気にはしない。
圭太に、全く悪気が無いからである。爽やかな笑顔で、色々と放り込んでくるタイプなのだ。対象、例題、云々によっては楽しめるからではあるが、一番大きな理由は、中学からの腐れ縁だからである。
だが、今回の件は、勇太郎にとっては面白くない。
キャンプに行くのは分かるが、肝試しをしなければならない年齢は、とうに過ぎている。肝を試すのは未成年までで、その後は、肝を冷やす事しか無いのが社会人だろう。大学生とはいえ、その扉の前に立っているのだ。
キャンプに参加する予定の六名は、全員が成人している。キャンプに行くのは良いが、大人の立ち振る舞いとしてはどうなのだろうか。
そんな風に、建て前だけは立派に考えている勇太郎だが、単純に怖いのである。
圭太にしても、いつもは勇太郎に配慮してくれているのだが、キャンプという言葉に、脇汗を掻いているのでは無く、舞い上がってしまっている為、気が回っていない。
勇太郎は、未だに圭太に向けて、渋い顔をしている。
圭太は圭太で、勇太郎の返事があるまでは逃さないという面持ちだ。尚且つ、「はい」以外は受け付け無いのである。
勇太郎にとって、面倒な時間がゆっくり流れていく。5分経った。将棋番組の「10秒」という声が聞こえてきそうだ。
圭太は、スマートフォンを触りながら、「まだかな、まだかな、まだかなー」と言っている。
OKを出して、カフェテリアでアイスコーヒーを奢らせるというのも良いかもしれないなと、勇太郎が諦めて思い始めていると、「あっ、居たぁー」と、勇太郎の五感を揺さぶる声がした。
「用事って何ー?」
遠めから、高い声で圭太に話し掛けたのは、瑠衣と朋花だった。
圭太は、とうとう親友に、悪魔の勧誘を行うようだった。
本や漫画、ドラマや映画では、気になる子に誘われて、その後、良い雰囲気なるというのがお約束らしいが、現実世界ではそうなるとは限らない。故に、悪魔の勧誘なのである。
さっき、スマートフォンを触っていたのはこれが理由かと、勇太郎は思う。
「用事って、どうでも良い事だったら、1分に付き千円ね」
男二人の所まで来ると、朋花が、腕組みをしながら圭太に言った。
朋花は、些細な事でも、お金を請求してくる発言の多い人物だ。癖なのだろう。
実際は、結構太っ腹で、面倒見の良い女の子であり、人望もある。
勇太郎が把握しているであろう、キャンプへ行くメンバーの内、この場に三人が揃った事になった。
圭太は、これで勧誘する気なのである。対象に対して、圧倒的力を発揮する人物を一人配置し、後は、数で押し切るのが圭太のやり方だ。
この三人に説得される事に、勇太郎は愕然とした。絶対に負ける自信が、勇太郎に湧き上がる。
圭太のやり方を、勇太郎は、何回か体験していたが、いつも屈服していた。実に、上手くやるのだ。
リサーチアンドフォローが、完璧である事も、圭太の友人が多い事からも分かる。
「いやぁ、勇がさぁ。キャンプの返事してくれなくてさ」
圭太がわざとらしく、二人に話をする。既成事実を作りたいらしい。
「えーっ、行かないの?」
瑠衣の一撃で、勇太郎は、線一本で繋がっているだけになる。それくらい、沈んだ顔を瑠衣はしていた。
瑠衣は、自分の心に、嘘がつけないタイプの人物だ。必ず、顔に出る。それを、本人は気がついていない。瑠衣の不思議そうな、「なんで、分かるの?」を、聞いたことがない瑠衣の周りの人間は居ないだろう。
「瑠衣、そんなに言わないの。無理強いする事でも無いんだからさ」
朋花の言葉に、勇太郎は逃げ場をなくした。勇太郎の為を思っての言葉は、裏返せば勇太郎の為にはならない。無理なお願いを、聞いてくれない人間となるからだ。それは、どこか嫌なものである。
他の事柄であるならば、付随する無理の無い事へと逃げられるのだが、この場合は、行くか、行かないかである。勇太郎も、アレさえ無ければ、二つ返事で行くと言っただろう。
「分かった、行きますよ」
勇太郎が、渋い心情と諦めの境地で答えた。つまり、誰かとの思い出作りを、優先したのである。
圭太は、心の中で小さくガッツポーズをしている事だろう。「謀ったな」と、言っていたであろう過去の偉人達の気持ちが、勇太郎には分かった気がした。
「本当に?やったぁー」
勇太郎の言葉に、瑠衣は喜ぶ。勇太郎は、この顔だけで、ひれ伏す事が出来ると思ったが、顔には出さない。
「本当に良いの?無理してない?」
朋花は、勇太郎に気を使って声を掛ける。
朋花の良い所だ。必ず、もう一度だけ、みんなに分かるように確認してくれる。
「うん、大丈夫。迷ってただけだから」
「それなら良いんだけど。なら、私も、楽しみにしとくね」
朋花は、優しい顔で言葉を返した。
「よし、これで六人全員大丈夫になったから、真平に伝えとくよ。みんな、真平の指示に従って、準備よろしくね」
圭太はそう言うと、すぐに、真平にスマートフォンで連絡をした。
真平は、こういう内々のイベントで、色々と世話を焼いてくれる人物である。勿論、そういうイベントには、真平自らも参加しているのだが、一番煩わしい準備の部分を、係でも無いのに滞り無くやってくれるのだ。
そんな人物だからか、他の友人が「世話焼き真平」と呼んでいたのを、勇太郎は何回も聞いている。真平自身も、それで構わないという考え方であった。
そんな真平に、勇太郎は、一回聞いた事がある。「どうして、そんなに動くのか?」と訊ねたのだ。
真平は、普通の顔で「仕事する時に、役立つからだよ」と、勇太郎に答えてくれた。「仕事ってさ、基本的に人に関わる事だろう。だから、初めての時は尻込みする。自己流の、尻込みしないようになる為の訓練なんだ」と、更に分かり易く説明してくれたのを、真平の名前を聞くたびに、勇太郎は思い出す。
「真平君に任せてたら、安心だね」
瑠衣が答えると、その場の全員が納得していた。
「早っ。もう返事来たよ」
圭太のスマートフォンに、反応があったようである。
真平からの連絡は、ログハウスを二泊分とレンタカーを三日分は予約済みだという事だった。ログハウスのある場所は、例の潰れた遊園地の近くであり、キャンプ場の管理会社が、潰れた遊園地もちゃんと管理しているという事と、点検もしっかりしているし、肝試しみたいな催し物をする人が多いという事が補足で書かれていた。
きっと、この補足は勇太郎の為だろう。真平は、キャンプ場へ、何回か連絡したに違いない。あの話をした時に、勇太郎も、自分の秘密を話したような気がするからだ。
「なんだ、ちゃんと人の手が入ってるんだ。あんまり、怖くなくなるな」
圭太が、ボソっと言うと、女の子二人は「それで、良いの」と強く言っていた。
勇太郎は、勇太郎で取り越し苦労の疲労感に襲われていた。甘いアイスコーヒーが飲みたいと強く思っている。
「じゃあ、また連絡するから」
勇太郎と圭太は、瑠衣と朋花と別れた。瑠衣と朋花は、今日は、もう帰るようである。
「圭太」
「何?勇」
「アイスコーヒー奢って」
「分かったよ。それでチャラね」
「大分、安いな」
「俺と勇の仲だろう」
「へいへい」
二人は、カフェテリアへと歩き出す。
スーッ、スーッ。
始まりの夏風が、妙に生温かった。
二週間後、大学は夏休みとなった。勇太郎の周りでは、必ず地元に帰省する人が多い。
懐かしい顔と会う事が目的だが、それよりも、そこでの事柄を、面白可笑しい話として連絡を取り合う為である。
勇太郎にとって、実家で受け取るそんな友人達からの連絡は、夏の風物詩であった。
だが、今年は少し違う。一週間ほどではあるが、六人は帰省を遅らせた。
キャンプの為だが、キャンプをネタにした上で、飲み会を一回開こうという話になったからでもある。
圭太の発案だったが、皆、納得して了解していた。学年も学年である為、一週間くらい、何かに縛られ無い時間があってもいい筈である。
キャンプ当日は、快晴であった。
真平がレンタカーを走らせ、各々の住んでいる場所へ迎えに行く。
寮やアパートを周り、人と荷物を乗せて行く為、待ち合わせの時間が8時から9時の間という、奇妙な時間設定になってしまったが、六名にとっては、それですら楽しい事であった。
女性陣が、キャンプの枝折を内緒で作っていた事も、今の車内の雰囲気を、更に良くしてくれている。
「真平ちゃん、運転、ありがとね」
運転席の真平へ、助手席の夏奈が話し掛けている。
夏奈は、その鼻にかかった緩い声が、女の子の嫌いな声ナンバー1に選ばれてしまい、女の子達から無視されていた人物なのだが、学祭の時に良からぬ輩に鉄パイプでの大立ち回りをして、一気に好転した人物でもある。
本人としては、曲がった事が嫌いだったが為の行動であったが、アイツを怒らせてはいけないという噂が噂を呼び、皆、普通に接するようになった。
演劇サークルに所属しており、お姫様のような格好で事を起こしてしまったが為、一部に「我が大学のヴァルキリーだ」と言って、変なファンクラブが出来た事はいうまでもない。
剣道の腕前は三段であり、父親が警察官なのだから、その事も別に分からない話でも無いだろうと、勇太郎は思っていた。それに、夏奈と一回話してみれば、性格は清々しいので、気に入る人の方が多い筈である。
勇太郎と圭太との関係は、大学に入ってから仲良くなった女の子の一人という友人であったが、瑠衣とは高校からの友人だった。
「大丈夫ですよ。夏奈様」
真平は、ファンクラブに所属している。言葉で、四人とも分かった。あのファンクラブは、何故か「様」を付ける。
真平が、一番最初に迎えに行ったのも、やはり、夏奈の所である事を考えれば、それは明らかであった。
後ろの四人は、真平の意外な一面に、内心たじろいでいる。
「どうりで、いつもより、働き具合が良かった訳だ」
圭太が、朋花の横で言っている。車内が笑いに包まれた。
「真平ちゃんは、私を、どうしたいんですか?」
それを聞いた夏奈が、真平に訊ねる。
高速道路を走行する車が、一瞬、揺らぐ。後部座席の四人は、ヒヤッとした。
「夏奈ちゃん。真平君、事故っちゃうから」
慌てて朋花が、助手席まで身を乗り出して、夏奈に言う。
「わかりました。でも、白黒はっきりしないのは、なんか、気持ち悪いんですよね」
夏奈は、独り言のように言うと、違う話題を真平と話し始める。それを見て、四人はホッとした。
1時間ほど、高速道路を走行した後、休憩の為に大きめのパーキングエリアに寄った。平日である為、仕事関係の車が多い。とはいえ、休日や連休とは、比べ物にならないほど空いている。
「交代しようか?」
圭太が、ベンチに座っている真平に言う。朝からずっと運転しているのだから、当然の配慮である。
「うん、分かった。ナビに従って、走ってくれたら良いから」
真平は、笑顔で答える。圭太も、「分かった」と返事をした。
田舎から出てきた二人は、運転免許を持っているが、同じく、田舎から出てきた勇太郎は持っていない。両親から、大学生になってからと、お茶を濁された結果であった。多分、自力で取得する事になるだろう。
女性陣で、運転免許を持っているのは、朋花だけであるが、今回は補助的な役回りである。車も、ボックスカーのハイブリッド車である為、女の子に、いきなり運転しろとは言い難い。
「あれ?この傷どうしたの?」
スマートフォンを触っている圭太に、勇太郎が聞く。
圭太のスマートフォンの画面の右端には、小さな傷が付いている。画面を見るには、気にはならないが、目には付くと言った大きさの傷だ。
「分かんない。気づいた時には、あったんだよね。まぁ、別に困らないよ」
圭太は、笑って答えた。
勇太郎と真平も、画面を見せて貰ったが、「これなら大丈夫だね」といった判断が出来る感じだった。友人の多い圭太にとって、機種変更は面倒な事が多いだろう。
女の子達の諸々が終わると、六人は、車へと乗り込む。
運転席に圭太、助手席には朋花が乗った。後部座席の一番後ろには、真平と夏奈が乗る。
よく分からないローテーションではあるが、瑠衣の横をキープ出来る勇太郎にとっては、別に構わない事柄だった。
準備が終わり、車が、ゆっくりと発進する。
「ちゃんと、運転しなさいよ」
朋花が助手席から、圭太に言っている。
「大丈夫だよ。あっ、でも俺、助手席の人の膝の上に、左手置くのが癖なんだよね」
圭太の軽口が始まる。
「置いたら、殺す」
朋花の声が、圭太の耳に入ったが、圭太は軽口をやめない。というよりも、いつもの夫婦漫才の始まりである。
車内で、徐々に笑い声が響いていく。
車は、まだパーキングエリア内だ。
そんな中、勇太郎は、不意に外を見た。さっき、圭太が居た場所に、着物を来た女性が立って居る。
この車を、ジッと見つめているようだ。
勇太郎は、着物なんて珍しいなと、着物ばかりに目がいったが、近くの大型バスに、着物姿の団体が乗ろうとしているのが、すぐに目に入る。お茶会か、日本舞踊の発表会でもあるのだろう。
気にする事無く、勇太郎も、その笑い声の中へと混ざっていった。
残りのキャンプ場までの道のりは、圭太が全て運転した。あのパーキングエリアから、1時間半程度で着いたのである。
話しながらでもあった為、圭太は、いつもよりもスピード緩めていたが、それでも丁度良い場所のキャンプ場だった。大学からでも、2時間半で来れるだろう。
キャンプ場の受付で、いろいろと話を聞き、パンフレットを片手に、また車へと乗り込んでログハウスへと向かった。ギリギリまで、車で行けるのは非常に嬉しい。
説明の最中、「何かあれば、いつでも連絡して下さい」と係の人が、再三、言っていたのが気にはなった六人だが、ここはキャンプ場である。ルールを守れない、良からぬグループだって来ていた筈だ。
そういう事に、頭を悩ませた事があるならば、従業員に徹底して言わせるのも、当たり前の事である。
それに、アトラクションみたいになっている例の遊園地も、手を入れているとはいえ、箇所によっては危険なのかもしれない。きちんと、整備はされているだろうが、見過ごす事は、人間ならば有り得る事だ。
「七不思議が載ってる」
パンフレットを見ながら、瑠衣が勇太郎の横で言っている。
勇太郎も、パンフレットに目を通す。いろいろと書かれていたが、今回、このグループで使える場所はミラーハウスである。
人が変わったようになる云々の事が、ミラーハウスの七不思議として書かれていたが、雰囲気を出す為の物だろう。
勇太郎の恐怖心は、背景にある人の動きで薄れていた。
「結構、近くに駐車場があるね」
真平が、感心したように言う。
今日から、二泊するログハウスに着いたのである。
「確かに。予想外だ。横の阿保を、こき使おうと思ったのに。荷物運びとか楽だよね。これだけ近いなら」
朋花が、同意して言った。
キャンプ場などは、行ってみたら全く違う事は良くある。荷物運びに疲れる事は、特にある事だが、このキャンプ場では、それは少ないようだった。
手分けをして、車内の荷物をログハウスの中に運び入れる。
ログハウスの中は、木の色で温かく纏められていて、ここでコーヒーを飲んだら、インスタントコーヒーであろうと、美味しいと感じてしまうほどの、雰囲気の魔法に包まれていた。
「やっぱり、良いですね。ログハウス」
夏奈が言うと、真平が床に膝をついて「有難う御座います」と言っている。
「どうしよう。あそこだけ、世界観が違う」
瑠衣が、ボソッと言ったのを聞いて、勇太郎が「そうだね」と笑いながら返した。それに、気づいた瑠衣も「ねぇ」と笑っている。
勇太郎が来て良かったと思う、初めの成果でもあった。
「もう、荷物無いよ」
朋花が、手ぶらで、玄関から室内に上がって来て言う。
その後ろを、重たいクーラーボックスを一つと、自分の荷物、朋花の荷物を持って、圭太が歩いて来る。
1時間ほど前の事柄の罰だろう。
見ている四人共、納得しているからか、何も言わない。
「じゃあ、どうする?」
朋花が言う。
すると、先程まで世界観が違っていた真平が、割り振りを決める為に話し始めた。
「まずは、昼食の準備だね。女性陣、お願い出来るかな?」
三人とも頷く。瑠衣の反応的に、少し心配だなと勇太郎は思った。
真平の説明は続く。
「よし。じゃあ、女性陣は昼食の準備と平行して、食品類と飲み物を冷蔵庫に入れておいて下さい。
で、男性陣は、手分けして設備周りを見に行くよ。網戸とかには、この虫が来ないスプレーかけてね。寝室は、特に念入りに。
僕は、風呂場とトイレ、洗濯機を見に行くから。特に、洗濯機は、洗濯槽の汚れ取るやつで回しておくから気をつけてね。それじゃあ、開始で」
スプレー缶を持たされた勇太郎と圭太は、毎度の事ながら、流石だなと思った。言い終わると同時に、真平は、洗濯機へと向かったみたいだ。それらしい音がする。
女性陣は、キッチンで、冷蔵庫に食品を詰め始めていた。
二人も、ボーッとしている訳にはいかない。二階の寝室へと向かうと、右側を圭太、左側を勇太郎が、丹念に確認とスプレーをしていく。
気にする必要は、そんなに無い筈だが、配慮をし過ぎるとこうなってしまうのだろう。真平らしい考え方だった。
10分ほどで、二階の寝室が終わると、圭太は一回へ降り、勇太郎は二階の廊下の窓へとスプレーをかけている。
真平はトイレを洗い終わると、芳香剤置き、トイレットペーパーの入れ替えをした。良い物に変えたのである。後は、ウエットティッシュ系のトイレ拭きも置いた。その後は、風呂場を洗い始める。出来る限り、気持ち良く使えるようにと真平は思っていた。
30分ほどして、男性陣が戻って来ると、丁度、昼食が出来上がっていた。焼き飯と玉子スープである。テーブルの上に六つ置いてあり、女性陣はもう座っていた。
「出来たから喰え」
朋花が言うと、真平も「そうだね」と言って、圭太と勇太郎へ促した。
「この玉子スープは私が作ったんだ。お代わりもあるよ。」
夏奈が言うと、真平の例のアレが行われる。
「お代わりさせて頂きます」
膝をついている真平の額からは、汗が出ているが、この熱いスープをお代わりするらしい。
「この感じ、何回も見なきゃいけないの?」
朋花が言う。
「そのうち慣れるから」
勇太郎が真平側に立つと、瑠衣も同意して、朋花をなだめていた。
圭太は圭太で、「待て」の状態の犬のように、昼食に手を付けられずにいる。
一頻り、儀式的な良く分からない物が終わると、六人は昼食を取った。
昼食を取りながら、六人は川遊びをする事にした。
まだ、午後2時半である。気温も高い。
部屋の中では、エアコンがフル稼働しているが、外は32度以上の猛暑であった。
「私が、食器洗うね」
食べ終わった食器を洗い桶に入れて、水を張りながら、瑠衣が言った。昼食作りでは、上手く活躍出来なかったのだろう。誰に言われなくとも、率先していた。
対面キッチンからは、浮き上がった皿が、沈む時に、他の食器に当たり音がしている。
「そっか。じゃあ、瑠衣、お願いします」
朋花が、キッチンの瑠衣を見ながら言うと、夏奈も「よろしく」と加わると同時に、真平は、何故か瑠衣へ頭を下げている。彼の世界観は分からない。
「じゃあ、俺も手伝うよ」
勇太郎が、瑠衣の居るキッチンへ、食べ終わった圭太と自分の食器を、持って行きながら言う。
「それが良いよ」
圭太が、勇太郎が洗い桶へ、皿を浸けている姿を見ながら言った。
「そうだね、どちらからも一人づつなら、納得する状態だからね。なら、二人とも、よろしくお願いします」
真平が、自分と夏奈、ついでに朋花の食器を、対面に居る勇太郎に渡しながら言った。
圭太は、使い終わった夏奈のスプーンに、異常な反応する真平を一瞬見たが、特に何も言わなかった。頭が良くて完璧な人間は、たまに、良く分からない所がある。
四人は、自分の荷物を持って、二階の寝室へと向かう。
その前に、右の部屋と左の部屋、どちらをどうするかで、圭太と朋花が夫婦漫才を開催した事はいうまでもないが、夏奈の「私は左が良い」発言で全てが決まったのは、真平と夏奈の世界観のズレが起こした、良く分からない落ちだった。
唖然としている圭太と朋花を尻目に、真平が事を進めていくのを、勇太郎と瑠衣は、キッチンから笑いながら見ていたのである。
そのせいで、少し後片づけが遅れたが、ようやく終わると、二人も自分の荷物を持って寝室へと入った。
15分後、六人は水着に着替えて、一階へと集合した。
男性陣は、水着とTシャツという格好だったが、女性陣も、同じような格好になっている。ビキニの上にしっかりと着ているのは、川遊びであるならば普通の事だろう。
唯一、違う所といえば、夏奈と瑠衣が帽子を被っていたくらいだった。
「色気が無いなぁ」
圭太が言うと、朋花が「後で、見せ付けてやるから」と、自信たっぷりに切り返している。意外な発言に、圭太は、少し大人しくなった。
「どういう事?」
白い帽子を被った瑠衣に、勇太郎が聞いた。
「朋ちゃんは、ジムに行ってるからだよ。なんか、就活の苛立ちをぶつけてるんだって。キックボクシングらしいんだけどね。
そしたら、スタイルが良くなったんだよ。さっき、着替えてる時に見せて貰ったんだけど、凄かった。私も、やった方が良いのかな」
瑠衣は、喋りながらちょっと笑うと、Tシャツ越しにお腹を摘まんで、勇太郎に見せた。
「そこまで、気にしなくても良いかな。そのままでも、俺は良いと思うけど。あっ、でも、筋肉をつけたいなら、した方が良いかもしれないね」
勇太郎は、少しどぎまぎしながら答える。
瑠衣は、「そっか。うん、腹筋頑張るよ」と、何かを決めた顔で返した。
勇太郎は、瑠衣の変なスイッチを、押してしまったかもしれない。
「真平ちゃん、こんなに荷物、どうするの?」
夏奈が、真平に聞いている。
真平は、小さめのボストンバッグを、肩から掛けていた。色々と入っている筈である。
「御身に何かあれば、私は、あの方々から叱られてしまいます」
真平が、何やら言っているが、「あの方々」とは、多分、ここに居る四人の事では無いだろう。勇太郎には、ファンクラブの全容が、全く分からなかった。
「取り敢えず、行こうぜ」
圭太が言うと、六人は移動し始める。真平が、玄関口に、バスタオルを六枚置く。既に、帰りの事を考えているあたり、真平の役割の大きさがわかる。
全員が外へ出ると、真平が鍵を掛けて、その鍵を首から掛けた。
川へは、五分ほど歩くと着いた。川へと降りる階段が、結構急ではあったが、川周辺はとても綺麗である。夏の太陽に照らされた水面が、キラキラしていて、そんな魚がいるようであった。
川幅は狭いが深さはあるようで、違う客が遠くの方で、川へ飛び込んでいるのが見えた。
流れは緩やかであり、清流と言えるほど、水は澄んでいる。
六人は、真平の運んで来た荷物の中を見て、各々に取り出す。
破れにくい浮き輪が三つと、破れにくいエアボートが一つ。水鉄砲が八種類に、空気入れと救急箱。
小さめのクーラーボックスには、500ミリのペットボトルが、六本入っていた。全て、スポーツドリンクである。
真平は、「川では、岩にぶつかり易いから、エアボートは気をつけてね」と言いながら、夏奈の為に、空気入れで浮き輪を膨らませていた。
圭太と朋花は、組み立て式のオールを二本、先に膨らませたエアボートに取り付けている。エアボートの穴に通して回し込めば、オールが何処かへ流される事はない。
夏奈と瑠衣は、足先だけ浸して、水の冷たさを感じている。
勇太郎は、真平が浮き輪を膨らませた後、交代で浮き輪を膨らませていた。
圭太と朋花は、先にエアボートを浮かべて、川の半分程の所まで漕ぎ出している。朋花が途中、Tシャツを脱いで、圭太に見せ付けているのが、岸の四人からは見えた。
夏奈は、浮き輪でプカプカ浮き始めているが、その浮き輪からはロープが伸びていて、真平の着けているベルトへと繋がっている。夏奈専用浮き輪らしい。
瑠衣は、なかなか浮き輪に乗れずに、滑って落ちていたので、三つ目の浮き輪を準備出来た勇太郎が、押さえに来た。「ありがとう」と瑠衣は言うと、ようやく浮き輪に乗れる。
その浮き輪を捕まえたまま、勇太郎は、三つ目の浮き輪を真平に渡すと、真平はそれを岸へと置いた。
勇太郎は、瑠衣の浮き輪を捕まえたまま、色々と移動して楽しんでいる。浮き輪から、散々落ちていた瑠衣は、大分、ずぶ濡れだった。
夏奈は、何処かをボーっ見ながら、まだ浮き輪に乗って浮いている。
勇太郎と瑠衣の元へ、圭太と朋花のボートがやって来た。朋花は、結局、下も脱いでいる。どれだけ自信を付けたのだろう。
キャンプ場でのビキニだから、山ビキニであるが、朋花は、一人だけ脱いでいるのが恥ずかしくなったのか、瑠衣と夏奈にも「脱いで」と言い始めた。
夏奈は、躊躇無く脱ぐ。浮き輪で浮きながら、実に器用だ。真平が、服をわざわざ取りに行っているのが見え、四人で、「ロープを引けば良いのに」と言い合った。
四人でわちゃわちゃした後、瑠衣も脱ぐと、圭太もTシャツを脱いで、エアボートから降りる。瑠衣の服を持って、岸まで行くと、自分の服と瑠衣の服を分けて置いた。
その後、圭太は、好き勝手に泳ぎ始める。
勇太郎は、瑠衣をエアボートに乗せると、浮き輪を持って、岸へと戻っていった。喉が渇いたからだ。
「真平、一本飲むよ」
「うん、良いよ」
勇太郎は、真平に声を掛け、了解を貰ってからクーラーボックスから、一本、スポーツドリンクを取り出すと飲み始める。三分の一ほど飲んだ時、勇太郎の背筋に、冷たい線が走る。
誰かに見られていると、勇太郎は強く思う。勇太郎は、もう一口だけ飲んで、キャップを閉めるとクーラーボックスの横に、ペットボトルを置いた。そして、辺りを見渡す。
川の真ん中では、エアボートの上で瑠衣と朋花が水を掛け合っている。その奥の対岸の森へ、目を凝らすが誰も居ないようだ。
遠くに居る別の客も、こちらを見ている様子は無い。圭太は、相変わらず泳いでいる。
夏奈と真平も、何だか良く分からないが、楽しんでいるようだった。
勇太郎は、自らが立っている岸の方も見たが、そこには誰も居ない。遠くに、ログハウスの屋根が見えたくらいである。
対岸でも無く、自らの立っている岸でも無いが、まだ、誰かに見られていた。水の底から覗かれているような感覚が消えない。
すると、風も無いのに、木々の葉が擦れる音がした。その瞬間、勇太郎の感覚は消える。
なんだったんだろうと勇太郎は思ったが、気を取り直すと、水鉄砲を三つ持って、瑠衣と朋花の元へと向かった。




