九十八話 『女王の英雄』
ルキナは梯子に片手をつきながら、首を横に振った。
「分からん……何の話だ……! ちゃんと説明しろ! 広場で何があった!!」
「援軍が来ます」
ガロルが、足元の敵を斬るために一歩梯子を降りる。
迫る大きな背中に目をみはるルキナより早く、隣の梯子で戦っていた兵士が歓喜の声を上げた。
「それでは広場の敵は一掃したのですね! 広場で戦っていた仲間と、魔王が石壁の防衛に来てくれるのですか!?」
「いや、広場の敵は王都中に散った。魔王は俺とは別行動だ。しばらくはここに来ないだろう」
笑みを浮かべていた兵士の顔から、一気に血の気が引く。だがガロルは剣を振るいながら「大丈夫です」とルキナに声を投げた。
「それでも、それでもなお、御心配は無用です。今我々の背後では……陳腐な言い方ですが……『奇跡』が展開されています」
「奇跡?」
「聞こえませんか」
ルキナは背後を振り返り、耳をすませてみた。石壁の防衛戦の渦中にいたせいで気づかなかったが、王都の中から、確かに無数の集団の声と気配が伝わってくる。
それも、十人や二十人ではない。百人、二百人規模の人間がうごめく音が、都の奥から聞こえてくるのだ。
「これは……!? 戦いを始める前の、コフィンの全兵員よりも大勢の気配が……!」
「ダストはこの王都を魔法円で囲み、王都の大地に血を流して術をかけたのです。
援軍は、都の中から立ち現れます。石壁の内の敵を追い、ことごとく殲滅し、この場に至ります。ダストの魔術が呼んだ奇跡……本来望み得ぬ助力が、もうすぐやって来るのです」
ルキナはそこまで聞いて、「ならば!」と剣を握るガロルを睨んだ。
「なおさらそこをどけ、ガロル! 援軍が来るまでここにいる全員で石壁を守り抜かねばならん!」
「いいえ、私がルキナ様の代わりに」
「ふざけるな! 貴様ここまできて……」
「俺はそのためにいるんですッ!」
スノーバ兵の鉄仮面を砕くガロルが、唖然とするルキナに背を向けたまま、歯ぎしりをした。
草原の方から、巨大な剣を振り回すセパルカ王の哄笑が聞こえる。
ガロルが血を浴びながら、いやに静かな声で、言った。
「セパルカ王のように、大軍を率いて戦いたいですか。前線で力を誇示し、兵と民のために、堂々と戦に臨みたいですか。
王だからこそ、誰よりも勇敢に戦う……先王、ルガッサ様も、そういうお方でした」
「私は」
「あなたに生きて欲しいんです。王家の血を絶やしたくないとか、コフィンの未来のために必要だとか、そんな理由じゃありません。
あなたという人物が、戦後の世界に生きている……それが俺の……俺達の、望む未来なんです」
ガロルの言葉に、周囲のコフィン兵達の表情が変わった。
戦う彼らの背中を見回すルキナへ、ガロルがわずかに声を大きくする。
「だから刑場でのお振る舞いには、正直腹が立ちました! あなたの選択が我々の意志だとは言いましたが、まさか心臓を焼こうとなさるとは! あまりに無体と言えば……!」
「おい」
「俺はあなたの刃なのです! 刃が敵を前に、持ち主より後ろに引っ込むことなどありえません! あなたの前の敵は俺が殺す! さもなくばこのガロルに価値など!!」
ガロルの立つ梯子から、ルキナの重みが消えた。
はっと振り向くガロルの目の前で、ルキナが隣の、先刻まで老齢の家臣が上っていた梯子へ飛び移る。
両手で梯子にしがみつくルキナが、ふうと息をついてガロルと同じ高さまで上がって来る。口を開こうとするガロルに、ルキナが他の兵士に槍を催促しながら目を向けた。
「ガロル、お前、私が好きか?」
「はっ……?」
「いや、何だ」
ルキナが、一瞬隙を見せたガロルの前に迫った敵を、寄越された槍で突く。
落下するスノーバ兵にあわてて視線を戻すガロルに、ルキナは髪を軽くかき上げて咳払いをした。
「そんなに私の横や前に張り付いていたいのなら、いっそ夫にでもしてやろうかとふと思っただけだ」
「ば、馬鹿な! 違います! 断じてそんなつもりで話をしていたのでは……いや、そんな……恐れ多いことを!」
「まあ、考えておけ。戦が終わればお前も救国の英雄だ。身分違いと騒ぐ奴も少なかろう」
英雄という言葉が出たとたん、ガロルの顔から表情が消し飛んだ。それでも壁の下の敵に注意を向け、首を振る。
「ルキナ様……とにかくお下がりを。次の敵兵の波が来ます」
「断る」
「ルキナ様!」
「私は父上やセパルカ王のまねがしたいわけではない。彼らは関係ない。お前達の現在の王としての、私のあり方が、ここを離れることを許さんのだ」
石壁の下にいる、最後の兵士が倒れるのを見届けると、ルキナは槍を立て、こちらへ向かって来る新手の隊列を睨んだ。
「兵に守られ、壁の内から指令を飛ばすような時期はとっくに過ぎている。かつての飢饉において、私はダストから王としての責任を説かれたが……今はもはや国自体が消し飛ぼうとしている最後の時だ。
あの時学んだ理すら、通用しない」
いつしか口を閉じ、無言で話を聞いていたコフィンの兵士達戦士達が、ルキナと同じように敵陣を睨みながら武器を立てる。
あごを垂れる血をぬぐいもしないガロルへ、ルキナが鋭く声を上げた。
「王都を守る最後の防衛線に王がいなくて、何故兵が命を賭けられる! 石壁の内側では戦いの様子も分からぬわ! お前達の生き様死に様を全て見届けねば、このルキナに価値などない!!」
ルキナが槍を握る手とは逆の拳を虚空へ突き出し、さらに叫んだ。
「戦士団長ガロルは、この女王ルキナの腹心だ! 我が右腕として、稀代の英雄として名をとどろかす男だ!」
「……!」
「石壁の勇士達! お前達もまたこのルキナの手足にして、血肉の一部だ! ともに王国の命運を担う『コフィンの剣』だ!
お前達の戦いは全て私が見ているぞ!! 思うままに戦えッ!!」
迫るスノーバ兵の横隊に、石壁の男達がルキナへの返礼の咆哮とともに、刃を振り向ける。
ルキナもまた槍を構えながら、ちら、とガロルを見た。「文句あるか?」と小さく訊く彼女に、ガロルが剣を握り締めながら、何かを恥じるように、うつむく。
「……いつの間にか……あなたは俺……いや、私より、強くなられていたようです……」
「冗談をぬかすな。それにもう『俺』でいい。それが『地』なのだろう」
「あなたを守っていたつもりでした。ですが、本当は俺の方が守られていた。あなたが必要としてくれるから、俺は自分を保てたのです。
今一歩で英雄になれない不甲斐なさ……それに押し潰されずに済んでいました……」
「ああ、さっきのはそういう意味か。……幼少の頃お前に『一番』を望んだこと……謝らねばならんか?」
顔を上げるガロルが答える前に、ルキナは首を振って「いや」と口端をゆるめた。
「強いた苦労には報いる。だが謝るのは筋違いだし、無礼千万だな。
ガロル、お前は私の英雄だ。嘘でもお世辞でもない。本当に、私ごときにはもったいないほどの男だよ」
「……ルキナ様」
「だから婿入りの話、まじめに考えておけ」
一瞬で顔を引きつらせるガロルが「冗談ではなかったのですか!?」と、敵へ刃を向けながら叫んだ。
ルキナは高く笑いながら、ガロル達とともに、這い上がってくる敵へ刃を振り下ろした。




