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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悩める古道具屋 -危険な宝探し-

作者: 與七

幻想郷で、真に恐ろしい事というのは何だろうか。あちこちに妖怪がいる以上、人間にとってはそれが十分な恐怖対象・・・のはずだが、現在はそういう訳ではない。最近の幻想郷ではいわゆる「共存」を大切にしておこう、という方針が強まりつつであるのだから。


そう、本当に恐ろしい事というのは、予想もしていない所から生まれるものである。この前の呪いの屋敷の噂騒動や、香霖堂への立て籠もり事件などだ。預言者のような人物でもいれば話は別だが、現在の幻想郷では、易や占いに頼るのが精一杯というところである。この前起きたある事件は、そんな予想だにしない、考えられない出来事がきっかけであった。


その日の僕は、珍しく久しぶりに店の外に出ていた。最近は外の世界の道具や外来本を探しに行ってなかったな、とふと思い立ったためである。すでに目的地は決まっていた。

「さて、見つかるとは限らないけど、探してみよう」

今僕は、人里の外れの荒れ果てた大地に立っている。下道荘しもつみちのしょうの一部ではあるが、耕作地に使用されていない荒地である。以前からここでは、無縁塚と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上の頻度で、外の世界の道具や外来本が見つかるという。新聞を大量に溜め込んでいた僕は、その事実を知るまでに時間が掛かっていた。そういえば、天狗の迅六が発見したというあの爆発物も、下道荘で見つけたと言ってたっけ。

「おっと・・・早速大漁だな」

いきなり僕の目に飛び込んできたのは、大量の外来本と思わしき本である。だが―

「う、これは・・・」

思わず僕は眉を潜めた。そのほとんど、というかほぼ全部が卑猥な春画本であった。

「まあ、外の世界の春画はかなり質がいいから・・・鈴奈庵で高く買い取ってくれるだろうな」

これは直接鈴奈庵に行って買い取って貰うのが一番だ。それも小鈴が店番をしていない時に、だ。彼女にはちょっとまだ刺激が強すぎるだろう。

「あれ、店長」

後ろから急に、聞き覚えのある声が僕の耳に届く。うわ、何か嫌な予感がする。

「外界の品の調達ですか、飽きないですねえ」

その明るい声に思わず振り返った僕の目に入ったのは、いきなりのカメラのフラッシュと、それを構える鴉天狗の記者・岡村迅六おかむらじんろくの姿であった。

「ちょっと、写真を撮るときは被写体に許可をだね」

「あ、すいませんつい癖で」

全く悪びれる様子の無いヘラヘラとした態度に、僕は思わずイラッとしたが、直ぐに冷静になる。

「まったく、注意しても反省の態度が見られないのは正直腹が立つよ」

「いやー申し訳ない、こういうのって条件反射という奴で・・・。あ、早速掘り出し物ゲットですか」

迅六は僕の手にした外来本に目をやる。大量の春画に。

「うわあ・・・ドン引きですね。いや失礼、目の保養に良さげですね」

迅六の顔が微かににやけている。笑いを堪えているようにも感じた。

「・・・」

僕は迅六を呆れ顔で見据えた。うん、これは一言、ちゃんと言っておかないとまた大変な事になるぞ。

「迅六、この前の件、忘れてないだろうね。あの記事の事について」

「あっはい、あの時はすいませんでした。早とちりして」

「・・・」

「えっと、何か」

迅六は困惑した表情で僕の顔を見ている。わかっているのだろうか?僕の言いたい事は。いや、わかってなさそうだな。

「今の状況を、そのまま記事にするつもりかい?」

「は?」

「香霖堂の店主が、外来本の春画をたくさん持っていたって。そんな記事を書きたいかい?」

「あー、えっと」

「これは全て鈴奈庵に持っていって買い取って貰うつもりだよ。それははっきり言っておく」

「あ、そうだったんですか」

迅六はぽかんとした表情に変わり、すぐに面白くないと言った顔つきになる。

「んー・・・」

「なんだい?不満そうだね。そんなに僕を好色な店主に仕立て上げたかったのかい?」

「いや、違いますけど」

「まったく、面白い記事を書きたい気持ちはわからないでもないけど、書かれる方の身にもなってほしいね。ってこの前話をしたばかりだろう」

「あ、はい、そうでしたね」

まいったな、ろくに反省してなさそうだぞ、彼は。まあ、今日はとりあえず大丈夫だとは思うけど・・・


「あれ、香霖堂の店主さんじゃないですか」

後ろから急に青年の声が掛かる。おっと、この声はお得意様の―

「うげ、天狗の記者もいるのかよ」

「おーっと、これはこれは。今日も絶賛収集中って所ですか」

迅六は青年に向かって、パシャパシャと何枚もカメラのシャッターを切る。その度に青年は迷惑そうに目を瞑った。

「ったく、毎日毎日お前も飽きないよなあ、天狗の記者さんよ」

呆れた調子で迅六に言う青年に対して、迅六は意にも介していない様子で話しかける。

「その様子ですと、今日はまだまだこれからって所ですかね」

「ああそうだよ、見りゃわかるだろうが馬鹿垂れ」

「相変わらず口が悪いですねえ、お父上と全く変わりませんよ、その口調」

「お前も昔から全然変わってないって、父ちゃん爺ちゃんはぼやいてたぞ」

青年は嫌な奴に会ってしまった、という気持ちを遠慮なく出しながら言う。

青年の名は湯浅文吉ゆあさぶんきち。里に住む者の中でも指折りの長者で、様々な物品の収集家としても知られていた。そのため、香霖堂にも度々訪れており、気に行った外の世界の道具をよく買っていくお得意様の一人であった。

「あーあ、取材は別にいいけど、邪魔はするなよ。それからこの前みたいなデタラメな記事書いたら承知しないからな。ねえ、店主さん」

文吉は僕のほうを見て苦笑する。

「この前は天狗の記事のせいで大変でしたね、御愁傷様です」

「いや、まあそれは解決したから別にいいんだけど」

「良くないでしょう、こいつ絶対反省してないし」

文吉は迅六の顔をジロリと睨み付ける。

「いやいや、本当すみませんもう勘弁してくださいってば」

迅六は慌てた調子で言うが、僕も文吉も信用ならないという目で彼の方を見た。

「うう・・・ごめんなさい」

「まあいいや、さっきも言ったけど、邪魔だけはするんじゃねーぞ、いいな」

文吉は迅六から目を逸らすと、僕に向かって笑顔を見せながら言う。

「さて、俺はこれからまだまだ探す予定ですけど・・・。店主さんも様子を見るに、探し足りないですよね?」

「そうだね、もう少し見て回ろうかと思ってる」

「ほいじゃ、ちょっと競争と行きますか?どっちがたくさん見つけられるか」

「おいおい、競争だなんて、そんな―」

「おおお、火花散る戦いの始まりですか、この勝負、見届けさせて頂きましょう」

元気を取り戻した迅六が、大声で僕たちに言う。

「何度も言うが、取材はいいけど邪魔するなよ」

文吉がやれやれといった呆れ顔で迅六に言う。

「わかってますって。さあ、どちらが勝利するのでしょうか―」

「うーん、こうなるとプレッシャーだな・・・探しにくいよ」

後ろの迅六の目を気にしながら探さなくてはならない。見られているとちょっとやりずらい気がする。まあ、仕方ないか。

「よし、ちゃっちゃとお宝探しといきますか、店主さんには負けませんよ」

文吉は気合満々だ。うーん、勝手に競争扱いにされてしまったけど、そこは気にしないでおこう。うん、僕は僕でマイペースに探すとしよう。


「ふう・・・今日はこのぐらいにしておこうか」

数時間後、僕の手元には最初に見つけた春画本と、河童が喜びそうな機械の部品が何種類か集まっていた。一方の文吉はというと―

「こっちは全部外来本ですね。しっかしすごい量だ」

文吉の戦利品を見た迅六が驚きの声を挙げる。

「へへ、単純な数だけなら俺の勝ちですね。ただ、その機械、結構貴重な物だったりするんじゃないですかね」

文吉が僕の戦利品を見ながら言う。

「それはまだわからない。ちゃんと鑑定してみてからかな」

「うーん、甲乙着け難しか」

迅六が悩んだ表情をしている。・・・この競争を記事にするんだろうな、やっぱり。

「新聞に書いてもいいけど、変なふうにするなよ」

文吉が迅六に向かってまたも釘を刺す発言をした。

「あっはい、そりゃもう」

「・・・わかってないように聞こえるね」

僕は思わず肩をすくめた。

「俺もそう聞こえます」

文吉も僕に同意した。

「あの、信じてくださいよ、反省してますから」

「・・・」

「うう、ごめんなさい、もう許してくださいよー」

信用ならぬという目をした僕たち二人の視線に、迅六が悲鳴のような声を挙げた。


「ふう、今日は大漁で気分がいいや。母ちゃんも婆ちゃんも喜んでくれそうだ」

下道荘から人里の中心部へと向かう道の最中で、文吉がご機嫌な表情で言う。

「ほほう、してその心は?」

迅六が文吉に質問する。メモ帳を手にしたままと言う事は、それも記事に書く気だろうか。

「今日見つけた外来本は、料理や食材について書かれた本がかなり多かったんだ。うちは食材には拘って食事を作ってるから、きっと重宝するだろうと思ってな」

「ふむふむ」

迅六はすかさずメモを取っている。中々仕事熱心だな。

「でも、その点店主さんはそういう事考えなくていいから気楽でいいんじゃないですか?」

「ああ、そういえば食事は摂らずとも平気でしたよね、店長」

二人が同時に僕の顔を見る。それは確かに、理屈の上ではそうなのだが―

「僕だって、美味しいものを食べたくなる事はあるよ。確かに食事はしなくても平気だけどね」

「でも、大体それが原因でそれで引きこもり状態が続いてるわけですよね。ちょっとそれはどうかと思いますよ」

文吉が苦笑しながら言う。まあ、それはそうかもしれないけど・・・

「確かに、それは良くないかも・・・あ」

迅六の足が急に止まった。そして、遠くを見据える視線になる。

「ん?」

「どうしたんだい?」

僕と文吉も足を止め、思わず迅六の方を見た。

「すいません、ちょっと失礼しますね。取材対象が増えました」

そう言うと、迅六は鴉の翼を広げ、勢いよくこの場から飛び去っていく。

「どうしたんだろう」

首を傾げる僕に、文吉が言う。

「店主さん、あの人たちじゃないですか」

「え?」

僕は文吉の視線の先と、迅六の飛び去った方向に目をやった。現在は地質が悪いためか、放棄された耕作地が広がっている場所である。普段はまず人が近づかない―それこそ、訪れるのは外の世界の品物を求める僕や文吉ぐらいのものだろう―寂しい枯れた土地に、二つの人影があった。


「あれって、拝み屋さんと、確か―」

「八雲紫」

僕は短く呟いた。

「そうだ、妖怪の賢者さんでしたね。新聞や雑誌で見てはいましたけど、実際にはあんまり見かけないから誰かと思いましたよ」

「でも、あんな所で何やってるんだろう」

「逢引ですかね」

「まさか」

僕はじっと二人の様子を見ていた。真兵衛と紫か。下道荘が近いから真兵衛はともかくとして、どうして紫まで―

「あ、迅六がなんか話しかけてますね」

二人の元へと、迅六が降り立ったようだ。新たな取材開始、と言ったところだろうか。

「ったく、気になる事があると、どこでもすぐに向かうって、本当に昔から変わらないですよ、あいつは」

文吉が迅六たちから僕の方に視線を移した。

「それだけ仕事熱心なんだろう。熱心過ぎて、空回りする事もあるみたいだけどね」

「ああ、その気合の空回りも昔から変わらないって、よく父や祖父から聞きました」

「三つ子の魂、何とかまでって奴か。妖怪も人間もその点は変わらないのかな」

僕は思わず苦笑しながら言う。

「おっと、もう取材終了か?こっち戻ってきますよ、あいつ」

文吉が驚いた表情で、こちらに飛んでくる迅六を見ている。

だが、飛んでくる迅六の表情は、どうにも納得がいかないというような、憮然とした顔つきである。

「おかえり。随分早いな」

「ええ、まあ。端的に言えば取材拒否ですけど」

地に降り立った迅六は、憮然とした表情のまま口を尖らせる。

「重要な作業の最中だから、お引き取り願いたいと」

「ざまあないな、まあ妖怪の賢者が相手だから、仕方ないな」

文吉は迅六に対してニヤニヤ笑いながら楽しそうに言う。

「笑い事じゃないですよ。納得いかない」

迅六は不満全開の表情で呟く。

「まあ、重要な作業って言うんだし、邪魔をされたら困るんだろうね。その点は割り切るしかないよ。仕方ない事だ」

僕も迅六に向かって言う。

「ええ、まあ・・・そうですけどね」

迅六は元気の無い顔で言うと、僕たちに向かって背を向けた。

「すいません、わしはもうこれで失礼します。なんかちょっと、やる気なくしちゃいまして」

「おいおい、賢者さんに口汚く罵倒でもされたのか」

文吉は揶揄うような調子で言うが、迅六はそれには答えなかった。

「それじゃ、今日は取材に協力して頂き、ありがとうございました」

そう言うと、迅六は再び大空に浮かび、妖怪の山へと飛び去っていく。小柄な迅六の体は、あっという間に見えなくなった。

「何だよ、あいつ」

文吉が呆気にとられた表情で呟いた。

「何か厄介な事情でもあるんですかね」

文吉の視線が、迅六の飛び去った方向から僕の顔に移る。

「厄介な事情か―」

僕はふと考えていたが、迅六の言っていた言葉が少々気がかりでもあった。


「結界の事かな」

「え?結界?」

僕の呟きに文吉がおうむ返しに答える。

「以前から、幻想郷の結界の調子がおかしいって、紫や霊夢から聞いていたんだよ。特に、人里周辺の結界が気になるってね。もしかしたらそれかもしれない」

「結界の調子がおかしい、ですか。言われてみれば―」

文吉が考え込む仕草を見せる。

「前に人里近くで、凶暴な怨霊がいきなり現れた事がありましたね。ほら、あの香霖堂襲撃事件」

「ああ、あれか」

思い出したくもない出来事だ。そうだ、今思えば霊夢がこんな事を言っていたな―



「神社はまだしも、里近くの結界が壊れたらかなり大変なことになるわよ。特に今の状況だと、ちょっとした弾みで、外の世界の悪霊とか悪魔とか、邪神とか、そういうのがわんさか幻想郷に訪れる可能性があるんだから」

「本当に凶暴なのが来たら、洒落にならないから」



まさか、幻想郷、特に人里周辺の結界に異常が起こっているのではないか?でなければ、妖怪の賢者である紫が早々出てくる事態にはならないはずだ。

「もしかしたら、重要な結界の修繕作業なのかもしれないな」

「ですかね。でもそれなら、博麗の巫女も来るんじゃないですか」

文吉が首を傾げながら言う。

「さあね。霊夢も色々忙しいって聞いているからね。この前に本人がそうぼやいてた。それにここは下道荘の近くだから、良く知ってる真兵衛を呼んだんじゃないかな」

僕はそう言うと、もう一度真兵衛と紫の方に目を向けた。

この前の呪いの屋敷の事件は、何か関係あるのだろうか?いや、あれに関してはもう考えても仕方のない事だ。それよりもやっぱり、結界の調子がおかしいっていう話は気がかりだな。

「あの、店主さん」

文吉が僕に遠慮がちに言う。

「不謹慎かもしれませんけど、これも結界の調子が悪い事が原因だったりするんですかね」

文吉は今日手に入れた戦利品を指差しながら言う。

「ん?どういう事だい」

「里の結界の調子が悪いから、外の世界の品が大量に落ちてくるんじゃないか、って事ですよ。それも無縁塚以上に」

文吉が複雑そうな表情で僕の顔を見た。

ああ、言われてみれば確かにそうかもしれないな。以前はこんなに外の世界の品物が人里近くで見つかったことは無かった。結界の調子が悪いという話題が出てから、急に人里近くでの外の世界の品物の発見が増えたような―

「うーん、俺たちの知らない所で、なんかおかしな事が起こってるんじゃないかって、不安になりますね」

「・・・そうだね。ただ、それを完全に知る事は出来ないけどね」

人間である彼の場合は尚更だろうな、と僕は思った。僕も彼の何倍も長く生きてはいるが、まだまだ幻想郷について知らない事も多い。胡散臭い彼女が妖怪の賢者である時点でそれは仕方のないことかもしれないが。

「裏で何かやってたって、俺たち人間には知る術がないですからね。あ、でも店主さんは半分妖怪でしたね」

「いや、僕も君たち人間には、立場的には近いものがあるよ」

僕たちはそんな会話を交わしながら、互いの家路へと足を進めた。


下道荘で大量の外来本を手に入れてから何日か経過したある日、僕はそれ以外の場所でも拾った外来本を一まとめにし、人里へと足を進めた。もちろん目的地は鈴奈庵、外来本を全て買い取って貰うためである。


丁度その日は鈴奈庵の主人が在宅だったため、僕はご主人に買い取りの査定を頼んだ。最も、最初は小鈴が自信満々で査定は自分に任せて下さいと胸を張っていたのだが・・・大量の春画を見るや否や顔を真っ赤にしていた。まったく、こういうのはどうにも気まずい。


査定を待つその間、僕は小鈴と話をしながら時間を潰す事にした。


「店主さんには、本当に感謝してますよ」

小鈴は僕にニコニコ笑いながら話しかける。

「いつもたくさん外来本を持ってきてもらって、おかげで貸本のレパートリーも増えつつあります」

「どういたしまして」

僕は小鈴に笑顔を返した。

「あーあ、それに比べて、湯浅さんときたら・・・」

小鈴の表情が曇り始めた。文吉が何かしたのだろうか?

「何かあったのかい?彼と」

「ああ、実は外来本を買い取りたいって頼みに行ったんですけど、断られちゃったんです」

ふむ、なるほど。収集家である彼なら断るのもわかる気がする。僕だって、鈴奈庵には売りたくない本があるのだから。

「新聞で読んだんです。外来本を大量に見つけたって」

ああ、例のあれか。確かにあの時は大収穫だったからな、彼。

「それで、何冊か売って貰えないかなと思ったんですけど・・・駄目でした」

小鈴は大きな溜息を付いた。

「あーあ、全部欲しいとは言ってないのに・・・たった一冊だけでもいいんですよ。でもあの人、収集家として手放す気は無い、って頑固に言い張るんです」

うーん、彼なら言いそうだな。収集家としては、一度自分で手に入れたものは、やはり手放したくなくなるのだろうか。

「まったく、本当に酷いですよあの人」

小鈴がふくれっ面で僕に愚痴る。

「外来本は、貴重な情報がいーっぱい載っているんですよ。なのに独り占めしてるんですから」

「まあ、それは仕方のないことだと思うよ。外からの落とし物は、正直拾ったもの勝ちだからね。それが貴重な品物だったら尚更だ」

「でも・・・」

小鈴はどうにも不満気な表情である。やれやれ、彼にも困ったものだな。ならば少し、小鈴に助け舟を出してみるとしよう。

「よし、彼の所に行って、説得してみる事にする」

「えっ、本当ですか?」

小鈴の表情が一気に明るくなった。

「ああ、辛抱強く頼めば、彼もわかってくれるんじゃないかな。きっと」

「ううん・・・でも、結構あの人、強情でしたよ。何を言われても断固拒否みたいな感じで」

「それは僕自身よくわかっているよ。どうにかして説き伏せて見せる」

「・・・わかりました。それじゃ、お願いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、なんとか頼んでみるよ」

僕は買取査定が終わった後、鈴奈庵を経ち、文吉の家へと向かった。


文吉の家は、人里の集落からはかなり離れた場所にある。その離れた場所に彼の家と、その分家の家が隣接して建っている。その二軒は、遠くから見てもわかる程に立派なお屋敷である。まさしく長者の屋敷、と言ったところだろうか。流石に紅魔館や白玉楼よりかは小さいが。


「お断りします」

・・・話題を少し出しただけで、この一言、けんもほろろである。どうやら全く本を売る気は無いようだ。

「・・・一冊くらい、いいじゃないか。それに君の財力なら写本だって―」

「ってのは冗談ですよ、冗談」

「はあ?」

思わず僕は間抜けな声を挙げてしまった。

「といっても、ちょっと何日か待ってほしいんですよね。実は、妹の誕生日と両親の結婚記念日が立て続けにあるんですよ。そこで、その祝宴の料理を作るために、あの外来本がどうしても必要なんですよね」

「へえ、そうだったのか」

なるほど、そういう事情があったのか。ならば、何日か小鈴には待ってもらうしかないな。

「ただ、鈴奈庵の娘にも言った通り、全部売る気はありませんからね。せいぜい、五、六冊、うちではあまり使わなそうなやつを」

「いや、それで十分だよ。君の事だから、まったく売る気は無いと言われるかと思ったよ」

「いやー、やっぱり収集家としてはあんまり手放したくないですからね」

文吉は頭を掻きながら申し訳なさそうに言う。

「それにしても、今からもう準備をするのかい?なんだか奥が忙しそうだけど」

「ええ、そうですよ。仕込みって言うのは、ものにも依りますけど、時間がかかるものですから。拘りの料理だと特に」

「へえ・・・」

「採れたての野菜や山菜やキノコをふんだんに使った料理にする予定です。俺自身も、この後手伝わされます」

文吉は苦笑しながら言う。

「うーん、結構大変そうだね」

「そうなんですよ。隣の分家の人たちも全員来ますから。人数がたくさんいるとそれだけで一苦労です」

「そうか、なんか忙しい時にお邪魔しちゃったようだね。それじゃ、また数日後かな。その時はよろしく頼むよ」

「ええ、わかりました」

僕は笑顔で見送る文吉を背にしながら、湯浅邸を後にした。


再び鈴奈庵に戻った僕は、小鈴に事情を説明した。

「というわけで、あと数日待ってほしい」

「そうだったんですか。でもそうならそうと、私にもちゃんと言ってほしかったです」

小鈴はまだ若干、不満そうな顔つきである。

「君の場合、全部売ってもらう事に拘ったからじゃないかな」

「いや、そんなふうには言ってませんよ」

小鈴は慌てて弁明する。

「どうだろう、向こうはそう聞こえたんじゃないか」

「失礼ですね、もう」

小鈴はムッとした表情で僕の顔を見据えた。


それからまた数日が過ぎた。いつも通りのゆるりとした一日を、僕はほとんど読書に費やして過ごしていた。たまに買い物に来るお客さんと、雑談をしながら、である。


「いつもの茶ではないのか」

真兵衛は複雑そうな表情を浮かべながら、湯呑の茶を音を立てて啜る。

「これはこれで味があって好きだよ、僕は」

「残念ながら、某はいまいち好きにはなれそうにない」

「今までが贅沢過ぎた、そう考えるべきかもしれないね」

「納得がいかぬ」

「みんな最初はそう言うと思うな。特に霊夢なんかは」

「だろうな」

「恐らくは、他のみんなもそうだと思うよ。よくここのお茶を飲んでいて、味をすっかり理解しているからね」

「しかし、舌が肥えるのも考えものだ。文句を言う者ばかりになる」

「それはそれで良い意味で受け取るべきかもしれない。僕の出すお茶を気に言ってくれてる証拠だからね」

「よくそんな言葉が言えるな。ここは茶店では無いと、散々文句を言っておいて」

「・・・確かに新聞の僕のコメントはそんなふうに書いてあったけど、そこまで酷くは言ってないよ」

「困ったものだ。天狗の意図的な印象操作も相変わらずと言ったところか」

真兵衛とそんな談義を交わしながら、僕は文吉の事について考えていた。確か、今日と明日は祝宴が続くんだったな。あの時拾った外来本が料理に大いに役に立っている事だろう。そういえば・・・

「真兵衛」

「何だ」

「ちょっと聞きたい事があるんだ」

「ほう。何についてだ?」


―文吉と、迅六との帰り道の、あの時の事。あの時の真兵衛は、紫と二人で何をやっていたのか。どうしても気になるんだよな。聞いてみる事にしよう。


「何日か前、下道荘の近くで君を見たよ」

「うむ」

「紫と二人で一緒にいる所をね」

「ほほう」

真兵衛はいつものニヤッとした不気味な笑い顔を見せる。

「逢引現場を見ていたのか、其方」

「・・・こっちは真面目に話してるんだけどな」

僕は真剣な眼差しで真兵衛の顔を見る。

「これは失敬」

「それで、あの時、何をしていたんだい?」

僕は真剣な表情を崩さぬまま、真兵衛に尋ねる。

「結界の修繕」

「ふーん・・・」

「どうだ?これだけで満足か?」

「まあ、そんな所だろうと思ったよ。紫からも、結界の調子が変だとか何とか聞いていたからね」

「なんだ其方、既にご存知ではないか」

真兵衛はまたニヤリと笑い顔を作る。

「そんなに気にする事では無いぞ。スキマは念のために立ち会いたいと申しただけで、普段の私の仕事と何ら変わりはないからな。何も心配する事は無い」

「・・・」

僕は無言のまま、顎に手を当てて考えていた。

「ん?如何した?」

「その時、取材を断ったのは何か訳があるのかい?」

「ああ、鴉天狗の事か」

真兵衛はやれやれというふうに肩をすくめる。

「どうにも某は天狗の取材が鬱陶しく思えてな。いつもの務めであって大した事では無いし、邪魔をされては困ると思って思わず追っ払った。まあ、今思えば別に取材を受けても良かったのだが」

「ふうん、そうか・・・」

「納得したか?」

「うーん、それならまあ、いいんだけどね」

僕は真兵衛とは対照的に笑顔がどうしても出てこなかった。

「前に怨霊の事件があっただろう?あれは里の結界が壊れた事が―」

「いいや、それが原因では無い」

真兵衛は僕の言葉を遮ると、話を続けた。

「仮に結界が壊れたとすれば、外の世界からの侵入者が爆発的に増える。素人目にもわかる程にな。だがあの怨霊は偶発的なものだ。いやいや、左様な深刻な顔をしなくても良い。どうも其方は、些細な事を気にし過ぎる。湯浅殿と同じだな」

真兵衛は苦笑いを浮かべながら僕の顔を見ている。が、僕は最後の真兵衛の言葉を聞き逃さなかった。

「湯浅殿も、っていうのは、文吉の事かい?」

「左様」

「もしかして、文吉も君に尋ねたのかい?紫と一緒にいた時の事を」

「そうだ。湯浅殿も、心配そうな表情で私に尋ねて来てな。あの時、スキマと一緒に何をしていたのか、異様とも思える程気にしていた」

真兵衛は先程と同じく、肩をすくめる仕草を見せる。

「まあ、気になるのも無理はなかろう。何といっても、妖怪の賢者が易々と里に出るのは稀であるからな」

「そうだったのか・・・」

まさか、文吉も気になって真兵衛に直接訪ねていたのか。まあでも、大した事では無いと言う真兵衛の言葉が本当なら、心配する必要は・・・ない、はずだ。多分。

「・・・」

「やはり其方、疑っているな、某の言う事を」

「え?いや別に」

「顔に書いてあるぞ、わかりやすい」

真兵衛は三度、ニヤリとする笑顔を作った。



香霖堂を後にした真兵衛は、目を伏しながら考えていた。

(あやつは中々鋭いな・・・ふむ、香霖のダンナの目を欺けるのも時間の問題やもしれぬ。ギリギリの所で誤魔化せるのも限度があるぞ、八雲のスキマ。其方の考えている程事態は深刻化していないのが幸いではあるが・・・)

「あらあら、さっきの明るい調子とはえらい違いねえ」

どこからか、揶揄うような少女の声がしたかと思うと、真兵衛の右斜め上から突然にその姿は現れた。

「ごきげんよう。首尾は上々、といったところかしらね」

真兵衛を見下ろすように宙に浮かぶ八雲紫は、緩い笑顔を見せながら言う。

「いや、そうでもないぞ」

真兵衛は眉を寄せると、紫の顔をじっと見据えた。

「あら、何とか大事になる前に結界は全部修復できたじゃない。もうなんにも心配はいらないわ。何の問題があるのよ?」

「わかっておらぬな。香霖のダンナの事だ。あれはやはり、相当怪しんでいる様子」

「ああ、あの時の話ね。霖之助さんも随分心配性なのね」

「いいか、こうした綱渡りの連続では、流石に怪しむ者が出てくる」

「何よ、適当に誤魔化しておけばいいのよ。そんな事」

「簡単に言ってくれるな。其方」

真兵衛は厳しい表情のまま、紫の顔を見ている。

「別にいいじゃない。万が一があれば、私が全て解決してあげるから」

紫はクスリと笑うと、真兵衛に顔を近づける。

「何と言ったって、私は妖怪の賢者だもの。この幻想郷の統括者よ」

紫は妖艶な笑みを浮かべながら、真兵衛に囁いた。

「全て解決か。まさか、そう容易いわけが無い」

真兵衛も負けじと、ギョロ目で紫の顔を見据える。

「邪魔者は消しちゃえばいいの。簡単な事よ」

「其方の隙間に吸い込むか」

真兵衛は先程と変わらず、大きな瞳で紫の顔を見つめている。

「ふふ、まあ、今のは冗談だけどね」

「ふん・・・」

真兵衛は、紫の顔から目を逸らすと、ぼそりと呟いた。

「冗談の通じない者も世には大勢居る。気を付けられよ」




香霖堂の外は、生憎の小雨である。とは言っても、年中店の中で過ごしている僕にとっては、あまり関係のない事である。やはりこんな日は―というか、それしか選択肢は無いのだが―じっくりと読書をするに限る。朝から読み進めていると、それなりにページが進む。うん、今日は結構順調に読めそうだ。


―しかし僕のそんな思いは、一通の知らせによって儚くも崩れ去る事になる。


バァン!という勢いよく扉が開ける音と共に、一人の少女が店の中に入ってきた。まったく、扉はもう少し易しく・・・あれなんだこのデジャヴは。

「店主さん!」

髪と服をぐっしょり濡らしたはたては、僕に大声で呼びかけた。

「どうしたんだい?うわ、びしょ濡れじゃないか、風邪引くよ。早く中―」

「それどころじゃないんです!大変なんです!」

はたては僕の言葉を遮ると、早口で捲し立てた。

「人里の湯浅さんって、御存知ですよね?店主さんは」

「あ、ああ。ここのお得意さ・・・」

「みんな・・・亡くなったって」

「え?」

僕は咄嗟に、彼女の言っている事が理解できなかった。

「家族全員、皆亡くなったそうです」

はたては掠れた声で、同じ言葉を繰り返した。

「なく・・・なった?」

「死んじゃったって・・・みんな」

死んだ。湯浅一家が全員。ということはもちろん文吉も。まさか、そんな・・・どうして。一体何が。彼とその家族に・・・何があったって言うんだ。


湯浅家の葬儀が終わった後の僕は、何日かは抜け殻のように過ごしていた。一日中、僕は安楽椅子にどっさりと腰を下ろし、そのままじっと動く事なく、ひたすら時が経つのを待つかのような状態にあった。


僕は椅子に座ったまま、積み上げた天狗の新聞を手に取ると、あの恐ろしい事件の記述をもう一度読み返した。


文吉や分家の一家を含む湯浅家の人々は、全員が食中毒により死亡したという。それも、中毒の原因は祝宴の料理の中に含まれていた毒キノコによるものだったそうだ。湯浅邸が人里の集落からかなり離れていた事もあって、事態が発覚するまでに時間が掛かった。そのため、最初の発見者が湯浅邸を訪れた際にはもはや事実上手遅れの状態にあった。生存者もその時点では何人かいたものの、結局全員助かる事は無かった。


発見が遅れた事もあり、その現場は極めて凄惨な状態にあったという。家の中の遺体は皆苦悶の表情に満ちており、さらに辺りは大量の吐血のためかあちこちに血だまりが出来ていた。しかも遺体や血の跡の状況から、皆相当もがき苦しんだ様子が多数見受けられたとされている。


里の長者一家が全滅というこの大事件は、人里のみならず、幻想郷中に大きな衝撃を与えた。原因が毒キノコによる中毒と言う事もあり、里の市場からはキノコが一斉に撤去され、「しばらくはキノコを採る事を禁ずる」という里長による異例の宣言も出された。


そして、原因解明にあたって、キノコの道では専門家である人物―誰であろう、霧雨魔理沙その人である―が現場検証に立ち会う形になった。


「毒キノコか・・・」

僕は今まで、キノコの見分け方―毒があるか、もしくは無いか―についてはあまり意識した事は無かった。いや、正確に言えば、隣に余りに詳しい人物がいるために、丸投げにしている状態であった。そう、キノコの専門家である魔理沙がいつもそばにいたからだ。


―カランカラン

「よう、香霖」

これ程元気の無い声で扉を開ける魔理沙など、今まで見た事が無いような気がする。いや、一回ぐらいはあったかもしれないが。

「やあ、魔理沙」

僕は彼女以上に元気の無い声を返す。

「ちゃんと飯食ってるか?ああ、その様子じゃ全然食って無さそうだな。随分顔色が青いぜ」

「僕には食事は必要ないんだけどな」

「それでも、少しは何か口にした方がいいと思うぞ。見るからにゲッソリしてるじゃないかよ」

魔理沙は溜息を吐くと、何かが詰まった布袋を持って、店の奥へと向かおうとした。

「どこへ行くんだい?」

僕は安楽椅子に座ったまま、首をわずかに動かした。

「少し待ってろ、飯作ってやるから。厨房借りるぞ。あ、キノコ料理じゃないぜ」

魔理沙の返事が僕の耳に届いた。

「流石にあの事件の後で、キノコはちょっとまずいからな」

魔理沙の微かな呟きが、僕の耳に辛うじて入る。


魔理沙が作ってくれたリゾットを二杯も一気に平らげた僕は、久しぶりの食事により安心感のようなものが戻ったのか、いくらか心が落ち着いたように感じた。

「普段なら、マッシュルームを入れるんだけどな。今日は無しだ」

魔理沙が口元だけの、目が笑ってない笑顔で僕に言う。

「いや、とても美味しかった。ありがとう、魔理沙」

「いやいや、どういたしまして。喜んでもらえて嬉しいな」

魔理沙は照れ臭そうに頬を掻いた。

「わざわざ作りに来てくれて、感謝してるよ」

「ま、いいって事よ。気にするなって」

魔理沙は明るい声で答えるが、すぐに視線を落として僕に言う。

「結構、ショック受けてるだろうなと思ったからさ、香霖」

魔理沙の声のトーンが落ちた。表情も若干暗くなっている。

「そうだね・・・未だに信じられないんだ。文吉が死んだ事。いつも見ていた明るい笑顔がどうしても目に浮かんでね」

僕は思わず眼鏡を外すと、顔を両手で覆った。

「―葬儀の時の彼の顔は、とても辛そうに感じた。死化粧が施してあるとはいえ、表情はさぞ苦しんだという様が残っていたからね。可哀想で・・・もう」

「香霖・・・」

魔理沙は僕の肩に黙って手を載せる。

「なんで、こんな事になってしまったんだろうと思って・・・どうして、間違えて毒キノコなんかを食べたんだって・・・この数日間、もう何回も同じ事を考えていた」

「・・・」

魔理沙は無言のまま、僕の顔を見ていたが、ふいに口を開いた。

「香霖」

僕は顔を上げると、魔理沙の顔に目をやった。

「・・・今まで私は、ずっとこの事件の原因調査に協力していた。事件がどうして起きたのか、その理由も知ることができた」

魔理沙は真剣な眼差しで、僕の目をジッと見ている。

「何が原因であんな事が起こったのか、知る覚悟はあるか?」

「・・・」

僕は少し考えると、魔理沙に向かって告げる。

「教えてほしい。どうしてこんな事が起こったのか、その原因をちゃんと知りたいんだ」

「わかった。香霖なら、そう言うと思ったぜ」

そう言うと魔理沙は、袋から一冊の外来本を取り出して、僕の目の前に置いた。

「これは、あいつの家にあった外来本だ」

どうやら、山の幸の特集をした雑誌らしかった。ワラビやゼンマイと言った山菜、そしてキノコの特集記事が載っている。

「この外来本が、全ての元凶だよ」

魔理沙はそう言うとペラペラとページを捲り始めた。

「問題は、この記事だな」

魔理沙はそう言うと、白いキノコが映った写真を指差した。

「この写真、間違っているんだ」

魔理沙が深刻な表情で僕に言う。

「この写真のキノコは、食用のシロマツタケモドキって紹介されている。でもさ・・・これ―違うんだよ」

魔理沙は一旦一呼吸置いてから、また重い口を開いた。

「この写真に写っているのは、シロマツタケモドキじゃない。よく似た別のキノコだ」

魔理沙は暗い顔で淡々と説明する。

「ドクツルタケ。『死の天使』とも呼ばれる、猛毒キノコだ」

「毒キノコ・・・」

何て事だ。毒キノコの写真が、誤って食用のキノコと紹介されていると言う事か。それじゃまさか―

「この本の写真を見て、確かに食用キノコで間違いないと思って採取したんだろう。でも、それは間違っていた」

魔理沙の声が掠れている。

「こいつは恐ろしいキノコだ。毒性は、たった一本で人一人が死ぬ、それぐらい強力なんだ。それをあの一家は全員口にして―」

そこまで言うと、魔理沙は口をつぐんでしまった。

「悪い。ここから先はもう、あんまり私の口からは言いたくないな。察してくれ」

僕は魔理沙の表情を見て、何となく察しがついた。


魔理沙が店を去った後、僕は店の奥にしまってあった一冊の本を取り出した。随分前に、魔理沙が置いていったキノコの図鑑である。ページを捲り、例のドクツルタケの項目を見てみる。


―摂食後、数時間から一日程で腹痛、下痢、嘔吐と言った症状が発生。そして一旦症状は治まるものの、数日から一週間後には肝臓や腎臓といった内臓に重篤な症状が出る。大量の吐血、のたうち回る程の激しい苦痛といった生き地獄を味わった後、おおよそ、九割の人間が死亡する。


読んでいる途中から、非常に気分が悪くなるような内容であった。こんな苦しみを味わいながら皆息絶えていったというのか。

「こんな・・・まさかこんなことが」

僕の視界が次第にぼやけていく。堪えようとしても、堪えきれなかった。間違った内容を掲載していた外来本が原因で、文吉は―あの一家は全員・・・こんな過ちのせいで、幸せな一家が崩壊した。しかも、皮肉にも彼が手放そうとしなかった、あの外来本のせいで・・・


僕は数日後、新たに拾った外来本を数冊抱えて、鈴奈庵を訪れていた。

「あ、こんにちは」

僕の姿を見て挨拶する小鈴の顔は、少々憔悴したような印象を受ける。

「店主さん、ちょっと顔色悪いですよ」

それは君もだろう、とツッコミはしないでおこう。

「どうしても、あの事件の事が頭から離れなくて・・・」

「それは僕も同じだよ」

僕は小鈴の前に本を置くと、彼女に語り掛ける。

「普段よく本を読む身としては、相当ショックだった」

僕は溜息を付きながら小鈴に言う。

「今まで自分が読んできた本の中にも、当然、間違いの一つや二つはあるだろう。でも、あんな悲劇を生むような事に繋がる事もあると考えてしまうとね・・・正直、内容を全部信じていいのか疑ってしまうね」

「そうなんですよね・・・今読んでる本、外来本に限らずですけど、作者の意図しない間違いは少なからずあると思うんです。ただ、それが大きな誤解や事件を生む事になるんじゃないか、と思うとすごく不安になります」

小鈴も落ち込んだ声で僕に言う。

「それに、この前の呪いの屋敷の件もそうです。本にから得る情報は便利ですが、それが思わぬ形で広がったら収拾が付かなくなるんじゃないかって・・・」

「そうだね。実際、鈴奈庵では本による異変も何回か起きてるって―」

「うう、そうなんですよね」

小鈴は僕の顔から目を背けると、俯いてしまった。

「なんかちょっと、不安になりますね。このまま、貸本屋を続けていいものかと」

小鈴は力の無い声で言う。

「・・・」

「怖いんです、私」

小鈴が声を震わせながら言う。

「もしもあの間違った外来本が、鈴奈庵に渡っていたらと思うと・・・。以前の外来本の騒動どころじゃないですよ。それ以上の大惨事になったかもしれないんです」


確かにそうだ。もしも鈴奈庵にあの外来本が持ち込まれ、里の人々に貸し出されたとしたら―あの誤った内容を見て、多くの人があの恐ろしい毒キノコを口にする事になったかもしれない。そうなれば、その原因を作ったのは鈴奈庵という事になり、バッシングに晒される事は目に見えている。


「ここに並んでいる本、内容は本当に正しいのかな、大丈夫かなって考えると、キリが無いんですよね・・・」

小鈴の目には、微かに涙が光っていた。


鈴奈庵を出た僕は、下道荘へと向かっていた。あの時、この場所で、文吉はあの外来本を拾った。それが自らの命を奪うとは、露ほども想像していなかっただろう。

「文吉・・・」

下道荘に立った僕は、思わず呟いていた。以前にここに来た時、笑顔で外来本を手にしていた文吉は、もうこの世にはいない。

「あら、何をやってるのかしら?こんなところで」

いきなり後ろから声を掛けられ、ぎくりとした僕が振り向くと、そこには妖怪の賢者がふわふわと宙に浮いていた。

「ああ、ここはこの間亡くなった知り合いと最後に来たところでね。ちょっと思い立って来てみたんだ」

「湯浅の長者ね」

「そうだよ」

「何か、人生何が起こるかわからないって感じよね」

「ああ、そうだね」

よく考えてみたらその通りだ。あの元凶の外来本を拾ったのは文吉だったが、もしかしたら先に僕が拾ったかもしれないし、まったく関係ない他の誰かが拾う可能性もあった。

「未だに信じられないし、やりきれない。今まで何人もの友を先に見送る形になったけど、今回は相当参ったよ」

「そうね。ただ、これも一種の定めよ。私も、何人、何十人と見送る事は経験してはいるけど、今回の事件以上の辛い別れも一回や二回じゃないから。それは当然、あなたも同じ事よ」

紫は僕の顔を見下ろしながら言う。

「妖怪と人間のハーフという種族であるあなたなら・・・ね」

「これも定め・・か」

「そう。わかっているでしょうけど、この先、何度も同じような事を経験するかもしれないわ。もっと悲しい別れをすることもあるでしょうね。覚悟しておいたほうがいいわよ」

「・・・」

「それじゃあね」

紫は僕にウインクすると、開いた隙間の中に消えていった。


僕のような妖怪と人間のハーフの場合、必然的に一緒に過ごす人間を多数見送る形になる。どんなに長生きしようと、人間の寿命は僕よりも短い。時には今回のような、まったく予想だにしない形での別れとなる事すらある。だが、紫の言う通り、それは種族としての定めであると考えるしかない。いや、嫌でもそう考えないとおかしくなってしまいそうだ。


だがやはり、別れと言うものは悲しいものだ。過去、僕は何人もの友人を失ってきた。その度に生前の彼らにもっと色んな事をしてやりたかったと悔やみ、思い出の日々を回想しては涙を流していた。


かつて見たあの悪夢。僕は一生、妖怪と人間ハーフとして悩んでいく。中途半端な存在。いや、それでも、僕だって一つの人生を歩んでいる。様々な物を得ながらも、同時に様々な物も失っていく。それをこれからも続ける覚悟は出来ている。今回のような恐ろしい出来事も、紫の言う通り、これから何回、何十回と繰り返されるかもしれない。その度に気がおかしくなる程、悲しみ、悩み、苦悩することだろう。だが、これは僕の生きていく道なのだから、受け入れるしかない。


「この幻想郷で・・・生きていくしかないんだ」

僕はそう呟くと、誇り高き自分の店へ―香霖堂へと足を走らせた。

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