九十三話 『土煙』
スノーバ軍の向こうで、神喚び師マリエラが立て続けに手を振る。
スノーバ兵の横隊が波状攻撃をかけ、石壁に殺到した。
もはや、コフィンの兵士戦士のほぼ全てが石壁の梯子に上がっている。本来武器を持たぬ家臣達さえ、長槍を手に敵を突いていた。
ルキナの横で、老齢の家臣が手にした長槍を敵につかまれ、ぐい、と引かれた。
あっと言う間もなく石壁の向こうに引きずり込まれる彼を、ルキナと逆側の兵士があわててつかむ。
もがきながら叫ぶ老齢の家臣を、人間梯子のスノーバ兵達が手を伸ばして捕まえた。敵と味方の綱引きの中、老いた体がめきめきと悲鳴を上げる。
「助けろ! 誰か……!!」
ルキナが叫ぶも、場はすでに怒号と悲鳴で埋め尽くされていて声がかき消される。他の者達も目の前の敵を退けるのに必死だ。
老齢の家臣が絶叫する。ルキナが剣を抜き、スノーバ兵の腕に突き立てようとした時だった。
視界の隅を黒い何かが駆けて来て、家臣の体を引きちぎろうとするスノーバ兵達に突進した。
黒い巨大な影が人間梯子に覆いかぶさり、スノーバ兵達の腕を、大きな白い牙が食いちぎる。
人間梯子は崩れ、家臣は石壁のこちら側に引き戻された。うめく家臣は肩が脱臼しているが、それ以外にけがを負った様子はない。
ルキナの前に、黒い影が座り込み、白い頭蓋から青い炎を噴き上げながら首をかしげた。
ナギの護衛を命じたはずの、ドゥーの影だった。
「お前……何故ここに! ナギはどうした!」
ルキナの問いに、ドゥーの影はただゆっくりと首を逆側に倒した。
この魔物は本来魔王ダストの命令でルキナを刑場から救い出し、守っていたのだ。
ルキナの命令にも一時的に従ったとは言え、おそらく彼女を守れと命じたのだろうダストの言葉の方が、魔物にとっての優先順位が高いのだろう。
ルキナが危機に陥ったから、戻って来てしまったのだ。
そう思い至ったルキナは唇を噛みながら、それでも石壁一帯を指さしながら叫んだ。
「壁に取りついている敵を退けろ! みなの援護を!」
ドゥーの頭蓋から青い炎が強く噴き上がり、石壁の向こう側へ飛び降りた。
直後ルキナのそばの人間梯子が、順に落ちるように崩れて行く。
下から魔物が牙を立てているのだ。ルキナは深く息をつきながら、眼下を広く見渡した。
スノーバ兵達は石壁周辺だけで百名近い数が攻め込んで来ており、冒険者達は主にバリケードの方に集まり、炎の巨人の残り火を消しにかかっている。それらの背後には、数え切れぬほどのスノーバ軍の本隊。
さらにスノーバの都の方には、真っ赤に染まった神がたたずんでいるのが見える。
ゆっくりと前進するスノーバ軍は、まるでルキナ達を一秒でも長く苦しませようとしているかのようだ。
ユークとマリエラの表情は見えないが、兵の動かし方に強い悪意を感じる。
じわじわと敵を消耗させる、余裕のある攻め方だ。
一方石壁の外で戦っていたゴーレム達は、いつの間にか全てが潰されたらしく、姿が見えなくなっていた。
「勝てない……このままでは勝ちようがない……! ダストは何をしてるんだ!? それとももう既に、何か魔術を……」
「ルキナ様! 南の方角をッ!」
魔物のおかげでほんの少し敵が石壁から遠ざかったため、離れた場所にいる兵士の声も聞き取ることができた。
ルキナは南の地平線に視線をやり、そこに上がる土煙に目を見開いた。
何かが、高速でこちらに向かっている。
「あの方角は……スノーバに焼かれた、ティオリネの森……」
「セパルカとの国境です! セパルカの使者を逃がした際に占拠した敵拠点から、軍団が向かって来ています! ……セパルカ軍です!!」
ぞく、と背筋に寒気が走った。表情を硬直させるルキナの横で、兵士達が敵に石材を投げつけながら歓声を上げる。
「おお、おお! 同盟セパルカが援軍に来てくれたのか!?」
「やったぞ! あの土煙なら数百はいる! スノーバ軍を挟み撃ちにできる!」
「……何故セパルカが、今、国境を越えて来る……?」
喜色を浮かべていた兵士達に、脱臼した肩をかばいながらうずくまっていた老齢の家臣がぽつりと言った。
とたんに口を閉じる兵士達。ルキナは老齢の家臣へ、無意識に低い声を出した。
「セパルカ王には、神とスノーバ軍の危険性を確かに書簡で伝えた。彼の使者にも、コフィンがもうほとんど戦えぬほど消耗していることを話して聞かせた。
……半死半生の状態にあるコフィンのために、セパルカがあれほどの軍を出してくれたのだろうか?」
「セパルカは武を尊び、義侠を重んじる国です。されどもしコフィンと協同してスノーバと戦うつもりなら、使者を送って来た時点で詳しい情報交換や、策の打ち合わせを図ると思うのは……私だけでしょうか」
そうだ。セパルカの使者がルキナに伝えたのは、幸運を祈る、という激励の言葉だけだった。
セパルカ王はルキナの父、ルガッサと友情の杯を交わした男だが……同時に彼は、自身の息子の追悼を理由に問答無用でコフィンを攻めた男でもある。
大事な同盟相手。だが底知れぬ、理解できぬ相手でもあった。
老齢の家臣はルキナに細い視線を向け、うめくように言う。
「ルキナ様。国柄に関係なく、外交には非情で冷徹な判断が必要な局面があります……セパルカは我が国以外に同盟国を持たぬ国です。ならばコフィンが倒れれば、あとは不死身の神を操るスノーバと一国だけで戦わねばならなくなる。
ならばコフィンという国が形だけでも残ってる内に、できれば最後の戦いをしている最中にそれに乗じる形で攻撃を仕掛けるのが合理的です。
戦いを選ぶなら、の話ですが」
「ならば、やはりあれは援軍ということか?」
「セパルカがスノーバだけでなく、コフィンをも攻めないという保証はありません。何しろ我々は滅亡寸前まで弱っています。
……強大なスノーバが占領地化を進めていたコフィン……スノーバがいなくなればセパルカにとって我々はもはや対等の同盟国ではなく、たやすく横取りのできる、美味そうなパイに過ぎないかもしれませんよ」
兵士達が、戦いながら顔を引きつらせた。そうだ、そうなのだ。本来他国の軍隊が何の通告もなく自国領に入って来るということは、侵攻を疑うべき事態なのだ。
セパルカ王や、使者の人の良さそうな態度など何の保険にもならない。
単純な自国の利益を考えれば、スノーバもコフィンも平らげようというのはけっしてありえない判断ではない。
土煙は、どんどん王都に近づいて来る。
セパルカ人が乗用に用いる大型鳥類ロードランナーは、最高時速だけならばドゥーを凌駕することがある。
スノーバの冒険者達も、セパルカ軍に気づいたらしい。敵陣に変化が起こる。マリエラが腕を振り、スノーバ兵達が南に向かっても展開し始めた。
土煙の中に、無骨な鎧に身を包んだセパルカの戦士達が見える。しかも良く見れば、軍団の中にはちらほらと複数のロードランナーに引かせた戦車の姿も混じっていた。
「セパルカ王だ……」
軍団の中央、ほぼ最前列に、二十匹を超えるロードランナーをつないだ巨大な戦車がいる。
その上にあつらえられた石の玉座に座る巨漢の姿に、ルキナは握った剣が汗ですべるのを感じた。
鎧に身を固めた戦士達の中央にいる、上半身裸の大男。
およそ人間とも思えない、下手な熊よりも大きな体をした、筋肉の塊のような人物。
敵の血の染み込んだ絨毯のようなマントを着けたセパルカ王は、長く伸びたあごひげをさすりながら、ひざの上に大きな棒状の物を置いて、まっすぐに石壁の上のルキナを見ていた。
黒々とした髪、太い眉毛、わし鼻からあご下にかけては長い傷が走り、目は紫色の光をらんらんと宿している。
「……味方か……?」
セパルカ王がゆっくりと玉座から立ち上がる。
「……敵か……!」
唾を呑み込むコフィン人達と、スノーバ人達の視線を一身に受けながら、セパルカ王は棒状の物をつかみ……ルキナを指さすと、深く、体をひねって力を溜めた。
――槍投げの姿勢だ。
とっさにコフィンの男達がルキナの前に伸び上がり、盾になる。
セパルカ王はそんな彼らに対して、真っ白な歯を剥いて悪魔のような笑みを浮かべた。
「敵だ!! 王女をお守りしろーッ!!」
叫ぶコフィン人達に、セパルカ王は揺れる戦車の上から、野太い獣の咆哮に似た気合と共に棒を投擲する。
本来、ルキナの負傷を危惧するような距離ではない。並の人間の力では絶対に槍など届かない。
だがセパルカ王の放った物体はまるで強弓から放たれた矢のように風を裂き、放物線を描いて、上空から石壁へと飛来して来た。
梯子を駆け上がってきた兵士が、ルキナを背後からかばう。
戦慄するコフィン人達の目の前で、飛来して来たそれは、ルキナの真下の石壁に凄まじい音を立てて突き刺さった。
梯子が揺れ、危うく足を踏み外しそうになる。
外れた? 石壁を見下ろすルキナ。
突き刺さった棒状の物に、きつく巻きつけられていた布が、ばらりとほどけた。
「これは……」
風にはためく布は真っ黒に染め上げられていて、その中央に松明をくわえた怪鳥のシルエットが、白抜きで描かれていた。
――セパルカの国旗だ。
コフィンの王都の壁に、セパルカの国旗を刺した。何故?
セパルカ王は戦車の上で、目の上に手をかざしてこちらを見ている。
そんな彼に、兵士の一人が長い柱のような棒を差し出した。
セパルカ王が受け取り、持ち上げる。その棒にもまた布が巻きつけられている。
「あっ!」
ルキナが、梯子の上に伸び上がって目を見開いた。セパルカ王が棒を、勢い良く右から左へ振る。
「そおれいッ!」
部下に用意させた道具を力一杯に振ると、セパルカ王の頭上で巨大な旗が広がった。
腕を引く風圧が心地よい。戦場の視線が己と、己の旗へと向けられているのを楽しみながら、戦を愛する王は戦車のすぐ横をロードランナーで走る部下に声を向ける。
「ゾォロン! 小さなルキナ姫はわしの意図を理解したかな!?」
「はっ! 理解したと思われます!」
「ゾォロン! 貴様が使者として会った小さなルキナ姫は、どうであった!?」
「はっ! 父親の気質をよく受け継いだ人物でありました!」
「……では我が友にふさわしい人物ということだ! うははははッ!!」
高笑いするセパルカ王が、巨大な旗を両腕で大きく振り回した。
柱のような太い棒に取り付けられた、船の帆のような旗……
そこにはセパルカ人達が見よう見まねで描いた、コフィンの国旗のマークがあった。真円の中にいる、モルグの紋章だ。
コフィンの旗を高く振りかざすセパルカ王が楽しげに咆哮を上げると、軍団のロードランナーの鞍上に、次々と同じ紋章の旗が立つ。
セパルカの戦士達が、全員コフィンの旗を掲げていた。
「国境警備隊、及び斥候隊の監視報告。巨大な神とやらの異変、天空竜モルグの飛翔、コフィンの都から空に上がった、青い光の柱……何が起こっているか、さっぱり分からんが」
セパルカ王が、ずん、と戦車上の旗立台に国旗を突き込み、笑う。
「――決戦の時と見たッ! 出撃準備を整えておいたかいがあったわ! なあ使者殿!!」
セパルカ王の視線を受けて、ロードランナーの群の中に混じっていた数匹のドゥーが短く鳴いた。
その内の一匹の鞍上に乗った調教師ダカンが、深くうなずく。
「国王様の御英断には敬服するばかりでして、へえ。おかげさまであっしも、スノーバの拠点に潜んでいたコフィン戦士達も、お国に最後の奉公ができるってもんでさあ」
「うむ、勝つぞ使者殿! スノーバの冒険者も、無言の兵団も、不死身の神も全て我らセパルカが平らげる! なあに、不死身などと言っているがこの世にあるものは結局全て壊すことができるのだ!
形あるものは必ず壊れる! 一万回、十万回、百万回と斬りつけていけば、どんなに硬いものも少しずつ削れていくさ!」
セパルカ王が右手を伸ばすと、軍団から長大な剣が飛んで来た。
太い丸太のような腕がそれをつかみ取り、抜き放つ。
「度を越えて強大で卑劣な敵に、こしゃくな策など通じぬ。隙を見つけ、何の前触れもなく総力攻撃をかけるのが一番効果的よ」
笑うセパルカ王の手元で、並の兵士が扱うものの三倍近い重さの刃が、ぎらりと光を放った。その刃先が、周囲の自分以外の者が乗る戦車を順次指していく。
「第一王子! 第三王子! 第四王女! 偉大なるセパルカ王ジクトールの血を引く子供らよ! 祖国セパルカの名誉のため、同盟国コフィンとの約束に命を捧げるか!!」
鎧をまとわぬ、マントを身につけた三人の若者達が、父親と同じ剣を抜きながら笑顔で応と答えた。
次にセパルカ王は空を剣で指し、モルグを見上げながら叫んだ。
「セパルカ軍全兵! 祖国セパルカの未来のため、セパルカ王ジクトールと共に屍をさらすかッ!」
地鳴りのように、全てのセパルカ戦士達が同時に応と答えた。
セパルカ王が地上に視線を戻し、石壁の上のルキナへ悪魔のような笑みを浮かべて、号令を発した。
「あの石壁が我らの拠点だ! あの旗を取られたなら我らの国が取られると思え! 全軍! 突撃イィッ!!」
獣のような咆哮を上げて進軍して来るセパルカ軍。
彼らが掲げるコフィンの旗に、スノーバ軍の何割かがそちらへ向かい始めた。
ルキナの心臓が、どくんどくんと大きく脈打つ。すでに周囲の兵士達、戦士達は意気を取り戻し、スノーバへの攻撃を再開している。
梯子にうずくまっていた老齢の家臣が、ルキナを静かに見て言った。
「信じますか? ……彼らを?」
「私はセパルカ王を理解できていない。……ただ……あそこにいるドゥーに乗っているのは、たぶん、調教師ダカンと、国境に残していた戦士達だ。
捕虜にとられているようには見えない」
ルキナが、眼下のセパルカの国旗に視線を落とした。
「敵を引き受けてくれるなら、任せよう。共にスノーバを倒し、その後に襲って来るなら……その時には、剣を向ければ良い」
「……冷徹を演じるには、表情を抑える訓練が足りませんな、王女。
喜びと安堵、信頼が笑顔になってこぼれていますよ」
ルキナは家臣の指摘に、ぱん、と自分の頬を叩いてから、「さっさと下に行って休め」と半笑いで言い捨てた。
「セパルカは現時点では味方だ! 攻撃を続行しろ!! 攻撃目標は依然スノーバだッ!!
繰り返す! セパルカ軍と協力し、スノーバを撃退せよッ!!」




