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江戸時代の初期の吉原は浅草ではありませんでした。
吉原の歴史に詳しい人はごぞんじかと思いますが
江戸の吉原は最初今の日本橋あたりの当時では海岸に近い、葦屋町
葦の茂る当時では僻地とされた場所にありました。
葦原が「吉原」に変わったのです。
しかし日本橋近辺が商家街として大きく発展するとそのど真ん中に
遊女街があるのはまずい1660年頃浅草に吉原は移転しました。
ということで太夫や格子などがきっちり存在し三茶女郎が存在していない説明になっているのは
三茶が出現したことで揚屋が衰退した時期には話の中身が合わないからですが
それなら浅草に廓があるのはおかしいじゃない?となるんですが
まあ、イメージ的な問題です。
また当初の吉原は
客を一晩のみ泊めて、連泊を許さない。
偽られて売られてきた娘は、調査して親元に返す。
犯罪者などは届け出る。
など吉原が犯罪差の巣窟にならないようにいろいろこまごまとした取り決めがあったのですが
中期以降はそういったことも必ずしもも守られなかったようです。