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白百合を抱くハイペリオン  作者: 環希碧位
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第1話「追憶~奇跡の終焉、そして始まり」・中編

「──まったく、酷い事をしやがる」


 見物人も去り、くすぶっていた火もあらかた消えかけた悪趣味な宴の跡に、僧衣を纏った男達の姿があった。

 崩れ落ち、炭となった薪が積み重なる中、ひとしきり何かを探っていたが、


「なにもありゃしねえ……」

「……一足遅かったようですね」


 灰となった少女の遺体は、既に民衆の崇拝の対象となるのを恐れた者達の手によって徹底的に集められ、セーヌ河へと廃棄されていた。


「小娘一人にどれだけびびってんだか」

「仕方がないでしょう。彼女は〈本物〉だったのだから」


 生前の奇跡を偲ぶものは最早何も残されていない事に、彼等が落胆しかけたその時。


「神父様方、その、実はこちらに……」


 おずおずと、火刑の執行に携わっていた処刑人の一人が進み出る。


「お探しのものかどうかは分かりませんが……正直私達の手には余るもので……何とかして頂ければありがたいのですが」


 掲げるように差し出されたものを、男達の一人が受け取る。

 手にした皮袋の中に包まれた何か──それはまだ、命あるもののように温かかった。




 

◆◆◆



「〈乙女〉の処刑は滞りなく執行された……だと !? ふざけるな!」


 報告に現れた密使の胸倉を荒々しく掴み上げると、部屋の主は困惑と怒りの感情に任せるまま、ただ事実を述べたに過ぎない男を怒鳴りつけた。


「落ち着いて下さいませ、陛下」

「これが落ち着いていられるか……!」


 陛下と呼ばれた青年──〈乙女〉ジャンヌが齎した奇跡によって戴冠を果したフランス王、シャルル・ド・ヴァロワは、豊かな金髪を振り乱しながら、その場に控える寵臣を振り返った。

 常にあっては凍てついた刃を思わせる、怜悧な光を宿す灰色の瞳は、珍しく焦燥と困惑、そして悔恨がない交ぜになった感情の波に揺れていた。


「既に十分な身代金も支払った。姿形がよく似た身代わりも用意していた……!

 散々裏から手は回していたはずだぞ……!なのに何故…… !? 」

「んー?おやおや、何やら修羅場ってますねぇ?」


 遠く離れた敵地から齎された想定外の顛末を受け、あまりの事態に国王が吼え猛る居室へと、場違いなほど呑気な声が入り込む。

 激情に我を忘れかけながらも、現れた若い司祭の姿をその視界に認めると、いよいよシャルルのまなじりは険しくつりあがった。


「フランソワーズ・プレラーティ……!」

「はーい、陛下ァ。おひさしぶりで~す。

 ローマ教皇庁直属異端審問官〈神の御剣〉が一人、フランソワーズ・プレラーティでっす☆」


 一国の王に謁見するにはあまりにもくだけすぎた物言いだが、シャルルの怒りは無礼な若者の態度より別のところにあった。

 若者が部屋へと足を踏み入れた途端、王は密使の男を放り出すと、プレラーティに詰め寄った。


「貴様……これは、一体どういうことだ!」

「はて……?どういう事、とは?」

「よくもぬけぬけと……

 〈乙女〉の……ジャンヌの処遇についてだ!

 貴様は俺に約束したはずだな……!〈あの男〉さえ差し出せば、悪いようにはしないと!」

「ええ、私が興味あるのは〈騎士殿〉だけですし?

 聖女を語る小娘なんぞ別に用はありませんからねぇ……でも、私が興味なくても、一般の聖職者の皆さんはそうでもないようで……」

「おい……」

「教会の権威をなんだと思ってるんだ、馬鹿にするな!って、収拾がつかなかったんですよねぇ……まあ、気持ちは分からない事もないですし?

 一応、あれでも所属している組織は大本で繋がっている仲間ですから。

 ほら、仲間に対してはやっぱり色々と協力してあげないといけないじゃありませんか」

 

 あくまでも惚けた口調で、プレラーティは続ける。

 今やシャルルの顔色は灼熱した血潮は急速にひき始め、青白くなっていた。


「こ……の……」

「まあまあ。そんなに怒らないで下さいよ陛下。せっかくの色男が台無しですよ。

 見ての通り、所詮私は若輩者ですから……年長者の言う事には逆らえなくて。

 あとは、そちらの方が報告した通りという感じです」


 器用に肩をすくめると、若者は悪びれもなく笑顔で言い切った。


「このような結果になった次第、非常に残念です。おくやみ申し上げますよ、陛下」

「聞いていれば貴様……いい加減に……!」


 握りしめた拳へと更に力が加わると同時に、シャルルの声が一段と大きくなった。

 王の激情の発露を感じた臣下達が、思わず身を竦めた次の瞬間。


「……ていうかさぁ、アンタ、本気であの女助けようと思ってたわけ?いくらなんでも甘っちょろすぎんじゃないの?」


 プレラーティの表情と口調が変わった。


「な……」

「腹違いの妹かもしれないんだっけか?

 アンタの母親、あの悪名高きイザボー・ド・バヴィエールだもんねぇ。ありえない話じゃないよねぇ。

 実の母親に裏切られて疑心暗鬼になってたところに、生き別れの肉親が現れて優しい言葉をかけてもらったもんだから、お兄ちゃん、舞い上がっちゃったんでしょ?

 王様ってば可愛いよねー、反吐が出るくらいに」


 馴れ馴れしく肩に手をかけると、プレラーティの顔がシャルルに近付く。

 若い司祭の美貌に、相手を甚振るような禍々しい笑みが浮かんだ。


  「その可愛い妹が惚れた男を影で売っておいて、どの面さげて再会するつもりだったわけ?

 そんな都合よく事が運ぶと思ってたの?どれだけめでたい頭してんのさ、アンタ」

「…………っ!」

「だいたい王様、人を見る目が無さ過ぎるんじゃないの?

 虎の威を借りて暴利を貪る無能者ばかり侍らせて、ただでさえ後がない国を更にグダグダにしておきながら、本当に使える人間は煙たがって近づけようとしない」


 嘲りの笑みと共に王の剣幕にただ黙して脇に控える配下達を一瞥し、言葉をきると、プレラーティは懐を探る。


「これ、何だか分かる?」

「……髪、の毛か」


 ジャンヌ……のものではない。

 少女の髪は淡い亜麻色だった。光沢のある青みを帯びた黒髪。あれは──


「そ、アンタが大ッキライな〈彼〉のね」


絵筆の穂先ほどにまとめられたその一房に、プレラーティはそっと口付ける。まるで恋人に愛を囁くかのように。


「綺麗でしょう?光にすかすとキラキラと蒼く輝いて……彼が完全に弱る前に、頂いた二度と手に入らない貴重な品です。

 この美しい紺碧の髪も、無理がたたって今では一筋残らず白くなってしまいましたからね……他ならぬ貴方のせいで」

「あ…………」

「ランスの大聖堂で栄光の瞬間に彩りを添えた救国の英雄も、全てを奪われ、敵地の中、今や場末の娼婦もかくやという身の上です。

 死という形であれど、自由になった乙女の方がいくらかマシなんじゃありませんか?

 彼は自ら命を絶つという選択すら叶わない。

 何故ならシャルル・ド・ヴァロワ、貴方がそう望んだから」

「あ……ああ…………」


 ──また厚顔にも私の愛する者を奪っていくというならば、貴様の全てを奪ってやろう。

 

 悔しかった。

 フランス王の血筋に生まれた、ただそれだけで他に何も持っていない自分が。

 その拠り所だった血筋すら、ブルゴーニュ派と結託した実の母親に否定された。

 君臨するべき都は奪われたまま、戦には勝てず、金もなく、支持者である貴族の城や館を転々とする日々。

 人々は己を指して影で笑った。「ブールジュの王」と。


 かたや、自分と同じ年頃でありながら、その男は全てを与えられていた。

 生まれ落ちた時からブルターニュからアンジューにかけて広大な領地を持ち、長じてからは文武に秀でた騎士の理想を体現するような存在となった青年。所有する城塞は、シャントセからマシュクール、ティフォージュ、プゾージュ、いずれも名門の名に恥じぬ威風堂々としたものばかり。

 それらを守る軍団は、潤沢な資金によって整えられた精鋭揃いで、身代金を惜しまぬ主に絶対の信頼を寄せて戦う。

 

 男が自分に対して向ける忠誠心に関しては疑うべくもなかったが、逆にその否の打ち所の無さが、余計に腹立たしく映る事もあった。あの男に傅かれるほど、むしろ自分が惨めに思えた。


 最初から約束された富、そして栄光。

 何もかもが自分とは違った。どれもこれもが恵まれていた。

 

 だが、あの清い乙女の心だけは──神と、忠誠を誓ったフランス王たる自分にあると思っていた。

 出来る限りの事はした。貴族としての位を授け、育った村の税も免除してやった。


 ──しかし、あの娘の心ですら、既にあの男のもとにあったのだ。


 持たざる自分から、少女すら奪いとっていこうとする男を許せなかった。

 それだけは譲れなかった。故に──


『手に入らないのであれば、いっそ誰の手も届かない場所へ彼女を送ってしまいましょう。

 貴方が味わった失う苦しみを、彼にも思い知らせてやるのです』


 ──耳元で囁く悪魔の言葉に、


「コンピエーニュに援軍を送る事は認めぬ。

 引き続きブルゴーニュ派とは、話し合いによる交渉を進めよ。

 これ以上無駄な血を流す必要はない。和平の道こそが、フランス王たる私の意思なのだから」


 あの日──躊躇う事無く、自分は挙がってきた報告へと指示を下していた。

 

 自ら切り捨ててしまえば、楽になれる。 

 これ以上、期待を裏切られ続ける痛みに苦しまずに済む。


『とはいえ、陛下も軍部や国民の手前、恩義ある乙女を見捨てたとあっては格好が悪いでしょうし……まあ後から手を回せば小娘一人の命なんて、どうにでもなりますよ。そこは私にどうかおまかせを。

 彼女も話せば貴方の御心を理解してくれるでしょう。

 なあに、私は彼さえ手に入れられれば、それでいいのですから』


 悪魔が微笑む。

 それは獲物を手に入れた喜びからか、私を嘲笑っての事だったのか……多分、両方だったのだろう。


「ああ……そうだ男爵。今の私にはもう、貴様の忠誠も、乙女の奇跡も必要無いのだ」


 その時、遠くナントの地で己の無力に歯噛みしているであろう男の様子を想像して、初めて自分は、勝利というものが齎すえもいわれぬ優越感に、心が満たされていくのを感じたのだった──

 

 しかし、だというのに、気が付けばこんな──今となっては総て──


「……それでも健気なものですね。

 今でもあの人は恨み言一つ漏らさずに、どんな屈辱にも耐えて、虜囚の身に甘んじている──その気になれば、脱獄ぐらいは簡単に出来るはずなのに」

「な、ぜ……」

「は?わからないんですか?あの人は今でもこの国の──聖女の騎士のつもりなんですよ。

 手をあげれば領民に手をかけると呟けば、素直に床に頭を擦り付け。

 口答えすれば陛下は玉座を去るだろうと匂わせるだけで、赤面しながらも足を開く。

 自分の命を自分のものとして使う発想がそもそもない。

 あの人にとっては、自分の誇りよりも〈彼女〉が守り導いた国と、その象徴である貴方の方が大切なんですよ」

「…………」


 言葉もなく呆然と佇む王の姿を、路傍の石ほどの興味も持たないといった風情の心底つまらなそうな目でプレラーティは見た後、手にした黒髪を弄びながら、


「ハリボテのアンタとは覚悟が違うんだよ」


 軽蔑しきった口調で吐き捨てた。


「ま、聖女様がいなくなった今、こちらの軍には彼女ほど求心力のある指揮官はいらっしゃらないようですし……ましてやその代わりになりそうな人材を自分から捨石にしたんだから、もう詰んでますよね、アルマニャック派も。

 とっとと負けを認めて、イングランド王に王冠を渡しちゃったらどうですか?

 だいたいアンタ……その王冠、全然似合ってないもの」

「……俺、は……」

「ま、せいぜい最期の日までその重みに耐えられそうにない王冠を後生大事に抱えていて下さいな。

 〈彼女〉と〈彼〉が命がけで守ったその血塗られた王冠をね」


 言うだけ言うと、すっかり当初の勢いを無くしその場にへたり込んだシャルルと、微動だにしない彼の取り巻き達を振り返る事もなく、プレラーティは捨て台詞と共に去っていった。


「ではでは、私もなかなか忙しい身の上なのでこの辺で。

 アデュー、お馬鹿さん達☆

 この度はご協力ありがとうございましたーァ!」


 無礼な闖入者を追う者は誰もいなかった。


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