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私にとって未知な時間となる王宮舞踏会です――二度目の人生まで、この日を迎えることはなかったので緊張もあるのは確かです。
広がっていた噂があってか、私が殿下にエスコートされて会場に入場すれば、途轍もない視線が集中しました……鉢合わせを避けるためと、噂を払拭するためだとかで、舞踏会前に行われる各夜会の出席は控えていました。因みに、デヴュタントの年は、王宮舞踏会を待つことが通例です。私も今年から各夜会に参加してもよいのです。で、私達は主だった夜会以外に参加をしなかったのですが、噂は払拭されず、形を変えていきました。
それは、彼女、コゼット嬢のよろしくない評判が聞こえてきたのです……何をされているのでしょうね?
それにしても、です。私の愚かしい勘違いと思い込み。お互いのすれ違いから生まれた誤解。いくつもの要素が重なってしまった誤解。その誤解から私のあの二度の人生は、あのような形を迎えてしまったのでしょうね……。
あの日、皆様のお考えを聞く度に――私にとってあの二度の人生は、今では教訓のように感じます。
一度目は、嫉妬に狂った愚かな自分。二度目は、投げやりに傍観するばかりで何も行動しようとしなかった自分。
今生は、その二つの人生を踏まえて、生き残ろう足掻いた結果がこの未来を引き寄せることができたのかもしれません。
+++
『メンデス夫人――ご息女は、あの状態で大丈夫ですの…?』
『え? ああ、大丈夫ですわ。自分でうまくあしらえると言っていたので、その内に収まりますわ』
『そうですの。それで、夫人?』
『何かしら?』
『殿下のご寵愛をお受けになっているとは真ですの?』
『ええ、勿体なくも。ただ、ここ最近はぱったりでしたけど、殿下のご都合もあるらしく』
『では、側妃のお話がですの?』
『いいえ。そこまでは』
『そうですのね』
『それよりも心配なのは、何やらあの子に悩みがあるみたいで。具体的に言ってこないからわからなくて。年頃になると難しいわ』
『殿下のご寵愛を受けて、恋の悩みではございませんの?』
『ふふふ。そうかもしれませんわね』
+++
相変わらずコゼット嬢は殿方達に囲まれながらにこにことされています。ご家族は、何も言われないのでしょうか?不思議ですね。これがお母様なら、直ぐに飛んでこられると思うのですよ……。
あら?
集団がこちらに近づいて来ていますね。私の周りには、殿下とお兄様達がいらっしゃいます。目の前まで来ました。
「やあ、メンデス嬢」
「ご機嫌よう、トリスターノ様」
「どうかしたのかい?」
「メンデス嬢が、何か伝えたいことがあるというので参りましてね」
「ん? 私に?」
「いえ、殿下のようですよ」
「何かな?」
ここで初めて殿下が声を掛けられました。
「あの……あの日からずっと気がかりだったのです。ご連絡いただけなかったので、体調でも崩されていたかと心配しておりました……」
「ああ、その事。ヴァーンから聞いていただろう?」
「あ、はいっ。ですが、直接お尋ねしたくてっ」
「問題ない。そういう事はリーナが心配してくれるから」
……暗に、貴女に心配される筋合いはないと……。
「……はい……あの、それで、先日よりあの件がもっと酷くなっているのです」
「ん? 何かあったのかい?」
周りの殿方達が心配げに声を掛けられます。
といいますか、よくその話題を今此処で出来ますよね。殿下に解決してほしいという事でしょうか?図太い神経をしていらっしゃるものです……。
「……はい……しばらく前から、嫌がらせを受けているのです……」
「なんだって? 嫌がらせ?」
「はい……」
今生では今初めて彼女を近くで見ましたが、本当に人の気を引くのがうまい方だと思います。しかしこれでは、本当に誰にでも愛嬌を振りまいていると思われても仕方がないでしょう。よくない噂を改める気が無いようにお見受けしますが……。
「殿下にお茶のお誘いを受けるようになってから、嫌がらせが始まったのです……」
「それは――」
……殿方達のさりげない視線が私に集中していますよ。
まあ、そんな言い方をすれば誰だってそう思いますよね。なるほどですねぇ。こんなやり方で殿方達の加勢を得るのですね。
――そういえば、二度目の人生でもこんな状況でした。出席した夜会で鉢合わせた彼女が、私に勝手に怯えて泣き出したのです。それを目撃した殿方達が彼女から理由を聞き出すと、今の様な非難の目を向けてきました。それがきっかけで、殿下が寵愛している令嬢に対して非道な行いをしているというような謂れのない冤罪をかけられる事となり、私は勘当された筈なのです。
誰からも愛される彼女は、殿方の味方が多かったから――――。
「ん? 君達、私のリーナがそんなことをすると言いたいのかい?」
殿下のお言葉で、視線が引っ込みました。
「心配ない、もう君を呼ばないよ。私の所為だと言いたいようだからね。気まぐで呼んでしまったことが仇になったようだ。私も気を付けるとしよう」
「そんなっ! 違いますっ、殿下の所為だなんてっ」
「それに、お茶なら我が婚約者のリーナを呼べばいい事だし」
おろおろとしている姿は、殿方から見れば庇護欲をかきたてるのでしょうか?たしか、娼館でお客に媚を売る技にそういうのがありましたね。
それに、殿下がもう呼ばないと言ったことで、これで自分に機会が巡ってきたというような雰囲気が殿方達に漂っています。
「メンデス嬢。その解決なら簡単な事だよ」
……ヴァーン様がとどめを刺しそうです……。
「君が誰かと婚約するといい。そうすれば、綺麗に嫌がらせも終わると思うよ? 昨年はデヴュタントだから緊張して踊れないと殿下にエスコートしてもらったみたいだけど、今の君なら大丈夫だよね? そんなに男達を侍らせているからね」
「はべっ……そんな……」
「ん? そうだろう? だからそんな嫌がらせを受けても仕方ないと思うけどね。自覚がなかったのなら改めるといい――それともう一つ。『男を使って』殿下に近づこうとするのもやめた方がいいね。私もダシにしていたよね、君。あまり度が過ぎると、君が婚約できなくなるよ」
うわぁ……ズバリですねぇ。そして、その笑顔は怖い笑顔にしか見えませんが……。
――彼女は気づいていないようですが、殿方の何人かが離れていかれます。殿下の側近であるヴァーン様とお兄様の雰囲気を正しく読み取ったのでしょう。
「これはこれは。君が嫌がらせを受けるのは私の所為でもありましたか。では、君の為に離れましょう」
先程、彼女の繋ぎとなった殿方が、はっきりと意思を示して離れていかれました。それに倣うように、残っていた殿方達も皆が去られました。それでも残るはコゼット嬢。
「よかったね。これで嫌がらせもなくなるよ」
……ヴァーン様……ますます怖いですっ……。
しかし、確かにそうでしょう。こちらへ秘かに集中していた視線が今は無くなっています。
コゼット嬢は、どうしたらいいのかとおろおろしていながらも――まるで縋るかのような視線を殿下をはじめ、ヴァーン様とお兄様、パトリック様に向けています。
――まさかと思いますが、私を陥れたかったのでしょうか?
「ん? まだ何かあるのかな?」
「あの、殿下……何故、突然お呼びいただけなくなったのですか……?」
……凄いですね、この方……私だったらすぐさま逃げ出すでしょうけど、お兄様達の威圧にもめげないですね……。
「おや? そんなのは、殿下の都合次第だろう? 殿下の寵愛が欲しいという事かな? 君は随分、昨年の初々しさとかけ離れた子だね。殿下と何度かお茶したことが、君を不遜にしてしまったのかな?」
「其方と同じで、思わせぶりになってしまったようだな。言っておくが、其方のように誰彼にも愛嬌を振りまくような教育を受けている者とは関わりたくないのだ。あの日の事は聞いているよ。其方、ヴァーンに抱きついて泣いていたそうだね? そんな淑女とも思えない行動をする其方といると、私だけでなく王家の品格にも係わるからね――」
ここでとうとう、コゼット嬢の顔色が変わりました。
「あ、あれはっ、その、あの時、動揺していたのですっ」
「ふふ。尚更だな。たかが動揺で恥ずべき行為をする者を王宮には近寄らせたくない。王家の名を穢したくない故、其方は今後出入り禁止にする」
いつもにこにこと笑顔を絶やさなかったコゼット嬢が驚愕しています。これ以上は、墓穴を掘ると分からなかったのでしょうか?
「で、でもっ、トリスターノ様は私に優しくしてくださったからっ」
「は? 私がいつ、君に思わせぶりな態度を取ったと? 全く記憶にないが?」
「え……そんな、だって……」
……意味が分かりません………優しくしてくれたら、誰でも抱きついてよいと聞こえるのですが、どういう理屈なのでしょうか?
え?この方の貞操観念はどうなっているのでしょう?思わず目を点にしても許されますよね?
「ふふ、リーナ。私も理解に苦しむよ」
私の表情に気づいた殿下が同調されました。お兄様達も呆れかえっています。
それでも動かない彼女に対してパトリック様が歩き出すと、私達を背に庇う位置で、鞘に収めたままの剣をコゼット嬢に翳されました――。
コゼット嬢は、さらに驚愕の表情でふらりとよろめいて下がっています。
その光景に、ざわりと会場からどよめきが起こったのです。国王陛下と王妃様がおられる前でこのような失態は……早く立ち去っていれば……。
そして、漸くコゼット嬢のご両親でしょう。この場へ飛んで来られました。
「……で、殿下……我が娘が何かいたしましたでしょうか……?」
「ああ。王宮への出入りを禁止した。其方らはどんな教育をしているのだ? 男に見境なく愛嬌を振りまけと教えているのか?」
「決してそのようなっっ」
「わ、我が娘がどのような粗相をいたしましたでしょうか……?」
「ここで話してもよいのか? 皆に聞こえると思うが」
ご両親は、どんどん顔が蒼褪めていきます。それはそうですね。陛下が楽団の音楽をお止になったし、静まり返っているのでどんな会話も響くことでしょう。
「場所を移せば、ヴァーンが説明するが?」
「此処で構いません! 私は疚しい事は何も! 殿下は誤解なさっておられますっ!」
えぇ……本気で言っているのでしょうか?折角殿下が配慮されているのに?今までの流れからして、今後の貴女の人生を左右すると思うのですが……。
「父上、中断しても?」
ほら。貴女は陛下の御前だと認識しているの?
していないようですね……挑戦的な目をしてこちらを、いえ、私に向いたままですから……。
何なのでしょう?訳が分かりません。
「よい。本人が望むならの」
「承知しました――ヴァーン」
「はい、殿下」
「トリスターノ殿……我が娘は一体何をしでかしたのでしょか? 殿下のご寵愛を受けていたのでは……」
――寵愛――皆の目が興味津々ですよ。当たり前ですね。
「ん? 寵愛ですか? 殿下も先程仰っていました。思わせぶりになったようだと。メンデス嬢も同じようなものでしょう。あれだけ男を侍らせていれば」
「でもっ、あれは、社交だからっ」
会場からざわりと声が上がりました。あれが……社交ですか……。
「ふふ。社交を履き違えるのような教育を?」
「決してそのようなっっ」
「それと、彼女は私に抱きついて泣いてきましてね。振り払うのも私の品格が落ちるので辛抱しましたよ。結局泣いていた理由もわかりませんでしたけど、貴殿等は、婚約者でもない男に抱きついてよいとでも教えていたので?」
「滅相もございませんっ! 娘がとんだご無礼をっ!」
周りもそれぞれの反応で、非難の視線を向けるのは女性貴族、呆れや蔑みを見せるのは男性貴族。コゼット嬢は、全て背後の死角になっているので気が付いていないようです。
「ですからっ、あれは動揺でっ」
「動揺。君の動揺に付き合わされた私の名誉はどうなるのかな? それだけじゃない。我が侯爵家の家名もだよ。王宮のあのような往来で抱きつかれた時には驚いたよ。アドルフもその場にいたからね。私達の品行は、周りからどう思われたかな」
「そ、それはっ、だからっ……私に優しくしてくださったからっ、フォールズ様も一緒に踊ってくださったのに、どうして急にそんなっ」
……父親は謝罪したのに、まだ勘違いを?ここは謝罪を述べるべきではないでしょうか?何故、貴女の口から一向に謝罪がないのでしょう……?
「私は君を妻に迎えるなど一言も言っていないが? さっきも言ったが、私は一度も思わせぶりな態度など取っていない。口説いたことなど微塵もない」
「私とヴァーンは其方を監視していたのだがな。あの時踊ったのは、我が妹が好奇の目に晒されぬためだ。実際そういった目が妹に来ていたからな。そもそも、一度踊ったくらいで何故そういったふしだらな行動が許されると思うのか理解に苦しむが」
……あの時、確かに私に好奇の目が来ていました。もしかしたら、私が嫉妬するかどうか観察していたのかもしれませんね……。
「君は何人と踊ったのかな? その者達全員に抱きつくような行為が通用するとでも? 君の理屈はそういう事なんだけどね?」
「二人が其方に思い違いを与えるような行為をしていないことは私が断言できる」
パトリック様が重ねて仰いました。
「まさかと思うけど、昨年殿下が君と踊ったから寵愛を受けているなどと勘違いを? 殿下は王子の嗜みとして、今まで他のデヴュタントの令嬢ともダンスをされたのだけどね。知らなかったのかい?」
お兄様達の言葉が進むたびに、伯爵様とご夫人の顔色がとても正常とは言えないほどに変わってきておられます。
「殿下は、このような節操もない者を近づけていたのかと後悔しておられる。今見てわかるように、彼女の言葉には反省も自覚もない。ですから殿下は、王家の品格を穢される前に出入り禁止にされただけですよ」
「畏まりました……このようなことになっていたとは露知らず、誠に申し訳なく……」
伯爵夫人が恥辱に顔を歪ませて、コゼット嬢の腕を握り締めておられます。
「ああ、それと。彼女に続いていた嫌がらせも終わるでしょう。彼女の傍にいた者達は品格を取り戻して離れていきましたから」
「嫌がらせ? とは、いったい何のことでございますか…?」
ええ?家族に知らせていないの?どうして?
「おや? ご存じないと?」
「……我が娘のことながらお恥ずかしい限りですが、そのようなことは何も娘から聞いておりませんわ」
「ほう? 君は家族には言ってないのかい? おかしな話だね。おかしな話ついでにもうひとつ。彼女の傍にいた者は、彼女に利用されていました。私もその一人ですよ。私等をダシにして殿下に近づこうと画策していたようですからね。ひょっとして、そのような教育を?」
「めっ、滅相もございません! そのようなことは決してっ! 私共はっ、唯々殿下がお誘いいただいていたとばかり思っていただけにございますっ」
「ほう? では、メンデス嬢。君の一存で私達を利用したのかな?」
「り、利用ではありませんっ……ただ、殿下の御身が心配で……」
「そこがおかしいのだよ。何故、婚約者でもない君が、殿下が心配だからと王宮の補佐官執務室に押しかけて来て、私を頼って会いたいと言うのかね」
「お前は何をしに行っていたのだ! 不敬にもほどがあるぞ! お前の行動は、フォールズ公爵家をも蔑ろにすることなのだぞ!」
「コゼット! 貴女は何てことをしでかしたのっっ!」
メンデス伯爵と夫人が場所も忘れてとうとう激昂されています。
あぁ……お父様とお母様のお顔が……。
コゼット嬢……どうして謝罪がないのですか……?すでに周りは全てが蔑みの目に変わています。貴女に侍っていたと言われている殿方はどう思われているでしょう?殿下の恩情も切り捨てて、何を思ってこのような場でこんな恥の上塗りを……?
「殿下は、君に一言も側妃に迎えるなどと仰ったことはない。私かアドルフがついていたから間違いない。護衛のパトリックも必ずいた。君に言ったよね? 勘違いはいけないよと。君は、出過ぎた真似をいたしましたと言って帰ったよね? なのにあの発言かい? 君は、どういう意図をもってイリア―ヌ嬢の前で『殿下にお茶のお誘いを受けるようになってから嫌がらせが始まりました』と言ったのかな?」
「……コゼット……貴女まさか……」
「ほらね。誰だってそう思うよ? 『君がイリアーヌ嬢を陥れようとしている』とね」
「ちがっ! 私はそんなつもりはっ!」
「では、どういうつもりで言ったのかな?」
「それはっ、殿下にご相談したかっただけですっ。嫌がらせがどんどん酷くなってきたので、それでっ」
「お前は何をふざけたことを言っている! 殿下にご相談だと! どういう了見でお前はそんなことを申しているのかわからんのか! 何という恥知らずな!!」
……伯爵様は、顔を真っ赤にされて更に激昂されています。夫人は今にも倒れそうなご様子。
なのに、コゼット嬢は、何故自分が怒鳴られるのか未だに訳が分からないという顔をしているのですよ……。
「やれやれ。これだけ言っても分からないとは。君は節操がないだけにとどまらず、頭の方も大きな問題を抱えているようだね。このような公の場で一度出した言葉を取り消すことは容易ではない。現に、侍らせていた男達からイリアーヌ嬢は非難の視線を浴びていた。まるでそれが事実かのようになりそうだったよ。それを軽々しく口にするとは」
「何とお詫びすればっ! 娘は再教育の為に領地へ送ります! 殿下っ、我が娘の不敬をどうかお許しいただきたく! フォールズ公爵家を蔑ろにした罪!どうお詫びすればよいか言葉もございませんっっ!」
怒りと恥辱で顔色が悪い伯爵様の謝罪が、会場中に響き渡りました……。
「ふ――メンデス嬢」
「はいっ、殿下」
えぇ……どうしてこんな状況で、そんな嬉しそうな表情ができるのでしょうか?
「其方は、まだ理解しないのか? では、言葉を尽くそう。私の気まぐれで、其方に要らぬ期待を抱かせたようだからな。再度言うまでもないが、其方を側妃に迎えるつもりは微塵もない。そのような何かを期待するような顔をされても私は不快なだけだ。王宮への出入りを禁じるという言葉も忘れたのか」
はっきりと言われたコゼット嬢は、それでも何か言いたそうに口が開いたり閉じたりしていますよ……それを綺麗に無視して殿下が話を進められます。
「ではまず一つ目は、何故、私が一臣下の悩みを聞かねばならぬのだ?」
「え?」
「言い方を変えよう。何故、私に相談しようと思ったのだ?」
「それは、お茶をしていた時に嫌がらせのお話を聞いていただいたので、ご相談すれば解決できるかと思ったのです」
「嫌がらせの件なら、家族に相談するのが筋であろう? そもそも、家族に知らせぬとは理解に苦しむ。もしや自作自演か?」
「違いますっ! 本当に嫌がらせの手紙がたくさん来ているのですっ。ここにっ、ここに証拠を持ってきています!」
……証拠……って、本当に何通も来ていますね。ドレスの隠しポケットから手紙の束を出してこられました。
えぇ……本気で殿下に訴えるつもりだったのですね……用意周到というかなんというか。私を陥れる準備を?
それをヴァーン様が受け取り開封されています。
「私はただっ、殿下に聞いていただきたくてっ」
「ほう? では、私は此処に数多いる臣下達の個人的な相談を受けよと其方は申しているのか?」
「え、あの、違いますっ。そうではなくっ、私の話をっ」
「ふふ。何故其方だけ特別扱いをせねばならない? 何故私が其方の相談を解決してやらねばならない? 私の側近にそのよな命令を下せと申しているのか?」
「そ、それは……」
「はっきりと申せ」
あの……ヴァーン様の様子がおかしいのですが……手紙にはなんと?
「……それはっ、私に嫉妬したフォールズ様がっ、誰かを使って嫌がらせをしていると思ったのでっ、殿下にお諫めしていただこうとっ」
――順当に考えれば、誰だってそう思いますよね。殿下の寵愛を独り占めしたくて『側妃候補』に嫉妬する『正妃』の図、ですか――。
殿下を独占するという気持ちは棄てるのが貴族に生まれた定め。現王陛下にも当然側妃がいらっしゃいます。殿下の他にも弟王子がいらっしゃいます。それは偏に王家の血筋を絶やさぬため。だけど、一度目の人生では、正妃の座を奪われると思って犯罪に手を染めました。私の存在が殿下にとっては、『無』になっていたと思っていたからです。愛しているのに相手にされなくなり、誰からも愛される彼女に愚かにも嫉妬して。長年頑張ってきた王妃教育が無駄になりそうで絶望して……。
それが益々殿下の御心が離れるとも考えずに……。
「殿下。発言の許可を頂けますか?」
え?
――あの方は、一緒にお茶会をしていたウェストン伯爵家のご令嬢――。
「ああ、許す」
「はい。フォールズ様は、そのような低俗な行いをされるような方ではございません。現に、殿下に何かお考えがあっての事でお呼びになられているのだから、何かを心配するような事でもないと仰っていました」
「ああ、そうだな。リーナは、自ら神殿に出向き、子ども達に勉強を教えたり、市井の生活を学ぶような娘だ。そのような貴賎を問わず接する心優しきリーナが、そのような考えを持つとは思えぬな」
「ましてや、フォールズ様と懇意にさせていただいているだけで、そのような謂れもない嫌疑をかけられる事についても遺憾にございます。ご自分の軽々しい発言がいかに他者を陥れるか再度認識いただきたく存じます」
「確かにそうであるな」
――私は……二度目の人生の事で彼女達をも疑っていました……私は、どれだけ自分勝手だったのか……。
それに……一度目の人生では、どれだけ醜悪な自分だったのか……これは、やり直した人生だからであって……私は……。
私が謝罪も込めて礼を尽くすと、伯爵令嬢は一礼して下がっていきます。
「殿下、こちらを――」
ヴァーン様が殿下に手紙をお渡しになり、私も一緒に読むように殿下が差し出されてこられます。
この場にとても相応しいとは思えないのですが、本当に申し訳ないのですが……思わず殿下と二人顔を合わせて呆けてしまいました。だって、まあ、その内わかります。殿下がお話を進められるようですので。
「さて、メンデス嬢。このような公の場で個人名を出して糾弾するには、それ相応の証拠があって申しているのであろう? これらをそうだという証拠を提示せよ」
「しょ、証拠……証拠は……ありません……」
「先程の彼女の話を聞いていたであろう? それに対して、其方はどう思っている。軽々しい発言で他者を陥れようとしていることだ」
「陥れるつもりはっ。ただ、私は事実をっ」
「ん? 話が繋がらぬな。何が事実と申すか? 先程証拠がないと申したのに、其方の思い込みだけで我が婚約者イリアーヌを糾弾せよと? 其方はどのような権限を以て、私にそのような命令を下せと申しているのだ? 其方は国王気取りでもいるのか?」
「そ……――」
「では次だ。其方が言う嫌がらせの原因にも繋がると思うが、其方は男に誰彼と構わず愛嬌を振りまくことを社交と申したな?」
「はい」
……まだ断言するのですね……。
「ふ――皆に聞こう。この者のあの状態が社交と思う者は挙手せよ」
――当たり前ですが、誰も手を上げる方はいません。
「よく見てみよ。其方に賛同している者がいるか?」
コゼット嬢は、臆面もなく振り返って会場を見ています……どうして、此処まで恥を知らないのでしょうか……?
再びこちらに振り返ったコゼット嬢の顔色が悪いです。それはそうでしょう。彼女の背後にいる貴族達は皆――――侮蔑の表情を浮かべて彼女を見ていましたから。
「ん? 顔色が悪いようだが?」
「い、いえ……」
「周りを見て、其方はどう思う」
「……私が間違っていました……」
「そうであろう? 其方の行動を誰一人認めぬぞ。だからと思わぬか? 其方に原因があるとは思わぬか? 自分ではこう言っていたよな。『節操なく男に色目を使うな』と書かれていたと。嫌がらせではなく、その通りではないか。其方が自分は特別だと履き違えているから起こったのではないのか?」
コゼット嬢は顔を真っ赤にして、唇を震わせながら俯いています。
「黙っておらずに答えよ」
「……はい……そうかもしれません……」
「だからヴァーンは己の行動を改めよと申したのだ。手紙の内容こそが事実であろう。其方に忠告しているようなものだ。理解したか?」
「……はい……」
「理解したならばわかるであろう? 何をすべきか。私の側近達の前で、淑女とも思えぬ行動で抱きついて泣いたことへの不品行についてだ。公爵家と侯爵家の家名にさえ泥を塗ろうとした行為にだ」
コゼット嬢は、今にも泣きそうな表情でヴァーン様とお兄様に視線を向けます。
「……申し訳ありませんでした……」
「因みに聞くが、其方は何故抱きついてまで泣いた。理由を述べよ」
「そ、それは………」
「嘘偽りを申すでないぞ」
コゼット嬢の体が震え始めています。きゅっと唇をかみました。
「……それは……」
「申せ」
「………殿下からもうお誘いいただけないと思ったからです……」
「ほう? その根拠は?」
「っ! それはっ……っフォールズ様の事をっ、殿下が愛しておられると思ったからですっ」
「ふ。ああ、私はリーナを愛している。誰も隙に入らせぬ程にな。そして其方は、自分でそう自覚しながら私の側近を利用し、理由を言わずに泣いて被害者を装いリーナとの間に恰も何かがあったように仕向けた。だが、一向に私から連絡が来なくなったことに慌てた其方は、私の体調を心配したフリをしながら擦り寄ろうと画策したわけだ」
「っ!」
「嘘偽りを申すなと言ったぞ。答えよ」
「……はい……そうです……」
「そして更に、王宮に来ることに失敗した其方は、侍らせていた男達を誘導し、今夜この場に近づいてきたな?」
「……はい……」
「利用したことを認めたのだ。先程其方はヴァーン等に否定していた。ならばどうするかわかるよな?」
「……はい……申し訳あ、りませんでした……」
「それで、其方が主張する嫌がらせだが、この手紙の内容を読み上げてみるが?」
「はい! それは、私に対する妬みですっ。自分に魅力がないのを棚に上げて私一人を悪者に仕立て上げ、何人もの人達を使って罵しって脅しているのです! 私が邪魔だから今の内に潰しておこうという企みがあるのですっ」
……妬み……。
この方……反省していないのですね。
さっき、”そうかもしれない”と言ったのはその為だったのですね。この手紙をどう解釈すればそうなるのか。だから自分のよくない噂に気づかなかったのでしょうか?
それに、まだ暗に私が首謀者だと言ってますしね……。
殿下も眉間を揉んでおられます……今読んでいるお兄様も眉間に皺が深く刻まれていますし。
「それにっ、トリスターノ様も誑かされておいでなのですっ。私の味方だったのに、急に冷たくなられたのですっ。きっと何か誤解なさっていますっ。だから皆さんの誤解を解きたくてっ、どうにかしてお話したくてっ。それもこれも全部フォール――」
「何だと申すか?」
殿下が言葉を遮られました。まさか、本気で私が何かをしたからと思い込んでいるのでしょうか?どうしてそういう結論に至るのか全く理解に苦しみます……。
「我が腹心が誰に誑かされたと申したいのだ? 其方は先程から口先だけの謝罪だったようだな――相分かった。さて、手紙の内容を読み上げるとしよう――」
……これを嫌がらせと言っても……誰も納得しないでしょう……。
◇◇◇貴女が昨年の各夜会で行っていた行為は、節操なく男に色目を使っているように思われても仕方がない事ですのよ。主催者の社交場を侮辱する事にもなりますわ。他の方々が不快な思いをなさっていたのに気づきませんか? それでは貴女の品格が疑われて、ご両親にも恥をかかせることになり、家名にも泥を塗りますのよ。もっと自覚を持たれたらよろしいかと。ご両親と相談なさるとよろしいですわ。貴女に殿方を捌く技量がないのであれば、ご家族と一緒におられるのが一番でしてよ。これから社交シーズンが始まりますけれど、まだ貴女が婚約したとの話を聞きませんから、ご忠告まで◇◇◇
読み上げ終わると、ご両親の肩がだらりと落ちました。コゼット嬢の腕を掴んでいたご夫人の腕がだらりと落ちます。
これが脅しという娘に呆れておられるのでしょう……。
「畏れながら――」
一人のご令嬢が出てこられました。
「発言の許可を頂けますか、殿下」
「許す」
「その手紙は、私個人の判断で出したものでございます」
え、この方が。私は知らない方です。
「私が出したその手紙が、これほどまでに悪意と取られてフォールズ様方に謂れのない嫌疑がかかるとまでは考えが及びませんでした。心よりお詫び申し上げます」
そのご令嬢が、頭を下げて謝罪してこられました。
「其方の言い分は正しい。これを正常な人間が読めば己を省みるのが道理であるが、脅しなどと歪曲した考えには至らぬからな」
もう一度一礼して、ご令嬢が下がっていかれます。
「さて、他には、今年の夜会での正式な抗議文だな。きちんと署名入りだ。『我が伯爵家の夜会は、貴女の為にあるのではない。何を履き違えているのか与り知らぬが、誇り高き我が伯爵家の社交場を穢すのは承服しかねる』だ」
この抗議文は、先程証言してくださったご令嬢の伯爵家からです。本当に悪い噂が飛び交っても仕方ないと思うのです……だって……。
「他のもこれと似たようなことだ。節操なく夜会に参加して、男漁りの真似は慎めと。伯爵、これは一つも目にしていないのだな?」
「……はい……」
「娘の行動に気づかなかったのか?」
「……自分であしらえるから大丈夫などという娘の言葉を愚かにも鵜呑みにしたばかりにこのような事態を引き起こしました……夜会は一人での参加が増えていることは承知しておりましたが、娘の行動まで把握しておらず……言い訳に過ぎない事は重々承知しております……」
ご夫人は口元を手で覆って項垂れ、伯爵様は大量の脂汗が額に浮かんでおられます。
自分であしらえる――随分言動に違いがありますね。尚更自分の行動が愚行だと理解していたのではないかと疑いたいです。それなのに、この言い訳がましい言葉の羅列を……。
それに、会場中の皆が同じ気持ちのようです。
――――これのどこが嫌がらせと言う名の脅しなのかと――――。
「誤解を解く為など言い訳にしか聞こえぬな。このような手紙が来ることになったのは私に再び擦り寄ろうと企み、手あたり次第のように夜会に参加しては男を侍らせていたからではないのか。聞いているぞ。寵愛を笠に着てやりたい放題しているとな。それこそ自分が特別だと履き違えているからであろう。其方は先程申したよな。何故急にお呼びいただけなくなったかと。誰がそのような勘違いも甚だしい危険な輩を近づけたいと思うか。其方が自ら本性を暴露したから王宮の出入りを禁止したのだ」
「――――」
殿下方の本音はそこですね。涙で偽証するような方と、私も関わりたくありません。
それにしてもです……どうしてここまで自分の非を認めないのでしょうか?先程も口先ばかりの謝罪のようでしたし、今もまだ黙して反論しているように見受けられます。
「其方は、まだこれが脅しだと申すのか? これのどこを読めばリーナを首謀者と決めつけるのか、私には全く理解できぬ。この会場の者達皆がそうであろうな。親に見せれば自分が咎められると頭で分かっておきながら、自分を正当化してこれを嫌がらせだと吹聴したのではないのか――それをよくもぬけぬけと。リーナが其方に嫉妬したからだと?」
「――――」
「自分の言動に責任が持てぬから、そして、不届きな欲望を腹の内に隠しながら私に擦り寄ろうとしたから――私の婚約者と彼女の親しい者達を陥れるような真似ができたわけだよ、メンデス!」
礼儀として付ける敬称の”嬢”を外されて怒りを示されました。肩を揺らして怯えています。ここで漸く否定の言葉が出ないということは自覚したのでしょう。お兄様が手紙の束を伯爵様に手渡されます。
「ならばどうするが筋だ? いちいち言われなければ其方は何もできない赤子か?」
「っ! あ……も、申し訳ありませんでしたっ……」
……ここまで至るのに、こんなにも時間がかかっているのです……。
「これが最後だ。これほどの事をしておきながら、自分は疚しい事はしていないと断言した。そして、国王たる父上と王妃である母上が催す舞踏会に水を差した。これ程の長い時間をだ。私が席を外せと促したにもかかわらずにな」
「……あ、あ、ああ……も、申し訳ありませんっっ!」
「も、申し開きの言葉もございません……我が娘は社交界から追放いたします……私どもの教育が至らず、皆々様にこれほどの無礼、を……――」
ドタッッ!!
「あなたっ!」「お父様っ!」
……伯爵様が意識をなくされたので、体が床に崩れ落ちたのです……。
「伯爵を休憩室へ」
「は!」
壁際に待機していた数名の騎士達が駆けつけ、伯爵様を運んで行かれます。それに付き添うように謝罪と退室の挨拶をした夫人とコゼット嬢が会場を後にしました。
「時間が押しているようだな。曲を流す前に我から伝えることがある」
陛下のお言葉に、皆が耳を傾けます。
「この冷め切った空気を一新する話題でもと思ってな。我が息子ジョルジュと婚約者イリアーヌの婚儀の日取りが決まった」
おおおお!っと会場から拍手喝采が起こっています。
「貴賎なく子どもに勉強を教えるような心優しき娘を我が王家に迎え入れられる事、誉れである」
「ええ、そうですわね」
陛下と王妃様がにこやかに笑顔を向けていただいています……淑女の礼であいさつしました。
この盛り上がりを、更に軽快な曲が盛り上げていきます。
――でも、私は……そんなたいそうな人間ではないのに……私は……。
自分の生きる道を探すためだけに神殿に行っていたのです。
……唯々自分の為だけに……。
8/23 誤字等を修正しました。